東の地にて

「フィレル、お前は東の様子を見てこい」

「はい。魔物たちの様子ですね」


 東の国境の先。そこにはどうやら、大規模な魔物の巣あるらしい。ヨルテニトス王国建国以来、いくたびも魔物の大量出現に悩まされ続けてきた歴史がある。

 ヨルテニトス王国が誇る竜騎士団も、東の魔物への抑止力よくしりょくとして結成された。

 戦争のないこの国で一番の脅威は、東の魔物の巣と、そこから無限とも思えるほど湧き出る魔物たちだ。


 グレイヴ兄さんに命じられ、僕はすぐさま行動に移す。


 魔族の騒動で、王城は綺麗に無くなってしまった。王都近郊の離宮が現在の仮設行政機関であり、陛下や僕たちが普段の生活を送る場所になっている。

 その離宮の中庭に駆け込む。


 中庭では、一体の巨大な翼竜がくつろいでいた。

 冬前のにぶった太陽の光を反射する、黄金色のまばゆうろこ。他の竜族よりもひと回り以上大きな体を横たえ、残り僅かになった太陽の恩恵を全身に浴びようとしている。


「ユグラはく


 僕が声をかけると、黄金色の翼竜ユグラ伯は首を動かしてこちらへと振り向いた。


「兄から命令が下りました。東の国境へとおもむき、魔物たちの様子を伺います」


 東の国境警備は、本来は三男であるキャスター兄さんが担当している。

 だけど今は王都に貼り付いていて、動けない。

 父王陛下が復調のきざしを見せ始めたとはいえ、まだまだ自由がきかない。その補佐をグレイヴ兄さんが受け持っている。

 次男のバリアテルは先の騒乱で命を落としてしまった。

 そして三男のキャスター兄さんは、忙しい長兄と亡くなった次男の穴を埋めるべく、王都守護の竜騎士団将軍へと職務を変更していた。


『東か。良かろう』


 ユグラ伯は、ゆっくりと起き上がる。


「お供いたします」


 すると、ユグラ伯の陰から三人の男女が姿を現した。

 彼らは竜人族。遥か西の竜峰から、ユグラ伯と共にヨルテニトス王国へ来てくれた人たち。伝説にも名を残すユグラ伯のお世話をする、専属の付き人さんだ。


「すぐに準備をします。少しお待ちくださいね」

「はい。実は僕もまだ準備ができてませんから」

「やれやれ。君はいつもそれだよ」

「うう、すみません」

「ははは、気にするな。気楽にいこうや」


 竜人族の三人。

 最初の丁寧な口調の女性がマレイナ。豊かな金髪が特徴的な美人さん。

 次に、生真面目な男性がゼクス。濃い金髪の二枚目で、まとめ役的な存在。

 最後のお軽い感じがジックリーズ。やはり金髪なんだけど、頭髪は坊主気味に短く刈り込まれていた。

 この三人のうちの誰かが、将来ユグラ伯の正式なお世話係になるらしい。


 三人は竜人族ということもあり、人族の身分制度なんて気にした様子もなく生活している。離宮の人は、最初は戸惑っていた。だけど竜人族とはそういうものだと、いろんな出来事があって最近ようやく理解し始めていた。


 ゼクスたちは、普段はユグラ伯のお世話だけをしている。ただし、こちらが望むと竜族に関する知識や接し方、武芸の稽古なども見てくれたりする。

 出会い方は最悪だったけど、今では呼び捨てで会話を交わせるくらい親しくなっていた。


 エルネア君が言っていたっけ。

 竜人族は、基本的にい人ばかりだと。

 エルネア君は今頃、何をしているだろう。あの賑やかで楽しい家族と、竜峰で騒いでいるのかな?

 お姉ちゃん……ではなかった。ライラさんは元気にしているだろうか?


 遠出の準備をしながら、遥か西の空を見つめた。

 ……準備をしてくれているのは、家臣の人たちでした。僕も出来る限りひとりで何でもしようとするんだけど、いかんせん「王子」という身分が邪魔になる。離宮で僕が手伝いもなく動くと、怒られるのは家臣の人たちになってしまうんだよね。

 ゼクスは甘いと言うけど、これが身分社会なんだ。力も権力もない今の僕は、社会の仕組みに従うしかない。


 だけど、離宮から外に出てしまえば別。広大な空の下では、身分も種族も関係ない。

 僕は、ユグラ伯やゼクスに多くのことを学びながら、離宮の外で修行をするのが大好きだった。


 というわけで。

 手早く準備を終わらせると、全員でユグラ伯の背中に乗り、東の空を目指す。


 数日間、国内を周りながら色んなことを学ぶ。そして一日か二日だけ離宮に戻り、報告をしたらまた出かける。

 エルネア君と別れて以降、こういった生活が続いている。

 家臣も奔放すぎる僕に慣れてきたのか、最近では小言が少なくなってきていた。


 ただし、今回の外出は少し意味合いが違う。

 グレイヴ兄さんの命令で、東の国境まで行かなきゃいけない。僕もたまには、王子らしい仕事をしなきゃね。


 ユグラ伯の翼にかかれば、東の国境なんて日帰りできる距離でしかない。

 普通の飛竜では到底到達することのできない高度を飛行し、瞬く間に東の国境へとたどり着く。

 国境近くには堅牢けんろうとりでいくつか建造されていて、そこに竜騎士団と勇猛な東部国境警備軍が常駐している。


 一度高度を下げてもらい、眼下に見える砦のひとつへと接近する。


 僕とユグラ伯。そしてお付きの三人は、既に王国中で有名になってしまっていた。

 ユグラ伯はわかる。なにせ、あの伝説の翼竜なんだ。初代ヨルテニトス王が騎乗し、唯一伯爵位を受けた竜族。

 黄金色に輝く巨体は、陽光を反射して遠くからでもよく目立つ。


 砦の兵士も、西の空から近づくユグラ伯の存在には早くから気づいていた。

 飛竜が二体空へと上がってきて、伴走ばんそうしてくれる。


 僕は飛竜騎士と砦の兵士に挨拶を投げ、これから国境付近の様子を偵察することを伝えた。

 兵士たちからの返信の挨拶を受け取ると、そのまま更に東へと飛行する。


 明確な国境線は存在しない。

 砦のある地域から東が、何となく国外というのが常識化していた。

 魔物の巣をどうにかすることができれば、東へと国土を広げることができるかもしれない。


 東の土地は、低い山岳地帯とそれを覆う深い森が広がっていた。


 魔物のなかには、空を浮遊する者もいる。

 警戒しながら空を飛び、地上の様子を伺う。


 魔物が群れていれば、ユグラ伯が素早く気づく。

 残念なことに、僕は魔物や危険を感知する能力がまだ備わっていなかった。なので、こういった偵察任務は、ユグラ伯やゼクスたちに任せっきりになってしまっていた。


 修行はしているんだけどね……


 一年とちょっとで急成長をしたというエルネア君の才能には、遠く及ばない。

 まぁ、無い物ねだりなんてしても無駄なだけだ。僕は僕にできることを精一杯こなし、少しずつでも成長するしかない。

 そしていつか、エルネア君のような立派な男になりたい。


 僕の夢は大きい。

 竜族と人との信頼関係を深め、共に歩める国造りを目指す。そして、できれば行き過ぎた身分社会も是正ぜせいしていきたい。

 少なくとも、アームアード王国のように、身分はあったとしても等しい人間関係になれるようにしなきゃ、と壮大な目標があった。


 そのためにも、修行をして知識と力を付けないと……


 なんて思っているうちに、呆気なく本日の偵察任務は終了した。

 幾つかの魔物溜まりをユグラ伯が黄金の息吹いぶきで一掃し、空に浮かぶ魔物を数体倒した。

 この作業をあと数日続ければ、東の国境はいっとき安泰だろう。


 特に危険そうな状況も見受けられない。

 いつも通りの状況といえばそれまでだけど。


 本日の偵察を終えたユグラ伯は一旦西の国内へと入り込み、野宿できそうな場所を空から探す。

 途中で山羊やぎを一頭仕留めた。


 今夜は山羊の肉だ!


 肉!


 飛竜たちと一時期生活をして、僕は肉の魅力に気づいてしまった。

 離宮の人たちはみんないい顔をしないけど、巨大な肉の塊にかぶりつき、口一杯に肉を頬張るときが一番の幸せな時間だ。


 最近では、お上品な食事なんて食べた気がしない。みんなにも肉の喜びを伝えたい。

 うん。そのためにも、変革が必要だ!

 強い決意を胸に、僕は進む!


 ユグラ伯が呆れたようなため息を吐いた。


 傾き始めた太陽にかされるように、野宿場所を探す。

 街道や街の近くだと、日が沈む前だというのに人々が集まってくる。ユグラ伯見たさの野次馬だ。

 だけど、ユグラ伯や竜人族が迷惑がるし、何よりも日が沈んでからの野次馬たちの心配をしなきゃいけなくなる。

 そんなわけで、人気のない場所を毎回探すわけだけど、そうすると今度は、適度な空間がなかなか見つからない。

 なにせ、ユグラ伯の巨体だ。

 翼を大きく広げても支障のない空間は、実はあまりない。

 人気のない場所は荒れていたり、雑木ぞうきが生えていたりする。木を折り倒して着地することはできるけど、それが毎回になると、後々に困ったことが起きそうだし。


 ユグラ伯の背中から、僕たちも程よい場所がないか探す。

 すると野営地ではなく、魔物に襲われている人の影を発見した!


「ユグラ伯!」


 僕が指差す方角。

 東西に延びる街道沿いで、戦闘状態の人影。

 国境近くのこの辺りにも、魔物がよく出現する。なのにこんな場所で、ひとり旅?


 遠目に見える人影を目指し、ユグラ伯は急行する。

 優勢かどうかなんて、遠目からじゃわからない。だから傍観するのではなく、危険性も考えて助けに入った。


 遥か上空から急降下するユグラ伯。

 地上の人影はかんよく空からの急来者を発見し、慌てて逃げだす。


 ユグラ伯が有名だとはいえ、いきなり上空から翼竜が迫ったら、そりゃあ怖いよね。

 でも、丁度良かった。

 人影が逃げたことにより、魔物が単独になる。


 ユグラ伯はそのまま魔物を目指して降下し。

 そして踏み潰した。


 これで終わり。

 所詮しょせんは下級な生物だったらしい。戦闘状態にもならない。ユグラ伯がその巨体と重量で踏み潰してしまえば、呆気なく魔物は死んでしまう。


 土煙を上げ、地響きと共に着地したユグラ伯。だけど、背中に乗る僕たちには衝撃も土埃も襲ってこない。ユグラ伯の加護に護られていた。


 僕はひとり、ユグラ伯の背中から飛び降りる。

 そして、逃げた人影を探した。


 土煙を抜け出し、人影が逃げていった方角を見渡す。


 あれ、居ない?

 と思ったら、はる彼方かなたまで逃げ去っていた。


 ……短時間でよくもまぁ、あそこまで逃げたものだ。と感心をしていると。


 人影は、今度は恐ろしい速度で近づいてきた。


 は、速い!

 人とは思えないような速度で急接近してくる人影。


「ちょっとあなた達、なに人の獲物を奪ってんのよー!」

「えええっ?」


 遥か彼方から瞬く間に戻ってきた人影は、僕のふところにそのまま飛び込む。そして、僕の襟首えりくびを掴んで投げ飛ばした。


「あああぁぁっ……」


 恐ろしい膂力りょりょくで投げ飛ばされた僕は空中を舞い、土煙の中へ逆戻り。投げ飛ばされた勢いでごろごろと地面を転がる。そして、ユグラ伯の身体に当たって止まった。


 ユグラ伯が術で受け止めてくれなかったら、僕は怪我をしていたんじゃないのかな……


 それにしても。


 確かに、僕たちが獲物を奪ったように感じたかもしれないけど、誤解です。助けようとしただけだよ?

 現に、倒した魔物の核はユグラ伯が回収している。

 横取りのつもりはなかったので、戦っていた人に魔晶石ましょうせきを渡そうと思って、探していたんだ。


 僕は起き上がると、ユグラ伯から魔晶石を受け取り、もう一度土煙から抜け出す。


 僕を投げ飛ばした人物は、胸の前で腕を組み、こちらを睨みつけていた。


「誤解です。でも、助け方が強引でした。謝罪します」


 僕は仁王立つ人物へと魔晶石を見せながら近づく。

 そして、その人物の容姿に息を呑んだ。


 格好良い!

 一言で表すと、この言葉に尽きる。


 美しい金髪をい上げ、頭の上で団子だんごを作っている。きりりとした瞳。しっかりと結ばれた口元。

 そして程よく付いた筋肉が、この人物の強さを物語っている。

 なによりも、強く放つ気配が男前で格好良い。


 だけど、僕を睨むその人物は、女性だった。


「ごめんなさい。それと、これ。魔物から取れた魔晶石です」


 僕の差し出した魔晶石を、視線だけで確認する女性。


「ありがとう。助けてもらったことには感謝します。ですが、あれは強引ね」


 女性は僕の手から土色の魔晶石を受け取ると、無造作にかばんの中へとしまう。

 そして、僕なんて眼中にない様子で、未だに薄っすらと舞う土煙の方角へと歩き出す。


 慌てて後を追う。


「待って。そっちにはユグラ伯が居ます。不用意に近づくと危険ですよ」


 ユグラ伯は、人族と馴れ合うために竜峰から降りてきたわけじゃない。

 舐めた態度をとるような者がいれば、容赦をしない。


 僕は女性を止めようと、彼女の肩に手を伸ばす。

 瞬間、視界が回った。

 反応さえできず、僕は投げ飛ばされていた。


「あら、ごめんなさい。ついうっかり」


 うっかりで人を投げ飛ばすって、何なんでしょう!?

 まぁ、無遠慮ぶえんりょに女性に触れようとした僕が悪いのか。

 でも、素直に地面で伸びている場合じゃない。女性を止めないと。

 慌てて起き上がるけど、遅かった。


 女性は恐れることなく、ユグラ伯の正面までたどり着いていた。

 そして、頭上のユグラ伯の顔を見上げる。


 危険だ、と一瞬思ったけど。ユグラ伯は静かに、下方の女性を見下ろしていた。


「ユグラ伯、初めまして。私はセフィーナと申します。今回はご助成頂き、ありがとうございます」


 ユグラ伯に深々と頭を下げる女性。名前はセフィーナさんらしい。

 それにしても、ひとつひとつの仕草が格好良い。

 指先まで細心の注意が払われたような動作には、優雅さと上品さ、そして男性的な男らしさという複雑な気配をまとっている。そしてそれらが合わさり、セフィーナさんの格好良さへと繋がっていた。


『変わった娘だ』


 ユグラ伯は、不用意に近づかれたことに不機嫌になるどころか、興味深そうにセフィーナさんを見つめていた。


『不要な手出しであったか?』


 ユグラ伯が喉を鳴らす。だけどセフィーナさんは物怖じせず、しっかりとした眼差しでユグラ伯を見上げた。そして、僕へと振り返る。


「通訳してくれない?」

「えっ。なんでユグラ伯が呟いたことがわかるんですか? それと、僕が竜族の意思を読めることをなぜ知っているんです?」

「貴方、お馬鹿ね」

「ええぇっ!」


 初対面の女性に、お馬鹿呼ばわりされました……


「ユグラ伯が無意味に喉を鳴らすわけがないじゃない。それに、このお方がユグラ伯であるのなら、貴方はフィレル王子でしょう? この国の第四王子が竜族と意思疎通できることなんて、ちまたでは有名じゃないの」

「な、なるほど……」


 僕は、黄金色の翼竜がユグラ伯だと、口にしていた。そうすると、そこから色んなことがわかるのか。

 そう思うと確かに、僕の発言はお馬鹿だったかもしれない。でも、遠慮なく言わなくてもいいんじゃないかな……


 とほほ、と肩を落としながらも、僕は要望された通り通訳をした。


「いいえ、少し面倒な相手でしたので、大変に助かりました」


 僕には強引だとか言っていたのに、セフィーナさんはユグラ伯に丁寧なお礼を言っている。

 僕に対するあつかいが雑じゃないかな?


 その後も僕の通訳を介し、セフィーナさんはユグラ伯に謝辞を伝えた。ユグラ伯も、興味深そうにセフィーナさんと言葉を交わす。


 珍しい。ユグラ様が出会ったばかりの人に興味を示すなんて。


『日暮れが近い。今日はこのまま、ここで野営にしよう』

「ここでですか?」

『周囲に人の気配はなかっただろう。ならば問題ない』


 たしかに。なるべく人気のない場所を探していたんだ。この辺りに人気がないのなら、そのまま休みに入れば良い。


『何かの縁だ。この娘も野営に入れてやれ』

「はい。わかりました」


 通訳してユグラ伯の意思を伝えると、セフィーナさんは喜んでくれた。

 そして早速、野営の準備に取り掛かる。

 とはいっても、夕食の準備をするくらいだけど。


 セフィーナさんは、自前の背負い袋から必要な荷物を取り出す。

 ここで野営だと決まると、ユグラ伯の背中からゼクスたちが降りてきた。そしてセフィーナさんと軽く挨拶を交わすと、彼らもまた動き出す。

 先ずは、ユグラ伯が仕留めた山羊を受け取る。

 そして、僕に差し出した。


「よし、今日こそはうまさばいてみせます!」


 解体用の短剣を荷物から取り出す。


 離宮を離れ、外で寝泊まりする場合は、けっして宿屋には泊まらない。ユグラ様の存在が最もな要因だけど、それ以外にも僕の修行が主な外出理由だからだった。

 そして、日中にユグラ様が捕まえた獲物を捌くのが、僕に与えられた仕事だった。

 ゼクスたちは山羊の解体を僕に任せて、ユグラ伯の世話を始める。

 僕はその間に獲物を捌くわけだど。これがなかなか難しい。竜人族のお眼鏡めがねかなうような綺麗な捌き方は、一朝一夕いっちょういっせきでは身につかないらしい。


 ちなみに、僕が動物を狙う場合もある。これも修行のひとつ。でも今日は、国境周辺の偵察が主だった仕事だったので、ユグラ伯が山羊を仕留めてくれたわけだ。


 皮を剥ぎ、腹を割り、内臓を抜く。殺して時間が経っていないせいか、血抜きをしていなくても肉や内臓は新鮮だ。腕を山羊の血に染めて捌いていると、セフィーナさんが少しだけ驚いた様子でこちらを観察していた。


「凄いわね。過保護に育てられた王子だと聞いていたけど。まさか、こんなに立派に動けるとは予想外だわ。人は噂と見かけによらないのね」


 何気に言葉がきつい。

 これって毒舌ってやつ? なんか違う気がするんだけど……


 セフィーナさんのきつい言葉に愛想笑いを浮かべながら、急いで解体作業を進める。

 丁寧なことと同じくらい、素早く捌くことも大切だ。

 部位ごとに切り分け、不要なものは穴を掘って埋めてしまう。そして、ジックリーズに検品をしてもらう。


「まあまあだなぁ。何度も同じ場所に刃を入れるから、肉の切れ目が汚い。刃を入れる場所に躊躇いがあるからだ。きちんと見極めて、こうずばぁっと勢いよく切らなきゃな」


 ジックリーズの身振り手振りの助言を心に留め、次に活かせるようにする。


「それじゃあ、今夜は客人もいることですし、私が調理しますね」


 調理の自信はありません!

 肉さえ食べられればそれで良いし。ということで、僕が調理を担当すると三人は渋い顔をする。


 お言葉に甘えて、今夜の料理はマレイナにお願いをする。

 マレイナは必要な部位の肉を取ると、早速調理を始めた。

 僕とゼクスとシックリーズは、残りの肉をユグラ伯の前に移動させた。


 野外に出ているときには、獲物を狩る。そして必要な分を取り、残りはユグラ伯に提供する。色々と教えてもらうことへのお礼だね。


 セフィーナさんは、僕たちの行動をずっと興味深そうに観察していた。


 マレイナが夕食を完成させると、みんなで輪になり夕食になる。

 そのときようやく、僕はセフィーナさんに自己紹介ができた。

 でも、彼女は僕のことを大概知っていた。

 まぁ、自分で言うのもなんだけど、最近有名になってきているからね。

 伝説の翼竜に教えを請う王子として。


 僕もセフィーナさんのことについて質問したかったけど、彼女はもっぱら竜人族のマレイナと会話をしていて、竜峰のことなどを色々と聞いていた。


 セフィーナさんがどうしてヨルテニトス王国の東の国境付近をひとり旅していたのか、興味があったんだけどな。

 こんな辺境をひとりで、しかも女性が旅するなんて、何か訳ありのような気がする。


 夕食を食べ終わると、交互に見張りを立てながら眠ることになった。

 僕だって、夜営の見張りくらいはもう一人前にできる。と息巻いても、ユグラ伯が目を光らせる範囲にはそうそう魔物なんて現れないんだけど。


 セフィーナさんも見張り当番をしてくれるということで、五人で交互に見張りをしながら一夜を過ごした。


 そして翌朝。


 夕食の残りを温め直し、最近めっきり冷え込んできた朝の気温を焚き火で和らげながら、朝食にする。

 暖かい朝食と焚き火の温もりで体温を上げ、手早く出発の準備を始める僕たち。


「そういえば」


 そこで、セフィーナさんが口を開いた。


「王子たちはどうしてこんな辺境へ?」


 それはこっちの台詞です。と突っ込みたかったけど、きつい言葉が返ってきそうだったので素直に事情を説明する。


「東の偵察ね……そうだ!」


 セフィーナさんの明るい表情に、なぜか僕は嫌な予感がした。


「丁度良いわ。私は東にあるという古代遺跡に行きたかったのよ。連れて行って」

「ええっとですね。ユグラ伯は乗合馬車じゃないので、そうそう簡単には……」

『ふむ、それくらい良かろう』

「えええっ!」


 ユグラ伯には、限られた者しか近づけない。気安く騎乗なんてもってのほか。という僕の常識を返して欲しいです。


 仕方なく、僕はセフィーナさんに了承の意を伝えると、ありがとうと微笑まれた。


 どきり、と胸が弾む。

 格好良いセフィーナさんが見せた柔らかい微笑みに、一瞬だけ魅了されてしまった。


 セフィーナさんは許可が下りると早速、ユグラ伯のもとへと向かう。そして軽快な足取りで、僕たちの手を借りることなく易易やすやすと、ユグラ伯の背中の上に乗り込んだ。


 凄い身体能力。というか、物怖ものおじしないその性格はなんなんですか?


 ユグラ伯の背中に乗ったセフィーナさんは「絶景ね」と辺りを見回し始めていた。


 格好良い立ち振る舞い。だけど毒舌と無遠慮さと大胆さを備えた女性。

 セフィーナさんはいったい、何者だろう?

 年齢は、僕よりも確実に上だと思う。竜姫のミストラルさんと同じくらいなのかな?


 大胆不敵だいたんふてきな行動に度肝どぎもを抜かれつつ、僕もユグラ伯の背中へと移動する。

 僕たちを乗せると、ユグラ伯は優雅に空へと舞い上がった。


「セフィーナさんはどうして、東の遺跡に行きたいんですか?」


 東の古代遺跡といえば。

 僕たちがヨルテニトス王国へと戻ってくる前に、勇者が活躍した事件の現場だ。

 国内で失踪しっそうが相次いだ巫女が、遺跡の奥で大勢死んでいた。

 魔族が誘拐し、邪悪な儀式をしていたらしい。でも、それは勇者たちの手によって解決した。


 セフィーナさんは、神殿の関係者かな?

 でも、巫女には見えない。もしかすると、公認冒険者なのかな。神殿の依頼で、遺跡を再調査するのかもしれない。


 ユグラ伯は、遺跡の場所を知っている。

 僕たちも一度だけ、訪れたことがあるから。


 雲よりも高い空を高速で飛行する絶景に、セフィーナさんは感動していた。


 そして間もなく、目的地へと到着する。


 古びて朽ちた古代遺跡。

 何度かの調査で多くの関係者が出入りしたため、遺跡の周囲は邪魔な木などが伐採ばっさいされていて、ユグラ伯は楽に着地できた。


「それでは、お気をつけて。いってらっしゃい」


 目的地へとたどり着いたので、セフィーナさんに別れの挨拶をする。

 だけど、腕を強引に引っ張られた。


「は? 何を言っているの。貴方も一緒にくるのよ」

「えええっ」


 身体の自由を奪う技でも心得ているのか。僕はまともな抵抗もできずにセフィーナさんに引っ張られて、ユグラ伯の背中から降ろされてしまう。


「お気をつけて。いってらっしゃい」


 ユグラ様の背中の上では、シックリーズが僕のものまねをして手を振っていた。

 ゼクスとマレイナは笑っていた。


「さあ、行くわよ」


 僕の意思なんて確認せずに、腕を引っ張ってずんずんと遺跡の中へ入っていくセフィーナさん。


 なんだろう、この強引さ。でも意外と嫌いじゃない。


 捕まってしまい、遺跡に入ってしまえばもう抵抗なんて意味はない。僕はセフィーナさんの隣に並び、遺跡の中を行く。


 一度来たことがある。その際に色々と見て回ったので、内部にも詳しくなっていた。

 そういえば、その時もあの三人は入ってこなかったよね。

 ユグラ様のお世話と僕への教育以外は、人族への関心が薄いのが困りものだ。

  人族の文化を学び見識を広げるように、ユグラ伯に言われているはずなんだけどなぁ。


 僕が案内する形で、遺跡の奥へと進んでいく。

 地下構造になっている遺跡は、何層にも渡って空間が広がっていた。


「これは……」


 セフィーナさんは、遺跡の構造を注意深く観察しながら歩く。


「巫女の亡骸なきがらがあった場所へと案内してくれる?」

「はい。こっちです」


 失踪した巫女は、遺跡の最奥にある儀式用と思われる大部屋で全員亡くなっていたと、勇者が提出した報告書には書かれていた。


 長い階段を降り、最奥の部屋へとセフィーナさんを案内する。

 部屋に入り。

 周囲を観察したセフィーナさんの表情が曇った。


「間違いないわ。この構造、この部屋の造り。これは、アームアード王国王都近郊にある遺跡と一緒ね」


 エルネア君から聞いたことがある。

 王都の南東部、竜の森の手前には古代の遺跡があり、旅立ちの一年を控えた少年少女がそこで修行をすると。


「魔剣使いが現れた後。調査に潜ったあの遺跡で、ここと同じ部屋を見たわ」

「共通する遺跡ってことでしょうか?」


 顎に手を当て、考え込むセフィーナさん。


「詳しく教えて欲しいんだけど。勇者リステアたちはここで何を阻止し、何をつかんだの?」


 僕の知っていることは、報告書に書かれてあったことだけ。文章でしか事件のあらましを知らないけど、切羽詰まった様子のセフィーナさんの願いを断れずに、知っていることを話した。


 勇者たちは、偽聖剣と魔剣の出所を追って、ここへとたどり着いた。遺跡の外で黒竜騎士を倒したけど、黒幕の魔族が遺跡の奥に居たらしい。

 魔族はここで、仲間の魔族を召喚していた。

 勇者たちは竜族の力を借り、この地に召喚された魔族を討伐した。

 そして、新たな手がかりを手に入れ、急いで母国へ戻っていた。

 新たな手がかり、という部分は僕も知らない。

 グレイヴ兄さんなら知っているかもしれないけど。


 僕の説明を聞いていたセフィーナさんの表情から、血の気が引いていった。


「そんな……」


 唇を震わせるセフィーナさん。


「どうかしました?」


 セフィーナさんの変貌にただならぬ雰囲気を感じつつ、質問する。

 すると、セフィーナさんは僕へと瞳の焦点を当て、肩をがっしりと掴んできた。


「王子、どうかお願い。竜騎士団を貸してちょうだい!」

「えええっ、どういうことですか!?」


 セフィーナさんの尋常じゃない様子に、緊急事態であることはわかる。だけど、竜騎士団を貸してほしいというのはどういうことだろう?


「ヨルテニトス王国に救援を求めなかったということは、リステアたちは知らないのよ。さっき話したアームアード王国王都の遺跡にもここと同じような場所があって……」


 ごくり、と唾を飲み込むセフィーナさん。


「まだ、その遺跡は生きているのよ!」


 衝撃の事実に、言葉を失う。


 ここと同じ施設があり、まだ稼働しているというのなら。

 アームアード王国王都の目と鼻の先に、魔族が出現するかもしれない!?


 魔族に襲撃されれば、人族などひとたまりもない。


「……でも、待って。やっぱり竜騎士団は借りられないわ」

「どうしてですか?」

「だって、この遺跡もまだ生きているもの……」


 どうすればいいのだろう。

 セフィーナさんの要望に応え、アームアード王国に竜騎士団を派遣したほうが良いことは僕にだってわかる。だけど、ここもまだ稼働しているとしたら……


 勇者の見落としではない。

 何度もここへは調査が入っている。そして誰も、遺跡が生きているなんて気付かなかった。


「なぜ、この遺跡がまだ生きていると知っているんですか?」

「深く、注意して探ればわかるのよ。ここや向こうの遺跡は、未だに竜脈と繋がっているわ」


 竜脈の存在を知っている!

 セフィーナさんは本当に何者だろう……


 唐突に混迷を深め出した状況。そして、謎の女性セフィーナさん。

 これからいったいどうなるのか。

 僕の手には嫌な汗が滲んでいた。

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