魔族の行進
「ジルドさん、お久しぶりです」
北の砦の内側に死霊の残党が居ないことを確認して、ジルドさんに向き直る。
ジルドさんの周囲には鋭い旋風の
ジルドさんとは暫く会えていなかった。
ヨルテニトス王国から帰ってきてこれまで、騒動の連続。まともに苔の広場にさえ行けていなかったのだから、仕方ないよね。
僕が改めて挨拶をすると、ジルドさんは先程までの鋭利な気配を柔らかい笑みで包み隠し、顎の白い髭を撫でながら微笑む。
「少し見ないうちに、また随分と成長したようだね」
「そうですか? でも、ジルドさんにそう言ってもらえると嬉しいな」
僕も竜宝玉の気配を消して、両手の武器を納める。
ジルドさんは僕の胸元、というかその奥の体の内に宿した竜宝玉を見つめるように眼を細め、何度も頷く。
「うむ。しっかりと馴染んでいる。エルネア君にそれを継げて、儂は満足だよ」
ジルドさんにそう言ってもらえるだけで、僕の心は満たされる。
偉大な八大竜王の、竜宝玉と称号。ジルドさんが築いた名誉と竜の想いをきちんと継承できているのだと、満足感を得られた。
「エルネア、そのご老人をできれば紹介してほしいな」
「エルネア君。その方はもしや……」
僕たちの側に、リステアとセリース様がやって来た。
スラットンは? と思ったら、なにやらドゥラネルと
「背中に乗せやがれ!」
『人ごときを容易く乗せるほど我の背中は安くないわっ』
スラットンは竜心がないので、ドゥラネルがなにを言っているのか、もちろん理解できていない。だけど、態度などで拒絶されていることはわかるらしく、やんやとふたりで押し問答をしていた。
うむむ。揉めてはいるけど、命のやり取りのような切羽詰まった状態じゃないから放置しよう。
スラットンは、ドゥラネルの背中に強引に上がろうとする。だけど、懐の銀の短剣を抜く気配はない。
ドゥラネルも、嫌だ嫌だと暴れてスラットンを振り落としているけど、踏み潰したり竜術を使う気配はない。
その気になれば、お互いに命を奪う手段を持っている。だけどその手法はとらない。
最初と比べれば、ちょっとだけ進歩してるよね。
スラットンとドゥラネルは取り敢えず放置して。
ついでに、手持ち
僕は歩み寄ってきたリステアとセリース様に向き合った。
炎の鳳凰は相変わらず消滅せずに、その辺をてくてくと歩いていた。
なんだか、不思議な生物みたいに見えるよ。
「リステア、セリース様。助かりました」
「いや、助かったのはこちらの方だ」
「凄い術でした。あれはこのご老人の術でしょう?」
「うん」
セリース様は竜気を操れるから、きっとジルドさんの術が竜術だと気付いたはずだ。
だけど、僕はどうジルドさんを紹介すれば良いのか迷う。
ジルドさんは竜人族。だけど隠居し、この北の砦近くでひっそりと生活していた。
それなのに僕が口軽く言ってしまうのは駄目なんじゃないかな。
悩んでいると、次なる来訪者が姿を現した。
僕たちが戦っている隙に兵士たちを収容し、固く閉ざされていた北の砦の内門。それが僅かに開き、数人の兵士がこちらへと駆け寄ってきた。
んんん?
先頭を走る男性に見覚えがある。
だけど、周りの兵士たちのような鎧は着ていない。どちらかというと、軽い遊び人風の服装だ。
なぜ、こんな軽薄そうな男性が砦から兵士を引き連れて出てきたんだろう?
もう一度、先頭を走ってくる男性を見る。
灰色の髪。二枚目なんだけど、
「おおーい、坊や!」
僕を見て「坊や」と軽い口調で叫んでくる。
記憶を掘り起こし、駆け寄ってくる男性の名前を呼び起こす。
「あ。ルドリアードさん」
「あ。とは酷いじゃないか、坊や」
近づけば、
軽薄な気配とは逆に、ただの兵士では放てない威圧にも似た雰囲気を纏っている。
ううん、威圧というよりも、人の上に立つような気品と支配の気配かも。
ひらひらと手を振って到着した男性、ルドリアードさんに、軽く挨拶を返す。
ルドリアードさんとは、去年に出会った。
ルイセイネと一緒に行ったお使いの途中で巻き込まれた、偽竜人族と偽勇者の事件。そのときにお世話になったのが、ルドリアードさんだ。
あのときはまだ、この人は街道を守る巡回兵の隊長だったよね。だけど確か、国軍から
それなら、北の砦に詰めていてもおかしくはない。
だけど、鎧を着ていません。
そして、背後に控えた数名の兵士は、いかにも部下のような立ち振る舞い。
「僕は坊やじゃないですよ。それよりも、去年国軍に入ったばかりで、もう部下を持っているんですか? 出世早くないですか?」
「ははは。確かに先ほどの活躍ぶりで坊やというのは失礼だったな。それに、いつまでも坊や坊やと言っていると、あのときの怖いお嬢さんに殴り殺されそうだ」
後頭部をぼりぼりと掻き、愉快そうに笑うルドリアードさん。
「エ、エルネア……」
「エルネア君……」
相変わらず、なんだか軽いですねぇ。と突っ込んで笑い合っていると、リステアとセリース様が顔を引きつらせて僕を
「エルネア、そのお方がどなたか知っているのか……」
「エルネア君。お兄様といつ知りあっていたんですか?」
「ははは、リステア。この人はルドリアードさんといって、元巡回兵の隊長さんだよ。去年知り合ったんだ。でも今は、国軍に引き抜かれたんだよ。こんな軽い感じなんだけど、多分本当は凄い人なんだよ。でも、知らなかったよ。ルドリアードさんはセリース様のお兄さんなんだね……。えっ!?」
セリース様。今なんと
お兄様?
セリース様は、アームアード王国の第四王女様。長女はユフィーリアで、双子の次女がニーナ。三女が先ほど知り合ったセフィーナさん。
だけど四姉妹の上に、王子様が二人居るんだよね?
長男の王太子様は、副都で
次男は……
ぎぎぎ。と
ルドリアードさんはいつの間にか、意地悪そうな笑みを浮かべていた。
「名乗り遅れてしまったか。いつも妹たちが世話になっている。俺は一応、第二王子だ。今は巡回兵隊長から変わって、王国国軍の将軍職を勤めている」
「ひぃっ」
ル、ルドリアードさんが第二王子で、国軍将軍様……!
僕はとんでもない人に軽く口を開いてしまっていたのか!
スレイグスタ老やアシェルさん。巨人の魔王。計り知れない者と接してきて、そういった存在への耐性は誰よりもあると思う。
現に、魔王を前にしても、普通に会話できる。
アームアードの国王様やヨルテニトスの国王様とも会ったことがある。そのときも、たいして気後れはしはなかった。
でもそれは、事前に知っていたから。目の前の人が国で一番偉い人。国を支配する王様だと知って接したから耐えられた。
だけど、知らず知らずのうちに王子様と接して、しかも軽い対応をしてしまっていた。
あああ……
僕はなんてことをしてしまったんだろう。
あわわ、と焦っていると、ルドリアードさんがまた軽い感じで笑いだした。
「いや、気にするなよ。俺と坊やの仲だ。妹たちのお気に入りでもある。今まで通りで構わんよ」
と言われても困ります!
側に双子王女様が居れば頼ったんだけど、ここには居ない。
なので仕方なく、僕はセリース様の服の
「ふふふ。ルドリアード兄様はこんな感じだし、本当に気にしなくて良いですよ」
セリース様はそう言ってくれたけど、横のリステアは改まった態度のままですよ?
僕の視線に気づいたのか、セリース様は一度リステアを見て。
「兄様は、ちゃらんぽらんで殆ど政務に就かない
「セリース。さらっと酷いことを言わないでほしいな。でもまぁ、そんな感じだ。リステアも気楽にな」
ぽんぽん、とリステアの肩を叩くルドリアードさん。
きっと、リステアの反応が正しいんだと思う。たとえ勇者とはいえ、相手が王族であれば身を正し
今まで通りで良いよ。と言われても、そうはいかない場面だってあるよね。
なにせ、ルドリアードさんの背後には、兵士の人たちが控えている。
王子であり将軍である人の側に仕えているということは、選び抜かれた近衛騎士かなにかのはずだ。
そして、砦の上などからは多くの兵士たちがこちらを見下ろしていた。
今更遅いかもしれないけど、身を正そうとする僕。
「エルネア、本当に気にするな。むしろ俺の方が君を敬わなきゃいけないくらいだ」
「えっ?」
なぜルドリアードさんが僕を敬う必要があるのかな?
僕の疑問の視線を受けて、ルドリアードさんはなぜか、ジルドさんに視線を向けた。
「ジルド様、挨拶が遅れて申し訳ございません。このたびはご助力いただき、陛下に代わりお礼を申し上げます」
「ええっ!」
驚いたのは僕だけじゃなかった。リステアとセリース様までもが驚いている。
どういうこと?
「なぁに。儂への挨拶なんぞ気にするな。面白いやり取りを見させてもらったよ」
ジルドさんは白い髭を撫でながら、愉快そうに笑う。
僕が首を傾げていると、ジルドさんが自ら教えてくれた。
「さて。儂が誰であるか、だったかな? お嬢さん」
そういえば、ジルドさんをどういう風に紹介しよう。という話だったね。
「儂は、竜人族のジルド。普段は王都内で其方ら王族の世話になっておる。そしてたまに、王族の男子に色々と教えている」
「セリース、黙っていてすまない。
なんという事実発覚……
僕とセリース様は驚き、ジルドさんを見る。
「そんなわけで、王家はジルド様に恩義がある。そしてエルネア。君はジルド様の後継者であり、正式な弟子なのだろう。ならば、王族として俺たちは君を軽んじるわけにはいかんのさ」
自分たちは基本を指南してもらっただけ。だけど僕は弟子として、正しく竜術を教わった。
だから、ルドリアードさんたち王族にとって、僕も大切に扱わないといけない人物なのだと説明を入れるルドリアードさん。
知りませんでした。
ルドリアードさんと出会った頃はまだ未熟者で、ジルドさんとも出会っていなかった。
だけどその後の過程で、僕は知らず知らずのうちに王族に目をつけられていたらしいです。
「ルドリアード様。そろそろお時間が……」
ルドリアードさんとジルドさんが愉快そうに笑い。僕とセリース様が衝撃の事実に
背後の兵士が申し訳なさそうに声をかけてきた。
「そうか。呑気にここで談笑している場合じゃなかったな」
これまで軽い気配だったルドリアードさんの雰囲気が
「ジルド様。そしてエルネアと勇者リステア。どうか、アームアード王国の危機に力を貸していただけないだろうか」
「魔族をものともしないその圧倒的な戦力が、我らには必要なのだ」
「もちろんです。俺たちはその為に、ここへと来たんです!」
間髪入れず、リステアが力強く頷く。セリース様も、兄であるルドリアードさんをしっかりと見据え、全力で協力することを誓った。
ルドリアードさんとジルドさんの視線が、返事をしない僕へと向けられる。
「僕たちがどれほど力を持っていても、魔族の軍勢の前では焼け石に水ですよ?」
「無論、それくらいは承知している。だが、ひとりでも多くの戦力が今のアームアードには必要なのだ」
「いいえ、ルドリアードさんはまだ本当の事を知らないんだと思います」
僕の否定に、少しだけ気配を荒くする背後の兵士たち。だけど、次に僕が口にしたことで、気を失いそうなほど顔面蒼白になった。
「飛竜の狩場から迫ろうとしている魔族軍は、約一万です。だけど、西から更に一万以上。南の遺跡からも先ほどのような死霊が何千と湧いてきています」
「なっ……!」
「三方から、魔族が合計約三万……」
この事実には、ルドリアードさんや兵士の人たちだけでなく、ジルドさんも顔を曇らせた。
「僕たちがここで頑張っても、他から迫られたら王都は保ちません」
「しかし……。では、どうすれば……?」
「ルドリアードさん。だから僕を信じてください。そして、協力してください!」
「エルネア。それはどういうことだ?」
疑問符を浮かべるルドリアードさんの手を取り、僕は砦へと駆けだした。訳がわからないといった様子で、その後ろをリステアたちがついて来る。
言葉じゃきっと、僕の心は伝わらない。
だから、強引だけどルドリアードさんを連れて走る。
砦の内門を
ルドリアードさんを引っ張る僕を
そして、北に広がる飛竜の狩場を見た。
「これは……」
「そんな……」
リステアとセリース様が、飛竜の狩場の景色に絶句する。
飛竜の狩場の北部。そこに、黒々とした影が広がっていた。
飛竜の狩場を邪悪に汚染する影。
南に立ち塞がる、この砦を目指し。
戦太鼓が響き。笛の音が鳴る。魔族軍を鼓舞する邪悪な音が、飛竜の狩場に轟く。
ずん。ずん。と大地を震わせる足並みを揃えた行軍に、砦を守備する兵士たちから血の気が引いていく。
「ルドリアード様、いったい……?」
「いや、俺にも何が何だか……」
ルドリアードさんに声をかけたのは、黒髪の巨漢、テイゼナル将軍だった。
テイゼナル将軍は北の魔族軍と僕たちを交互に見て、困惑している。
ルドリアードさんもさすがに困ったのか、僕に真意を問おうとした。
「しっ」
だけど僕は、周りで困惑する人たちの言葉を
研ぎ澄まされた聴覚に、魔族軍の行進音が耳障りに響く。竜峰から吹き降りてくる冷たい風の音が、微かに聞こえる。
だけど、僕が聴きたいのは、耳に届く音じゃない。
心を澄ませ、北に意識を向ける。
『もうすぐだよ』
『間に合うよ』
耳にではなく、心に風の声が届いた。
僕は目を見開き、北を凝視する。
違う。北よりももう少し西側。
竜峰の、険しい
僕の視線に釣られ、全員が北西を見る。
「来たっ!」
竜峰の空が、灰色の雲とは違う影に覆われた。
そして、遠く離れたこの砦まで、雄々しい咆哮が届く。
魔族の行軍が止まった。
北西の空から出現した影を警戒したように、魔族の軍勢に慌ただしさが見えだす。
ルドリアードさんやリステアを含めた砦の人たち全員が、飛竜の狩場を凝視していた。
みんなの視線の先で。
竜峰から現れた影は躊躇うことなく、魔族軍へと襲いかかった。
空を舞う大きな影から小さな影が分離し、地上の魔族軍に突撃していく。
何が起きているのか理解できていない砦の人たちの先で、魔族軍と竜峰からの影との激戦が始まった。
「いったいなにが……」
呆然と戦場を見つめるルドリアードさんたち。
空を支配し、魔族軍を襲う影。そのなかから、ひとつの大きな影と複数の小さな影がこちらへと向かって進んできた。
「
誰かが叫んだ。
呆然と戦況を見つめていた兵士たちのなかに、恐怖が広がりだす。
だけど僕は、慌て騒ぎだす兵士たちをよそに北の空を見つめ続けた。
大きな影は近づくにつれ、赤さを増していく。そして、次第に輪郭を鮮明にさせる。
紅蓮色の、美しい飛竜だった。
荒々しく空を切り裂く大小四枚の翼。
他に類を見ない四つの鋭い瞳が輝く風貌。
巨大な
「エルネア様、お待たせしましたですわ!」
レヴァリアの背中の上に姿勢良く立ち、ライラが僕に手を振る。
「おおう、間に合ったか!」
そして小さな影。それは竜王たちだった。
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