決断

 とうっ、と隆起した丘を軽く飛び越えたルルドドおじさんが、どすどすどすっ、と猪突ちょとつのように猛突進してきた。そして、巨大な戦槌せんついを片手に、僕たちの側に立つ。


「ル、ルルドドおじさん、どうしてここに!?」

「ええい、どうしてここに、だと!? お前さんたちが儂を置いて行くもんだから、必死に追いかけてきたんだろうがっ。まったく。この儂でなければ、こうも早く追いつくことはなかったんだぞ?」

「竜峰を数日で走り抜けてきた!?」


 僕たちのお屋敷がある禁領は、竜峰の北側に接する。だけど、ここは竜峰の南端。つまり、ルルドドおじさんはたった数日で、あの危険極まりない竜峰を縦断してきたということになる。

 きっと、この話を竜人族の人たちが耳にしたら、自分たちの不甲斐なさに頭を抱えてしまうだろうね。

 僕たちだって、ルルドドおじさんの実力に驚かされて目を白黒させていた。


「やれやれ、大変だったのだぞ? 幾度となく魔獣に襲われるは、恐ろしい飛竜に追い回されるは……」


 はぁ、と深いため息を吐くルルドドおじさん。

 だけど、その屈強な肉体からは、一切の疲弊ひへいを感じさせなかった。


「しかも、終いには激しい地揺れに見舞われるは、世界が崩壊しそうな天変地異を目にするは……」

「つまり、アミラさんの力が解き放たれた時、ルルドドおじさんはもう既に、この近くまで来ていたんだね?」

「おうよ。それで、ようやく地揺れと崩壊がおさまったから来てみれば」


 と、そこでようやく、ルルドドおじさんはテユに向き直る。

 ルルドドおじさんにようやく気を向けられたテユは、いぶかしそうな視線を遠慮なく向けていた。


「山民族か。よもや、およんでの珍入者ちんにゅうしゃが、みにくい男だとは」

「ええい、背が高いだけの者どもごときが、何もわかっておらんようだな! これでも儂は、種族一の色男。これまでに多くの種族の女を魅了みりょうし、幾度となく色恋を経験してきたのだぞ!」

「えええっ、ほんとにっ!?」


 これには、テユではなくて僕たちの方が仰天ぎょうてんしてしまう。

 ルルドドおじさんは、前にも自分で言っていたよね。山民族から見れば、自分はものすごく魅力的な男性だって。とてもとても……くさいのに!?

 どうやら、ここへ来るまでに入浴はしなかったらしい。獣のような刺激臭がします!


「お前さんたち……」


 はぁ、とこちらを振り返って、ルルドドおじさんが二度目のため息を吐く。


「一応、儂はお前さんたちを助けようと現れたんだぞ? なら、お前さんたちは儂を心から歓迎せねばならんだろう? それなのに、酷い扱いだ」

「ごめんなさい。許してね?」


 おい、この山民族は誰だよ、とアルフさんが背後から聞いてきた。だから、僕は警戒の色を見せ始めたテユにも聞こえるように、ルルドドおじさんを紹介する。


「この人こそは、山民族の大英雄。五百年余りの長い歳月、世界中を旅してきた豪傑ごうけつだよ。そして、僕たちの頼れる味方です!」


 五百年間、世界を旅してきた。と聞いて、テユの扇子せんすの動きが止まる。


「ルルドド……。何処どこぞで聞いた覚えのある名前だと思ったが」

「テユ、と言ったか。お前さんも長く生きているのなら、一度や二度くらいは儂の名前を聞いたこともあろう? くいう儂も、お前さんの名前と逸話いつわを耳にしたことがあるぞ?」


 意味ありげに、赤黒く茂ったひげの奥で口角を上げるルルドドおじさん。

 逆に、テユの表情からは余裕が薄れていき、険しさが増す。


「何もおかしくはなかろうよ? お互いに長く生きているのだ。それなりに逸話は広まる。で、背負っていた背中の『あれ』はどうした? 捨てるにしては、難儀なものだろう?」

「貴様……!」


 警戒を超え、殺気さえ感じさせるテユの声。

 どうやら、ルルドドおじさんはテユの過去を色々と知っているようだ。

 だけど、ルルドドおじさんはそれ以上は口にしなかった。

 秘密は、秘匿ひとくされていることで価値を生む。つまり、全貌ぜんぼうをあえて語らないことによって、言外でテユを脅しているわけだ。


 さすがはルルドドおじさんだ。伊達だてに五百年も世界を旅しながら、多くの伝説を残してきただけはあるね。


「どうだ、女。ここは大人しく退き下がりはしないか?」

「……たとえ貴様が相手であれ、わらわは退かぬ。妾はみかどの目であり耳であり、手足である。であれば、全てを帝へ伝えることが役目だ」


 テユの繰り返しの言葉に、そうか、とルルドドおじさんは三度目のため息を吐いた。

 だけど、今度は改めて大きく息を吸い込むと、覇気の篭った声で、強く言い放った。


「では、最初の言葉通りに、儂がこの場を引き取る!」


 ルルドドおじさんの言葉に、テユも対峙するように気を張る。


「その言葉の意味。すなわち、貴様は人族の少年側に立って妾たちと一戦交える、という意味で良いのか?」


 テユの傍に今もひざまずくグエンが、ギルディアを片手で押さえながら、もう片方の手を剣に伸ばす。


 五百年を生きた山民族の英雄を前にしても、テユとグエンに引く気はないようだ。

 僕たちもまた、戦いに備えて身構えていた。


 だけど、テユも僕たちも、ルルドドおじさんの意図を図り間違えていた。


「やれやれ。この場には血の気の多い大馬鹿者しかいないのか。確かにこの騒動を引き取るとは言ったが、何も喧嘩をしようってわけじゃないぞ?」

「それじゃあ、ルルドドおじさんはどんなふうにこの場を収めようとしているの? 前もって言っておくけど、僕たちはアミラさんを護るためなら、テユとだって戦うつもりだよ? テユだって、アミラさんの情報を帝に伝えるということを譲る気はないみたいだしね?」


 お互いに一歩も譲らないこの状況で、ルルドドおじさんはどんな落とし所を示そうというのか。

 僕たちだけでなく、テユも訝しそうにルルドドおじさんを見ていた。


 ルルドドおじさんは全員の線を受けると、ごほんっ、とわざとらしく野太い咳払いをする。

 そして、アミラさんを見上げると、誰も予想していなかったことを口にした。


「お嬢ちゃん。あんたは、未熟すぎる。自分の力を制御できん者は、半人前だ。だから、どうだ。儂と一緒に世界中を周って修行せんか?」

「えっ!?」


 全員の目が点になる。

 アミラさんも、ルルドドおじさんの言葉に目を泳がせて困っていた。


「がっはっはっはっ。テユが帝に何を報告しようとも、この国にその者が居ないのであれば、意味はないだろう? それに、未熟なお嬢ちゃんを守護する者として、儂なら最適人ではないか」

「いやいや、ルルドドおじさん!?」


 いくらなんでも、それは突飛とっぴすぎる話でしょう!?

 よりにもよって、アミラさんを連れて世界中を周る?


「た、確かに、アミラさん自身が帝国内に身を置いていなかったら、秘密を知られても意味はないけど……」


 と、そこでルルドドおじさんの配慮に気づく。


 アミラさんを帝国内から連れ出すだけなら、僕たちにだってできる。だけど、竜峰にかくまえば、帝やテユは竜峰にも手を伸ばしてくるだろうね。かといって、禁領や人族の国に連れて行ったとしても、今度はそっちの方に大きな迷惑がかかる。

 アミラさんの力を利用しようとするテユや帝は、アミラさんが何処どこに居たとしても、必ず手中に収めようと画策するはずだ。

 その点、ルルドドおじさんと世界中を移動し続けていれば、テユや帝は手が出し難くなる。

 しかも、ルルドドおじさんが側にいれば、この上なく頼りになる護衛になるしね。


「言っておくがな。武神のひとりや二人程度を儂に差し向けたくらいでは、軽くあしらうだけだからな? 儂の力量くらい、武神テユであれば見抜けているだろう? それでも追っ手を差し向けるというのなら、覚悟することだ。だが、良いのか。魔族と対峙しようとしているお前さんたちに、帝の側近である武神や他に武の立つ者を大勢儂に差し向けている余裕があるとは思えんがなぁ?」

「山民族の分際で……」


 憎々しそうにルルドドおじさんを睨むテユ。

 どうやら、ルルドドおじさんの指摘はテユに深く刺さっているようだ。


「どうだ、お嬢ちゃん。儂と一緒に修行の旅に出んか? 世界は広い。お前さんや儂さえ知らん知識や技を持つ者が、ごろごろと存在する。そこの小僧のようにな。そういう者たちと出会う中で、いつかは己の力を制御できるすべを見つけられるかもしれんし、腹黒い者共に容易たやすく利用されることもなくなる。何より、周りの者たちに迷惑が掛からんだろう?」


 ルルドドおじさんは濃い髭の奥で、にかり、と笑みを浮かべた。

 それは、とても優しい世話焼きおじさん的な微笑みだった。


「わ、わたしは……」


 アミラさんは、目を泳がせる。

 どうすべきなのか。どうしたいのか。


 アレクスさんは、アミラさんを信じるように、見つめ返す。

 村の人たちは、アミラさんがどんな決断を下しても最後までお護ります、と頷く。

 僕たちも、アミラさんの意思を尊重するよ。

 そして、アルフさんは。


「アミラ。どんな時でも、俺はお前の側で味方でいてやる。今まで、いっぱい色んなことを我慢してきたんだ。なら、もう我慢することはない。自由に生きるんだ!」


 そう言うと、アミラさんの両手をしっかりと握りしめた。


 アミラさんは、そんなみんなに「ありがとうございます」と呟くと、改めてルルドドおじさんに向き直る。

 そして、自分の声で自らの意志を表明した。


「ルルドド様。是非、お願いいたします」


 アミラさんの言葉に、テユが扇子で顔を隠す。


 ルルドドおじさんに、まんまと出し抜かれた。

 たとえ闘神とうしんの秘密を手に入れたとしても、肝心要かんじんかなめのアミラさんが帝国内にいない。しかも、護衛者として至極難敵な者が付いてしまった。これでは、もう手の出しようがない。

 闘神の末裔まつえいとしてはアレクスさんとアルフさんもいるけど、こちらは闘神の声を持っていないし、彼らの子孫がいつ誕生するのか、その子がアミラさんのような声を受け継いでいるかなんて、誰にもわからない。

 だから、アミラさんが世界に羽ばたいてしまうと、闘神の秘密の価値がなくなってしまう。せっかくの秘密も、その価値がなくなってしまえば、意味がないよね。


 ルルドドおじさんに深く頭を下げるアミラさん。

 すると、傍のアルフさんが鼻息を荒くする。


「俺もついて行くぞ! 兄様、良いですよね?」

「なななっ!?」


 まさかの宣言に、僕たちは驚く。

 アミラさんはまだしも、アルフさんまで旅に出ちゃう!?

 そりゃあ、さっき「お前の側で味方でいてやる」とは言っていたけどさ。


 だけど、驚いたのは僕たちやテユたちくらいだった。

 なぜか、アレクスさんや村の人たちは予想の範疇はんちゅうだと言わんばかりに、アルフさんとアミラさんを優しく見つめていた。


「アルフよ。お前の宿命はアミラを護ることだ。ならば、行くが良い。行って、アミラと共に世界を見聞してきなさい」


 ルルドドおじさんも、旅の連れがひとり増えたくらいでは動揺しない。

 任せておけ、とその分厚い胸板を叩く。


「其方ら……」


 テユが、扇子で顔を隠したまま、憎々しそうに言葉を漏らす。

 怒りの表情をこちらに見せない。艶武神えんぶしんとして、醜い姿は見せないってことかな?

 グエンも、やってくれたな、と珍しく悔しそうな表情だ。

 だけど、二人にはまだ諦めた気配が見受けられない。


 アミラさんの「森羅万象しんらばんしょうつかさどる声」は、それだけ帝や帝国にとって魅力的であり、貴重な力なんだ。

 だから、此の期に及んでも、何がなんでもアミラさんを手に入れようと思っている。つまり、この場で戦いになったとしても、と言う意味だね。


 そんな退かない二人に、ルルドドおじさんは四度目のため息を深く吐いた。


「やれやれだな。これだから神族は……。だが、良いのか?」


 何を、と顔を隠したテユの代わりにグエンが問う。

 問いを受けて、ルルドドおじさんは西の空を指差した。


「最初に言っただろう。儂は、竜峰を越えてくる際に魔獣や飛竜に追われたと。まあ、魔獣如きは軽く蹴散らせるがなぁ……。誰も、飛竜をいてきたとは言っておらんぞ?」

「なにっ!?」


 と、グエンが西の竜峰の空を見上げた時だった。


 夕陽を受けて紅蓮色に輝く飛竜が、荒々しい羽ばたきでこちらに向かってきていた。

 飛竜は、空を激震させるような恐ろしい咆哮を放つ。


「ひいっ。あ、あれは!」

「竜峰の暴君だ!」

「あれに見つかっては、我ら神族といえども生きながらえんぞっ」

「皆の者、逃げて隠れるのだ!」


 西の空から飛来する飛竜に、村の人たちが浮き足立つ。

 本物の恐怖が一瞬で広まる。だけど、アミラさんを置いて自分たちだけが逃げるわけにはいかない。それで、村の人たちは顔を青くして慌てふためく。


「途中で会った竜人族の話ではな。あれは竜峰の空を支配する恐ろしい飛竜らしい。竜王も、他の竜族も太刀打ちできず、その姿を見れば逃げ隠れるしかないのだそうだ。それで、どうする? このままこの場でお嬢ちゃんを賭けた荒事になっても儂は構わんが、そうしている間に、あの恐ろしい飛竜は瞬く間に飛来するぞ? そうなれば、儂らどころかお前さんたちとてあの飛竜の餌食えじきだ」


 にやにやと、ルルドドおじさんが濃い髭の奥で笑みを浮かべていた。

 ちっ、と舌打ちをするグエン。そして、テユを見上げると「あれは流石に……」と肩を落とす。

 テユだって、わかっているはずだ。このまま悠長に相対していれば、ルルドドおじさんの言葉通りになることくらい。


「よもや、ここまできて遅れを取るとはの。……まあ、良いわ。本来の目的は達したのだから」


 テユとグエンの狙いは、ギルディアの横暴をあばいて身柄を確保することだったよね。闘神の秘密を探るのは、ついでのようなものだった。


「この場は、素直に退くとしよう」


 テユたちの周りに、光るちょうが無数に飛び始めた。

 ひらり、とテユが扇子をあおぐと、ひと際輝く蝶たちがテユやグエン、それに取り押さえられたままのギルディアを包んでいく。


「最後に。人族の少年よ、名を其方の口から聞いておこう」


 光の奥に三人が消える前に、僕は名乗る。


「エルネア・イース」

「その名、覚えておこう。其方らが帝国内を旅することを、この場の褒美ほうびとして許す。それと、神都に立ち寄ったならば、天耀宮てんようきゅうまで足を伸ばすが良い。妾が直々じきじきにもてなそう」


 と言って、テユは手にしていた扇子をじて僕に向かって投げる。


「それは、通行証として受け取るがよい。其方らが帝国内を旅行している際の身の安全を保証しよう」

「ありがとうございます?」


 僕が素直に扇子を受け取る姿を見届けると、テユたちは光る蝶と共にこの場から消え去った。


「空間転移かな?」


 凄いね。艶武神と云われるだけあって、僕たちにさえ使えないような術を使えるんだ。しかも、あの崩壊する世界から生き延びた後に。

 もしも荒事になっていたら、こちらが追い込まれていたかもしれない。そう思うと、ルルドドおじさんの加勢は本当に助かったよ。

 ありがとう、とルルドドおじさんにお礼を言う僕たち。


 だけど、周りの状況は酷いものになっていた。


「あんたら、何をしているんだ!」

「早く逃げないと、暴君に殺されてしまうわ!」

「お前さんたちだって、竜峰から来たんだろう? なら、あいつの恐ろしさは知っているはずだ!」


 村の人たちは、アミラさんやアルフさんたちの手を取って、今にも逃げ出そうとしていた。

 それを見て、あはは、と苦笑する僕たち。


「ええっとね。あの飛竜は……」

『貴様ら。我を差し置いて何を遊んでいるかっ!』

「レヴァちゃん、大活躍だったね!」

『我は何もしていない。それに、レヴァちゃんと気安く呼ぶなっ』


 僕たちの頭上に荒々しく飛来してきた飛竜は、もちろんレヴァリアだった。

 逃げ遅れた、と勘違いした村の人たちが白目をく側で、僕たちは家族の大集合を喜び合う。


 そして、僕たち家族の事情を知っていたアミラさんたちは、困ったように苦笑し合っていた。

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