エルネアと舞う者たち

「エルネア君、起きてください」


 遠く、遥か頭上の先から、ルイセイネの声が聞こえたような気がした。

 だけど、湖の底深くに沈んだような感覚が名残惜なごりおしくて、ううん、とルイセイネの言葉を拒否してしまう。


「エルネア君」


 もう一度名前を呼ばれ、はっと意識を深層から引き上げた。


「ごめんね。起きたよ」


 粘膜ねんまくでも張り付いているのではないかと思えるようなまぶたをこすって、強引に瞳を開く。

 心配そうに僕を覗き込むルイセイネの顔が、真っ先に視界へと入ってきた。


 何度目になるのかな。

 こうして心配そうに僕を起こすルイセイネの表情を見るのは。


 オルタとの戦いが始まって、すでに何日が過ぎたか、把握していない。気づけば太陽が昇っていたり、月が沈みかけていたり。

 何度も何度も交代を繰り返し、オルタと戦い続けて、もうどれくらいになるのか。


 森の木々の隙間から空を見上げると、太陽は東の空にあった。


 一度大きく伸びをし、周囲を見渡す。

 ウォルが木に背中を預け、ぐったりと首を下げて疲れたように寝ている。

 ザンは仰向けになり、ウォルの傍で瞳を閉じていた。

 セスタリニースがその近くで、大の字になって横になっている。

 誰もが泥に汚れ、身体のあちこちにあざや傷を負っている。


「おはよう、少しでも休めた?」

「ミストラル、ルイセイネ。おはよう」


 笑顔を作って挨拶をするけど、自分の顔に元気がないことくらい、自分でもわかっている。だけど、強引にでも笑顔を出すと、少しずつ元気とやる気が湧き始める。


「ヤクシオンとヘオロナが出発したわ。わたしたちも準備をしましょう」

「うん」


 ひと組がオルタと戦う。次の二人は、いつでも交代できるように側に控える。そして更に次のひと組も、緊急事態に備えて、いつでも動けるように備える。残った二人か三人が、しっかりと休憩を取る。

 僕を含め、オルタと直接戦っているのは竜王の六人と、ザンとミストラルと僕の、計九人。二人ひと組だと、ひとり余る。ただし、ひとりは臨機応変に動けるように控えとして残している。

 誰かが負傷すれば、すぐさま次に控えているうちのひとりが穴埋めに入らなきゃいけない。ひとり分ずれると、次々と後に控えている者たちの順番も変わってくる。


 現在は、スレーニーとジュラが戦っているはずだ。僕とミストラルは、二番手の控えとして準備を始めなきゃいけない。


 冷たい水で顔を洗い、底なし沼のように襲ってくるまどろみを振り払う。そして、食べ物を口のなかに押し込む。


 竜力は、瞑想で回復できる。だけど、身体的な疲労や精神的な疲弊ひへいは蓄積されていき、身体のなかに重く積み重なっていく。


 せっかくルイセイネが作ってくれた温かい料理も、味を感じない。

 物をむことにさえ、体力が消費されているような感覚に陥る。

 口のなかいっぱいに頬張ほおばった食べ物を、飲み物で強引に喉の奥へと流し込んだ。


 ルイセイネはいつまでも、僕を心配そうに見つめていた。


「大丈夫だよ。僕はまだ頑張れるから!」


 お腹が満たされたことにより、活力が湧いてきた。やっぱり、どんなときでも食事は摂らないといけないね。


 身嗜みだしなみを整えると、気合いを入れる。


 オルタを必ず倒す!

 これだけが、今の僕たちを支えている目標だ。

 何がなんでもオルタを倒し、竜峰の平穏を取り戻す。そのためには、次になんて期待しちゃいけない。戦い始めたのなら、最後までやり遂げるしかないんだ。


 腰の白剣と霊樹の木刀を確認する。

 そして、アレスさんを見た。


 アレスさんは、竜峰迷宮を発動させて以降、ずっと精霊術を維持し続けている。

 僕たちの作戦のかなめは、この迷いの精霊術だ。

 オルタに破られないように、これまでずっと、維持をしてもらっていた。

 プリシアちゃんも健気に手伝ってくれている。精霊力が回復すれば、アレスさんに惜しみなく注ぎ込む。それ以外のときも、ルイセイネのお手伝いをしてくれていた。


 アレスさんは、森の奥深い場所を見つめ続けていた視線を、僕へと移す。


「あと、ほんの少し。頑張りなさい」


 その言葉を待っていたんだ!

 アレスさんの言葉に、一気に元気が湧き上がってきた。

 出口のない洞窟どうくつを、明かりもなく進んでいたところに、希望の光がしたような感じだ。


 そして、元気を受け取ったのは僕だけではなかったみたい。

 ミストラルの顔にも明るさが射す。

 ザンが、がばりと起き上がる。ウォルがうな垂れていた首を上げ、セスタリニースが勢いよく跳ねあがった。


「それは本当か?」

「あと一押しかな?」


 セスタリニースとウォルの言葉に、アレスさんは頷いた。


「ここが正念場であろうな。一気に押し切ってしまわねば、次はないぞ」


 アレスさんの言葉に、休憩場所に居た全員が気合いを入れ直す。


「そう言われちまったら、休憩なんぞしてられんな!」


 先ほどまで戦っていて憔悴しょうすいしきっているはずなのに、獰猛どうもうな笑みを浮かべるセスタリニース。

 そして、ザンとウォルとセスタリニースは、ルイセイネが作っていた食事を急いで口に運ぶ。


 こうなれば、総攻撃だ!

 僕とミストラルは、ザンたちの準備が整うのを待ち、全員で森の奥へと駆けた。






 スレーニーが竜術を放つ。オルタの周囲に立体的な術式が浮かび上がる。立体術式のなかを何本もの細い光が屈折しながら飛び交い、オルタの全身を全方位から貫く。


 オルタが咆哮をあげた。

 闇の刃が立体術式を打ち破る。

 極細の光線が立体術式と同時に消失した。その瞬間、ジュラが素早くオルタに接近する。

 一振りになった竜奉剣で受けようとするオルタ。だけど、ジュラは水の流れのような緩急をつけて竜奉剣を掻い潜り、連続的に斬りつける。


「調子に乗るなよっ!」


 オルタの四足の足が地を割り、背中の翼が闇の雷を放つ。


「ジュラ、下がれっ」


 スレーニーが叫ぶ。ジュラは躊躇いなく、後方へと跳んだ。


「おっしゃあっ」


 そこへ、ヘオロナの気合いと共に、僕たちは全員で竜槍をオルタへと投擲とうてきした。

 数本の竜槍がオルタの黒い雷撃に落とされる。だけど、到達した五本の竜槍がオルタの身体を貫く。そして爆発した。


 爆発したはずだった。

 血と肉と内臓を撒き散らし、爆散したと思った直後。オルタの全身は再生していた。


「無茶苦茶だな……」


 ジュラが僕たちの側へと来る。そして疑問を口にした。


「それで、全員でここへ来た理由を聞こうか?」


 全員の視線はオルタに向けられている。

 オルタは憎々しげに、僕たち全員を睨み返していた。


「あと一押しです!」


 僕の言葉に、オルタの怒気が膨れ上がった。


「あと一押しだと? 俺のどこをどう見て、そんな戯言ざれごとける!」


 僕の言葉とは逆に、オルタの竜気はみなぎっていた。だけど僕はもう一度、全員を奮い立たせるように強く言う。


「あともう少し。それでオルタを倒せます!」


 オルタの目の周りに、怒りで血管が浮き上がる。真っ赤に染まった瞳が、憎悪と怒りで輝く。


「負け惜しみとはいえ、その戯言は捨て置けんぞ、小僧。この際だ。貴様ら全てを相手にして、俺の絶対的な強さを見せつけてやる!!」


 オルタの怒りに呼応するように、大地が揺れ始める。暗黒の竜気が大地から湧き出し、荒れ狂う。オルタの全身の輪郭が、黄金色に縁取られていく。


 この姿。この竜気。未だに無限の再生力を見せるオルタのどこを見て、あと少しというのか。

 きっと、誰も信じない。

 だからこそ、オルタ自身が怒りに満ちていく。


 僕たち全員が何日間にも渡り、代わる代わる戦い続け、それでも尚、桁違いの力を見せつけるオルタ。


 だけど、怒気に染まるオルタを見て、ヘオロナが軽薄な笑みを見せる。


「どんなに勇ましくても、お前はあと少しなんだよ」

「エルネアが言うんだ。もう間もなくだな」


 うんうん、と竜王の全員が、オルタを挑発するように頷く。

 竜王たちの挑発により、さらに怒りで竜気を膨れ上がらせていくオルタ。

 一体どこまで上昇し続けるのか。場を圧倒するオルタの竜気の気配に、嫌な汗が止まらない。


「貴様らを必ず殺す! しかしまずは……そいつを返してもらう!」


 オルタの不気味な瞳が、戦場の片隅で僕たちから少し離れて立つユフィーリアとニーナに向く。

 初日にウォルとセスタリニースが奪った竜奉剣の一振り。それを双子王女様はずっと守り通していた。


 オルタは、闇の波動を僕たちへと飛ばす。直後に背中の歪な翼を羽ばたかせ、四肢ししが大地を蹴り上げる。

 闇の波動は、竜王やミストラルたちが咄嗟に張った結界を容易く砕き、襲いかかる。精神を蝕むような、内側から湧き上がる激痛に悶絶する。


 双子王女様は揃って、横へと走り出す。

 だけど、圧倒的にオルタの方が速い。

 オルタの黄金に輝く爪が、竜奉剣を背負ったニーナに迫る。

 オルタはきっと、ニーナごと竜奉剣を握り掴むだろう。そのときは、彼女が握り潰されてしまう。


 でも、そんなことはさせない!


 苦痛を堪え、空間跳躍を発動させる。一瞬でユフィーリアとニーナの傍に飛び、抱き寄せた。

 そして、連続跳躍。

 間一髪で、オルタの邪悪な魔の手から双子王女様を救い出す。


 オルタがどんなに速く走ろうとも、空間を跳躍するこの技の前では鈍足どんそくだ。

 双子王女様を抱えたまま、僕は破壊されていない森を背にしてオルタに向き直る。

 オルタはすでに、僕の位置を捉えていた。そして、恐ろしい形相で迫ってくる。


「竜奉剣を返せっ。それは俺の物だ!」


 僕は双子王女様を抱き寄せたまま、迫るオルタとの視線をぶつけ合う。


「オルタ。君は最初から、僕の手中で踊っていただけだ」


 僕はそう言い残し、もう一度空間跳躍を繰り出して、双子王女共々オルタの前から姿を消す。


「っ!」


 オルタの四肢が大地を掴み、急制動をかけた。そして素早く振り返り、跳躍先の僕を補足する。


 でも、もう手遅れだよ。


 僕たちとオルタの間には、無数の竜槍が放たれていた。


 双子王女様が竜奉剣でオルタの注意を奪い、僕が翻弄する。その間に、ミストラルたちは定められた場所へと移動していた。

 二度目の空間跳躍で、オルタを意図した方角へと導く。そして、三度目に空間跳躍をした場所。そここそが、最後の一手となる位置。

 配置についたミストラルたちは、オルタの後方になる場所から全力で竜槍を放っていた。


「こんなものっ!」


 突き刺さっても、爆散しても、オルタは瞬時に回復する。

 本人もそう思ったはず。

 先ほどがそうであったように。


 強引な静止から体勢を戻し、竜槍など眼中にないとばかりに地を蹴るオルタ。

 そこへ、竜槍が叩き込まれた。


 一発目がオルタの胴にぶつかる。しかし刺さることなく、オルタを吹き飛ばす。

 思わぬ衝撃で、たたらを踏むオルタ。そこへ、第二第三の竜槍が着弾する。


「ぐがあっ!」


 飛来する竜槍は全て、オルタに刺さることなく後方へと吹き飛ばす。

 予想外の効果と威力に、オルタは四本の足でも踏ん張りきれず、後方へと弾かれていく。


 ミストラルたちは更に竜槍を放ち、オルタを吹き飛ばし続けた。


「こんなもの……! こんな攻撃が、俺に通用すると思っているのか!!」


 オルタの怒りが爆発した。


 背中の歪な翼を大きく広げる。

 大地を割り、天高くまで闇色の竜気の柱が立つ。そして、飛来する全ての竜槍を消し飛ばす。


「こんな小細工……。なにがあと少しだと? 俺を馬鹿にするのも大概にしろよっ!」


 竜族にも勝るような、天を揺るがす咆哮をあげるオルタ。


 僕たちは手を止め、全員でオルタを見た。


「全てを終わりにしてやる。貴様らを殺し、竜峰に住む者どもを地獄へと送ってやる」


 オルタの言葉に、無言で応える僕たち。

 僕たちの背後から、この戦いで要の人物だった者が現れた。


「愚か者め。エルネアが言ったであろう。あと少しだと」


 妖艶ようえんな足取りで歩いてきて、僕たちの前に立つ人物。それは、アレスさんだった。


 ここで初めて、オルタの表情に怒りや憎しみといった負の感情以外の色が現れた。

 僕たちの落ち着いた様子をいぶかしがる瞳の色。なぜここで、迷いの術を放った精霊が出てくるのだ、と疑いの気配がごく僅かに生まれる。なにを言っているのだ、と微かな困惑を見せる。


 アレスさんは、オルタの表情の変化に勝ち誇ったような笑みを見せて、右手を胸の高さに上げる。そして、横へと振り払った。


 オルタの目が見開かれる。


 深い森のなかでありながら、激しい戦闘で荒れ果てた大地。

 それは変わらない。

 だけど、それ以外の風景が一変した。

 遠くにそびええていた、雲を突き破る山脈の姿が消える。代わりに、四方を囲むような山岳地帯が現れた。

 頭上で荒々しく渦を巻いていたはずの嵐が、僕たちの後方へと移動していた。

 そして、嵐の下の空を埋め尽くす竜族たちが現れる。

 それだけじゃない。深い森のなかには、翼を持たない地上の竜族たちでも埋め尽くされていた。


「あと少し」


 僕は、オルタの背後を指差す。


「これは、君の力が尽きるという意味じゃない。不死性が切れることを指していたわけでもないよ」


 オルタは驚愕きょうがくの表情のまま、背後を振り返った。そして、絶句する。


 オルタの背後。深い森の切れ目。

 そこには、全てを呑み込み焼き尽くす、紅蓮の地獄の壁が高く聳える。


 猩猩しょうじょうの縄張りを示す、渦を巻く煉獄の炎だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る