呪われた大地

 竜の森が狙われたことで、スレイグスタ老は瞳を黄金色に輝かせて怒っていた。

 だけど、塔に向かって、安易な攻撃はしてはこない。

 相手が、巨人の魔王と大魔族のシャルロットだから?


 ううん、違った。


「其方も、薄々うすうすとは理解しているだろう? この塔に降臨する者の正体を」


 巨人の魔王の言葉に、ぐるる、と喉を低く鳴らすスレイグスタ老。

 それだけで、飛竜の狩り場に集まった飛竜は尻尾を巻いて逃げ去り、地竜は地面に穴を掘って頭を隠す。

 だけど、スレイグスタ老の怒りや不満でさえも、この極悪魔族にとっては笑いの種でしかない。


「ふふふ。やはり、守護竜様は女の子の正体に思うところがあるようでございますね。そして、この塔がその子のためのものと理解されているので、こちらに手出しができないようです」

「うわあ、なにもかも計算詰めで、おじいちゃんをもてあそんでいるんだ……」


 ほんと、極悪過ぎます。


「ええい、魔族風情が、何を知ったような口振りだ。我はただ、貴様らがエルネアを人質に取っておるので、様子を伺っておるだけだ」

「おじいちゃん、助けて!」

「やれやれ。汝も、愚か者であるな。老婆ろうばどもに、良いように弄ばれおって」

「おじいちゃんもね!」


 僕の突っ込みに、スレイグスタ老は上空で大きなため息を吐く。

 とはいえ、シャルロットが言うように、スレイグスタ老はこちらに攻撃を仕掛けてくるような気配はない。それどころか、巨人の魔王とシャルロットを睨みながら、ゆっくりと降下してきた。

 そして、スレイグスタ老は地響きをあげて着地した。


 城塞の一画を押し潰して……


 そりゃあ、そうだよね。

 小山のような巨体のスレイグスタ老が塔の側に着地するためには、それなりの空間が必要になるからね。

 だけど、大丈夫かな?

 城塞内を見学していた者たちを、踏み潰したりしていないよね?


「無論、そのようことはしておらぬ」


 地面に降りても、スレイグスタ老の巨大さは圧巻だった。

 僕たちは、城塞で最も高い塔の最上階にいる。その僕たちを、スレイグスタ老が見下ろす。


おきな!」


 そこへ、ミストラルが慌てた様子で飛んできた。

 どうやら、スレイグスタ老が空間転移してきたのを見て、緊急事態だと思っちゃったみたい。


「いったい、何ごとなの!?」


 怪訝けげんそうに眉をひそめるミストラルだけど、集った面々を確認すると、肩を落とす。


「あのね、ミストラル。おじいちゃんも協力してくれるって!」

忌々いまいましいことではあるが、老婆どもの罠にまんまとかかってしまったわ」

「翁、本当に大丈夫なのですか?」


 スレイグスタ老を心配そうに見上げるミストラル。

 僕も、本当は心配なんですよ?

 巨人の魔王に脅されたとはいえ、竜の森の守護を放ってこちらの加勢をしていても大丈夫なのかな?


「ふむ、心配には及ばぬ。竜の森の守護は、実はある方々に代わってもらったのだ」

「えええっ、それって誰ですか!?」


 スレイグスタ老が、自分のお役目を他者へ簡単に譲るとは思えない。

 代わりになれる者は、次代の守護竜であるリリィだろうけど。リリィは、僕たちの送迎を担当してくれた後は、飛竜の狩り場に残って寛いでいる。今も、城塞の外で呑気に寝ている姿が、塔の上から見えた。


 では、いったい何者がスレイグスタ老の代わりに苔の広場にいるんだろう?

 他に思いつくところだと、竜の森に昔からよく出入りしているアシェルさんがいるけど、残念ながら可能性は低い。

 だって、アシェルさんはまだ、こちらに到着していないからね。


 アシェルさんにも協力を頼めるために、ニーミアは故郷であるいにしえみやこへ戻った。

 だけど、まだ帰ってくる様子がない。

 ニーミアの翼でも遠い土地にあるのか、それとも、交渉に手間取っているのか。


 どちらにしても、スレイグスタ老の代わりに竜の森の守護を担っているのは、僕たちが知っている古代種の竜族ではないようだ。


「おじいちゃん、ちょっと苔の広場に行っても良い?」

「くくくっ、ならぬ。たまには、あの方々も静かに仲睦なかむつまじく時間を過ごされたいであろうからな」

「おじいちゃんの口ぶりからすると、夫婦で代わりを受け持っているんですね? むむむ、誰だろう?」


 考えても、思いつく者が浮かばない。

 頭をひねって考え込む僕を見て、スレイグスタ老は極悪魔族に弄ばれた溜飲りゅういんを下げたように、金色の瞳を細めた。


「それでは、守護竜様の参戦も決まりましたので、次の段階に進みましょう」

「次の段階?」


 はて、この先に、何か予定していたっけ?


「おやまあ、エルネア君。そんなことでは、無事に女の子を迎えられませんよ?」

「シャルロット、と言うと?」


 首を傾げる僕を見て、巨人の魔王がにやりと笑みを浮かべた。


「あっ、嫌な予感しかしません!」


 まあ、いつものことなんだけどね……


 そして、僕の予感は見事に的中してしまった。


「この場に多くの者が集ったのは良いが、目的の者たちが現れるまでが暇だろう?」

「いいえ、暇じゃありません!」

「そこで、余興よきょうを準備してやろう」

「結構です!」

「遠慮するな」

「全力で遠慮します!」


 僕の拒否の意思もむなしく、巨人の魔王は勝手に話を進める。


 誰か、この魔王の暴挙を止めて!


 僕の本能が、全力で拒否反応を示しています。

 これは絶対に、とんでもないことが起きる予兆だ。


「おじいちゃん!」


 この場で最も頼りになるスレイグスタ老に、助けを求める。

 だけど、スレイグスタ老は瞳を閉じて「我関われかんせず」を決め込んでしまっていた。


 ふふふ、とシャルロットが楽しそうな笑みを浮かべる。


「い、いったい、これから何が起きちゃうの!?」


 すべもなく、巨人の魔王を見る僕とミストラル。

 その絶望の視線を受けながら、巨人の魔王は瞳を深い青色に輝かせた。


 ぞわり、と全身に悪寒が走る。

 竜峰で、初めて巨人の魔王の姿を見たときのような、魂が震えあがる恐ろしさ。

 巨人の魔王が放つ圧倒的で絶望的な覇気と殺気が呼び水となり、瘴気しょうきが発生した。


 僕とミストラルは、それだけで恐れおののき、抱き合って震えあがる。

 唯一の救いだったのは、巨人の魔王が放つ殺気や瘴気が、僕たちに向けられたものじゃなかったことくらいだ。

 だけど、巨人の魔王は無闇に力を開放したわけではなかった。


「飛竜の狩り場に、のろいをとしてやろう」

「えっ!?」


 僕の聞き間違えかな?

 呪いを堕とす?

 つまり、飛竜の狩り場が呪われちゃう?


 そういえば、ヨルテニトス王国の東部に広がる大森林に魔物が多く現れるのは、遙か昔に巨人の魔王が呪いを掛けたからだよね。

 そうすると、飛竜の狩り場も、今後は……


「だ、駄目えええぇぇぇっっ!!」


 僕の悲鳴は、朝焼けに輝く飛竜の狩り場に響いた。






「ああ、女神様。魔王を止められなかった罪深い僕を、どうかお許しください……」


 飛竜の狩り場は、呪われてしまった。

 巨人の魔王のせいで、この広大な草原地帯は魔物があふれかえり、動物たちは逃げ去り、そして獲物がいなくなった狩り場には、飛竜も寄りつかなくなるんだ。


「くくくっ。魔物以前に、これだけ大規模な城塞が存在していては、獣も寄りつかんだろう」

「それも、魔王のせいですよね!」


 しくしく。竜族との間に築きあげてきたきずなも、これで台無しだよ。

 僕はこれから、どんな顔で竜族の前に立てば良いんだろう……


 落ち込む僕を見て、巨人の魔王とシャルロット、それにスレイグスタ老までもが笑う。


「おじいちゃんまで、ひどいっ」

「落ち込む汝は、見ていて面白い」

「そんなぁ……。僕を心配してくれるのは、ミストラルだけだよ」


 よしよし、と僕の頭を撫でるミストラル。

 でも、なぐさめられてばかりじゃ、男がすたる。

 とはいえ、この状況をどうすれば良いんだろう?


 ぱっと見では、まだ飛竜の狩り場に異変は起きていない。

 だけど、ヨルテニトス王国の大森林が物語るように、ここにはこれから、手に負えないくらいの魔物が現れるはずだ。


「今のうちに、レヴァリアやリリィに焼き払ってもらうとか……?」


 魔物が跋扈ばっこする魔境と化すくらいなら、いっそのこと荒野にしてしまう方が良いかもね!


「坊やの教え子は、たまに阿呆あほうになるな。指導者の影響か」

「何を言う。老婆どもの悪影響である」

「エルネア君は、いったい誰の影響を一番に受けているのでございましょうね?」


 僕の思考が壊れているのなら、それはあなた達全員の影響ですからね!


 なんて、悠長にこの極悪魔族やお師匠様に付き合っている場合ではない。

 どうにかして、被害を最小限にしなきゃ!


 僕は白剣のつかを握りしめて、塔を飛び出そうと力を蓄える。その僕の手に、巨人の魔王の手が重ねられた。


「あまりいじめ過ぎるのも良くないな。先程から、竜姫がこちらを睨んでいる。では、そろそろ種明かしをするとしよう」


 種明かし?

 はて、何のことだろう?


 疑問符を浮かべる僕を可笑しそうに見ながら、巨人の魔王は話す。


「其方は、妖魔の王を迎え撃つ場所として、この地を選んだのだろう?」

「はい。女の子が訪れるだけなら、王都の実家や禁領のお屋敷でも良かったんですけどね」


 ただし、妖魔の王や、それに引き寄せられて多くの妖魔が出現したときのことを考えると、問題が出ちゃう。

 王都だと、都に住む人たちに大きな迷惑が掛かるだけでなく、被害者も大勢出るだろうね。

 禁領だと、今度は戦力不足に陥った場合に、応援が呼び難くなる。

 そうした事情をかんがみて、僕は決戦場を飛竜の狩り場としたんだ。


 とはいえ、どれだけ被害が拡大するのか検討もつかなかったから、北の地の獣人族やアームアード王国には厳戒態勢を敷いてもらっている。


 僕の計画を聞き、基本的には正しい、と頷く巨人の魔王。


「だが、甘い」

「こちらの体制に、まだ不備が有りますか?」


 戦力は、過剰なくらいに集まった。

 決戦の地の選定も間違ってないと思う。

 何よりも、女の子が来訪するまでに、準備が整った。

 これで、どこに甘さが残っているんだろう?


 ミストラルと顔を向けあい、同じように首を傾げる。

 すると、シャルロットが盲点もうてんを指摘した。


「エルネア君の考え方は、受け身でございますね」

「受け身?」

「はい。全てが、女の子や妖魔の王が現れたら、という基準の上に成り立てた計画になっております」

「でも、女の子が来て、妖魔の王が現れないと、僕たちは何もできないよね?」

「それでは、その者たちは、いつ頃に現れるのでしょう?」

「それは……」


 ミシェイラちゃんの話によれば、女の子は春の吉日きちじつに霊樹ちゃんを道標みちしるべとして、やって来るらしい。

 だけど、残念ながら、詳しい日取りは僕もわからない。


「エルネア君。軍を率いる際に、指揮官が気を配らないといけないことがあります。それは士気しきでございます」


 どれだけ強力な軍勢を集めても、士気が低ければ弱小の軍勢に負けることもある、とシャルロットは言う。


「そして、士気を低下させる要因のひとつが、曖昧あいまいな日程でございますよ」

「……つまり、いつ女の子が来て、いつ妖魔の王が現れるかわからない状況だと、みんなのやる気ががれていっちゃう?」

「大変よくできました」


 たしかに、シャルロットの言い分は正しいかもしれない。

 これまで、女の子の来訪に間に合うようにと急いで準備してきたけど。

 では、準備が整った今。

 集まってくれた者たちのやる気を決戦の時まで維持するための考えを、僕は持っていなかった。


「それじゃあ、来るべき時に備えて、魔物狩りで士気を保つってこと? それでも、やり過ぎのような……」

「エルネア君。惜しいですが、不正解でございます」

「其方は、妖魔や魔物について、いくばくかの知識を得たのだろう?」

「ええっと、魔物の上位的な存在が妖魔で……。あっ!!」


 ようやく、僕は巨人の魔王の意図を理解した。


「呪いによって、魔物をおびき寄せる。そうしていると、上位の妖魔も釣られて現れるよね。そして……」


 妖魔が跋扈ばっこし始めると、さらに厄介な化け物が出現するかもしれない。


 そう。妖魔の王だ!


受動的じゅどうてきな計画じゃなくて、能動的のうどうてきな作戦。つまり、女の子が来て妖魔の王が現れるのを待つんじゃなくて、呪いを起点に、こちらから妖魔の王をおびき出そうってことですね!」


 前代未聞の作戦に、僕もミストラルも、目と口を大きく開けて驚いた。

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