急がば回れ

「ユフィとニーナから、竜峰での騒ぎを聞いたよ?」

「ええ、わたしはそれで緊急の竜王会議をね」


 びしょ濡れになったミストラルは、僕の前で躊躇ためらいなく服を脱ぎ出す。

 慌てたのは僕の方で、つい後ろを向いて視界からミストラルを消しちゃった。


 ふふふ、と背後で笑うミストラル。


「なにを今さら恥ずかしがっているのかしら?」

「いや、だってさ。ミストラルのおとこっぷりに、つい……」


 普通なら、男である僕の大胆な行動に、女性であるミストラルが「きゃー」って顔を赤らめるはずなんだけど。

 なんでこうなった!?


 むむう。このままでは、夫としての尊厳に関わるよね。

 そうだ。僕とミストラルは夫婦なんだし、彼女の裸を見ることに遠慮はいらないんだ。


 というか、見たいじゃないか!


 一度は回れ右で視線を逸らしてしまった僕だけど、改めて背後を振り向く。

 そう、自然に。当たり前のように。下心なんてないんだからね、という風に!


 鼻の下が伸びていないか気にしながら、僕はミストラルへと振り向く。


「おばかさん」

「あああぁぁ……」


 そうしたら、ミストラルがじと目で僕を見て、笑っていた。

 そして、すでに濡れた身体を拭き終えて、全身に布を巻いていた。


 本来は、スレイグスタ老の身体を拭き上げるための布なので、面積が大きい。そのために、ミストラルの脇下からくるぶしまでをすっぽりと包んだ布は、彼女の綺麗な輪郭を見事に隠してしまっている。

 唯一、露わになった首から肩にかけての曲線が、女性の色気を見せていた。


「ふむ。汝の好きな胸は布に包まれて無くなったということであるな?」

「お、おじいちゃん!?」

「エルネア!」


 柳眉りゅうびを逆立てて僕に迫るミストラルを、僕は慌てて抱きしめる。

 すると、とたんに動きを止めるミストラル。

 ちょっぴり顔が赤い。


 ミストラルって、裸を見られるのは平気だけど、こうして不意に強く抱きしめられると照れちゃうんだよね。

 ふふふっ、可愛いよね。


「ミストラル、ただいま」

「……おかえり」


 抱きしめたまま、遅めの挨拶をする。ミストラルは「ずるい」と瞳で抗議しながらも、抱きしめ返してくれた。


「それで、竜峰はどうなっているの?」


 このままミストラルと甘いひと時を過ごしたいとは思うんだけど、今は竜峰のことを優先させなきゃいけないよね。

 ミストラルも僕と同じ考えなのか、抱擁から離れると、スレイグスタ老にも聞かせるように話してくれた。


「竜王たちを含む有志で、竜の墓所へ入ることになったわ。本来であれば、ヨアフの一族以外は安易に竜の墓所へ入らない方がいいのだけれど」


 ヨアフとは、たしかオルタの父で、竜峰の最北端にあった村の部族長だよね。

 最北端の村は、竜奉剣りゅうほうけんが奉納されていた場所であり、竜の墓所への入口だったんだけど、オルタの襲撃で跡形もなく吹き飛んでしまったんだ。


「老竜が竜人族に殺されてるから、傍観はできないもんね」


 竜人族が竜の墓所、つまり竜峰北部へ足を踏み入れると、竜族たちが騒ぐ。

 だけど、状況が状況だ。これ以上、老竜が惨殺ざんさつされる事件が続けば、竜の墓所の竜族だけでなく、竜峰に住む全ての竜族が騒ぎ出す可能性がある。


 アイリーさんの遣いとして現れた老飛竜の話では、竜の墓所で余生を過ごす老竜たちも、今回の騒動を収束させるためならば、と竜人族の行動を黙認してくれるらしい。


「先行隊がすでにヨアフの村跡から竜の墓所に入ったわ。わたしたちも、準備が整い次第入ろうと思うのだけれど」


 言って、ミストラルは僕を見た。


「その前に、僕は竜族たちに注意喚起すれば良いんだね?」

「ええ、お願いできるかしら?」

「フィオに頼もう!」


 竜峰同盟の盟主として、久々の仕事だ。

 竜の墓所にいる老竜たちには、襲撃者への注意喚起を。他の地域に住む竜族たちにも、無闇に騒ぎ立てないようにお願いをしなきゃね。


 竜峰に住む竜族たちへ伝心を送れるフィオリーナは、母親連合の旅のあとは故郷の谷へと戻っているはずだ。

 竜の墓所とは方角が別なので寄り道になっちゃうけど、大切なお願いなので行くしかないよね。


「それでは、エルネアは先に戻って準備を整えておいてくれるかしら?」

「大丈夫だよ。もう準備万端だから!」


 ミストラルと一緒に竜の森から出れば、すぐにでも出発できるよ。僕の言葉に、だけどミストラルは少し困った表情を見せる。

 どうしたのかな?

 首を傾げる僕に、ミストラルは少し苦笑した。


「わたしは、おきなのお世話をしてから戻るわ。遅くはならないと思うけど、エルネアは先に戻っておいて」

「そうか、おじいちゃんのお世話も、ミストラルにとっては大切なお仕事だもんね。そうだ、僕も手伝うよ! 二人でやれば、早く終わるだろうしね」


 ミストラルのお役目が早く終われば、出発も早まる。そう思って提案したんだけど、ミストラルの表情は苦笑から困り顔に変わる。


「エルネア」

「はい」

「翁の身体を拭きたいのだけど……」


 言って、ミストラルは自分の身体に巻いた布を見下ろした。


「あっ! 僕は気にしないよ?」

「わたしは気にします!」


 スレイグスタ老の体を拭くためには、布が必要だよね。でも、ミストラルの体に巻かれた布を使うと……ミストラルが裸になっちゃう!


「でもさ。恥ずかしくないんだよね?」

羞恥心しゅうちしんしとやかさは別物です!」

「ですよねぇ……」


 残念。

 裸で働くミストラルが見られると思ったんだけど。……じゃなくて!

 僕は濡らしてしまったことを謝って、素直に戻ることにする。

 またあとで、と手を振る僕の周りが黄金色に輝き始めた。


「おじいちゃん、また来ます。それと、霊樹の精霊さんには会えなかったけど、また遊びに行くって伝えておいてほしいな?」

「汝は、我を伝達役に使うのだな」

「お願いします!」


 本当は、スレイグスタ老にお願いせずとも、遥か頭上に伸びる霊樹の枝葉が僕の様子を精霊さんたちに伝えてくれると思うんだよね。

 僕のお願いに、スレイグスタ老は仕方なし、と頷いていた。

 そして僕は、見送るミストラルとスレイグスタ老の前で、黄金色の輝きに包まれた。


 いつものようにきつく目を閉じて、まぶた越しの輝きが収まったらまた目を開ける。

 すると、そこはもう実家の中庭だ。


 中庭では、ライラがレヴァリアのお世話をしていて、ユフィーリアとニーナが珍しく剣を交えて腕試しをしていた。


「「はあっ」」

「「やあっ!」」


 掛け声が一緒なら、動きも全く一緒だ。

 事前に申し合わせていたかのように、同時に跳躍する。そして、同時に竜奉剣を振るう。竜奉剣が交わると、同時に次の動きへ。


 なんとも不思議な手合わせだけど、これがユフィーリアとニーナなんだよね。

 二人は、剣術を修行しているわけじゃない。ああやって対峙することにより、個を確かめ合っている。そして、誰にも真似できない双子の連携を確認しあっているんだ。


 ぴったりと重なり合った息遣いと動作が、見ていて美しい。


「ユフィ姉様、エルネア君は私が先にいただきますっ」

「ニーナ、妹らしくエルネア君を姉の私に先に譲りなさいっ」


 だけど、思考までは一緒じゃなかったらしい。

 というか、僕を取りあわないで!


「みんな、ただいま。ミストラルももうすぐ帰ってくるから、出発の準備をお願いね」


 僕は、中庭にいたユフィーリアとニーナ、それとライラに声をかける。


「ところで、ルイセイネは?」

「ルイセイネ様は、大神殿へマドリーヌ様のことを報告に行ってますわ。もうすぐ帰ってくると思いますわ」


 僕の帰還に、ライラが駆け寄ってくる。

 ユフィーリアとニーナも、竜奉剣を振りかざしたまま猛然もうぜんと走ってきた。


「わわっ、武器は仕舞いなさい!」


 お胸様という凶悪な武器なら大歓迎だけど、刃物は普通に怖いですよ。


「おっぱいは武器にゃん?」


 木陰こかげで使用人さんたちからお菓子を与えられて餌付えづけをされていたニーミアも、僕へ向かって飛んできた。


「プリシアは連れて行かないにゃん?」

「どうだろう。それは、ミストラル次第じゃないかな?」


 僕たちがヨルテニトス王国へいっている間、お利口さんにお留守番をしていたのなら、ミストラルの許しは出るだろうね。

 だけど、わがままを言ったりしていたら……


「んにゃん。にゃんが直訴じきそしてくるにゃん」


 僕の思考を読んだニーミアが、慌てて竜の森の方角へと飛んでいった。


 やれやれ。

 どうやらプリシアちゃんは、大親友に心配されているらしい。

 ニーミア的には、このままでは絶対一緒に行けないと判断したんだよね。


 ニーミアの後ろ姿に、僕たちは笑いあった。






「んんっと、プリシアは良い子だったよ?」

「うん、そうだね」


 そして。

 ミストラルに手を引かれてやってきたプリシアちゃんに、もう一度笑顔になる。

 ニーミアは、ほっとした様子でプリシアちゃんの頭の上で寛いでいた。


「それでは、早速ではあるけど行きましょうか」


 ミストラルの号令に、僕たちは気合いを入れる。

 一日休憩したおかげか、レヴァリアも疲れが取れていつもの調子だ。


「まずは、カルネラ様の村へ!」


 フィオリーナの一族が住む谷の入り口にあるのが、カルネラ様の村だ。


 全員がレヴァリアの背中に乗ると、使用人さんたちに見送られて空へと上がる。

 そして、レヴァリアは咆哮を放ち、竜峰の奥地へ向けて翼を羽ばたかせた。


『死に損ないを狩る雑魚の竜人族に、我の恐ろしさを改めて教えてやる』

「おお、レヴァリアが気合い十分だ!」


 どうやら、今回の事件は暴君のしゃくさわるものだったみたい。


 竜人族と竜族を比べれば、竜族の方が圧倒的に強いということは誰でも知っている。

 だけど愚かな竜人族は、老竜を惨殺することによって、竜族よりも竜人族の方が強いという印象を僅かにではあるけど作ってしまった。


 不意打ちや寝込みを襲う、という卑怯な手段であれ。もともと命の灯火ともしびが消えかかっていた老竜だったとはいえ。

 いくら自分よりも弱い竜だったとしても。

 竜族の誇り、尊厳そんげんを傷つけられて、レヴァリアは怒っている。


 そりゃあ、そうだ。

 どのような手段や状況であれ、竜族が負けた、という事実がこれ以上積み重なっていけば、竜峰の空の覇者であるレヴァリア自身の威光も陰っていく。

 レヴァリアは、どの種族よりも強い竜族の、その頂点に君臨している、という誇りがある。


 他の種族に負けるような弱い種族の頂点ではなく、最強の種族のなかの最強だからこそ、レヴァリアは暴君としておそれられているんだからね。


 レヴァリアは、早く接敵したいと思っているに違いない。

 だから全力でフィオリーナと合流し、竜の墓所へと向かいたいはずだ。


 いつも以上に高速で流れていく竜峰の風景。

 ミストラルは、レヴァリアに少し落ち着くように促しながら、改めて僕たちを見た。


「あなた達に、前もって言っておくことがあるわ」


 改まって、どうしたんだろう。と全員がミストラルに注目する。


「竜王会議で情報を出し合ったり話し合った結果なのだけれど。……おそらく、今回の犯人はルガ・ドワンよ」


 ルガ・ドワン。

 少し前に、魔族の村人を人質に取り、八大竜王のウォルに瀕死ひんしの重傷を負わせた男。

 そして、何年も前。僕とミストラルが出会うよりも以前。人族と竜人族の混血を呪ったオルタが起こした、竜峰の最初の騒乱の際。オルタと共に戦い、落ち延びた竜人族。


「ルガは、昔から力を求めていた。己を高めるためならば、どんな手段も犠牲もいとわないという邪悪な考えを持つ男よ」

「じゃあ、ルガが老竜を殺しているのは、力を付けるため?」

「と、竜王たちは考えているわ。少し前なら、犯人の手がかりがわからずに苦労していたかもしれない。だけど、ウォルの情報が役に立ったわ。ルガが生きていたのであれば、まず間違いなく今回の騒動の犯人よ」

「でも、老竜を殺したって……」


 はっ、と僕は顔を青ざめさせた。


 違う。

 ルガ・ドワンは、竜族を殺すことが目的ではない!


「ミストラルの村が心配じゃない!?」


 僕の不安に、だけどミストラルは自信たっぷりに微笑む。


「大丈夫。竜廟りゅうびょうはザンが護るわ。ザンであれば、ルガに遅れをとることはない。それに、竜王のセスタリニースとヘオロナも護衛についてくれているわ。だから、わたしたちは必ずルガを見つけだし、罪を償わせなければいけない」


 ルガが動いているのなら、背後にひかえるバルトノワールが絡んでいる可能性が高い。そして、バルトノワールには他にも仲間がいる。


 老竜惨殺事件が、どうもきな臭い騒動の様相を呈してきたね。

 僕たちは、レヴァリアの背中の上で気を引き締め直した。

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