竜王の森の戦士たち

 暗黒の空間は無限に広がっているようでもあり、紙一枚分の厚さしかないようにも思える。そんな暗闇の亀裂に飛び込んだ僕たちは、次の瞬間には別の場所へと移動していた。


 雨風をしのげる程度、と言うと悪く聞こえるかもしれないけど、自然と調和した雰囲気ふんいき質素しっそな家屋が一軒。

 あとは納屋なやと作業場しかない、小さな小さな村に、僕たちは降り立った。


「おやまあ。誰かと思ったらエルネア君たちだったのねえ」

「ユーリィおばあちゃん! 驚かせてごめんなさい。緊急事態だと聞いて、テルルちゃんに送ってもらったんです」

「テルルちゃんの前では、迷いの術も形無しだわねえ」

「ということは!?」


 テルルちゃんは、僕たちを竜王の森に出来たばかりの耳長族の村へ送ってくれた。そして、僕たちの到着に素早く反応したのは、どうやらユーリィおばあちゃんだったようだ。


 けっして、木陰こかげでジャバラヤン様とお茶を飲んでいたからではありません。たぶん、発動させた迷いの術を何者かに突破されたことを敏感に感じ取ったんだろうね。

 だけど、術を破ったのがテルルちゃんであり、村へ現れたのが僕たちだと知って、安堵あんどしたんだと思う。


 僕は挨拶もそこそこに、禁領へ侵入してきたという耳長族たちのことを質問する。

 それに応えたのは、納屋から武器を持ち出してきたカーリーさんだった。


「奴らめ。いきなり森へ入ってきたと思ったら、問答無用で襲ってきた」


 怒り心頭のカーリーさんは苛立いらだちもあらわにそう言いながら、大量の矢と予備を含めた幾つかの弓の調子を点検する。

 カーリーさんと一緒に作業をするのは、プリシアちゃんのお父さんだ。


 カーリーさんとプリシアちゃんのお父さんは、日課である山菜摘さんさいつみと竜王の森の見回りを兼ねて、今日も朝から森へり出していたらしい。そこに突然、大勢の見慣れない耳長族が森へ無断で入り込んできた。

 さらに、何事かといぶかしむカーリーさんたちに向かって、侵入してきた耳長族たちは一方的に襲撃してきたのだとか。

 それで、二人は慌ててこの村へ戻ってきたらしい。


「奴らは、不気味な大杖おおつえを持った女を先導者にして、森の奥へ踏み入ろうとしていた。それで、ユーリィ様が迷いの術を発動させたところだ」

「じゃあ、侵入者は森で迷っている最中なのかな?」

「だけど、相手も耳長族よ。迷いの術を突破して、ここへ襲撃してくる可能性は否定できないわ」


 次に現れたのは、ケイトさんとプリシアちゃんのお母さん。

 ケイトさんはなにやら精霊たちに指示を飛ばしながら、こちらへやってくる。

 プリシアちゃんのお母さんも、険しい顔で近づいてきた。


 さっとプリシアちゃんが僕の背後に隠れる。

 きっと、家出したことを怒られると思ったんだろうね。だけど、プリシアちゃんのお母さんは娘の家出には触れず、森への侵入者の方を優先させた。


「エルネア、力を貸してちょうだい」

「はい、そのつもりで来ましたから」


 どうやら、みんなは侵入者を迎え撃つ気満々のようだ。

 ユンユンとリンリンからも、意気込んでいる気配が伝わってくる。


『あの女には借りがある』

『そうよそうよ!』


 とはいえ、どう作戦を練ればいいのやら。

 戦闘経験のある僕とカーリーさんとケイトさんはともかくとして、プリシアちゃんのご両親やご老体の二人に無理をさせるわけにはいかない。

 もちろん、プリシアちゃんには安全な場所に居てもらいたいのが本音だし、ユンユンとリンリンにはその護衛をお願いしたい。


 だけど、僕の意見を聞いたユンユンとリンリンは拒否の意思を示す。


『できれば、あの女の相手は我とリンに任せてほしい』

『賢者として、しっかり教育してあげるんだからねっ』


 ユンユンとリンリンの言葉に、カーリーさんが乗る。


「では、周りの耳長族は俺たちに任せてもらおうか」


 カーリーさんの隣で、プリシアちゃんのお父さんが頷く。更に、プリシアちゃんのお母さんとケイトさんまで腕まくりをしていた。


「いやいや、さすがに危険ですよっ。それに、全員で出払っちゃったら、誰がユーリィおばあちゃんとジャバラヤン様を護るんですか!?」


 だけど、僕の意見を聞いたカーリーさんは、なにを言っているんだと肩を落とす。


「考えるまでもなく、このなかで最強なのはユーリィ様だろう。それに、俺たちが護衛をするまでもなく、ユーリィ様は森と精霊たちに護られている。ジャバラヤン様も、ユーリィ様の庇護で安全だ」

「でも、プリシアちゃんのご両親は……」

「あら、エルネアは知らないの? 私やアリシアが産まれる前まで竜の森の警備を任されていたのは、リディアナ様よ? そして、リディアナ様が育児で引退されてプリシアが産まれるまでの後任を引き継いだのがアレン様じゃない」

「えっ!」

「俺は、アレン殿の後を引き継いで守備隊の隊長になったんだぞ?」

「ええっと、それってつまり……?」


 おさらいをしましょう。

 プリシアちゃんのお母さんの名前はリディアナさんです。

 リディアナさんの産んだ子供のうち、長女がアリシアさん。次女がプリシアちゃんだよね。

 それと、プリシアちゃんのお父さんの名前がアレンさんということで……


「じゃあ、ここにいる大半の人が竜の森を代表する戦士じゃないですかーっ!」


 どうやら、この人たちが移住組に選ばれた理由は、こういう部分も含めてということだったらしい。

 少数精鋭ってやつだね。

 今更ながらに驚く僕を見て、みんなは苦笑していた。


「で、でもさ。相手は大勢なわけだし……。そうだ、ミストラルたちは無事かな!?」


 失念していたわけじゃないけど。森の状況を最優先で確認する必要があったからね。

 まあ、お屋敷の方にはミストラルたちだけじゃなくてジルドさんもいるし、よっぽどのことがない限りは大丈夫だと思う。


「迷いの術は、霊山の東側に施しましたからねえ。エルネア君のお屋敷も、範囲に含まれているわねえ」

「すごいですね!」


 どこぞの迷惑幼女の迷いの術よりも、ユーリィおばあちゃんが時間をかけて準備してきた術の方が絶大な威力だね。


「でも、範囲が広い代わりに、効果が薄まっていますからねえ。時間が経つと、こちらが不利になるわねえ」

「そうすると、ずは分散して迷っている侵入者を各個撃破かっこげきはしていけばいいんですね。ただし、それならこの人数でも対処できるけど、時間との勝負になりますね」


 本来は、森だけを包むはずだった迷いの術だけど。ユーリィおばあちゃんが気を利かせてくれて、お屋敷の方まで覆ってくれたんだね。


 僕はユーリィおばあちゃんに感謝を伝える。そして、この緊急事態を早期に打開すべく、動き始める。


「カーリーとアレンは、前衛で侵入者を止めてちょうだい。わたしとケイトは後方から精霊術で支援するから」


 昔取った杵柄きねづかかどうかはわからないけど、的確な指示を出すプリシアちゃんのお母さんに誰もが従う。


「ユンとリンには、不気味な杖を所持しているという女性の対応をお願いするわ。それにともなって、プリシア、貴女も手伝ってちょうだいね?」

「んんっと、わかったよ!」

「エルネアには、できればプリシアの護衛をお願いしたいのだけれど?」

「はい、大丈夫ですよ。プリシアちゃんの護衛はお任せあれ」


 プリシアちゃんのお母さんが出した指示から、耳長族の意図を汲み取る。

 きっと、耳長族の問題は耳長族で解決したいと思っているんだろうね。それなら、僕は補佐に回るだけです。

 しっかりとプリシアちゃんを守護し、ユンユンとリンリンの役に立ってみせましょう!


「おばあちゃんたちは、ここで待機でお願いしますね」

「気をつけて行きなさいねえ」

「怪我をしたら、無理をせずに戻ってきてくださいね」


 ユーリィおばあちゃんとジャバラヤン様は、相変わらずのんびりした受け答えだ。

 恐らく、若い頃に魔女さんと冒険していたユーリィおばあちゃんから見れば、こんな騒動は日常茶飯事だったんだろうね。

 そして、大陸を旅してきたジャバラヤン様にとっても、許容範囲内の騒動なのかもしれない。

 二人の見せる余裕が僕たちにも伝わり、心にゆとりが生まれる。


 プリシアちゃんのお母さんの号令で、全員揃って深呼吸をした。

 胸いっぱいに、森の新鮮な空気を取り込む。

 よどみのない清浄せいじょうな空気からは、侵入してきたという耳長族の気配なんて感じない。

 村の周囲を散策する動物や、空を流れる雲からも、不穏な気配なんてただよってこない。


 だけど、悪意のある者たちは確かに侵入してきているんだ。

 そして、日常を思わせる自然の営みを守るために、また、移住してきてくれたみんなや家族を守るために、僕たちは戦うんだ!


 深い深呼吸が終わると、僕たちは気合の掛け声をあげる。そして、侵入者を撃退すべく、森へと入っていった。






 空間跳躍で先頭を疾駆しっくするのは、カーリーさんとアレンさん。

 木の枝から木の枝へと軽やかに飛び移っていく。


 森だけじゃなく、霊山の東は広範囲にわたって迷いの術が施されている。だけど、迷いの術を発動させたのはこちらの陣営のユーリィおばあちゃんなわけで。そのおかげなのか、僕たちは迷うことなく森を進む。


 すると、早速のように複数の気配を感じ取った。


「十人潜んでいるにゃん」

「うん。丸わかりだね」


 僕のふところに潜り込んでいるニーミアに頷く。


 森が、異物を教えてくれている。

 しげみに身を潜め、気配を殺しているけど、存在自体までは隠せない。

 異物を避けて流れる風。踏みしめられた地面。その他にも幾つもの不自然さを感じ取り、僕は侵入者の気配を読み取っていた。


 僕と同じ手法かどうかはわからないけど、先を行くカーリーさんとアレンさんも、潜伏者せんぷくしゃの気配に気づいたようだ。

 太い枝の上から、眼下の茂みを睨む。

 弓矢を構え、鋭い言葉を投げる。


「お前たちは何者だ! なぜ、この森へ侵入してきた。なぜ、俺たちを襲う?」


 カーリーさんが問いかけるけど、繁みの奥からの返事はない。

 それでも、カーリーさんとアレンさんは辛抱強く反応を待つ。

 だけど、二人の忍耐への対価は悪意で返される結果となった。


 繁みに潜んでいた者のうち、三人の気配が忽然こつぜんと消えた。かと思った直後。カーリーさんとアレンさんの背後に出現する人の影。


「馬鹿馬鹿しい!」


 素早く反応したのは、カーリーさんだ。

 空間跳躍には空間跳躍で。

 お手本のような動きで、背後に現れた三人のさらに背後を取ったカーリーさんは、素早く矢を放つ。


 矢はひとりの背中に命中する。

 悶絶もんぜつしながら地面へ落ちる耳長族。

 カーリーさんは二本目の矢を構えることなく、今度は腰の剣を抜き放つ。そして、残りの二人を華麗に叩き斬った。


 カーリーさんと三人の攻防は一瞬だった。

 もちろん、カーリーさんの圧勝だ。

 そして、カーリーさんが反応している間、アレンさんは微動だにすることなく、矢を繁みに向けたままだった。


 アレンさんは、カーリーさんを信頼しているんだ。不意打ちを仕掛けてきた三人の耳長族程度では、カーリーさんには敵わない。だから、自分もつられて反応する必要はない。

 これが、竜の森の守備隊を任されていた者たちの実力なんだね。


「エルネアたちは先に行ってちょうだい。ここを制圧したら、私たちもすぐに追うわ」


 こちらと並走していたケイトさんに言われ、僕たちは移動する。

 僕たちが移動したと同時に、茂みに潜んでいた者達も動く。


「なめんじゃねえぞっ」

「それは、こちらの台詞せりふだわね。たかだか十人程度でわたし達をどうにかできると思わないことね?」


 姿を現した耳長族たちを見て、にこりと微笑ほほえむプリシアちゃんのお母さん。


 こ、こわいっ!


 僕たちは知っている。

 あの微笑みは、絶望を伝える悪魔の微笑みです!


 僕とプリシアちゃんは、リディアナさんが本性を現す前に急いで現場を立ち去った。

 そして森を進み、目的の人物を探す。


 迷いの術は、今のところしっかりと発動しているようだ。

 気配を読み取ろうと、意識を広げる。

 すると、孤立する者が森の各所で幾つか確認することができた。

 ユンユンとリンリンに、侵入者の居所を伝える。二人は僕から位置を聞くと、精霊術を発動させた。


『孤立している者は眠らせておく。あとで事情を聞き出さねばならんからな』

『騒がしい奴は、呪縛しちゃうわよっ』


 賢者の頼もしい反応に、僕は内心で安堵する。

 前回はを飲まされたユンユンとリンリンだけど、どうやら気負ってはいないようだね。これなら、大杖を持った女性と相対しても冷静に対処できるはずだ。


 僕たちは森を彷徨さまよう耳長族を各個撃破していきながら、目的の人物を探す。


 ユンユンやリンリンたちから聞いた話では、例の女性は不気味な大杖を所持しているらしいけど、と慎重に気配を探る。

 すると、森の浅い位置に、孤立していない大集団を見つけた。そしてそのなかに、奇妙な存在感を放つ者がいた。


 僕は、意識すると精霊の気配も感じるようになった。

 なのに、ある一部からは精霊の気配を全く感じない。

 正確には、ある人物の周りを避けるように、精霊たちが逃げている。


『奴だ』

『精霊に嫌われているんだわ』


 ユンユンとリンリンから怒りの感情が伝わってくる。


『精霊を犠牲にする者は、精霊から嫌われる』

『私たちより悪いことをする耳長族がいるなんてねっ』

「じゃあ、あれが例の女性なんだね?」


 ユンユンとリンリンが頷く気配を感じる。

 僕はプリシアちゃんと手を繋ぎ、歩調を合わせながら慎重に空間跳躍で集団へと近づいていく。


 読み取った気配から、集団は迷いの術にはまらないように密集しているようだ。

 そうしながら、精霊を使役して突破口を探っている。

 大きな動きのない侵入者とは違い、精霊たちが忙しなく動いている気配が伝わってきた。


 よし、このまま慎重に近づき、どうにかして大杖を持った女性をらしめる。そう算段しながら空間跳躍を発動させた。


「っ!?」


 空間を渡って大木の枝に着地した直後。感知していた集団のなかで起きた異変を瞬時に感じ取る。


 いない!

 あの、精霊たちに嫌われたような気配の人物の存在を感じない。


 直後だった。


「ふわぁ。わらわ、耳長族の真似事をする人族は嫌いです」


 背後から、気怠けだるげな声が届く。


『危ない!』

『避けてっ』


 狙われたのは、僕。


 振り返るまでもなく、不気味な気配が背中を襲う感覚が迫る!

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