西へ 西へ

 カーリーさんは、無事に竜の森へと帰りつくことができた。

 空に投げ出されたり、爪に引っ掛けられた空の旅は貴重な体験になったんじゃないのかな。

 僕も経験したことがあるけど、あれは変えがたい経験だったよね。うん、そういうことにしておきましょう。


 そして、カーリーさんや僕たちから報告を受けた竜の森の耳長族の人たちは、東の地で起きた騒乱に驚き、同じ耳長族として心を痛めていた。

 連れてきたユンさんとリンさんへの風当たりが心配だったけど、そこは温厚な人たち。耳長族の禁忌のことを知っていた人も初耳だった人も含めて、みんなが受け入れてくれた。


 いわく。


「エルネアはともかく、ミストラルやルイセイネのもとで更生こうせいするというのなら、問題ないでしょう。頑張ってください」

「なぁに、エルネアたちと共に生活するというのなら、良いのではないか。いや、問題だらけで贖罪のしがいがある、と言った方がいいのか……」

「おやまあ、頑張りなさいねえ。エルネア君やプリシアのことで困ったことがあれば、いつでも相談してねえ」


 らしい。


 へんだよね。

 僕の評価がねじれちゃっていない?

 それはともかくとして、竜の森の耳長族に受け入れられたことは大きい。なにせ、僕たちはこれからも、竜の森と深く関わっていくことになるんだしね。


 報告を済ませると、長旅で顔の青いカーリーさんや耳長族の人たちに見送られて、僕たちはいよいよ苔の広場へと足を向けた。


 さて、スレイグスタ老はユンさんとリンさんに、どういう反応を示すんだろうね。

 そうそう、苔の広場にたどり着けない、なんて心配だけはなかった。ユンさんとリンさんは初顔だけど、僕の家族の一員だからね。きっとスレイグスタ老は思うところがあっても、迎え入れてくれるはずだ。


 そして予想通り、竜の森を彷徨さまよっていると、いつもの感覚に包まれて、僕たちはいつもの場所へとたどり着いた。


 だけど、そこでは思いもよらぬ者が待ち受けていたんだ!






「ごめんなさい」

「声が小さい」

「ご、ごめんなさいっ」

「本当に反省しているの?」

「はい……」


 僕たちが、スレイグスタ老に挨拶をする暇もなく。

 スレイグスタ老が、新参者に鼻水をぶち撒けて歓迎する隙もなく。


 な、なな、なんと!


 苔の広場に到着した早々に、ミストラルが正座をさせられた!!


「貴女がエルネア君の妻であり、多忙なことは理解しています。ですが、それとこれとは別ですよ。貴女は、おきなの世話役という重要な役目を引き継いだ身。それを放って、何日間も留守にするなんて」

「だ、だけどお母さん……」

「だけど、じゃありません! わたしが代役をしていたから良いものの、普通なら即刻役目を降りてもらうところです。それとも、なんですか。別の者に役目を継ぐの?」

「それは……っ!」


 冬でも青々とした苔の広場で待ち構えていた者。それはミストラルのお母さん、コーネリアさんだった。


「コーネリアさん、ごめんなさい。僕が連れ回すから」

「エルネア君は良いんです。それが貴方の生きる道なのですから。でも、この子は最近、たるんでいるの。しっかりと役目を自覚し、務めを果たしなさい」

「……はい」


 珍しく、ミストラルがしゅんと項垂れて、肩を小さくして反省していた。

 僕たちから見ると、いつも頼りになってしっかりとしているミストラルが、こうして怒られている姿は珍しい。

 さすがのミストラルも、母親を前にすると、まだまだ子供なんだね。


 とはいえ、ミストラルばかりが怒られているのも申し訳ない。基本的に、ミストラルは僕に付き添ってくれているだけで、お役目を軽んじたりないがしろにしているわけじゃないんだ。

 僕は自らミストラルの隣で正座をして、一緒に反省する。ルイセイネとライラも加わって、四人でコーネリアさんのお叱りを受けた。


 ユフィーリアとニーナ?

 あの二人は、苔の広場にコーネリアさんの姿を見つけると、素早く逃げて行きましたよ。

 ミストラルの村でも、双子王女様はよくコーネリアさんに叱られているからね。反射的に身体が反応したのでしょう。

 ちなみに、プリシアちゃんは両親のもとへと戻しました。きっと今頃は、プリシアちゃんもお母さんに怒られているかもね。


「……それで、今回はどんな冒険をしてきたのかしら?」


 半日、ごっとりと叱られた僕たち。

 ずっと正座をしてお叱りの言葉を受けていてわかったんだけどさ。コーネリアさんは、心底怒っているというわけじゃないんじゃないかな?

 久々に愛娘まなむすめの姿を見て、溢れる愛情が裏返しになっただけかも?

 怒られているミストラルは反省しっぱなしだったけど、隣で見ていると、そんな印象を受けた。


 そして一通りのお叱りが終わると、コーネリアさんは話題を僕たちに向けてくれた。


「はい。今回は、遠い東の土地で、大変でした」

「ふふふ。今年も冒険三昧ぼうけんざんまいかしら? でも、危険だけは駄目ですよ?」

「はい、ミストラルや妻たちが危ない目に合わないように、注意します!」


 いや、いつも危ない目に合わせちゃっているんだけどね。そのへんは僕も反省です。

 というか、今年はのんびりと過ごしたい。

 冒険は大好きだけど、たまにはゆっくりとした日々を送りたいよね。


 僕たちは正座をしたまま、東の大森林の様子やユンさんとリンさんの紹介をする。

 コーネリアさんには逆らってはいけない、とでも捉えちゃったのかな?

 二人を紹介する際に顕現してもらったら、僕たちと並んで正座の状態で顕れた。これにはコーネリアさんも笑ってしまい、怖くないですよ、なんて言っていた。


 コーネリアさんは、竜峰の近況やユンさんとリンさんたちと軽く会話を交わしたあとは、村へと帰っていった。

 今夜はミストラルの村にお泊まりさせてもらう予定なので、先に帰って歓迎の準備をしてくれるらしい。

 どうやら、今夜も賑やかになりそうだね。


「……汝らは楽しそうでなによりだ。しかし、誰かを忘れてはおらぬか」

「……はっ! ユフィとニーナはどこに行っちゃったんだ!?」

「ぶえっっっくしょいっ!!」

「「「きゃぁぁぁっっ!」」」


 苔の広場の中心で小山のように泰然たいぜんと佇んでいた黒い影が、痺れを切らせて動いた。

 大量の鼻水と爆風が容赦なく、正座を続ける僕たちに襲いかかる。

 だけど、その手にはかからないよっ!

 僕は空間跳躍を素早く発動させて回避した。

 ルイセイネとライラも予見していたのか、スレイグスタ老のいつもの攻撃を難なく避ける。


 あれ?

 乙女の悲鳴が三人?


 不意を突かれたユンさんとリンさんは、期待通りに鼻水の濁流だくりゅうに飲まれて、古木の森の手前まで流されていた。

 全身どろどろの状態でなんとか鼻水から抜け出すと、目を白黒させて混乱している。

 だけど、もうひとり。

 悲鳴をあげて鼻水に飲み込まれた乙女の姿が見えない。


 というか、まさかミストラルがスレイグスタ老の餌食えじきに掛かった!?


 はわわっ。これからたいへんなことに……! と思ったんだけど。


 ユンさんとリンさんを除く全員が身構えるなか、しかしミストラルは怒気もなく鼻水のなかから這い出てきた。


 元気がない。


 どうやら、コーネリアさんに叱られたことが相当にこたえているらしい。

 叱咤しったの矛先が直接こちらに向いていなかったからこそ、説教のなかにもコーネリアさんの愛情を感じていた僕たちだけど、ミストラルは真剣に受け止めていたんだね。


「エルネア君。ユンさんとリンさんのことはわたくしたちにお任せください。エルネア君は、ミストさんをお願いしますね」

「うん、わかったよ」


 これから起こり得ることに指先をもぞもぞとさせていたスレイグスタ老も、ミストラルの意気消沈した姿に困った表情をしていた。それで、ルイセイネの配慮もあって、僕はミストラルに駆け寄る。


「ミストラル、ちょっとお散歩に行こうか」

「え、ええ……」


 僕はミストラルの腰に手を回すと、彼女を支えながら古木の森へと足を踏み入れた。


 竜峰の麓にある竜の森。その深部の古木の森を抜けると、当たり前の冬の景色が広がっていた。

 雪こそ積もっていないけど、枯葉が何重にも降り積もって、ふわふわと柔らかい感触が足に伝わってくる。

 冷たい風が木々の隙間をって吹き抜ける。

 葉っぱを落とした木々が枝を揺らし、落ち葉が舞う。


「寒いね」


 言って僕は、ミストラルの身体を引き寄せた。


「ミストラル、元気出してね。連れまわしちゃった僕が悪いのであって、ミストラルは悪くないよ?」

「エルネア」


 ミストラルは僕の肩に頭を預けて、少しだけ元気の戻った笑みを浮かべる。


 ミストラルと出会って、もうすぐ三年になるね。

 相変わらず、僕の身長はミストラルよりも低い。

 だけど、外見的なことなんて今はそれほど気にしてはいない。それよりも、中身だよね。

 こうして落ち込んだり困っているときに頼りになる男に、僕はなれただろうか。


「ねえねえ、ミストラル。ほら、見てよ。可愛いきのこが生えてるよ。これ、食べられるかなぁ? あっ、木の実が落ちてる。ねえ、これでお菓子を作ってほしいな?」


 冬の森を、ミストラルと二人っきりでてもなく散歩する。

 ミストラルは僕に身体を預けたまま、あっちにふらり、こっちにふらりと歩く僕に合わせてついてきた。


「……ふふ。ふふふ。エルネア、それは毒きのこよ。食べたら、三日は笑い続けることになるわね。そっちの木の実は貴重だけれど、それは森の動物たちに残しておきましょう」


 すると、少しずつ元気を取り戻したミストラルから反応が返ってき出した。


「ありがとう、エルネア。心配をかけてしまったわね」

「うん。普段は見られないミストラルの姿に、おじいちゃんも動揺していたよ」

「あら、その表情を見逃してしまったわ。……というか、翁には帰ったら仕返ししなきゃ」

「ほ、ほどほどにね」


 僕は、近くにあった倒木へとミストラルを誘う。そして、二人並んで腰掛けた。


「そういえば、ミストラルに告白したときもこんな場所だったね?」

「ふふ、そうね。あの頃のエルネアは、まだ初々ういういしかったわ」

「いま思い出しても、恥ずかしいっ」


 まだミストラルと出会って間もない頃。僕はこんな倒木の上に立って、恥ずかしい宣言をしちゃったんだ。

 でも、もうそうした恥ずかしさはない。

 こうしてミストラルの腰に手を回して、肩を寄せ合いながら座っていても、緊張なんてしないよ。


「ねえねえ、ミストラル」

「なにかしら?」

「これから禁領に住んだりするわけだけどさ。お役目は僕たちもお手伝いするから、一緒に頑張ろうね」

「ありがとう。翁のお世話は大切な役目だから、わたしもしっかりと責任を持って務めるわ。だから、これからも協力してね」

「うん、任せて! あっ、でもやっぱり、報酬が欲しいな?」

「あら、強欲さん。なにがお望みかしら?」


 ふふふ、とミストラルが僕を見て微笑ほほえむ。

 僕も、ミストラルを見て笑みを浮かべた。

 きっと、考えていることは同じだ。


「ミストラル」

「エルネア……」

「はい、そこまでだわ!」

「はい、終了だわ!」

「うわっ」


 残念ながら、僕とミストラルの唇は触れ合えなかった。


 なんだろう。もう、常習化してませんか。こういう雰囲気になったときに妨害が入るのが!


 僕とミストラルに割って入ってきたのは、行方ゆくえくらませていたユフィーリアとニーナだった。

 二人は、ずかずかと枯葉を踏みしめながらやってくると、僕とミストラルと同じように倒木に腰を下ろす。


「やってくれたわね、二人とも。あとで覚えていなさいよ?」

「覚えているわ。ミストラルがコーネリアさんに怒られてしょんぼりしていたことを」

「覚えているわ。ミストラルが鼻水まみれになっても元気がなかったことを」

「あっ、一部始終を見ていたんだね!?」


 やれやれ。困った双子です。

 とはいえ、こうなるともう良い雰囲気は台無しです。

 僕とミストラルは顔を見合わせて苦笑する。


「それじゃあ、帰りましょうか」

「そうだね」

「次は、私たちの番だわ」

「次は、私たちが良いわ」

「そのときは、わたしが妨害しようかしらね」

「ははは。頑張ってね」


 ミストラルの恨みの視線に、ユフィーリアとニーナは困った顔で僕に泣きついてくる。

 僕は三人をなだめながら、苔の広場へと戻った。

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