最強の男たち

 伝説級の魔物の出現はない。同じように、邪族も現れないと、心のどこかで油断があった。

 でも、違う。

 街に警邏隊けいらたいがいても犯罪者が現れるように、ミシェイラちゃんたちがどれだけ頑張って抑えていても、邪族が出現する可能性はあったんだ。


 瞑想を切り上げ、騒ぎが起きた方角を確認する。

 城塞の一画が真っ赤に燃え上がり、黒煙が夜空に昇っていた。


 見つめる先で、爆発音と怒号どごうが響く。

 邪族を相手に、今まさに死闘が続いていた。


「僕、行かなきゃ!」


 たとえ上級魔族であっても、邪族が相手ではが悪すぎる。

 竜王やミストラルの攻撃にさえ耐えるほど、邪族の防御は硬い。

 だけど、いさむ僕をスレイグスタ老が止める。


「早まるでない。戦況をしかと確認してからでも遅くはなかろう」


 見上げると、スレイグスタ老は別の方角へ視線を向けていた。


「ま、まさか!? おじいちゃん、登らせてもらいますね」


 言って、僕はスレイグスタ老の頭の上へ、空間跳躍で移動する。

 そして、目撃した。


 邪族が出現したのは、何も一箇所だけではなかった。

 少なくとも三箇所、邪族によって被害が見る間に拡大していた。


「そんなっ!」


 よりにもよって、この時期に邪族が三体も出現するなんて……!


 昨冬、アムアード王国に出現した邪族に、僕たちは苦しめられた。

 人族だけでは対処できずに、竜人族や竜族の協力を必要とした。

 最後には、大魔術師のモモちゃんが創り出した大聖剣や、僕の浄化の神楽かぐらでなんとか倒すことはできたけど。その時の苦戦が、頭を過ぎってしまう。

 今ここで邪族に戦線を崩壊させられてしまえば、妖魔の王を迎え撃つどころではなくなる。

 女の子を迎え入れるなんて、もってのほかだ。


 どうにかして、これ以上被害が拡大する前に、邪族を倒さないと!


 だけど、邪族は倒そうと思ったら簡単に倒せる、というような生優しい相手ではない。

 なにせ、こちらの攻撃がほとんど通用しないんだ。


 もしも邪族を倒そうとするのなら、こちらも全力で挑まなくちゃいけない。

 そして、ここで全力を出して疲弊ひへいしてしまうと、今度は次に繋がる戦いに支障が生じる。


「いや、迷っている場合じゃないよね! 邪族を倒さない限り、次さえないんだ」


 覚悟を決めて、邪族が出現した三つの位置を見定める。

 どこにどれだけの戦力を向けるべきか。僕自身はどの邪族と相対すべきか。スレイグスタ老の頭の上から、戦況を冷静に分析する。

 すると、僕よりも早く動いた者たちの姿が、各地に現れた。






「おい、お前ら、退がっていろ。ここからは俺たちの出番だ」


 上級魔族を押し除けて戦場に現れたのは、魔族よりも恐ろしい存在感を放つ、竜王のイドだった。

 イドは、恐れることなく邪族へと近づいていく。


 対峙する邪族は、雄牛おうしの形をとった、巨大な化け物だ。

 数日後に満月をひかえた明るい夜のなかで、光を反射しない漆黒の身体は不気味だ。

 闇そのものを思わせる存在で唯一、瞳だけが爛々らんらんと赤く輝く。


 雄牛の邪族は、上級魔族が放つ魔法をものともせずに突進し、進路上の全てを吹き飛ばす。

 雄牛の邪族の突進を止められずに城塞の壁が破壊され、上級魔族がひるむ。


 そんななかを、イドは揺るぎない足取りで進んでいく。

 雄牛の邪族も、イドの圧倒的な存在感に反応して、赤く光る瞳で狙いを定める。


「前のは、馬鹿でけえへびだったな。エルネアの話しじゃあ、知性のある生物をした奴ほど上位の邪族だったか」


 そうだ。邪族にもいろんな種類の見た目があって、なかでも、より知性の高い獣の姿をとっていたり、人の言葉を口にする邪族ほど、強い。

 それを踏まえるなら、イドの前に存在している雄牛の邪族は、昨冬の大蛇の邪族よりも遥かに強く、恐ろしい存在ということだ。


 イドも、昨冬の戦いに参戦していた。

 だけど、大蛇の姿をした邪族を倒すことはできなかった。

 果たして、そのイドがたったひとりで、雄牛の邪族を相手にできるのか。


「ラーザ様の帰還にはなえねえとな。見ていな、これが今の俺たちだ!」


 イドが、人竜化じんりゅうかする。

 りあげた頭部から、禍々まがまがしくねじれたつのが生える。背中には恐ろしく大きな翼が広がり、巨大な体躯たいくを後ろから支えるように太い尻尾が伸びる。竜族かと思うような太い腕にはびっしりと竜の鱗が浮かび、凶悪な爪で武装した手は、もはや竜の手そのものだ。

 人が竜化した、というよりも、まるで飛竜が人の姿になったかのようなイドの人竜化。


 イドは、ぎらり、と闘志のみなぎる瞳を雄牛の邪族に向けると、竜族もかくやという咆哮を放った。


 イドの咆哮だけで、中庭を囲んでいた城塞の壁が吹き飛んだ。


「少し見ない間に、立派になりおって」

「三百年前の竜王にも、これほどの男はいなかっただろう」


 すると、近くの楼閣ろうかくの上に、ジルドさんとラーザ様の姿が見えた。

 二人は、楼閣の上からイドの勇姿を見つめる。


 伝説の竜王の二人に見つめられていることを知ってか知らずか、イドはその異様な姿で、臆することなく雄牛の邪族に近づいていく。


 雄牛の邪族は、ゆっくりと近づいてくる破壊の象徴を迎え撃つように、頭を低く落とす。そして、漆黒の角を人竜化したイドに向けると、前脚を激しく地面に擦り付けた。

 直後。雄牛の邪族は瞳を赤く光らせ、雄叫びをあげて、イドに突進を仕掛けた!


 雄牛の邪族が踏み抜いた地面がぜる。

 一瞬で大気を突き破り、漆黒の塊となってイドに迫る!


 イドは、猛突進してきた雄牛の邪族に、真っ向から立ち向かった。


 激しい激突音が、夜の城塞に響き渡る。

 衝撃波で城塞はさらに崩壊し、イドと雄牛の邪族がぶつかり合った地点が爆発を起こす。

 あまりの威力に、近くで見守っていた上級魔族たちでさえ、驚愕きょうがくに震えていた。


 竜王イド。

 現役の竜王のなかでも、最強と噂される男。

 その絶対的な力を、僕たちはたりにする。


 突進を仕掛けた雄牛の邪族。だけど、その猛烈な突撃は、イドの巨大な肉体の前で止まっていた。

 受け止めたのは、もちろんイドだ。

 凶悪な爪が伸びた竜の手で、がっしりと雄牛の邪族の頭部を受け止めていた。

 雄牛の邪族が吠える。でも、イドに捕まって、前進も後退もできない。


 イドは、竜の爪を雄牛の邪族の頭部に食い込ませていた。

 そして、イドも負けじと咆哮を放つ!


 イドの咆哮と同時に、激しい爆発音が響いた。

 しかも、一度だけじゃない。何度も、何十度も連続して、爆発音が響く。


 いったい、何が!?


 目を凝らし、意識を集中させて、イドと雄牛の邪族の攻防を凝視する。


「よくあの体型で誤解されがちだがな。あれは、誰よりも繊細せんさいに竜術を扱うことにけている」

「昔、お前さんが儂を訪ねて竜峰を下ってきたときに、連れていた坊主ぼうずだったか」


 イドを見つめるラーザ様の目尻が、優しく下がっていた。ジルドさんも、イドの過去と今を見比べるように、瞳を細める。

 その二人に見つめられるなか、イドの咆哮と雄牛の邪族の雄叫び、そして激しい爆発音は続く。


 僕は、イドという竜王の実力を再認識して、震えていた。


 雄牛の邪族の頭部を両手で鷲掴わしづかみにし、絶対に離さないイド。

 その、イドの竜の手と雄牛の邪族の頭部の間で、数え切れないほどの爆発が連続して起きていた。

 しかも驚嘆きょうたんすべきは、竜の手と邪族の頭部の間で起きる爆発の余波が、全く外部に漏れていないことだ。


 霊樹の宝玉が起こす桁違いの破壊力にも匹敵する竜術を、イドはてのひらの内だけで収め込んでいた。

 どれだけ繊細に竜術を操っているのか。固唾かたずを呑んで見守っている上級魔族も、肌で感じ取っているはずだ。


 超絶な破壊を生む竜術の爆発。四散しようとする爆発力を抑え込むために、竜の手の内側に幾重いくえにも張り巡らされた結界の強度。そして、恐ろしい竜術が引き起こした大爆発に指向性を持たせ、全ての威力を邪族に向けるたくみさ。

 この全てを、一度ではなくて、刹那せつなの瞬間に数え切れないほど連続して行っている。


 これには、雄牛の邪族もたまらず悲鳴をあげた。

 化け物の手から逃げようと、牡牛の邪族が後退しようとする。だけど、イドが離すわけがない。

 竜の爪を邪族の頭部に突き刺し、さらに容赦なく竜術を放ち続ける。


 最初は、雄牛の邪族の頭表で爆発を繰り返すだけだったけど。次第に、雄牛の邪族の頭部が割れ始めた。


 どれだけ硬い装甲そうこうだろうと、どんなに優れた回復力だろうと。絶え間なく竜術を浴びせられて、雄牛の邪族は深傷を負っていく。

 頭部に亀裂が入り、次に角が折れる。亀裂は雄牛の邪族の顔全体に広がり、首に到達する。


 イドが、竜の形相ぎょうそう渾身こんしんの大竜術を発動させた!


 まばゆ閃光せんこうと共に竜の爪が肥大化し、そのまま雄牛の邪族を丸ごと鷲掴みにする。そして、ひび割れが全身にまで広がった雄牛の邪族を握り潰すと、粉々に粉砕してしまった。

 イドが握り締めた両の掌から、ぽろぽろと雄牛の邪族の欠片かけらこぼれ落ちる。でも、その欠片は地表に落ちる前に、夜風に流されてかすみのようにあわく消え去った。


 ひと際大きな咆哮を、イドが放つ。

 勝ちどきの咆哮は、城塞を超えて飛竜の狩場に響き渡った。





 イドの咆哮が大気を震わせる。

 それを耳にして、苦笑する竜王が二人。

 痩躯そうくの竜王ヘオロナと、剣術を得意とする竜王ジュラだった。


「やれやれ、うっるせーなぁ。あいつの叫びは騒がしいったらありゃしねえよ」

「ミリーにでも得意気に聞かせているのだろうよ」


 まったく、夜中に騒々しい。と肩をすくめる竜王のヘオロナとジュラ。その二人の先では、さるに似た邪族が赤い瞳を光らせて身構えていた。


 猿の邪族は、既に傷を負っていた。

 胸にひとつ。首にひとつ。

 併せて二箇所に、鋭く開いた傷があった。


「ギギギギ……」


 憎そうに二人の竜王を睨む猿の邪族。


「おおっと、甘いぜ?」

「回復なんぞ、させるものかよ!」


 二人の竜王が、同時に動く。

 猿の邪族は、ヘオロナとジュラから距離を取ろうと、後方に跳躍する。だけど、速さは竜王の方が上だった。


 得意の槍を構え、ヘオロナが遠い間合いから鋭い突きを放つ。

 狙いたがわず、矛先ほこさきは猿の邪族の胸に刻まれた傷をえぐる。

 悲鳴を上げる猿の邪族。そこへ、ジュラが目にも留まらぬ速さで迫る。

 猿の邪族は、奇声をあげながら狂ったように腕を振るった。だけど、ジュラは巧みな身体裁きで全てを回避すると、剣を片手に肉薄する。そして、首に刻まれた傷に狙いを澄まして、鋭利な斬撃を放った。


 猿の邪族の胸に、穴が開く。

 首が飛び、猿の邪族は断末魔をあげる暇もなく、絶命した。


「ははんっ。回復が目障めざわりなら、回復を阻害する竜術を武器に乗せて攻撃すれば良いってかよ!」

「硬いならば、何度も同じ場所を斬り刻めば良い。そうすれば、浅い傷もいずれは致命ちめいに達する」


 黒い霧になって消滅する猿の邪族を睨みながら、ヘオロナとジュラは互いをねぎらった。


 凄いね!

 二人は簡単に言ってのけたけど、それはとても難しいことだ。


 邪族の回復力を阻害する竜術を、短期間で開発する努力。そして、同じ場所を正確無比に何度も斬ったり突いたりする絶妙の技。どちらも、一朝一夕いっちょういっせきで身につくような芸当じゃない。

 でも、二人の竜王は、昨冬の邪族戦から今日までのわずかな期間で、それを成し遂げた。


 これが、竜峰が誇る竜王たちの底力だ。






 そして、もうひとつ別の場所では、ひとりの男が、月夜の下で静かに身構えていた。

 男の背後では、心配そうに闘いを見守る女性の姿があった。


「アネモネ、そこで大人しくしていろ」

「は、はいっ!」


 男は、背後の女性、アネモネさんに「逃げろ」と言わない。

 何故なぜなら、男はアネモネさんを絶対に護ると心に誓い、また、その実力を持っている、と自負しているから。


 男は低く腰を落とし、腰だめにこぶしを構える。

 でも、男の気配は、戦いの最中さなかにあるとは思えないほど静かだ。

 男を象徴する銀炎ぎんえんもなく、湧き起こる竜気の気配もなく。

 唯一、揺るぎのない強い意志を宿した瞳が、銀色に燃えていた。


「さあ、来い。それともおくしたか」


 銀色に燃える瞳が見据えた上空では、男を警戒するようにたかの邪族が飛んでいた。

 だけど、男の挑発に乗った鷹の邪族は耳障りな鳴き声をあげると、凶悪なくちばしを武器にして、急降下してきた!


 男は、ただ静かに、鷹の邪族の強襲を待ち構える。

 そして、間合いに入った、その時。


 男は、不動を保っていたこれまでが幻であったかのように、一瞬で限界値まで拳を振り抜いた。


 男の拳が、鷹の邪族の嘴を打ち砕く。

 悲鳴をあげ、翼を激しく羽ばたかせる鷹の邪族。だけど、既に戦いは終わっていた。


 鷹の邪族が、銀色の炎に包まれた。

 銀炎は瞬く間に鷹の邪族を燃やし尽くし、最後に小さな火になって消えてしまう。


「おい、ザン!」


 背後から掛けられた、アネモネさんとは違う野太い声に、銀炎の戦士ザンは振り返る。

 すると、そこには筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの竜王ヤクシオンと、不動の竜王ベリーグが並んで立っていた。


 ヤクシオンが言う。


「ザン、お前も竜王を名乗れ」


 唐突とうとつな言葉に、目を白黒させるザン。

 だけど、小さく首を振ると、待たせていたアネモネさんのもとに歩み寄る。

 直後、体勢を崩すザン。それを、アネモネさんが慌てて支えた。


「ザン様!?」


 つい先ほどまで、邪族と対峙してなお揺るぎない存在を誇っていたザンが、急に弱々しい気配になってしまった。

 アネモネさんが慌てるのも無理はない。

 だけど、ザンは誰よりもよく自分自身の実力を認識していた。


「今の俺は、この手が届く範囲の者たちしか護れないほど、弱い。そんな俺が、竜王など。それに、ご覧の通り。一撃を放っただけで、この有り様です。竜姫りゅうきのミストラルなら、この程度は連続して何発も撃てるでしょう」

「ふふんっ。竜姫と自分を比べるか。それを言うなら、俺たちだってあの娘っ子には敵わねえよ」


 アネモネさんの支えなしでは、もうザンは立っていられない。だけど、ヤクシオンもベリーグも、そんなザンを「情けない」とは言わない。

 むしろ、ザンの戦いを見た者なら、誰でも彼が竜王を名乗るのに相応しい男だ、と思うはずだ。

 だって、あのヘオロナとジュラが二人がかりで倒した邪族を、ザンはイドのように、たったひとりで倒したのだから。


「まあ、良い。お前にその気がないのなら、無理強むりじいはすまい。だが、男なら高みを目指す道を捨てるなよ? 女は、れた男が至高へと昇り詰める姿を見たいものだ」


 ふと、ザンは自分を支えるアネモネさんを見た。

 アネモネさんは、頬を赤く染めて、控えめに微笑んでいた。


「なんだ、出遅れたな」


 そこへ、巨躯きょくの竜王セスタリニースと、八大竜王のウォルが遅れて登場する。

 さらに、竜王スレーニーまでもが現れた。


「イドは、まあひとりで暴れさせるとして。向こうはヘオロナとジュラが既に戦っていたんで、こっちなら空いてると思ったんだがなぁ」

「誰もが、同じことを思っていたようですね」

「しかし、まさかザンに活躍の場を奪われてしまうとは」


 五人の竜王に賞賛されたザンは、アネモネさんの腕の中で恥ずかしそうにしていた。

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