急転直下の知らせ

「エルネア様ーっ!」


 空から、ライラが降ってきた。


「えっ? ……えええっ!?」


 なんですとー!






 それは、アレスちゃんと仲良く手を繋いで、大神殿前の大広場に到着した直後のことだった。

 ふと、何かの気配を感じて空を見上げる僕とアレスちゃん。

 そして、二人揃って愕然がくぜんとしてしまう。


 だって、遥か上空からライラが降ってきたんだもん!


「親方、空からライラが!」

「おちるおちる」


 ええっと……

 ライラって、空を飛べたっけ?


 いいえ、飛べません。


「じゃあ、なんで!?」


 僕を目掛けて、真っ逆さまに落ちてくるライラ。

 このままでは、ライラが地面に激突して大変なことになっちゃう!

 きっと一緒になって押し潰されるであろう僕も、大変なことになっちゃう!


「ど、どうしよう!?」


 と、僕があせった時だった。


『ええい、そそっかしい奴めっ』


 紅蓮色の巨大な影が、空を横切った。


 雲と同じ高さから急降下してきた紅蓮色の巨大な影は、落ちゆくライラに迫る。

 そして、紅蓮色の巨大な影とライラが空で重なった。


「レヴァリア!」


 凶暴な鋭い爪の先で、器用にライラを捕まえた紅蓮色の巨大な影。もとい、レヴァリアは、大小四枚の翼を荒々しく羽ばたかせながら急降下の勢いを殺し、ゆっくりと降下してきた。

 僕は、両手を振ってレヴァリアとライラを迎える。

 ただし、大神殿前の大広場で寛いでいた人々は、大慌てで逃げ出していた。

 なにせ、レヴァリアはその辺の竜族より恐ろしい気配を、容赦なく放っているからね。


 ごめんなさい。お騒がせしてしまって……


 ともあれ、ライラは無事に地上に降り立つと、レヴァリアにお礼を言って僕に駆け寄ってきた。


「エルネア様!」

「やあ、ライラ。早かったね」


 ライラは、プリシアちゃんを耳長族の村へ送り届けた後に、レヴァリアと一緒にヨルテニトス王国へ来る手はずになっていた。でも、そのレヴァリアは、フィオリーナとリームを竜峰の奥地にある翼竜の巣へ連れて行かなきゃいけない。それを、僕とマドリーヌ様に遅れること二日でやり遂げて、到着するなんてね。


「だって、エルネア様に早くお会いしたかったのですわ」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。でも、空から落ちてくるのは危険だから、今度からは気をつけようね?」

「はわわっ。ごめんなさいですわ」


 ライラのことだ。レヴァリアに騎乗して王都に到着したまでは良かったんだけど、上空から僕を見つけてしまったんだろうね。それで、居ても経ってもいられずに、焦ってレヴァリアの背中から落ちたわけだね?


「レヴァリアも、ライラをありがとうね」

『ちっ。世話の焼ける奴だ』


 僕に嬉しそうに抱きついたライラを、あきれ顔で見つめるレヴァリア。

 僕の横では、アレスちゃんも笑っていた。


 そりゃあ、そうだよね。

 いくら急いでいても、レヴァリアが地上に降りるまで待てずに、空に飛び出すなんてさ。

 これからは注意しましょうね。と、ライラの頭を撫でながらしかる僕。


 だけど、ライラが慌てて空から落ちてきた理由は、なにも僕に早く会いたかったからだけではなかった。


「エルネア様!」


 ひとしきり頭を撫でられて満足したのか、ライラが顔をあげた。

 とても深刻な表情で。


「どうしたの?」


 不安が過ぎる。

 いつも笑顔の絶えないライラが、厳しい表情を見せる。そういう時は、本当に問題がある場合だ。

 そして、今回もその不安は見事に的中してしまった。


 しかも、予想以上の事態で。


「エルネア様、大変ですわ。セフィーナ様が……」

「セ、セフィーナさんが……?」

「おひとりで、獣人族の住む北の地へ向かって旅立ってしまいましたわ」

「な、なんだって!」


 セフィーナさんは、アームアード王国の王様や偉い方々に、妖魔の王の討伐の報告をすると言って苔の広場を出た。それと、ルイセイネの竜眼の暴走を止める手立てを探すことにもなっていたよね。

 そのセフィーナさんが、アームアード王国を離れて北の地へ?


 もしかしたら、何か手がかりを掴んだのかもしれない。

 でも、そこからセフィーナさんが単独行動に入るなんて、珍しいことではないよね?

 セフィーナさんは、他者に依存しない行動が取れる。

 自分でできることは自分で完結させられる、格好良い女性。それが、セフィーナさんだ。

 ライラも、セフィーナさんのそうした行動力は知っているはずだ。

 だから、今さらセフィーナさんがひとりで北の地へ向かったことくらいで焦りはしないはず。


 ということは、この話にはまだ先があるんだ……


 ライラは、自分を落ち着かせるように大きく深呼吸をする。

 そして、深刻に陥った事態を僕に伝えた。


「その、セフィーナ様が行方不明になってしまいましたわ」

「えっ?」


 北の地へ向かったというのなら、きっとアームアード王国の王都の北に広がる飛竜の狩場を縦断しようとしたはずだ。


 飛竜の狩場。


 文字通り、飛竜が獲物を狩る大草原。

 ひとたび足を踏み入れれば、人族であろうと飛竜の獲物になってしまう。

 だけど、僕たちに、その危険性はほとんどない。

 これまで築いてきた竜族たちとの絆があるからね。

 もちろん、セフィーナさんにもその恩恵はある。

 だから、セフィーナさんが飛竜の狩場を縦断しても、然程さほどの問題は起きないはずだ。


 だというのに、セフィーナさんが行方不明になった!?


 そんな馬鹿な、と困惑する僕。

 だけど、ライラの報告はそれだけに止まらなかった。


「それと……。竜峰に向かったミスト様とも、連絡がつかなくなってしまいましたわ」

「えっ……?」


 ライラ、今、なんて言ったの?


 ミストラルと連絡が取れなくなった?


 あの、ミストラルと?

 竜姫りゅうきという最高の称号を持つ、最強の竜人族。

 そのミストラルが、竜峰で連絡を絶った……?


 ライラの言葉が呑み込めずに、呆然ぼうぜんとしてしまう僕。

 ライラは、僕を気遣いながら、詳細を伝える。


「スレイグスタ様が、ミスト様の気配が突然消えたと……」


 スレイグスタ老は苔の広場に居ながら、竜脈を通して遠く離れた者の気配を読み取ることができる。場合によっては、読み取った気配の者がどういった状況かもわかってしまう。

 僕も過去に、スレイグスタ老のこうした能力のおかげで命拾いをしたことがある。

 その、遠くの気配を正確に読み取るスレイグスタ老が、ミストラルの気配を見失った!?


「それって、いったい……?」


 頭の中が混乱していて、上手く思考をまとめられない。

 違う。悪い想像をしてしまわないように、心が拒絶している。


 ライラも、口に出したことが現実になってしまうことを恐れるように、声を発しなかった。

 僕は不安そうなライラを抱き寄せる。ライラの温もりが、凍りついた僕の心を少しだけ温めてくれた。


「ライラ。セフィーナさんが行方不明になったっていう情報も、おじいちゃんからなんだね?」

「はい、ですわ。飛竜の狩場を北へ進んでいたセフィーナ様の気配が、急に消えたと」

「その時、何か気配が乱れた、というか、争ったような動きは捉えていたのかな?」


 僕の質問に、ライラは首を横に振って応えた。


 つまり、セフィーナさんは何者かと争った形跡を残していない?

 言い換えるなら、スレイグスタ老どころかセフィーナさん自身も予期しなかった事態に、突然襲われたということかな?


「場所は離れているけど……。飛竜の狩場で気配を絶ったセフィーナさんと、竜峰で突然消息を絶ったミストラル。なにか繋がりがあるのかな?」


 あの二人のことだ。

 何者かに襲撃されたとしても、一方的に敗退するとは思えない。それどころか、なんの痕跡もなく、急に姿を消すなんて考えられないよね。

 ということは、何かの事故か事件に巻き込まれた可能性があるってことだ。


「急いで戻らなきゃ!」

「はい、ですわ!」


 僕とライラは強く頷き合うと、レヴァリアを見る。

 するとレヴァリアは、ぐるるっ、と不愉快そうに喉を鳴らして威嚇してきた。


『我は今、ライラをここへ連れてきたばかりだ』

「そ、そこをなんとか、お願いできないかな?」


 きっと、ヨルテニトス王国の王都に来るまでにも、全力で飛んでくれたはずだ。

 でも、あと少し。もうちょっとだけ、お願いしたいな?


 僕とライラの懇願に、レヴァリアは殺気をはらんだ瞳で睨み返しつつも、渋々と了承してくれた。


「それじゃあ、まずはリンゼ様の家まで!」

『ええい、それはどこだっ!』


 僕とライラを乗せたレヴァリアは、大小四枚の翼を荒々しく羽ばたかせると、王都の空へと舞い上がる。

 僕たちを遠巻きに見物していた大勢の人々が、わあわあと騒ぎながら空を見上げていた。






「エルネア君、それにライラさん。もう少し静かに訪問してくださいませっ」


 そして。僕たちはあっという間に、リンゼ様の自宅に到着する。

 行きも帰りも、裏通りや枝道や公園を通って、苦労しながら移動したはずなのに。空を飛ぶレヴァリアに乗って移動したら、本当にあっという間でした。


 ちなみに、リンゼ様の邸宅は植物がいっぱい植えられていて、レヴァリアが降りられる空間がなかった。なので、屋根近くまで降下してもらって、そこから空間跳躍を使ってお庭に降りたんだけど。そこへ、マドリーヌ様が駆け寄ってきたわけだ。


「マドリーヌ様、リンゼ様、お騒がせしてしまってごめんなさい。ですが、緊急事態なんです!」


 マドリーヌ様のお迎えのために馬車を出してもらいに行く、と約束した僕が、レヴァリアを連れて戻ってきた。それでリンゼ様は驚いていたようだけど、僕とライラの緊迫した気配を察して、慌ただしい再訪を許してくれた。


「それで、エルネア君。どうしたのでしょう?」


 マドリーヌ様も、身構えて問いただす。僕はひと呼吸入れると、ミストラルとセフィーナさんに起きた異常事態について話す。

 僕は、二人のために急いでアームアード王国へ帰らなきゃいけない。そして、一刻も早く原因を突きとめて、二人を探し出さなきゃいけないんだ。


「そんな……。セフィーナだけでなく、ミストさんまで……」


 マドリーヌ様も、ミストラルが消息を絶ったという事態に息を呑む。


「それでは、エルネア君は急いで帰る必要がありますね?」

「はい。ただし、それは僕だけではなくて」


 と言って、僕はライラとマドリーヌ様を見る。

 次に、マドリーヌ様の背後で静かに様子を伺っていたリンゼ様へと視線を移した。


「リンゼ様!」

「はい、なにかお手伝いできますでしょうか」


 僕の視線を受けて、リンゼ様が問う。

 僕は、躊躇ためらうことなく自分の思いを口にした。


「僕はこれから、アームアード王国へ急いで戻ります。そこに、マドリーヌ様も連れて行こうと思います」

「エ、エルネア君!?」


 困惑するマドリーヌ様。


 無理もない。

 マドリーヌ様は巫女頭みこがしらとしての聖務に戻るために、ヨルテニトス王国へ帰ってきたんだ。なのに、帰ってきて早々に、僕が連れていくというのだから、困って当然だよね。


 マドリーヌ様だって、ミストラルやセフィーナさんのことを心配してくれている。だけど、それ以上に自分に課せられた責務から目を逸らさないのが、マドリーヌ様なんだ。

 でも僕は今、そんなマドリーヌ様を連れて帰る、とリンゼ様に迷いなく言った。

 さすがのマドリーヌ様も、困ったように僕とリンゼ様を交互に見つめていた。


 だけど、僕の意志は変わらない。


 家族の身に問題が生じた。ならば、家族全員でその問題に向き合うべきだ。

 そしてマドリーヌ様も、僕たちの立派な家族の一員でもある。


 とはいえ、それでもマドリーヌ様はヨルテニトス王国大神殿の巫女頭様。だから、僕はリンゼ様にお願いするんだ。


「どうか、お願いです。僕たちが家族全員で女神様の試練を乗り越えられるように、お力添えをください」


 すると、リンゼ様が優しく微笑んでくれた。


「神職にある者にとって、女神様からの試練は何よりもとうとい課題です。それに全力で向き合うというのであれば、お手伝いすることもやぶさかではありませんね。では、暫しの間、復職いたしましょうか」

「お師匠様、それは……!?」

「マドリーヌが席を開けている間は、この私が巫女頭代理として、ヨルテニトスの大神殿を取り仕切りましょう」


 言ってリンゼ様は、力強くマドリーヌ様の背中を押す。


「ですから、心おきなく女神様の試練に挑みなさい。そして、必ずや家族の方々を救い出し、試練を克服して戻ってくるのですよ」

「……リンゼ様、ありがとうございます」


 マドリーヌ様は涙を流しながら、でも確かな足取りで、僕の傍に並んだ。

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