竜の王の休日

「んんっと、おじいちゃんには乗れないの?」

『残念であるな、耳長族のお嬢ちゃんよ。我は実体を持たぬ種なのだ。可愛い汝の耳に触れることも、逆に触れてもらうこともできぬ』

「むうう」


 プリシアちゃんが頬を膨らませて不満そうに見つめる先。そこには、緑色に輝くかすみで形取られた翼竜が鎮座ちんざしていた。

 ゆらゆらと、霧とも煙ともつかない不思議なもや濃淡のうたんで輪郭を作っている翼竜の意思は、声としてではなく精神に直接届く。対話をしている相手だけではなく、周りにいる全員に精神干渉が伝わっていた。

 プリシアちゃんはニーミアを頭に乗せたまま、納得いかない、と頭を振る。そして翼竜の霧の身体に触れようと、手を伸ばす。だけど小さな手は、なにも掴めずに霞の中を素通りしただけだった。

 今度は、てとてとと走って、翼竜の前脚付近に突撃する。

 プリシアちゃんは緑色の霧のなかに消えていった。しばらくして、また走って戻って来たプリシアちゃんは、不思議そうに翼竜を見上げた。


 翼竜が愉快そうに笑う。

 真紅の瞳が優しくプリシアちゃんを見下ろしていた。


「あのね。プリシアはあのおじいちゃんに乗ってお空の散歩がしたいの」

「うん。でも、竜の王には誰も触れることはできないんだよ?」

「いやいやん」


 プリシアちゃんが駆け寄ってきて、木陰の芝生で寝そべる僕に抱きつく。

 きっと僕ならどうにかしてくれるに違いない、というプリシアちゃんの期待には応えてあげたいんだけど、いかんせん今の僕は、全身がぼろぼろで歩くのもままならない。


 竜の墓所に蔓延していた呪いを祓うため、地下の竜の祭壇へとおもむいて、アイリーさんと対峙したのは昨日のことだ。

 そして僕は今、満身創痍まんしんそういで横たわっていた。


 アイリーさんとの竜剣舞の勝負は、僕の大敗に終わった。

 そもそも、数百年という長い歳月をかけて竜剣舞を研鑽けんさんしてきたアイリーさんに、習い始めてたった二年ちょっとの僕が太刀打ちできるわけがない。よくよく考えれば、竜宝玉を失ったアイリーさんが、ミストラルを含めたこちら全員での攻撃を軽く受け流していた時点で、彼女の強さは明白だったんだよね。


 結局のところ、僕たちはアイリーさんの掌の上で踊らされていたわけだ。

 さすがは、竜剣舞の正当後継者です。

 アイリーさんは最初から僕の竜宝玉の正体に気づいていたし、竜の王が存在を取り戻せば、この呪いを祓えると踏んでいた。あとは、スレイグスタ老から伝授された僕の竜剣舞を見極めたくて、ことさらに挑発していたみたい。


「まだまだ荒削りだし、甘い部分もあるわね。でも、君は確かに竜剣舞の使い手だわ。認めちゃう、君は次代の継承者よ」


 アイリーさんは笑みを浮かべ、そう言いながら、僕を完膚なきまでに叩きのめしてくれました。

 だけどそれ以降、僕の竜剣舞を否定したり、見下すことはない。偽物扱いは取り下げてくれていた。

 僕の竜剣舞がアイリーさんに認められたようで、すごく嬉しい。

 全身がとてもとても痛いけど……

 これは、愛のむちなのだと解釈しておきましょう。


 そのアイリーさんはというと。

 禍払まがばらいを終えたあと、地下の竜の祭壇から戻り、竜の王と久々に対面していた。

 僕の身体から抜け出た竜宝玉は、広場に漂っていた気配と融合し、竜の王になった。竜の王は存在を復活させ、老竜たちの残した想いを竜神様のもとへと送り届けたあとも、そのまま小島の上空に存在し続けた。


 僕の心には、ぽっかりと穴が開いたような気がするよ。


「今なら、アイリーさんが竜宝玉を失った時の喪失感そうしつかんを少しだけ理解できそう」

「あら嬉しい。でも、わたしのときはやむなくで、もう取り戻せないのよ」

「そう考えると、僕はまだ幸せな方なんですよね」

「そうよ。竜の王に感謝しなさいな」

「今まで色々と助けてくださり、ありがとうございます」

『愛しき人の子よ。ジルドも我も其方を認めておる。そして我はもう、其方とは一心同体。其方の心の赴くままに』

「はい。これからもよろしくお願いします」


 竜の王は、また僕に力を貸してくれるらしい。

 現在は、久々に存在を取り戻したので、それを満喫している。だけど僕たちが帰るときには、また竜宝玉を僕に戻してくれると言っていた。


「アイリー、そろそろ交代だわ」

「アイリー、そろそろ変わってほしいわ」


 木陰でのんびりとしていると、ユフィーリアとニーナが不貞腐れたような気配でやって来た。


「あらいやだ。貴女たちは賭けに負けたのだから、エルネアちゃんはわたしが独り占めよ」


 そう。実は……

 僕は現在、アイリーさんの膝枕で横たわっていた。

 アイリーさんのふたつの太ももの谷間に後頭部を埋めて、大の字で寝ている。プリシアちゃんはその上から僕に抱きついているわけだ。

 プリシアちゃんの丁度良い重さと温もりは素敵なんだけど、頭の上の方にアイリーさんの立派なものがあるなんて考えた日には、ぞわりと背筋を嫌なものが駆け抜ける。

 考えちゃいけない。感じてもいけない……


 これは、僕の趣味じゃないんだ……

 ミストラルたちが僕を賭けた勝負に負けるからいけないんだよ。


 全てが終わり。

 アイリーさんに倒された僕。

 竜気も使い果たし、満身創痍の僕を誰が介抱するのかという争いが女性陣の間で勃発ぼっぱつしてしまった。


 君たちは、僕で遊んでいるんだね。という悲しみか喜びかわからない感情を抱きつつ、見守ることしかできなかった僕。

 すると、そこにアイリーさんが加わったんだ。そして実力勝負だ、ということになって。


 まさか、あのミストラルが全力を出しても勝てないだなんて……

 大人気なく竜宝玉を解放したミストラル。対するアイリーさんは竜宝玉を持っていないし、竜気もさほど大きくはない。それなのに、竜剣舞に翻弄ほんろうされたのはミストラルだった。

 まるで、ミストラルもアイリーさんの竜剣舞の一部であるかのような。初めて、誰かが竜剣舞を舞っている姿を客観的に見ることができた。そして、第三者として観察したアイリーさんの竜剣舞は、美しく完璧だった。

 見れば納得。なるほど、僕の竜剣舞はまだまだなんだね。


 それで、勝負に負けたミストラルたちは、罰として竜の祭壇や隣接する建物、小島の隅々まで清掃をさせられていた。

 ちなみに、正確にはミストラルは負けていなくて引き分けだったんだけど、他の女性陣が手も足も出なかったので、連帯責任で負けにされていた。この辺も、アイリーさんの掌の上です。

 そして僕を勝ち取ったアイリーさんは、こうして僕に膝枕をしてくれているわけです。


 僕は満身創痍で逆らえない。そもそも、介護してくれている人に文句は言えません。だから、ユフィーリアとニーナの不満にも応えてあげられそうにないんだよね。


 ……僕を満身創痍の状態に追い込んだのはアイリーさんじゃないか、という突っ込みは禁止らしい。


「にゃあ」


 ニーミアは、プリシアちゃんの上でのんびりと僕たちのやり取りを見つめていた。

 ときおり、竜の王の方へと視線を向けている。


「ニーミアでも、こういった実体を持たない竜族は珍しいの?」


 竜の王は、そもそも肉体を持たない種類の竜族らしい。もちろん、古代種です。

 生きている者には全て肉体がある、と思い込んでいた僕たちにとっては、竜の王は目玉が飛び出るような驚くべき存在だよ。


怨霊おんりょうや亡霊も肉体は持ってないにゃん」

「言われてみると、そうだね」

「でも、竜族ではおじいちゃんの種しか知らないにゃん」

「ということは、存在自体は知っているんだね?」

「にゃん。いにしえみやこを護る十二層の外郭がいかくの、一番内側を護っているおばあちゃんと同じにゃん」

「そうか。ニーミアの故郷では、十二種類の古代種の竜族が、それぞれの層を護っているんだよね」

「にゃん」


 アシェルさんや竜の王のような古代種の竜族が大切に護っている古の都って、いったいどんなところなんだろう。女性ばかりの都らしいから、僕は行けないのかな?


「いつか案内するにゃん」


 ニーミアの優しさは嬉しい。だけどその時は、僕は女装をしなきゃいけなくなるのだろうか。

 僕もアイリーさんのように……


 いやいやん!


 唐突に頭を振った僕を、アイリーさんが不思議そうに覗き込む。

 豊かな茶髪が垂れて、揺れている。

 とてもいい匂いがします。


「ニーミアちゃんは、古の都の出身なのね」

「家出中にゃん」

「いやいや、もう母親公認になっているんだから、家出とは言わないよ」

「プリシアも家出がしたいよ?」

「君は絶賛家出中です! 帰ったら、またお母さんに怒られるよ。報告なしでこんなところまで来てるんだからね」

「むうう」

「エルネアお兄ちゃんも一緒に怒られるにゃん」

「ぐぬぬ」


 プリシアちゃんは僕に抱きついたまま、また頬を膨らませた。

 プリシアちゃんの愛らしい仕草に、全員がほっこりとする。竜の王も微笑んでいた。


「それで、君が回復したら、帰っちゃうのかしら?」

「と、予定してますよ。実家の人たちも、出かけたまま帰ってこない僕たちを心配していると思うし」

「あら残念ね。君をみっちりと鍛えてあげたいと思っていたのに」

「僕もジルドさんのように、たまにここへと来ようと思います。そのときに、是非」


 僕の竜剣舞はアイリーさんの系譜ではないけれど、認めてくれている。そして僕も、系統は違ってもアイリーさんをひとりの竜剣舞の使い手だと尊敬をもって見ることができる。

 別々の竜剣舞。だけど、お互いを否定するなんてことはない。

 アイリーさんの竜剣舞が優れているのなら、僕はそこから色々と学びたいな。


「逆にアイリーさんは、ここからは絶対に離れないんですか?」


 僕の質問に、アイリーさんは視線を上げる。遠くの、断崖のさらに先を見つめていた。


「そうねぇ……」

「僕はもっとアイリーさんからいろんなことを教わりたいし、話もしたいです」

「ふふふ。わたしは今、口説くどかれているのかしら?」

「うっ……。そういうわけじゃ……」

「うそうそ、冗談よ。慌てる君もなかなか可愛いわ」

「ちょっと、アイリー。エルネア君へのお触りは禁止よ」

「ちょっと、アイリー。エルネア君の頬を撫でるのは禁止よ」


 掃除をしたくないユフィーリアとニーナは、いつの間にか居座っていて、僕とアイリーさんの間に割り込んできた。


「いいじゃないの、減るもんじゃないんだし」

「減るわ」

「消耗するわ」

「何がかしら?」

「プリシアはお腹がすいたよ?」


 なるほど、減ったのはプリシアちゃんのお腹でした。

 竜の王に乗って空の散歩に行けないし、僕も構ってあげられないし。暇なプリシアちゃんのお腹が不満でぐうぐうと鳴りだした。


 また、全員で笑う。


「仕方ないわね。お昼ご飯にしましょうか」


 アイリーさんが僕の頭を太ももから降ろして、立ち上がる。すかさずユフィーリアとニーナが僕を奪おうと動く。その二人の手を、アイリーさんがしっかりと捉えた。


「もちろん、手伝ってくれるわよね?」

「エルネア君、助けてっ」

「エルネア君、救ってっ」


 と、言われましても……

 僕はまともに動くことさえままなりませんよ。

 悲鳴をあげながら引っ張られていくユフィーリアとニーナを、寝そべったまま見送る僕。


「人どもは、本当に騒がしい」


 そして。まんして顕現したのは、アレスさんだった。

 妖艶ようえんな大人の姿で、アレスさんは僕を抱きかかえて座る。そして、子供でもあやすように僕を膝の上に乗せて、ぐっと上半身を抱きしめてきた。

 僕の顔は、アレスさんの豊かなお胸様に沈む。


「プリシアも!」


 プリシアちゃんは僕のお腹に乗り直すと、強く抱きついた。

 プリシアちゃんを抱く僕を抱くアレスさん。

 何この状況?


『其方の周りはいつも楽しいな』


 竜の王はそんな僕たちを見て、いつまでも微笑んでいた。

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