北の砦

「エルネア、お前は俺たちに構わず先に行け!」


 スラットンの言葉に、リステアが首を傾げる。


「悔しいが、お前の速さに俺たちはついて行けねぇ。急ぐんだろ? なら、俺たちに構わず先行しろ」

「うん。ありがとう!」


 スラットンの気遣いに、僕は頷く。

 リステアやセリース様と再会を喜び合っている場合じゃない。

 喜びを分かち合うのは、この騒動が終わってからでも遅くはないよね。


「ああ、それと。そこの魔族は連れて行けよ」


 スラットンが指差す方角。そこには、ルイララが所在なさげにたたずんでいた。


「やっぱりエルネア君は酷いよ」

「いやいや、君はこれからも大人しくしていてね」

「……魔族だと?」


 状況を理解していないリステアの首の角度が更に深くなる。


「ああ、説明は俺がするぜ。とにかく、お前は早く行け」

「スラットン、ありがとう。ドゥラネルと仲良くね!」

「うるせえよ、ほっとけ!」

『大きなお世話だ!』


 スラットンとドゥラネルの叫びを背中に受けながら、僕は北へと向かい空間跳躍をした。

 一瞬で遠い背後になったセリース様があげた驚きの声が、少しだけ聞こえた。


 全力で連続空間跳躍をする。

 細切れに移り変わる風景。

 時折、現れる死霊を倒しながら、北の街並みを駆け抜けた。


 今にも雨が降り出しそうな曇天が王都上空を覆い尽くしている。

 飛竜騎士団は、厚い灰色の雲と低い家屋の屋根屋根の間を飛び回り、王都に散らばった死霊軍を攻撃し続けている。

 だけど、圧倒的に数が足りない。

 広い王都。その全てを十数騎だけの飛竜騎士団で補えるわけがない。


 王都の防衛戦力は、北に集中していた。

 普段は飛来する飛竜に備えて。そして今は、飛竜の狩場北部から迫ろうとしている大邪鬼ヤーンが率いる魔族軍に対して。


 飛竜騎士団だけでは、王都中を守りきれない。もちろん、僕やリステアだけでも戦力が足りない。

 だから、北部の守備戦力がほしいんだ。


 空間跳躍を駆使して北の砦へと進む僕の前方に、死霊の軍勢が現れた。

 数十以上。これまでにない規模の集団で北上する死霊軍を見つけ、武器を構える。


 死霊軍は網の目のような居住区を抜け、砦が見える開けた場所に飛び出す。

 僕は背後から迫り、死霊軍に襲いかかろうとした。そして、足を止める。


 ときの声があがった。


 北の砦のすぐ内側。広場や朽ちた建物や空き地が点在する場所に、王国軍が待ち構えていた。


「突撃っ!!」


 雄々しい叫びを合図に、兵士たちが死霊軍に突撃する。

 死霊軍も、前方の王国軍に向かい突進する。

 北の砦の内側で、王国軍と死霊軍の戦闘が開始された。

 怒号が飛び交い、鋼がぶつかり合う音が響く。


 僕は止めていた足をもう一度動かし、戦場へと進む。

 兵士たちの奮起、死霊の怨念おんねんが混ざり合い、これまで体感したことのない異様な雰囲気に飲み込まれる。


 僕は死霊騎士の間合いに飛び込み、白剣を一閃させる。

 斬れ味を取り戻した白剣にとって、騎士の鎧や盾、鋼の剣は意味を持たない。

 一刀で両断し、周囲に霊樹の葉っぱを展開させる。鋭利な葉っぱが乱舞し、死霊を斬り刻む。

 多重の葉っぱが、近くで襲われていた兵士の命を守る。

 白剣を振るい、死霊たちを倒していく。


 だけど、僕ひとりの奮戦なんてたかが知れている。

 白剣と霊樹の葉っぱの威力で周囲の死霊は倒されていく。でも、それ以外の場所では惨劇に近い状態の戦いになっていた。


 まがりなりにも、死霊軍は魔族。それに対し、勇ましくはあっても王国軍は人族。

 圧倒的な兵力差で突撃したはずの王国軍。だけど死霊軍に圧倒され、瞬く間に劣勢へと転じていた。

 更に、王国軍にとって不幸なことが起きる。

 死霊に殺された兵士たちが、今度は死人となって復活し、襲いかかってきた。


「退避っ! 一度砦へと退避せよ!」


 隊長の号令で、兵士たちは砦の門へと向かい後退する。その背後から、死霊が迫った。


 周囲の死霊を倒しながら、援護に向かおうと足を進める。だけど、死霊がそれを許さない。

 僕が足止めをくらっている間にも、次々に倒れていく兵士たち。

 砦前では乱戦になってしまっていて、竜槍のような規模の大きい竜術は使えない。


 焦る気持ちが湧き起こってくる。

 どうにかしなきゃ!

 そう思うほどに剣速は増す。だけど、足が進まない。


 砦の門をくぐり、助かった兵士たちが悲鳴をあげて砦の奥へと逃げていく。

 だけどその背後では、砦のなかへと死霊を入れないように奮闘し、命を落としていく兵士たちがいる。


 圧倒的な魔族の力の前に、人族はすべがない。

 竜峰で、竜人族や竜族が魔族と相対したときは、こちらが圧倒して魔族なんて敵ではなかった。

 だけど、これが人族と魔族の力の差なんだ。

 魔族の前では、人族は無力でしかない。

 死霊軍に蹂躙じゅうりんされ、王国の兵士たちが倒れていく。そして、倒れた兵士は死人として、人族の敵になっていった。


 ぎりり、と歯をくいしばる。

 僕ひとりがどんなに力を付けても、守れるものは少ない。

 手の届く距離。意識を向けられる範囲でしか、手を差しのばすことができない。

 白剣の斬れ味、霊樹の術や竜術をどれ程に極めようとも、目の届かない場所、僕が感知できない場所のものは救えない。


 なんでも全てを思い通りになんて、無理なことは理解している。

 だけど、それでも!!

 救いたい、守りたいと思うものをひとつでも多くこの手のなかに掴みたい!


 だから、願う。

 そして、望む。


 僕ひとりで守れないものを、誰か守って。一緒に救って欲しい。


 僕の意思が届いたのか。


 砦の門前にまで迫っていた死霊が、文字通り空に舞った。

 なにかに弾かれたように吹き飛び、消滅する。

 重装の首なし騎士がのように舞い、大盾を構えた死霊騎士が盾ごと微塵みじんに消し飛ぶ。


 僕は驚き、足を止めた。

 砦門前で奮戦していた兵士も、驚愕きょうがくで動きを止めていた。


「やれやれ、この歳になってまた魔族と戦うことになろうとはな」


 聞き覚えのある声に、僕は周囲の死霊を薙ぎ払い、躊躇ためらわわずに空間跳躍をする。

 そして、ひとりの老人の前へとおどり出た。


「エルネア君か」


 銀色の美しい曲刀を構えた白髪の老人が、僕を見て優しく微笑む。


「ジルドさん、こんにちは!」


 僕も微笑む。


「お前さんの竜気を感じたのでな。助太刀しよう」

「ありがとうございます!」


 周囲で目を見開く兵士に、砦へと避難するように叫ぶ。そして僕とジルドさんは、揃って武器を構えた。


「兵士は全員、砦へ退避しろっ!」


 どこかで聞いたことのあるような声を背後で感じる。

 だけど、僕とジルドさんは避難する兵士の波を逆行し、死霊軍へと足を進めた。


「おらおら、応援に駆けつけてやったぞっ」

「助太刀いたします!」


 そのとき、僕たちの前方で。つまりは死霊軍の背後で竜の咆哮が響き、炎の竜巻が暴れた。

 そして、炎で形作られた鳳凰が優雅に舞う。


「リステアたちだ!」

「ほほう、勇者か」


 遅れて到着したリステアたちが、死霊軍を背後から襲う。

 僕とジルドさんは剣先を揃え、正面から死霊に斬りかかった。


 わあっと、砦の奥や上から兵士たちの歓声があがる。


 正体不明の僕たちにではなく、勇者の登場に兵士たちは活気づいていた。


「やれやれ。勇者は大人気だな」

「そりゃあもう、王国一の人気者ですからね!」


 兵士たちの歓声を一身に浴びて炎を振り撒くリステア。スラットンもドゥラネルから降りて、大剣を振るっている。

 ドゥラネルは背後からスラットンを襲うことなく、迫る死霊を薙ぎ倒していく。

 そして、ジルドさんに負けず劣らず死霊を吹き飛ばしているのはセリース様。

 吹き飛んだ死人の狂戦士が、遥か彼方の砦壁にぶつかる。死人の狂戦士はぶつかった勢いではなく、セリース様の一撃の圧力でぺっしゃりと潰れていた。


「お、恐ろしい……」


 僕はこの日、セリース様の真の恐ろしさに気づいてしまった!


「ほれ、エルネア君。手が止まっているぞ。竜王らしくきりきりと働きなさい」

「はいっ」


 セリース様の恐ろしい一撃に、どうやら呆然あぜんとしてしまっていたらしい。

 止まっていた身体を動かし、死霊を斬り倒す。

 僕たちが死霊軍を引きつけている間に、生き残った兵士たちは砦のなかへと避難していった。


「さあて、邪魔な者が居なくなったことだ。魔族を一掃することにしよう」


 ジルドさんは曲刀を肩に乗せ、不敵に笑う。


 ぞわり、とジルドさんの奥深くから鋭利な竜気が湧き上がってくるのを感じた。

 瞳を鋭く光らせ、曲刀を持っていない左手を高く掲げるジルドさん。そして、叫んだ。


「乱れ舞え、竜槍乱舞りゅうそうらんぶ!」

「あの二人の迷惑な術はジルドさんが原因かぁぁぁっっ!!」


 気づけば、僕も叫んでいた。


 ……そういえば、双子王女様はずっと昔に、ジルドさんに教えをいていたんだよね。

 無差別竜術の本当の使い手は、実はジルドさんでした!

 なんて浅はかな思いは、次の瞬間には消えていた。


 竜槍とは、竜気の槍自体が竜の姿に似せられている。口先が鋭い刃で、尻尾は長い柄の部分。胴体や翼の部分が鍔にあたる。


 ジルドさんが生み出した無数の竜槍。

 その竜槍の翼が羽ばたき、死霊目掛けて恐ろしい速度で飛ぶ。

 死霊を貫いた竜槍は爆散も消滅もせずに、次の獲物めがけて翼を羽ばたかせる。そして、空気を切り裂き飛翔した。


 まさに、竜槍が乱舞していた。


 次々に死霊を刺し貫き、葬り去っていく。


 双子王女様のような、四方八方へ向かって無差別的に放たれる竜槍ではなく。一本一本に意志があるかのような動きを見せ、瞬く間に死霊軍を全滅させていく。


 これが、前八大竜王。三百年前、双子の建国王やスレイグスタ老、ユグラ様や竜人族や竜族と共に腐龍の王と戦った伝説の人物、ジルドさんの本当の実力なんだ!


 僕は感動して、魅入みいってしまっていた。


 だけどジルドさんは、竜槍乱舞で全滅したはずの死霊軍のいた場所をじっと見つめる。

 鋭い眼光からは、迫力が失われていない。

 そして、振り上げていた左手を振り下ろす。


 乱舞していた無数の竜槍が、ある一点へと向かい収束し、襲いかかる。

 爆散する竜槍。

 激しい衝撃波と爆音が、北の砦を揺らした。


「はあっ!」


 ジルドさんが地を蹴る。

 土の飛沫ひまつをあげ、竜槍乱舞が着弾した場所へと身体を踊らせる。

 直後、爆心地から鋭い金属音が鳴り響いた。

 そして、爆心地から放たれた鋭い竜気と計り知れない魔力が、周囲の土煙を一瞬で吹き飛ばす。


「ああっっ!!」


 爆心地を見て、叫ぶ僕。


 なぜなら。


 ジルドさんが竜槍乱舞を叩き込み、剣を向けた相手。それは、魔族のルイララだった!


 ……ああ、ジルドさんに説明するのを忘れていました。

 というか、説明する暇なんてなかったよね?

 うん。僕はきっと悪くない。


 自己弁解している間にも、鍔迫つばぜいをする二人。


「いいね、いいねぇ。これほどの人物が人族の国に潜んでいるとはね」

「並ならぬ魔族と見える。しかし覚悟せよ」


 火花を散らすジルドさんとルイララ。

 ぐっと腰を落とし、ルイララを跳ね飛ばそうとするジルドさん。それに合わせ、ルイララは重心を前にする。

 瞬間。ジルドさんは流れる動きでルイララの力を受け流し、側面へと移動した。

 前へと重心を移動させていたルイララが姿勢を崩す。


 ジルドさんの曲刀が滑らかに流れる。

 ルイララは崩れた体勢のまま、魔剣を振るう。


「っ!」

「……っ?」


 だけど、二人の剣が交差することはなかった。


 僅かな二人の隙間に身体を滑り込ませたのは僕。

 白剣でルイララの魔剣を受け止め、霊樹の木刀でジルドさんの曲刀を払う。


「エルネア君?」


 ジルドさんが訝しげな視線を僕に向ける。


「ごめんなさい、ジルドさん。この魔族は味方なんです!」


 目を丸くするジルドさん。

 そして、快活かいかつに笑い声をあげた。


「そうか。君はとうとう、魔族まで引き込んだか。わっはっはっ」


 顎髭あごひげを撫でながら笑うジルドさん。


「ルイララもごめんなさい。だから剣を引いてくれるかな?」


 鬼気迫る瞳でジルドさんを見ていたルイララは、僕へと視線を向ける。

 暫し睨まれて。


「仕方ないね。君のたっての願いだ。ここは退くとしよう。だけど代わりに、また勝負をしてもらうよ?」

「うん。約束するよ」


 僕の言葉で、魔剣をさやに収めるルイララ。


 ふうう。一安心。

 まさか、ルイララからじゃなくて、ルイララに突撃する人がいるなんて盲点でした。

 以後は気をつけよう。


 ジルドさんは僕のさっきの言葉だけで納得してくれたのか、銀色の曲刀を鞘にしまいながら、未だに笑っていた。


 そして。

 少し離れた場所で、リステアたちが顔を引きつらせて笑っていた。


「なんだ、その出鱈目な二人は……」

「魔族……。エルネア君が魔族と知り合い……」

「くそがっ。あの魔族はわかるが、爺さんは何者だよっ」

『馬鹿な……。竜人族にこれほどの者が居るのか』


 北の砦から歓声を向けられている勇者様御一行は、ジルドさんとルイララの桁違いの気配に驚愕していた。

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