どうか、安息をください

 帰ったらミストラルに怒られるんだろうなぁ、なんて思いながら実家に戻ると、僕の予想に反してミストラルは不在だった。


「ただいまー」


 レヴァリアの背中から降りると、素早く荷解きをする。といっても、アレスちゃんの謎の空間からぽこぽこと荷物を出してもらうだけなんだけどね。

 中庭で僕たちの帰りを出迎えてくれた使用人さんたちは、芝生の上に置かれた荷物を手早く回収していく。


 帰りは、みんなでレヴァリアのお世話になった。もちろん、ニーミアもね。

 ヨルテニトス王国までの往復、そして九尾廟への遠征を頑張ってくれたレヴァリアは、実家の中庭に舞い降りると、疲れたように翼をたたむ。


『貴様に付き合うと、無駄に疲れる』

「ええっ、疲れる原因は長距離飛行じゃなくて僕が原因なの!?」


 筆頭使用人のカレンさんも、母親連合の一員ということでヨルテニトス王国に滞在中。

 それで、居残りの使用人さんが牛のもも肉をレヴァリアに運んでくる。

 人が食用にするために切り分けたものではなく、実家へ遊びに来る竜族たちに振る舞うため用の、後ろ足そのままって感じの巨大なお肉だ。

 レヴァリアは、運ばれてきたもも肉にがぶりと噛みついて、美味しそうに咀嚼そしゃくする。


 僕たちは、お土産を使用人さんたちに配りながら、レヴァリアのそんな様子を見つめた。


 出会った頃のレヴァリアなら、人が近づくだけで威嚇をしたり、下手をすると問答無用で襲っていただろうね。

 それなのに、今では使用人さんが近づいても襲わないし、人が準備をしたお肉を不満もなく口にする。


 いい意味で、人に慣れたんだね。


「エルネア君、戻りが遅いわっ」

「エルネア君、帰りが遅いわっ」

「ユフィ、ニーナ。ただいま」


 ユフィーリアとニーナは、お出かけしていたみたい。

 だけど、空にレヴァリアの姿を見つけて、急いで帰ってきたのかな。

 挨拶するなり僕に抱きついてくる双子王女様。僕も、二人を優しく抱擁する。


 僕たちの家族は、抱き合って挨拶するのが普通になっちゃっているね。なんて思ったけど、どうやらそれは過大な分析だったらしい。

 ルイセイネが早速二人を引き剥がしにかかり、相変わらずの賑やかさを見せる。


「まあまあ、ルイセイネさん。ユフィとニーナはお留守番をしてくれていたんだし、これくらいはね?」

「エルネア君。抱きつかれて喜んでいるのはご自身ですよね?」

「き、気のせいだよ。それよりも……。ねえ、ミストラルはどうしたの?」


 現在は、お昼過ぎ。

 朝だったらお役目に出ているんだろうな、と思うんだけどね。この時間にミストラルが不在なのは珍しい。

 ちなみに、プリシアちゃんの気配もない。きっと、耳長族の村で過ごしているんだろうね。

 ということは、もしかしてプリシアちゃんと一緒にミストラルも耳長族の村にいるのかな。そう思ったけど、違った。


「ミストは、愛想を尽かせて竜峰へ帰ったわ」

「ミストは、機嫌を損ねて竜峰に帰ったわ」

「いやいや、そんなわけないよね?」


 まったくもう。隙あらば悪だくみを考えるユフィーリアとニーナに「本当のことを言わないとお仕置きだよ?」と、抱きしめた脇腹をくすぐる。

 くすぐったさに、二人は身をよじって笑う。


「ほらほら、早く言わないと、僕の手は止まらないよ!」


 こちょこちょ、とユフィーリアとニーナをくすぐる僕。

 ニーミアも参戦してきた。

 ニーミアは、ユフィーリアとニーナの顔の前を飛んで、ふわふわの長い尻尾で二人の鼻をくすぐる。


「「はっくしょん」」


 まったく同時にくしゃみをする二人。

 でも、なかなか口を割らない。というか、この状況を楽しんでいる!?


「ユフィ姉様。エルネア君にお尻を触られたわ」

「ニーナ、エルネア君が私の胸を堪能たんのうしているわ」

「いやいや、それは誤解だからねっ」


 ルイセイネだけじゃ、この二人の暴走は止められない。やっぱり、ミストラルがいなきゃね。

 そして、そのためにも、ミストラルの所在を聞き出さなきゃいけない。

 二人の話から、ミストラルは何らかの理由で竜峰に戻っているのかな、と推測はできるんだけど。


「二人とも。そろそろ本当のことを教えて?」

「エルネア君が、私たちを置いてけぼりにしたつぐないをいっぱいしてくれるのなら考えるわ」

「エルネア君が、私たちを連れて行ってくれなかったおびをいっぱいしてくれるのなら教えるわ」

「もちろんだよ!」


 僕が胸を張って宣言すると、ユフィーリアとニーナはようやく抱擁ほうようから離れた。

 背後で、ルイセイネがやれやれ、とため息を吐いていたのは気のせいです。


「それで、ミストラルはどうしたの?」


 使用人さんがれてくれたお茶でひと息つきながら、僕たちが不在だった間の状況を聞く。


「ミストは、竜王会議に出席するために竜峰へ行ったわ」

「ミストは、アイリーのつかいが来て急いで竜峰へ行ったわ」

「むむむ、どういうことかな? アイリーさんの遣い? 竜王会議の話は聞いていなかったから、緊急召集だよね?」


 僕も竜王のひとりとして、定期的に竜王が集って竜峰各地の状況を話し合う会議には参加している。でも、この時期に竜王会議があるよ、という話は聞いていない。

 ということは、ユフィーリアが口にしたアイリーさんの遣いが要因となって、緊急召集がかかったんだ。

 僕はヨルテニトス王国へと行っていたから招ばれなかったんだね。


 ユフィーリアとニーナに話の続きをうながすと、竜峰で起きている事件の概要が見えてきた。


 アイリーさんの遣いとは、りゅう墓所ぼしょと呼ばれる竜峰北部地域で余生を過ごしていた老飛竜だった。


 老飛竜は、竜の墓所からここへ飛んできて、ミストラルに告げたという。


『愚かなる竜人族が、我らの安息を乱している。りゅう祭壇さいだんに住む者も、現状をうれいている』


 老飛竜は、怒っていたという。

 竜の墓所には、年老いた竜族が最後の安息を求めて竜峰各地から集まってくる。

 静かに、安らかに、最期を迎えるためだ。

 そこに、騒ぎを持ち込んだ竜人族がいるらしい。


 竜の墓所の浅い場所で、老竜が竜人族に殺される事件が何件か起きている、と老飛竜は語った。

 しかも、正々堂々の襲撃などではなく、寝込みを襲ったり、命が尽きかけていた者を襲ったりと、随分と卑怯ひきょうな手を使うのだとか。


 数件、無残に老竜が殺される事件が連続して起き、竜の墓所に暮らす老竜たちはアイリーさんへ苦情を出した。

 そこでアイリーさんが調査に乗り出したらしいんだけど、犯人が捕まらない。

 それで、僕たちに話が来たんだ。


「竜人族か……」


 ふと、頭にオルタのことが過ぎる。

 だけど、これはオルタの起こした事件じゃない。

 オルタも竜族に大きな被害と騒動を及ぼしたけど、彼はもう……


「竜の墓所の安息を乱す者は、僕たちも見過ごすわけにはいかないよね」


 老飛竜がもたらした情報以上のことは、竜王会議に顔を出さないとわからない。

 それじゃあ僕たちも竜峰へ、と息巻いたんだけど……


 ちらり、とレヴァリアを見る。

 だけど、食事を終えたレヴァリアは休息するように丸まって瞳を閉じていた。

 ライラが優しく身体を拭いてあげているから、寝てはいないと思うんだけどね。


「にゃんが頑張るにゃん?」

「ニーミア、お願いできるかな?」

「おまかせにゃん」


 帰りは小さくなって、ずっと誰かの頭の上で寛いでいたニーミアは、元気いっぱいだ。

 よし、それなら早速出発しよう!


 気合を入れていると、少しも落ち着かない僕たちを見て、使用人さんや中庭に遊びに来ていた竜族たちがあきれたようにため息を吐く。

 そして、ひとりの使用人さんが疑問を口にした。


「竜王会議というものは、どちらで開かれているのです?」

「ええっとね、竜峰の……どこだろうね?」


 言われてみると、正確な開催場所を知らない。

 竜王会議は、だいたい決まった村で行われるけど、必ずではない。しかも、定例の竜王会議なら次回の場所と時期は事前に伝わっているけど、今回のような緊急召集だと、ミストラルの段取り次第になっちゃう。


 きっと、空を飛べる竜人族が多くいて、すぐに竜峰各地へ伝令を飛ばせる村を拠点にしているんだろうけどさ。その拠点の村がどこかわからないよね。


「もしかして、闇雲やみくもに出発しちゃうと、ミストラルと行き違いになる可能性があるかな?」


 確認するように僕が言うと、妻の全員から頷かれた。


「ここは、ミストさんにお任せしていた方がいいと思いますよ。わたくしたちが出張らなければいけない状況でしたら、ミストさんが近いうちに戻ってくると思いますし」

「そうだね。なら、僕たちはいつでも出発できるように、準備だけは進めておこうね」


 ということで、竜王会議はミストラルに任せて、僕たちは僕たちにできることをやって、待ちましょう。






 アームアード王国に帰ってきた翌日の早朝。

 僕はひとりで、スレイグスタ老と霊樹の精霊さんへ挨拶をするために竜の森へと入った。


 出発前に起きた森の騒動も、今では沈静化している。

 竜の森の手前に広がっていた田畑を侵食していた木々は、木こりさんたちによって伐採が進んでいた。


 竜の森の浅い場所では、林業を生業なりわいとする人たちの気配が強い。

 僕はそんな人々の活気ある気配から離れるように、森の奥へと進む。


 獣道を進んでいると、いつの間にか背後に大狼魔獣おおおおかみまじゅうが!


「もう、びっくりさせないでよね?」

『お帰り』

「ただいま!」


 ニーミアのようなふわふわの体毛とは違う、獣独特のごわごわとした触り心地の大狼魔獣の体毛。僕はすり寄ってきた大狼魔獣を撫でながら、挨拶を交わす。


『今日はプリシアと遊ぶ』

「大変だろうけど、お願いします!」

『面白いからいいの』


 なんて会話をしていると、次から次に魔獣が現れる。


 もう、魔獣たちも竜の森の住民だよね。

 スレイグスタ老は、竜の森にさえ危害が及ばなければ、ずいぶんと寛容だ。

 竜の森に住み着いた魔獣たちは、スレイグスタ老の庇護ひごのもとで平和に暮らしているみたい。


 でも、竜峰では年老いた竜族たちが何者かに殺されているんだよね。

 いったい、誰の仕業だろう?

 僕の知り合いには、そんな極悪なことをするような者はいない。


 竜人族の戦士のなかには、自らの力を証明するために、竜族へ挑む者がいるのは確かだ。

 だけど、卑怯な勝負なんてものはしない。

 勝つにしろ、負けるにしろ、挑むのなら正々堂々とだ。


 きっと、竜王会議は白熱しているに違いない。

 卑怯な者は、種族のはじさらし。良識を持つ竜人族は、犯人探しに動くだろうね。


 僕たちも、ミストラルからなるべく早く情報をもらって、行動に移りたい。

 早朝に苔の広場へ行けば、もしかするとお役目中のミストラルに会えるかも、という狙いもあって、僕はこうして来ているわけです。


 だけど、魔獣たちとたわむれていると、いつまでたっても苔の広場へはたどり着けない。

 魔獣たちもそれは熟知しているので、僕と触れ合ったあとはプリシアちゃんと遊ぶために去っていった。


 そして、魔獣たちと別れてしばらく、またひとりで森の奥を彷徨さまよっていると、ぱっと視界が開けた。


「おじいちゃん、おはようございます」


 落ち着きのある深い古木の森の先。年中青々としている苔の広場の中央に、小山のように存在するスレイグスタ老。僕は元気よく挨拶をする。

 スレイグスタ老は、閉じていた瞳を開けると、黄金色の瞳で僕を見下ろした。


「ふむ、ミストラルの予想よりも早い戻りであったな」

「ミストラルは、僕がまた向こうで騒ぎを起こすと予想していたのかな!?」

「間違いではなかろう?」

「ぐぬぬ」


 スレイグスタ老は、僕が頭に思い浮かべた出来事を読み取って、くつくつと笑う。

 報告する前に、シャルロットとのことが伝わっちゃった。


「そ、それで、おじいちゃん。ミストラルは来てないかな?」


 普段であれば、この時間ならミストラルは苔の広場にいるはずなんだけど。気配を探ってみても、スレイグスタ老の計り知れない存在しか感知できない。

 僕の質問に、スレイグスタ老は巨大な顔を持ち上げて、西の空を見た。


「愚かな竜人族が騒ぎを起こしておると言っていたな。昨日は来たが、今日はまだ来ておらぬ」

「そうなんですね」


 この時間に来ていないということは、今日はもう来ないのかな?

 会えないのは残念だけど、せっかく苔の広場に来たんだし。よし、僕がスレイグスタ老のお世話をしちゃおう!


 気合を入れて、白剣と霊樹の木刀を抜く僕。


「汝はなにをしようというのだ?」

「もちろん、おじいちゃんのお世話だよ!」


 いぶかしげに僕を見下ろすスレイグスタ老の前で、僕は竜剣舞を舞い始める。

 手足の先、剣先にまで意識を集中し、丁寧に舞う。

 竜脈から力を汲み取ると、優しく周囲へ振り撒いていく。そして十分に竜気が拡散すると、ゆっくり渦を巻きながら天へと昇華させていく。


 スレイグスタ老は、静かに僕の舞を見つめていた。


 渦巻く竜気は、天井のように広がる霊樹の巨木を越えて、空へ。

 上空の竜気の流れが、竜峰の頂きにかかる雲を呼び寄せた。

 雲と竜気の渦が空で混じり合うと、はらはらと雨粒になって地上へと戻る。


 生命力溢れる恵みの雨は、霊樹の巨木だけでなく竜の森に広く降り注ぎ、植物や動物たちが嬉しそうに歌う気配が伝わってくる。


 雨粒は、霊樹の枝葉を下へ下へとしずくとなって伝い、スレイグスタ老と苔の広場の上に落ちた。


 僕が竜剣舞を舞い終わる頃には、眼に映るもの全てが水玉をまとい、きらきらとまぶしく輝いていた。


「さあ、今度は濡れたおじいちゃんを綺麗に拭きあげますよ!」


 白剣と霊樹の木刀をしまうと、腕まくりをして気合を入れる。

 だけど、そんな僕の視界に、ずぶ濡れになったミストラルの姿が映った。


「あっ」

「あっ、じゃありません。濡れてしまったじゃない!」

「濡れているミストラルも素敵だよ?」


 いつの間にか、ミストラルが苔の広場に来ていたみたい。

 僕は誤魔化すように笑顔を向けたけど、全身ずぶ濡れになったミストラルは頬を膨らませて抗議するのだった。

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