守り人

「さてはお前たち、悪い奴らだな! またおやしろを壊しに来ただか!」


 女性はそう一方的に言うと、薙刀を構えて突撃してきた。

 シャルロットに!


 うむ。誰が邪悪かしっかりと認識しているんですね。

 なんて感心している場合じゃありません!


「ちょっ、ちょっと待って!」


 慌てて止めに入ろうとする僕に見向きもせず、女性はシャルロットに突っ込む。


「おほほほっ」


 シャルロットは、血気盛んな女性を満面の笑みで迎え撃つ。


 ああっ、危ない!

 女性が!


 だけど、僕の予想を裏切り、シャルロットは手にしたむちを振るうことはなかった。

 優雅な跳躍で女性の突進を回避したシャルロットは、そのままレヴァリアの背中に着地する。

 レヴァリアが不満そうに鼻を鳴らした。


卑怯ひきょうだべ! 降りてきて、正々堂々と勝負しろっ」


 女性は、レヴァリアの背中の上のシャルロットを睨みつけた。


「ね、ねえ、君。ちょっと待って」


 そこへ、僕が駆け寄る。

 すると女性は、今まで眼中にはなかったとばかりに僕へと振り返る。


「怪我したくなかったら、餓鬼がきんちょは引っ込んでな。これは大人と大人の勝負だべ!」


 しくしく。

 そりゃあ、僕は十五歳前後で見た目の成長は止まっているけどさ。

 でも、妻もいるし、僕は立派な大人です!


 それに、女性が挑もうとしている相手が悪い。

 薙刀のきっさきを向けているのは、邪悪な邪悪な魔族の宰相さいしょうなんですよ!

 初手はなんの気まぐれか回避行動に出たけど、二撃目もシャルロットが見逃してくれるなんて保証はどこにもない。


 レヴァリアは人同士の争いだと無関心な反応だけど、魔族が自分に向けられる敵意を受け流すなんて考えられないからね。


 というかさ。

 この女性、竜族のレヴァリアを恐れないんだね。

 僕をたしなめた女性は、またよどみなくシャルロットと対峙する。そして、シャルロットが踏み台にしている足もとのレヴァリアに臆した様子は欠片かけらもない。


「さあ、今度こそは逃がさねえだ。覚悟しろっ」

「ま、待って!」


 女性は、今にもシャルロットに向かって突撃しそうだ。僕はもう一度、女性を引き止めた。


「なんか誤解しているけど、僕たちは怪しい者じゃないよ?」

「なにを言うべ。あたいは知ってるんだよ。前にお社様を壊したのは巨大な竜とそれに跨る男だってな。みんなが言っていたんだべ!」

「いやいや、それって変だよね? 確かにレヴァリアは大きな飛竜だけどさ。その背中に乗っているのは女性だよ?」

「はっ!」


 言われてみれば、と驚く女性。

 そして、薙刀の鋒をシャルロットから僕に向け直した。


 うむむ。嫌な予感しかしませんよ?


「さては……!」

「はい。ちょっと待ったーっ!」


 だけど、僕が制止するよりも先に、女性は飛びかかってきた。

 容赦なく、薙刀を振り回す女性。

 僕は慌てて、後退あとじさる。


「覚悟するべっ」

「濡れ衣で覚悟なんてできませんっ」


 身が軽いのか、後退する僕に遅れることなく突進して薙刀を振るう女性。

 仕方なく、僕は空間跳躍で逃げる。女性の目をくらまそうと、死角へと飛ぶ。

 女性は、突然僕が目の前から消えて驚く。だけど、すぐに死角へ回った僕へと向き直った。


「奇妙な術を使うだべな? だが、あたいから逃げようったって、そうはいかないべよ!」


 反応が良い、という感じじゃない。

 これは……


 僕は、改めて突撃してきた女性から逃げるように、また空間跳躍を発動させた。

 狙い定めていたはずの僕が視界から消えて、女性は足を止める。だけど、直後には空間跳躍で飛んだ僕の位置を正確に突き止めて、向き直る。


「ええい、餓鬼んちょと思っていたが、お前が黒幕かっ」

「いやいや、人違いだからねっ」


 女性が誰と僕を勘違いしているのかはわかる。

 おそらく、前にこの九尾廟を訪れたのはバルトノワールだ。

 あの、双頭そうとうの竜族とここに来て、社に奉納ほうのうされていた鏡を割ったんだね。


 でも、女性は僕の言い分を聞かずに、突撃してくる。


「大人しく、この刃のさびになるだべっ」

「お断りっ」


 僕を斬る気満々の女性の一撃を回避して、またもや空間跳躍を使う僕。そして、一瞬遅れて反応する女性。


 やはり……!


「林や鳥たちの声が聞こえるんですね?」


 僕の断言に、女性は地面を蹴ろうとしていた足をぐっとこらえて、いぶかしげな視線を向けてきた。


「僕も、自然の声を聞けるんです。貴女は、僕の位置を周りの声から教えてもらってます」

「そんな、まさか……?」


 女性は、注意深く僕を見ている。

 でもそのおかげで、やたらめったらな攻撃が止んで、こちらの言葉に耳を傾けてくれそうな雰囲気ふんいきになる。


「ねえ、話を聞いて。僕たちはここの調査に来ただけだよ。僕たちも、悪い者たちにここが襲われたって聞いてきたんだ」

「だけんども……」


 女性は、僕とレヴァリアを交互に睨む。ついでに、シャルロットも。


「ほ、ほら。周りの声が聞こえるなら耳を傾けて。前にここを壊した者たちと僕たちは別人だよ」


 心をませると、周りの林やその枝に停まる鳥たちの話し声がせわしなく聞こえてくる。


『もっとおじさんだったわ』

『もっとむさ苦しかったわ』

『男の子は、こんなに可愛くなかったね』

『竜は頭が二つだったよ』

『女はいなかったぞ』

『でも、そこの女は魔族よ』


 そうそう。周りの自然は、僕たちが前回の襲撃者ではないと証言してくれています。

 僕たちは悪い人では……。

 では?


 ええっと、そこの青い鳥さん。最後に、余計なことを言いませんでしたか?


 真剣な表情で万物ばんぶつの声に耳を傾けていた女性は、次々とあがる僕たちを無罪とする証言に薙刀の矛先ほこさきを下ろし始めていた。

 だけど、最後の言葉で、また気迫のこもった薙刀を構え直した。

 シャルロットに向かって!


「あんたは、どうやら自然に好かれているようだべ。だが、魔族は見過ごせねえだ!」


 どんなに辺鄙へんぴな土地だろうと、魔族の邪悪さは伝わっている。

 女性はこれまで以上に険しい視線で、未だにレヴァリアの背中の上に立つシャルロットを睨んだ。


「エルネア君?」


 おほほ、とこの状況を楽しんでいるかのように笑いながら、シャルロットは優しく僕を見た。


 あ、これは危険だ。

 僕がどうにかしなきゃ、自分が手を出しますよ、とシャルロットは言いたいんだよね。

 シャルロットがその気になれば、悲惨な状況になっちゃう。


 僕は仕方なく、動く。


 シャルロットへと意識を向けていた女性へ近づく。

 女性は僕の動きに気づき、咄嗟とっさに身をかわそうとした。


「あわわっ」

「!」


 女性が突然動くものだから、捕まえようとしていた僕の手元が狂う。

 そして、前で折り重なるように着込んだ女性の服のなかへと僕の手が!


 てのひらに収まるくらいの、丁度良い大きさ。ぷりん、としていて、暖かく……


「ふふふ。エルネア君は大胆なのですね?」

「ち、違うよっ。これは、不可抗力だよっ」


 むにむに、と掌に包まれた感触を確認しながら、僕はシャルロットの言葉を否定する。


 そう。僕は悪くありません。

 女性が不意に動いちゃったから、腕を掴もうとしていた手が滑ったんだよ?

 本当だよ?


 これは誤解です、と言い訳をするように女性を見た。

 女性は、顔を真っ赤にして固まっていた。


「うむむ。千載一遇せんざいいちぐうの機会だ。アレスちゃん、かくほーっ」

「かくほかくほ」


 顕現してきたアレスちゃんは、木の幹に絡まっていたつたに命じて女性を縛る。

 僕と一緒に。


「アレスちゃん、なんで僕まで巻き込んだのかな?」

「きのせいきのせい」

「いやいや、絶対に気のせいじゃないよねっ」


 僕の叫びは、日暮れ前の空に悲しく響いた。






「ここが、あたいたちの住んでいる場所だべ」

「随分と歩いたね」


 夜。

 僕たちは、女性が住居に利用しているという洞窟どうくつへと場所を移していた。

 すると、女性の帰りを心配していたのか、背の高い優男やさおとこが洞窟を抜け出して駆け寄ってきた。


「姉様、この人たちは?」

「客人だべ。爺様にも伝えて」


 女性に言われて、優男さんはまた走って洞窟の奥へと入っていく。

 どうやら、洞窟の奥にみんなで住んでいるみたいだね。

 僕は、真っ暗な背後の林を振り返って、やっと休めると息を漏らす。


 もう、大変だったよ。

 あのあと、正気に戻った女性が僕を魔族以上の邪悪なものとして見るんだもの。

 誤解を解くのにたっぷり時間がかかったせいで、こうして陽も暮れちゃった。


 でも、時間をかけたおかげか、女性の素敵なお胸様を揉んでしまったことは事故として納得してもらえた。そして、バルトノワールと僕たちは別人だとも理解してもらえた。

 それで、もう夜だということで、女性の案内でこの洞窟へとやって来たんだ。


 九尾廟から洞窟までは、歩いてそこそこの距離があった。

 僕たちは女性に案内されて、洞窟のなかへと入っていく。

 洞窟のなかは意外と広く、数世帯が問題なく暮らせそう。でも、洞窟のなかにも外にも、村や集落はない。

 そして、住んでいるのは、この女性の一家だけだった。


「爺様、この人たちは遠くからやって来た旅人らしいだ」

「ほうほう、こんなところへ、よう来なさったべ」

「姉ちゃん、いもを持ってきたよ」

「ありがとうな」


 洞窟の奥で、獣の皮を何重にも敷いた寝台に横になっているのは、女性の祖父。そして、来客である僕たちのために貴重な食糧を運んできたのが弟らしい。

 他に暮らしている人は、と聞くと、両親はどこか遠くへ出稼ぎに出ていて、他は誰もいないと言われた。


「僕も干し肉を持っているから、お鍋に混ぜようか」

「うわぁ、肉だ。久々だべ!」


 僕が荷物から取り出した干し肉に、優男さんが目を輝かせる。気のせいか、女性も喜んでいるように見えた。


「おいもおいも」


 そして、アレスちゃんは干し芋をはぐはぐと噛んで喜んでいる。


「これが、精霊だべか……」


 女性は、まじまじとアレスちゃんを見た。


 僕たちがこうして女性の住んでいる洞窟まで案内されて丁重にもてなされているのは、実はアレスちゃんのおかげだ。


 九尾廟の前で必死に身の潔白けっぱくを証明している最中に、林の木々が女性にささやいたんだ。

 アレスちゃんがとうとい精霊で、この精霊にかれている者は悪い人じゃないって。

 それで、先ずは僕が許された。そして、僕の同行者としてシャルロットも認められた感じ。


 僕とシャルロットは、それでこうして洞窟に案内されたわけだ。

 ちなみに、レヴァリアは九尾廟の前で寝るらしい。


「ええっと、僕はエルネア。こっちは……。魔族は名前を言わないほうがいいよね?」


 なぜだろうね。上位の魔族は、他者から気安く名前を呼ばれることを嫌う。なので、シャルロットの名前は控えておきましょう。

 僕の判断に、シャルロットはよくできました、と微笑む。

 女性たちも魔族の習慣を知っているのか、執拗しつように名前を聞こうとはしない。

 というか、シャルロットが魔族なのだと知って、優男さんとお爺ちゃんは思いっきり驚いていた。


 まあ、僕のいの悪い魔族じゃないよ、と適当に説明したのを信じてもらえたので、大ごとにはならなかったけどね。

 良くも悪くも、辺鄙な場所に住んでいるせいか心が純粋じゅんすいで、真面目に話すと素直に相手を信じる人たちのようだ。


「あたいは、ルビア。弟がウィゼル。爺様がオードル。それで、具体的にはどんな調査をしに来たんだべ?」


 干し芋や干し肉以外にも、くず野菜やなにやらを一緒くたに煮込んだお鍋を混ぜながら、女性、ルビアさんは聞いてくる。


「ええっとね、割れた鏡とか、お社様がどういう状況になっているかとかをね?」


 どうやら、貧しい生活を送っているみたいだ。

 林に囲まれているので、木の実や野菜なんかはある程度取れるみたい。だけど、お肉などは本当に貴重なものみたいだね。

 優男で弟のウィゼルさんがよだれを垂らしそうな勢いで鍋を見ているよ。


 そういえば、ずっと昔に九尾廟で奉仕をしていたオズも言っていたっけ。

 九尾廟の周りには、獣がほとんどいないんだよね。

 鳥はたくさんいたように思えるけどさ。


 僕は、ごった煮を作るルビアさんを改めて見る。

 歳の頃は、二十代半ばくらいかな?

 少しくすんだ茶髪は長く、背中でまとめている。容姿も整っているし、身体はすらりと綺麗で、きっと人の多い場所に行けば人気者になれるだろうな、と確信できた。

 でも、ルビアさんの特徴は、その身に纏った巫女装束と洞窟の壁に立てかけてある薙刀だ。


 来る途中に聞いた話では、母親のお下がりらしい。

 でも、本人は巫女という自覚はなく、法術は使えないし、洗礼も受けたことはないんだって。

 これには、シャルロットも珍しいと頷いていた。


 次に、弟のウィゼルさんを見る。

 ううむ、ねたましい。

 歳の頃は二十歳前後かな。高身長で、超が付くほどの優男だ。

 三人だけで暮らしているせいか、垢抜けていないというよりも芋っぽい性格をしている。だけど、この見た目からは想像できないような、田舎っぽい素朴そぼくな性格が余計にウィゼルさんの魅力を引き立てていて、この人も街に出ればたちまち人気者になるだろうね、とは男の僕にでもわかる。


 寝たきりのお爺ちゃんも、白い髭の奥は整っているし、一家全員が素晴らしい容貌ようぼうなんだろうね。


「な、なにかあたいの顔についているだべ?」

「あっ、ごめんなさい。違うんです。こんなところに人が住んでいるなんて、と思っちゃって。聞いていた話では、あのお社様は秘匿ひとくされた場所にあるってことだったので」


 まあ、オズも九尾廟にお供え物があったと言っていたし、昔から誰かは住んでいたんだろうね。

 僕の思考を肯定こうていするように、ルビアさんが頷く。


「んだ。あたいらは先祖代々、お社様を守ってきただ」


 そして、僕から距離を取ろうとするルビアさん。

 あれ?

 もしかして、僕って警戒されてる?

 そりゃあ、不慮ふりょの事故でお胸様をいっぱい揉んでしまったけどさ。僕は善人ですよ?


「あくまあくま」

「こらこら。それはプリシアちゃんとアレスちゃんだよね?」


 僕の膝の上で、干し芋をはむはむしながら見上げてくるアレスちゃんに、がっくりと肩を落とした。

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