冒険者の危機

 獅子種のフォルガンヌや獣人族の戦士たちとともに、ウランガランの森を疾駆しっくする。

 獣人族の戦士たちは、道のない森でも目にも留まらぬ速さで駆け抜け、僕は空間跳躍で追いかけた。


「散開しろ!」


 フォルガンヌの指示で森の広範囲に広がりながら、獣人族の案内人が人族の冒険者とはぐれた場所と、皮剥ぎ猿種の集落の間を捜索する。


 もしもこの地域で冒険者を見つけられない場合は、最悪の事態も想定しなきゃいけない。

 どうか、無事であって。


 連続空間跳躍で森を進みながら、冒険者の気配を探す。


『森のみんな、僕に違和感を伝えて』


 世界に溶け込んでいく精神。それと同時に、森の生物たちの声に耳を傾けた。


「あっちあっち」

「よし、急ごう!」


 傍らにプリシアちゃんはいない。

 僕はアレスちゃんの意識する方角へと躊躇ためらいなく空間跳躍を発動させる。


『こっちだよ』

『もうすぐだよ』


 鳥がさえずり、樹々が枝を揺らす。

 どうやら、冒険者はまだ森のなかで彷徨さまよっていたらしい。

 遠くに感じる生命に、ほっと胸を撫で下ろす。

 でも、油断は禁物だ。

 冒険者らしき人物は、隠れるようにして気配を潜めていた。


 僕は相手を驚かせないように、少し離れた大樹の前で空間跳躍を止める。そして相手をおびえさせないように、ゆっくりと慎重に、冒険者らしき人物が隠れている茂みへと近づいた。


「た、助けてくれっ」


 がさっ、と茂みが揺れた。

 前のめりに転けそうな勢いで茂みの奥から現れたのは、二十代くらいの青年だった。

 青年は切羽詰まった表情で駆け寄り、僕にしがみつく。


「た、助けてくれ。君は竜王エルネアだろう?」

「僕を知っているんですか?」


 どうどう、と青年をなだめつつ、彼が僕のことを知っているのに驚く。


「知っているとも。俺も昨年の魔族軍襲来の時に王都で戦った冒険者のひとりだ」


 どうやら彼は、僕のことをそのときに目撃して知っていたらしい。

 僕はあのとき、いろんな場所で転戦していた。

 彼が僕を目撃したのはほんの僅かな時間だっただろうけど、それでも覚えてくれていたとは。洞察力どうさつりょくは、北の地の奥深くまで誰よりも早く入り込んだ冒険者だけのことはある。

 だけど、その凄腕の冒険者がこうして切羽詰まった状態になっている。

 僕は青年を落ち着かせながら、状況を確認した。


「仲間が……。俺は静止したんだ。だが、他の奴らは目の前のえさに釣られて……」

「皮剥ぎ猿種の獣人族に連れ去られたんですね?」

「あれは、皮剥ぎ猿というのか。気味の悪い体毛の奴らだった。俺の仲間はまどわされたんだ」


 フォルガンヌが出発前に言っていたよね。皮剥ぎ猿種の獣人族に会っても惑わされるな、と。

 きっと、青年の仲間はまんまと罠にかかり、連れ去られたに違いない。

 こうなったら、急がなきゃいけない。

 時間が経てば経つほど、手遅れになる可能性が高くなっていく。


「わかりました。これから先は僕に任せてください。貴方は、できれば案内役の人のところまで退がってほしい」

「ま、待ってくれ。俺も君について行かせてくれ。仲間が心配だ」

「今の僕は、貴方の方が心配なんですけど」


 足手まといにはならないから、と僕の服を引っ張る青年に困惑する。

 すると、僕たちの会話が聞こえたのか、近くを捜索していた獣人族の戦士がやってきた。


「どうした!?」

「ひとり、確保しました。でも、どうやら残りの仲間が皮剥ぎ猿種の獣人族たちに拉致されたみたいで」

「なにっ!?」

「僕は急いで集落に向かいます。彼を宜しくお願いします」


 言って僕は、青年の手を振り解く。そして、獣人族の戦士と青年の返事も聞かずに空間跳躍を発動させた。


 向かうべき方角は、とっくに把握している。

 一刻を争う現状で、密林を自由に移動できない青年は、残念ながら足手まといにしかならない。

 僕は全速で森を駆け抜けた。


 どうか、無事でいてください。

 どうして案内人の言うことを聞かずに森の奥に入ってしまったのか、と責めるのは後でもいい。

 今はとにかく、皮剥ぎ猿種の獣人族に連れ去られた冒険者たちが無事でさえいてくれれば、あとはなにも望まない。


 僕と冒険者の青年が接触したことは、ウランガランの森に散っていた獣人族の戦士たちへとすぐに広まった。

 緊迫した状況だと戦士たちも判断したのか、僕の後を追いかけてきた。


 進む先には、大勢の気配が集まった場所がある。

 おそらく、皮剥ぎ猿種の集落だろうね。


 残念ながら、集落と僕たちとの間に、別の誰かの気配は存在しなかった。






「た、頼む。許してくれ……」

「けけけっ。人族の冒険者とはなんと貧しい」

「この程度で一流の冒険者とは笑わせる」

「さぁて、どうしてくれようか」


 ウランガランの森を切りひらいた場所に、皮剥ぎ猿種の集落はあった。

 集落の周りは木のさくで囲われている。集落の入り口らしき場所には門があったけど、現在は開かれていた。

 柵の内側には、太い木で枠を作った簡素な建物が幾つも建っていた。

 集落に計画性はないのか、道などは整備されていなく、建物と建物の間が通行場所、という感じだ。

 そして、無計画に建物が立ち並ぶ奥から、大勢の気配と複数の人の会話が聞こえてきた。


「ど、どうかこいつだけは見逃してくれ」

「けけけっ。なにを言っているんだ。見逃すわけがないだろう」

「くそうっ。どうしてこんなことに……」

「恨むなら、貧相な自分たちの装備を恨むこった」

「この程度の物でどうにかなると思ったか。獣人族を甘く見たな」

「か、金ならあるんだ。それでどうだ!?」

「ばぁかか? 我らはそんな物に興味はないんだよ」


 どうやら、連れ去られた冒険者たちはまだ生きているらしい。

 だけど、会話の内容からして危機的状況なのは伝わってくる。

 冒険者の命乞いのちごいに耳を貸さない、皮剥ぎ猿種の獣人族たち。


 気配を消して集落に侵入し、声のする場所に急いで向かう。


 冒険者たちは、集落の中心にある広場にいた。

 広場には、錆色さびいろと茶色がまだらに混じった、お世辞にも綺麗だとは言えない体毛の獣人族たちがひしめき合っていた。

 数は軽く五十人を超えている。

 まだらの体毛をした彼らが、皮剥ぎ猿種の獣人族だろう。

 多くの者が反りのある短刀を手にし、広場の中心で怯える冒険者たちを取り囲んでいた。


 冒険者は、全部で五人。

 全員が男性で、屈強な体つきをしていた。

 だけど、その五人全員が裸に剥かれていた。

 辛うじて、冒険者のうちの三人が剣を手にしていたけど、彼らだけでは五十人以上の皮剥ぎ猿種の獣人族には敵わない。


「さあ、大人しく諦めろ」

「くそう、っこれ以上は……」


 周囲から迫る皮剥ぎ猿種の獣人族たち。

 じりり、と冒険者は後退あとじさり、お互いに背中を合わせて周囲に対し身構えた。


 もう、これ以上の猶予ゆうよはない。


 僕は躊躇いなく、せばまる輪の中心に空間跳躍で飛び込んだ。


「そこまでだよ!」

「っ!?」


 白剣と霊樹の木刀を抜き放ち、迫る皮剥ぎ猿種の獣人族たちを威嚇した。


「き、貴様はっ。竜王エルネアか!?」

「けけけっ。なぜエルネアがここに?」


 突然姿を現した僕に、冒険者と皮剥ぎ猿種の獣人族たちが驚く。

 冒険者に迫っていたひとりの皮剥ぎ猿種の獣人族が、ひっ、と短い悲鳴をあげて尻餅しりもちをつく。


「彼らに危害を加えるのは駄目だよ。僕のことを知っているなら、さあ、引いて」

「けけけっ、なにを言ってやがるっ」

「皮剥ぎ猿種の獣人族の習慣に干渉はあまりしたくない。だけど、今ここで冒険者が犠牲になるのは見過ごせない」


 僕の威嚇に、皮剥ぎ猿種の獣人族たちは狼狽うろたえたように後ろに退がる。狭まってた包囲の輪が少しだけ緩んだ。


「誰も殺させはしないよ。もしも力づくで彼らの命を奪うというのなら、先ずは僕が相手だ!」

「けけっ、竜王エルネアはなにを言っている!?」

「惑わされないからね。僕には惑わしの術は通用しない!」


 びしっ、と白剣の剣先を皮剥ぎ猿種の獣人族のひとりに向けて、威圧する。

 皮剥ぎ猿種の獣人族たちは、僕が本気だと知って狼狽え出した。


「エルネア!」


 そこへ遅れて、獣人族の戦士たちが到着した。

 僕たちを包囲する皮剥ぎ猿種の獣人族。それを包囲する戦士たち。


「な、なんなんだ!?」

「くけけっ、いったいぜんたい、どういうことだ?」


 混乱する皮剥ぎ猿種の獣人族たち。

 だけど、混乱したのは彼らだけではなかった。


「エルネア、なにをしている!?」

「なにをって、皮剥ぎ猿種の獣人族の凶刃きょうじんから冒険者を守っているんだよ!」

「……は?」


 たてがみを荒ぶませてやって来たフォルガンヌの目が点になった。


「えっ?」

「凶刃?」

「冒険者の人たちが今にも殺されそうだったんだ」

「……んん?」


 なんでこんなことをいま説明しなきゃいけないんだろう。フォルガンヌたちが現状を把握できていないことに、僕の方が困惑しちゃう。と思ったら、困惑の声は僕の背後から聞こえて来た。


「君はたしか、竜王エルネアか。俺たちが今にも殺されそうだって?」

「エルネア、貴様はなにを言っているんだ」

「えっ?」

「けけけっ。竜王はなにか勘違いをしているぞ」

「……はい?」


 どうも、様子が変だ。

 緊張感が抜け落ちた様子のフォルガンヌや獣人族の戦士たち。

 包囲の外側と内側を交互に見たあとに、くすくすと笑い始めた皮剥ぎ猿種の獣人族たち。

 そして、僕の背後では「あー」とか「えー」とか気まずそうに声を発している冒険者の人たち。


「か、皮剥ぎ猿種の獣人族は、人の皮を剥いで……」

「おいおい、さすがに人の皮は剥がないぞ」

「人肉を食べたり……」

「いや、そんな野蛮な部族は獣人族にはいない」

「だって、皮剥ぎって名前……」

「けけけっ、我らは獣の皮を剥ぎ、それで他の部族と交易するのさっ」

「そうだぞ。彼らは獣人族のなかでも屈指の器用さを持つ。彼ら以上に皮を上手く剥ぐ者はいない」


 白剣の切っ先は、徐々に下がっていった。

 それと同時に僕の顔は引きつり、気まずい汗が全身から大量に噴き出してくる。


「ま、まさか……。エルネアよ、貴様は皮剥ぎ猿種の者たちが冒険者の皮を剥ぐと思っていたのか!?」

「あああああああああっっっっっ!」


 勘違いしちゃった!

 早合点しちゃった!!

 思い込みで大変な間違いを起こしちゃったよぉっ!!!


 僕は顔を真っ赤にしてうずくまり、変な声を発しながら悶絶もんぜつしてのたうち回った。






 結局、全ては僕の思い違いだった。

 皮剥ぎ猿種の獣人族は、獣の皮を剥いだり、なめしたりするのが生業なりわいの部族。

 フォルガンヌや獣人族たちは、貴重な獣を狩ったりした場合には、自分で皮を剥がずに皮剥ぎ猿種に依頼するらしい。

 ただ、獣人族は貨幣かへいで物の売り買いはしない。皮を剥いでもらったお礼は、物で支払う。だいたいの場合、新しく貴重な毛皮の代わりに古い毛皮を幾つか出して交換するのだとか。

 そうすると、自然と皮剥ぎ猿種の集落には物々交換で手に入った、ちょっと古いけど貴重な毛皮やなめし革の在庫が増えていく。

 肉食系じゃない部族は、そうした毛皮を食べ物などと交換する。

 そうやって、皮剥ぎ猿種の獣人族は生計を立てていた。


 あと、彼らは商人気質があるのか、言葉巧みに交渉されてフォルガンヌたちはいつも損をするのだとか。

 僕に「惑わされるな」と言ったのも、口八丁で言いくるめられて損をするような交渉はするな、という意味だったらしい。


 冒険者たちは、案内人から皮剥ぎ猿種のことを聞いた。そして、貴重な毛皮やなめし皮を持っていると知らされて、掘り出し物を探しに来たらしい。

 この騒動の元凶は、どうやら口が軽かった案内人みたい。

 そりゃあ、貴重な物があるかも、なんて言われたら冒険者の血が騒ぐよね。


 冒険者たちが裸に剥かれていたのは、皮剥ぎ猿種の獣人族たちの言葉巧みな交渉で装備品を奪われたからなのだとか。

 一角獣の毛皮に魅了されて交渉したら、交換してもらうどころか身ぐるみ一式剥がされて狼の毛皮五枚にしかならなかった。それで再度の交渉をしていたらしい。

 ちなみに、僕が命乞いと勘違いしたやり取りは、残りの武器も渡せば、もう少し上質な毛皮を渡す、という交渉の途中だったのだとか。


 頭を抱えながら悶絶する僕に、フォルガンヌは優しく教えてくれた。

 色々と聞いている間中、集落からは笑い声が響いていた。

 フォルガンヌも、ぐひっ、と時折笑いをこらえていた。


 あああ、僕はとても恥ずかしい。

 プリシアちゃんやニーミアを連れてこなくて良かったよ。これが家族の間に広まった日には……


「ひみつひみつ」

「うひいっ」


 アレスちゃんがにこにこ顔で、恥ずかしさに赤面する僕の顔を覗いてきた。

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