人々の想いは月色を満たす

 超一流の呪術師じゅじゅつしは、生き物や物質を僕たちとは違う「色の世界」で見分けるとう。

 僕は呪術師ではないけど、似たように普段から瞳に映るような世界とは違う、色鮮やかな世界を知っている。


 アリスさんたちは知っていたかな?

 空気にさえも色がついた、色鮮やかな世界。即ち、精霊たちの世界の存在を。

 巫女騎士のアリスさんは、知識として知っていたかもしれない。

 だけど、自身の瞳でその世界をじかに見たことはなかったはずだ。


 精霊力を持たない人族。更に、巫女さまはたとえどんな先天的な資質を持っていたとしても、法術以外の術の使用は禁止されている。

 だから、初めて目にしたはずだ。

 精霊たちの住む世界と、僕たちが普段から認識している世界が融合した、色鮮やかな幻想的な世界をね!


 自重じちょう

 今回は手加減しないと決めていたからね!

 それに、知ってほしかったんだ。

 この島のことを。


 僕の竜剣舞に合わせて、嵐のように渦を巻く竜気。

 だけど、今回は攻撃性のある嵐ではない。嵐の竜術によって世界を僕の竜気で満たす必要があったんだ。

 何故なぜなら、と周囲を見渡す。


 季節外れに咲き乱れる草花が、生命力に光り輝いていた。

 大気が、赤や黄色や青色、それ以外にも様々な色彩に美しく染め上げられていた。

 風が流れると。草花が揺れると。そして僕たちが動くと、世界を満たす「色」が撹拌かくはんされて、より一層に世界を神秘的に見せる。

 その色鮮やかに染まった、重なり合った世界で。

 数え切れないほど多くの精霊たちが、周囲に集まっていた。


 竜気の宿った嵐の竜術は、霊樹の枝によって属性が書き換えられて、精霊たちのかてになる。

 霊樹の恵みを受けた精霊たちが、鮮やかな世界とともに顕現してきたんだ!


「精霊を使った攻撃か!」


 アリスさんは、僕だけではなく、精霊たちにまで警戒をする。

 だけど、違うんだ。

 精霊たちが僕と霊樹の力を貰って顕現した理由は、別にあった。


 僕とアリスさんだけでなく、見守っていたアレスちゃんやミシェルさんたちの前で、顕現した精霊たちの劇が始まったのは、その時だった。






「さあ、ユビット。行きなさい」

「みんな! 僕は必ず、みんなを救う手立てを見つけ出して戻ってくるよ!」


 老婆にふんした精霊が、船に乗った青年に扮した精霊に別れを告げる。

 青年は、希望に満ちた瞳で周りを見渡す。

 船の周りには、多くの人々、の配役を担う精霊たちが集まってきていた。


「こ、これは……!?」


 僕と激しく戦う傍で急に精霊たちの演劇が始まったことで、アリスさんは戸惑う。それでも、僕に向けられる両刃薙刀の鋭さと法術の苛烈さは失われない。

 そして、死闘を繰り広げる僕たちを他所よそに、活性化した精霊たちの演劇は続く。


 き込む老人が、青年の乗った船を押す。


「僅かな希望にすがるしか、儂らには残されていないのだ。このままでは、この島は滅びてしまう」


 別の中年男性が続く。同じく、中年の女性や他の者たちが船に駆け寄って、口々に青年へ想いを伝えていく。


「ユビット、俺たちの未来はお前に掛かっているんだ。だから、どうか無事で」

「ごめんなさいね。貴方にこんな無茶を。だけど、きっと女神様が貴方を護ってくださるわ」

「きっと俺たちのように、北の海の島々には生き残っている者たちがいるはずだ」

「伝承によれば、西の島には私たちの親戚に連なる一族が暮らしているそうよ?」

「きっとそこには、素敵な巫女様がいらっしゃる。そうすれば、私たちの病もきっと治してくださるよ」


 船に駆け寄った数人が、苦しそうに咳き込んだ。






「ユビットって、お父さんだよね!? それじゃあ、この精霊たちの演劇って……?」


 ミシェルさんが、僕とアリスさんの決闘から精霊たちの演劇へと、意識を移す。そして、精霊たちがなんの演目を演じているのかを察する。

 そう。精霊たちは、嘗てこの島で起きた別れの場面を僕たちに観せているんだ。


 ユビットという青年こそが、のちに運良く大陸に漂着してアリスさんと出逢い、ミシェルさんのお父さんとなる神官さまだ。

 船の周囲に集まった人々は、この島で暮らしていた島民たち。

 島民たちは、誰もが咳き込んでいた。

 アリスさんが前に言っていたように、この島の人々は病に侵されていたんだね。

 そして、その病を治すために、ユビットさんは島民の希望を抱いて船出しようとしていた。


 だけど、と精霊たちの演劇を観ていた誰もが思う。

 北の海には、恐ろしい支配者が君臨している。

 この島以外の、北の海に暮らしていた人族は絶滅してしまっている。

 たとえユビットさんが隣の島を目指して出発したとしても、島民の希望は叶えられない。

 だけど、この閉鎖的な小さな島に住んでいた人々やユビットさんには、そうした未来や事実を知ることなんてできない。

 だから、ユビットさんは人々の希望とともに、船に乗って沖合に出て行った。


「ああ、女神様。どうかユビットをお護りください」

「あの子はとても敬虔けいけんな信徒でございます。ですから、どうかあの子に奇跡を」

「我ら島民一同、ユビットの無事と幸せを願っています」


 遠浅の岩礁地帯を抜けていく船を、島民たちがいつまでも見送る。

 ユビットさんも、遠くに見えなくなるまでいつまでも人々に手を振っていた。


「……これで、良かったんだ」

「ユビットだけが、私たちの希望よ」


 ユビットさんを見送った人々が、涙を流す。

 希望を託してユビットさんを島から出したけど。それでも、誰もが不安に思っていたんだね。

 北の海の支配者の恐ろしさは、この小島に閉じ込められた人々が誰よりもよく知っていた。

 だから、ユビットさんに待ち受ける過酷な試練を想い、人々は涙を流す。

 それでもユビットさんに病を治す手掛かりを託して送り出したのは、人々が神殿宗教の敬虔な信者であり、女神様の奇跡を信じていたからなんだろうね。


 それと、もうひとつ。

 僕は、アリスさんが容赦なく繰り出す斬撃を竜剣舞の剣戟で捌きながら、残された島民たちを見た。

 誰もが、年老いていたり中年以上の人々の容姿をしていて、ユビットさんと同じような若者の姿がなかった。


 精霊だから、容姿まではこだわれない?

 なにせ、劇を演じているユビットさん役の精霊や島民役の精霊の全てが、性別的には女性だからね。

 人のような、加齢による容姿の変化や明確な男女の性別差の影響を持たない精霊たちだから、島民たちの容姿までは真似できなかったのかな?

 という僕の疑問を打つ消す、劇の場面が続く。


「あの子に相応しい娘っ子がいればなぁ……」

「この島の若い子は、ユビットちゃんだけだったから」

「あの子がこの島に残っていたら、きっと辛い思いをさせてしまう」

「結婚し、子供を産み、育てる。その幸せを儂らはあの子に与えてやれない」

「きっと、隣の島には素敵な巫女様がいらっしゃるわ」

「そうして夫婦で帰ってきて、私たちをきっと喜ばせてくれるわ」

「ああ。ユビットは立派な神官だからな。きっと女神様の祝福を受けて、幸せな家族と共に帰ってきてくれるさ」


 精霊たちが見せる人々の容姿も、正しかった。

 この島には、ユビットさん以外の若者がもう残っていなかったんだね。

 小さな島に住む、少数の人々。そうすると、誰もが近しい身内になっていって、結婚相手を探すことさえ難しくなってくる。そうして、結婚する相手に困り出すと、出生率も次第に下がっていって、若者が減っていくのかな?

 嘗てのこの島には、もうユビットさんと結婚できるような若い女性はいなかったんだね。

 だからこそ、この島の人々はユビットさんに全ての未来を託したんだ。


 自分たちの病を治してくれる巫女さまを、きっとユビットさんが連れて帰ってきてくれると。

 そして、夫婦仲睦まじく子供を育てる、明るい未来を。


 だけど、現実は残酷だった。

 未来を知っている僕たちは、演劇の続きを知っている。

 ユビットさんは、この島には戻ってこられなかったんだ……


「何を見せるっ!」


 アリスさんが、荒々しく両刃薙刀を振るう!

 僕だけでなく、精霊たちの繰り広げる劇を振り払うように。

 だけど、両刃薙刀の間合いの外で演劇を続ける精霊たちには、なんの影響もない。

 精霊たちは顕現していても、僕たちと同じ世界には存在していないからね。

 精霊たちは精霊たちの世界に存在していて、劇を続ける。

 そして、ユビットさんを送り出した後の物語を、僕たちに観せた。






「ユビットの船出から、どれくらいが経つだろうねぇ?」


 場面が変わり。

 寝台の上で咳き込む老婆。

 傍には、同じように咳をする中年の女性が座る。

 だけど、二人の表情には不安どころか病に侵されているという辛さもない。

 むしろ、病を受け入れているといった穏やかささえ見えた。


「ふふふ。ユビットはきっと幸せになっているわよ?」


 中年の女性が、老婆の背中を摩りながら微笑ほほえむ。


「きっとね、ユビットは素敵な女性と結ばれて、可愛い子供と幸せに暮らしているわね?」

「そうねぇ。私たちのこの病は、ユビットを幸せにするための代価なのだものねぇ?」

「ええ、そうよ。私たち島民の全ての祈りで、ユビットは絶対に幸せになっているわ。この病は、だから女神様が私たちの祈りを聞き届けてくださった代価なの」


 ユビットさんを送り出しても、人々の病は治らなかった。

 この島の島民は、病に侵され続けていた。

 だけど、誰も悲観なんてしていなかったんだね。

 敬虔な信者だった島の人々は、病を「女神様の試練」として受け入れていた。そして、試練を受けたご褒美として、ユビットさんが幸せになると信じて疑っていなかった。


「そんな……」


 ミシェルさんが涙を流していた。

 人々の深い想い。

 ユビットさんが背負っていた希望。

 島の人々の終わり。


 北の海に残された島々の、最後の物語を観せられて。

 ミシェルさんは、泣き崩れる。


「なぜ、こんなものを私に見せるっ!!」


 荒々しく両刃薙刀を振るうアリスさん。

 だけどその刃には、武人として研ぎ澄ました強い意志や、厳しい鍛錬の先に形となるような苛烈な重みはない。

 むしろ、動揺によって斬撃が乱れてしまっていた。

 僕は白剣で両刃薙刀を弾きながら、そんなアリスさんに叫んだ。


「もう、わかっているはずだよ! この島の人々は……最後の島民であるユビットさんだって、理解していたんだ!」


 島から送り出されたユビットさんは、自分に託された人々の想いを正しく理解していた。

 自分がこの島に残っていても、誰も助からない。

 島には不治の病が蔓延まんえんしていた。次代を担うユビットさんに相応しい若い女性は、この島にはいない。

 であれば、僅かな希望に賭けて島を出ることこそが最善の策だと。

 そして、いつか必ず家族と共にこの島に戻り、人々に幸せになった自分とその家族を見せることこそが、恩返しになるのだと。


「だが、私はあの人の想いに答えられなかった! あの人を聖域に束縛し、島民を救えなかった!!」

「それは違うよ!」


 力任せに振られた斬撃を弾き、僕は白剣を繰り出す。

 そして、アリスさんの間違った想いを正す!


「ユビットさんは、最期まで幸せだったんだ!」

「君に何がわかる!」

「アリスさんこそ、いい加減にユビットさんの本当の想いをわかってよ!!」


 深い事情を知らないはずの僕にそう言い返されて、アリスさんは激昂げきこうする。

 何も知らないくせに。自分の想いを理解していないくせに! と両刃薙刀を感情剥き出しで振り回す。

 僕はアリスさんの狂った斬撃を捌きながら、精霊たちが観せてくれた舞台で知った真実を、アリスさんに伝えた。


「わかっていない? わかっていないのは、アリスさんの方だよ! 島の人々は、ユビットさんの幸せを願っていた。ユビットさんも、人々の想いを理解していた」


 だから……!


「ユビットさんは、この島の想いをアリスさんに託したんだ!!」


 アリスさんが放った月光矢を、白剣で叩き落とす。

 竜剣舞でアリスさんに肉薄し、アリスさんが見失っている真実を剣戟と共に叩き込む!


「最初から、ユビットさんは理解していたんだ。自分は女神様の奇跡によって命を救われたんだって。もう一生、聖域から出られないって。だから、アリスさんに託したんだよ!」


 なにを、と激しい斬撃で問い返すアリスさんに、僕は答える。


「自分はもう、島には戻れない。だから、いつかアリスさんから島民の人たちに伝えてほしかったんだ。自分は幸せだと。自分はいつまでも島のこと、みんなのことを忘れていないと。そして、みんなが願った奇跡の未来は叶ったんだってね!」

「だが。……だが、私は!」


 ユビットさんを死なせてしまった。

 とうとう、ユビットさんを故郷に帰してあげられなかった。

 島民を救うことはできなかった。


 激しく繰り出す両刃薙刀と法術が、アリスさんの感情を表していた。

 アリスさんの心には、後悔しかない。

 何もできなかった自分を責める罪のとげが心に深く刺さっていて、それが激烈な攻撃となって僕にぶつけられる。

 僕は、そのアリスさんの思いを竜剣舞でことごとく弾き返す。


「違うよ、アリスさん。ユビットさんは、後悔なんてしていなかった。アリスさんを責めたかったんじゃない。ただ……知っていてほしかったんだ。自分の生まれ育った故郷のことを。そしていつか、アリスさんが自分の生まれ育った故郷に行った時に、思い出してほしかったんだ!」


 聖域を離れられない自分とは違い、巫女騎士であるアリスさんは聖域を出られる。

 私事で外の世界を自由に出歩くことはできないとしても。いつか、アリスさんがこの島を訪れたときに、思い出してほしかった。

 だから、ユビットさんはこの島のことをアリスさんにたくさん話して聞かせたんだ!


「だけど、貴女は間違って捉えてしまっていた。ユビットさんがこの島のお話をするたびに、彼が故郷を恋しがっていると勘違いしてしまっていたんだ!」

「何をっ!」


 と、僕の言葉を否定するように放たれた両刃薙刀。だけど、その軌道は乱れすぎていて、簡単に僕に弾かれる。


「ユビットさんは、最初から理解していたんだ。この島の人々が遠からずみんな死んでしまうと。でも、忘れないでほしかったんだ。ユビットさんが大切に想っていたこの島のこと。ユビットさんを想い続けた人々のこと。アリスさんを愛した自分のことを!」


 ユビットさんは、アリスさんにたくさん語って聞いてもらった。


「だってね? アリスさんは巫女騎士で、僕と同じように寿命を持たないんだよね? だとしたらさ。ユビットさんがいずれ年老いて老衰死した後も。アリスさんがユビットさんのお話を覚えていてくれたら、みんなの想いがアリスさんの心の中で生き続けるってことだよね。だから、ユビットさんはこの島のことをアリスさんにいっぱい話したんだよ?」


 それなのに、アリスさんはユビットさんの想いをじ曲げてしまうのかな?


「ユビットさんは、アリスさんに罪の意識を植えさせるために語ったんじゃない。アリスさんだったら、いつかきっとこの島に来てくれる。その時にユビットさんの話を思い出してくれたら、自分の想いが島に帰れる、この島で生きた人々に届くとそう思って、伝えたんだ!」


 それなのにっ!


「貴女は、ユビットさんの思いをにじって、この島で死にたいと言うんですかっ!? それは、絶対に間違っている! 貴女がすべきことは、ユビットさんは最後まで幸せだったと、彼の想いをこの島に送り届けることだよ!!」


 白剣がきらめく。

 両刃薙刀を遠くへと弾き飛ばす。

 そして、アリスさんは膝を折って崩れ落ちた。

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