戦いの第二幕

 ニーミアは低空を滑るように飛んで、金剛の霧雨へと突っ込んでいく。

 ゆらり、と霧雨がニーミアに向かって揺れた。

 僕たちが「頭部」と視認している亀のような頭がなくても、こちらの動きはわかるようだ。


『何を余所見している暇がある? 貴様の相手は我だ!』


 すかさず、レヴァリアが天空から業火の炎を降らす。

 まさに、火の雨だった。

 炎を司る竜の王に相応しく、地上の霧雨を蒸発させてしまうかのような無限の火球が降り注ぐ。

 最初は金剛の霧雨の表層に弾かれていた火球の雨は、ひと粒、ふた粒、と次第に霧雨の中へと落ち始めた。


『ッ!』


 何者の攻撃も寄せ付けない。ゆえに「金剛」と冠された魔物を貫いていくレヴァリアの炎に、金剛の霧雨自身が驚いていびつな悲鳴をあげる。


『まだ、これで終わりではないぞ!』


 今度は、レヴァリアが炎の息吹を繰り出す。

 夜闇の空を燃え上がらせる真っ赤な炎は金剛の霧雨を焼き、地上を業炎で包む。


 ニーミアは燃える麓を突っ切り、金剛の霧雨が立つ山腹へと駆け上がっていく。

 僕たちは、ニーミアの背中の上で臨戦態勢へと移りながら、周囲で轟々と燃える炎を見つめた。


 これが、竜の王となったレヴァリアの力。そして、イドが言っていた、竜術の可能性の先。


 イドが発起人ほっきにんとなって、竜人族と竜族が手を取り合い、ひとつの術を完成させた。

 たとえ個々の力が及ばずとも、竜峰に住む全ての竜人族と竜族が手を取り合えば、金剛の霧雨にも届く竜術が生まれるはずだと。

 ユフィーリアとニーナが互いに手を取り合ってひとつの術を繰り出すように。セフィーナさんが巧みに他者の術を操作するように。僕が他者の術から発想を得て新術を生み出すように。竜人族と竜族が心をひとつにし、協力し合えば、自分たちにも無限の可能性が広がっているはずだと説得して回った。

 そして、竜人族と竜族が手を取り合って、ひとつに纏めた竜気を託す者として、レヴァリアが選ばれた。


 かつて「暴君」と呼ばれたレヴァリアだけど、今はもう竜峰を代表する立派な飛竜だと誰もが認めている。

 そのレヴァリアが今、まさに「竜の王」として相応しい姿となり、金剛の霧雨に攻撃を与えている。

 竜人族や竜族たちが歓喜の声をあげて、天空のレヴァリアを讃えていた。


 僕たちはレヴァリアが作ってくれた炎の道を真っ直ぐに進み、金剛の霧雨へと肉薄する!


 そして。


「みんな、準備は良いね?」


 はい! と妻たちの揃った返事を聞き、僕は叫ぶ。


「ニーミア、金剛の霧雨の中へ突撃だ!」

「にゃー!」


 ニーミアは、躊躇うことなく霧雨の中へ突っ込んだ!






 準備期間中。巨人の魔王は僕にこう言った。


「わかっているだろうが。あれが魔物である以上、体内には魔晶石となる核を持っている。その核を潰さねば、奴は倒せぬぞ」


 僕は見た。

 金剛の霧雨に魂霊の座で斬りかかった時に、水色に輝く宝石で形取られた亀のような存在を。

 きっと、あれが金剛の霧雨の「核」だったんだと思う。


 であれば、竜峰の山二つ分を覆う霧雨の中へとこちらから入っていかなければ、核は潰せない。

 霧雨の中は、どういう事象になっているのか不明だ。それでも、僕たちは人々の祈り、竜族や竜人族の支援の術を信じて、霧雨の中に入るしかない。






 第一印象は、普通の霧雨だった。

 どこまで進んでも、しとしとと優しく肌を濡らすような、霧雨の風景。

 ただし、今はレヴァリアの猛攻を受けて、視界のあちらこちらから火の手が上がっている。

 それでも、それ以外は普通過ぎるほどの景色が僕たちの周囲には広がっていた。


「ニーミア、ありがとうね」

「んにゃん」


 僕たちは、素早くニーミアの背中から降りる。ニーミアは小さくなると、ルイセイネの頭の上に移動した。


「さあ、ここからが本番だよ!」


 僕の掛け声に合わせて、全員が武器を構える。


 ミストラルは、漆黒の片手棍。ルイセイネは薙刀なぎなた。ライラは霊樹の両手棍。ユフィーリアとニーナは竜奉剣りゅうほうけん。セフィーナさんは金色こんじき羽衣はごろもを羽織って拳を握り締め、マドリーヌ様は巫女頭を表す大錫杖だいしゃくじょうを持っていた。

 そして、僕。

 もちろん、右手には神楽かぐらの白剣を握り、左手には霊樹ちゃんの若枝を掴む。


「ここは魔物の腹の中です。いつ、何が起きるのかわかりません。ですが、皆様を確実に加護しましょう」


 まず最初に動いたのは、マドリーヌ様。

 二重法術で、僕たちに加護を付与してくれる。

 柔らかい月の光が僕たちを包む。それたけでなく、月の明かりが僕たちを中心に霧雨の中を広がり始めた。


『……ナ』


 微かに、霧雨の奥から世界を歪ませるような、耳障りな音が響いてくる。


『目障……リ……ナ……者ド……モ…………』


 そして、しとしとと降る霧雨の奥から、奴はゆっくりと姿を現した。


 水色の宝石のような、亀の化け物。

 竜峰の山二つ分を覆う霧雨の核らしく、見上げるほど大きな魔晶石から削り取られたような姿。


「へええ。核が出てくるのは、もう少し先だと思ったんだけど。でも、丁度良いね。短期決戦はこちらも望むところだよ!」


 そう。

 僕たちの前に現れた宝石亀のような存在こそが、金剛の霧雨の核であり、本体だ。

 金剛の霧雨は、だけど僕の言葉を受けて笑う。


『クク……ク…………。愚……カナ者……ド……モ……メ。貴様ラ……ガ…………何処……二……踏ミ……入ッタ……ノカ…………思イ……知……レ……』


 宝石亀の瞳が、闇より深い暗闇を宿す。


「エルネア君!」


 直後。ルイセイネが警告を発する。

 ルイセイネの魔眼が、全てを見通していた。


「周囲に、大量の気配が湧き始めています。個々が『金剛の霧雨』と同質の気配を放っています!」


 ルイセイネの言葉通りと言うべきなのか。

 周囲を満たしていた霧雨が、幾つもの塊になって収束し始めた。


「金剛の霧雨の小分身、といったところかな?」


 僕の推測は正しかった。

 周囲の霧雨から切り離され、地竜くらいの大きな塊となった霧雨の分体は、其々おのおのが亀のような姿へと変化していく。そして、その全ての分身の中に、核となる魔晶石が水色に輝いていた。


『希望ヲ……喰ラ……イ…………世界……ヲ……滅ス……ル』

「そんなことはせさるものか!」


 金剛の霧雨の世界を歪ませるような声を、僕は真っ向から否定した。

 そして、戦いの幕を切って落とす!


「はあっ!」


 僕は躊躇わずに、金剛の霧雨の本体たる宝石亀に空間跳躍で肉薄する。

 神楽の白剣を横薙ぎに振り抜く。

 しかし、神楽の白剣は宝石亀の首の表面をなぞっただけで、擦り傷さえ負わせられない。それでも僕は神楽の白剣を振り、斬撃を浴びせていく。


 ミストラルたちも動いた。


「わたしが前線へ出るわ! ルイセイネは引き続き、金剛の霧雨の動きを読み取って。ライラはルイセイネの護衛を!」

「はいっ!」

「はいですわっ」


 ミストラルは漆黒の片手棍へ全力の竜気を乗せて、一番近い分身の霧雨亀に突込む。そして流星の尾を引きながら、六連撃を叩き込んだ!


 激しい打撃音が、竜峰の山腹に響き渡る。

 見た目は柔らかい霧雨だというのに、ミストラルの片手棍を表面で弾いた霧雨亀。

 本体と同様に、分身体も「金剛」に相応しい硬さだ!

 初撃六連が弾かれたミストラル。でも、驚きも躊躇いもない。


「それくらい、想定済みよ」


 と言って、更なる連撃を繰り出していく。


「はあああぁぁぁっ!!」


 ミストラルの瞳があおく輝く。

 内包する流星竜りゅうせいりゅうの竜宝玉が最大開放され、人竜化じんりゅうかしたミストラルが片手棍を振るう度に流星が生まれ、それが金剛の霧雨の分身体に放たれていく。


『ッッ!』


 分身体が悲鳴をあげた。

 そして、ミストラルの渾身の一撃によって表層の霧雨は消し飛ばされ、核が砕かれる。


「ミストさん、右と上空の霧雨が変質しています。攻撃に注意です!」

「はわわっ。ルイセイネ様、こちらも逃げますわっ」


 戦況を「視る」ルイセイネを抱いて、ライラが跳躍する。

 だけど、着地地点にも金剛の霧雨の分身体は待ち構えていた!


「やあっ!」


 霊樹の両手棍に全身全霊を乗せて、ライラが振り抜く。

 がんっ、とにぶく大きな音がしたと思いきや、分身体が遠くに弾き飛ばされていった。


「砕けなくても、飛ばせますわっ」


 いや、ライラの全力の一撃は、その程度の威力では済まない!

 殴り飛ばされた金剛の霧雨の分身体が、別の分身体にぶつかって止まる。すると、亀の形を維持できなくなったのか、輪郭があやふやな霧雨の状態になった。

 そして、剥き出しになる核の魔晶石。


「今だわ」

「好機だわ」

「ユフィ、ニーナ、手加減なく竜術を放ちなさい! セフィーナはマドリーヌを守護しつつ、場合によっては姉たちの術を操って分身体を倒すのよ!」


 三体目の分身体を消し飛ばしたミストラルが、指示を出していく。

 そうしながら、本体に斬りかかった僕や、法術で加護を与えてくれているマドリーヌ様から邪魔な分身体を遠ざけていき、戦線を拡大していく。

 そこへ、ユフィーリアとニーナの加減のない竜術が炸裂した!


「ユフィと」

「ニーナの」

「「竜咆爆陣りゅうほうばくじん」」


 最初に、竜族の咆哮に似た衝撃波が霧雨中にはしった。

 その直後。大地が根こそぎ吹き飛び、大気が大破裂を引き起こす!

 拡大した戦線が一瞬で灰燼かいじんと化した。

 ライラの一撃で核が剥き出しになっていた分身体だけでなく、周囲の分身体も数多く吹き飛ばされる。

 それでも消滅こそ耐えた数体に、ミストラルが素早く留めを叩き込んでいく!


「「はぁはぁ……」」


 目を見張るほどの破壊力を示したユフィーリアとニーナの竜術。だけど、たとえ竜奉剣の力を借りていても、消耗は激しいみたいだ。

 竜術を一度放っただけで、ユフィーリアとニーナは肩で荒く息をしていた。

 僕は本体に神楽の白剣を繰り出しながら、鶏竜にわとりりゅうの術を出す。

 可視化した竜気で形取られた鶏竜が、ユフィーリアに向かって優雅に羽ばたく。


『クカ……カ……カ……。他者ニ……気……ヲ……取ラレ……テ……イテ、良イ……ノカ……?』


 にたり、と金剛の霧雨の核である水色宝石の亀が歪な笑みを浮かべて僕を見下ろした。

 僕の繰り出す神楽の白剣は、数えきれない程に核へ斬撃を浴びせ続けている。だけど、核には擦り傷ひとつさえ付けることができていない。そんな無力な僕を嘲笑あざわらう宝石亀の瞳が、闇色を濃くしていく。


 周囲の霧雨が、次第に濃度を増し始めた。

 霧雨、というよりも大粒の濃霧のような様相ようそうていしてきた周囲の風景。

 僕たちがどれだけ奮戦しようとも無意味だと言わんばかりに、霧雨を無限に生み出し、操る金剛の霧雨。

 だけど、それが一瞬で燃え上がる。


『我が炎を浴びよ』


 天空から、レヴァリアが炎を放つ。霧雨の外皮を貫通し、炎が竜峰の山腹の地面まで届いて燃え盛っていく。


「これは良いわね!」


 セフィーナさんが、にやりと格好良い笑みを浮かべた。

 そして、レヴァリアの炎を操る!

 セフィーナさんが大きく手を振り上げると、炎が勢い良く上空まで昇る。

 次に、気合と共に振り下ろされるセフィーナさんの両手。そうすれば、上空に昇った炎が大波となって地上に再び降り注ぎ、金剛の霧雨の分身体や霧雨の本体を燃やしていく。


『ギアアアァァッッッ!』


 本体さえも貫き、業火に変えるレヴァリアの炎だ。小さく分けられた分身体程度が耐えられるはずもない!

 次々と業火の炎の餌食となって、燃えていく分身体。

 それでも、金剛の霧雨は動じなかった。


『邪魔……ナ……存在……ドモ………メ!』


 僕の連撃なんて全く効いていないとばかりにこちらを無視して、霧雨の上空を飛ぶレヴァリアや、霧雨の中で奮戦する妻たちを、暗闇の瞳で睨む。


「エルネア君、みなさん! 外側に大量の魔物が湧きます!」


 ルイセイネの警告が飛ぶ。

 僕は「いよいよ来たか!」と緊張に身体を強張らせた。


 妖魔の王討伐戦の際。世界に生じた呪いから、妖魔や魔物が発生した。更に、魔物は別の魔物を呼び寄せ、際限なく湧き続けた。

 過去の経験から、伝説級の魔物であれば魔物や妖魔を呼び寄せるくらいはできるだろうと予想していたけど、まさか本当にそうなるとは。

 しかも、僕たちへの当て馬として呼び寄せたわけでなはく、霧雨の外で今も僕たちの勝利を祈り続けてくれている者たちを狙ってくるとは!


『クカ……クカ……カ……カ……。貴様ラ……ガ……我ガ腹中……デ…………無意味……ニ……踊ッテ……イル……間ニ…………、全テ……ヲ……滅ボシ……テクレ……ル』


 金剛の霧雨は、世界の歪みとして相応しい、歪な笑いで僕たちをあざけった。

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