月影が優しく見守る島で

 もしかしたら、アリスさんだって気づいていたかもしれない。

 愛した人が、自分に何を託したのかを。

 だけど、次代の巫女騎士となるべく厳しい修行を積み重ねてきたアリスさんは、夫婦の愛や家族のきずなといった温かい感情に慣れていなくて、どうしても武人としての気質が優ってしまったのかもね?

 そうして勝手に自分で自分の心を追い込んでしまって、目の前に明確に示されていた真実を直視できなかったのかもしれない。


 だけど、もう違うはずだよね?

 アリスさんは、ようやく向き合った。

 ユビットさんの愛や、この島で生きた人々の想いや信仰心に。

 もうこれ以上は、僕が余計なことを言わなくても良いはずだ。

 だって、アリスさんは僕なんかよりもずっと大人で、素敵な女性だからね?


 なんとか、終わった。

 と、気を緩めた刹那せつなだった。


 膝を折って崩れ落ちたはずのアリスさんが動く!

 咄嗟とっさのことで、反応が遅れた僕。


「くっ! アリスさん!?」


 僕の一瞬の隙を突いたアリスさんは、的確に動いた。

 僕をあっさりと押し倒し、懐に隠し持っていた短剣を引き抜くと、僕の首に押し当てる。


 ま、まさかおよんで、こんな行動をとるなんて!

 押し倒されたまま、アリスさんを凝視する僕。

 アリスさんは、そんな僕に容赦なく言い放った。


「油断大敵だ。君は、目の前の敵が武器を弾かれて膝を折ったら、その時点で勝利を確信するのか? 君自身が私の立場だったとしたら、素直に負けを認めるのか?」


 違うだろう。と武人然とした口調で言ったアリスさんは、続ける。


「どんな状況だろうと、何者が相手だろうと、相手が完全に屈服するまでは油断してはいけない。なにがあっても負けるわけにはいかない勝負の時は絶対に諦めないし、どんな手段でも選ぶ。君もそういう経験を積み重ねて、竜神様の御遣いにまで上り詰めたはずだ」

「うっ……!」


 アリスさんの言う通りだよね。

 まだ、勝負は終わっていなかった。

 たしかに、僕はアリスさんの両刃薙刀を弾き飛ばして、膝を折らせた。だけど、アリスさんはまだ「負けた」とは口にしていなかった。

 だから、勝負は終わったように見えても、続いていたんだ。

 これは、僕の完全な失態だった。

 そして、その僕の一瞬の過ちを見逃さずに反撃してきたアリスさんは、やはりただ者ではない。


「エルネア君。君の負けだ」

「……」


 僕を押し倒して自由を奪い、短剣を喉に押し当てるアリスさん。

 でも、アリスさんの言葉を借りるのなら、僕だってこの状況でも諦めないよ?

 空間跳躍を使うこともできるし、もっと他の手段を探すことだってできる。


 だけど……


「……良いですよ。僕は、僕にできることを目一杯やり遂げたから。だから、僕の負けで良いです」

「エルネア君!?」


 僕の敗北宣言に、ミシェルさんが悲鳴を上げた。

 僕が負けたら、僕はアリスさんのお願いをひとつ聞かなきゃいけない。

 そして、アリスさんは出会った当初から自分の願いを口にしていた。


「私の勝ちだ。では、願いをひとつ叶えてもらおう」

「お母さん!!」


 ミシェルさんが泣き叫び、駆け寄ろうとする。

 だけど、動けなかった。

 ミシェルさんだけでなく、これまで見守っていた他の四人の戦巫女さまたちも、全員がいつの間にか呪縛されていた。

 同じように僕たちの戦いを見守ってくれていた、アレスちゃんの霊樹の術によって。

 ミシェルちゃんたちの全身に、地面から生えた木の根が絡みついている。


「は、離してっ!」


 呪縛する木の根を必死に引き剥がそうとするミシェルさんたち。

 だけど、周りに顕現してきた精霊たちと同じように、アレスちゃんも僕の力を受け取って活性化している。

 そのアレスの霊樹の術だからね。何者も呪縛からは逃れられないよ。


 そして、ミシェルさんたちの介入がない現状だからこそ、僕の完全な負けが確定する。

 僕に覆い被さるような姿勢で、首に短剣を突き付けるアリスさん。

 その瞳には、すでに何の揺るぎもなかった。


「……アリスさん」


 アリスさんの願い。

 僕は、確かめるように問い直す。


「男に二言はありません。貴女の願いを言ってください」


 嫌だっ、と遠くからミシェルさんの悲鳴が響く。

 だけど、アリスさんは愛娘の悲鳴を耳にしながら、それでも躊躇ためらいなく自分の願いを口にした。


「私を……。どうか、私をもう暫くだけこの島に滞在させてほしい」

「お、お母さん……!?」


 静かに。それでいてよどみのないアリスさんの願いの言葉に、これまで絶叫していたミシェルさんが目を大きく見開いて困惑する。

 だけど、僕は確信していた。


 もう、アリスさんの瞳に迷いはない。

 だから、素直に負けたんだ。

 もうこれ以上、アリスさんと勝負をする必要がないと、その瞳を見つめて確信できていたからね。


「私は、あの人の想いをこの島に届けなければいけない。そのためには、もう暫くの時間が必要だ」


 もう、この島には人族は誰も住んではいない。

 だけど、アリスさんはユビットさんから託された大切な想いを、この島に帰さなきゃいけないからね。

 そのためには、時間が必要だ。

 でもこの島へは、僕、というか北の海の支配者やシャルロットやクナーシャちゃんの助力があって、アリスさんたちは来られた。

 だから、もう少し滞在したいと思ったら、願わなきゃいけないんだよね。

 僕を通して、北の海の支配者やシャルロットからお目溢めごぼしを貰わなきゃいけないわけです。


「良いですよ。アリスさんのお願いを、僕は聞き届けます」


 にこり、と笑って返答すると、ようやくアリスさんの武人然とした気配が緩まった。


「ありがとう、エルネア君」


 そして、首から短剣を離して、僕を自由にしてくれる。


「……ああ、ここがあの人の愛した島か。なんとも美しい……」


 僕を解放し、立ち上がって。アリスさんは、ゆっくりと島の風景を見渡す。

 季節感が狂ったように咲き乱れる草花。

 空や大気や、遠くに見える海や大地。それらが全て、色鮮やかな「精霊の世界の色」に染まっている。


「まあ、少しやりすぎの感はあるが?」


 なぜそこで、僕を見て苦笑するのでしょうね?

 間違えないでほしいよね?

 ここは、精霊の島なんだよ?

 人族が三十年くらい前まで住んでいたけど。でも、精霊だってずっと住んでいたんだよ?

 だから、精霊の影響を受けて、季節感が狂った草花が咲き乱れていたんだよ?

 それと、と僕も立ち上がりながら、遠くに見える小さな村を見つめた。

 その村で、静かに眠っているように亡くなっていた人々。きっとあれは、精霊たちのおかげなのかもしれないね。

 精霊たちが、いつか訪れる約束された者、即ち、ユビットさんの想いを託されたアリスさんや他の誰かのために、綺麗な状態で死者を見守ってくれていたんじゃないのかな?


 僕の考えに、アリスさんは周囲に顕現したままの精霊たちを見渡す。


「だが、人族としては丁重にとむらってやりたい。どうだろうか、エルネア君?」


 精霊には精霊の世界観がある。だから、彼らは死者を綺麗な状態のまま保存してくれていた。

 そこにどんな思考法則や精霊のことわりがあるのかは不明だけど。

 少なくとも、人族の僕たちだったら、死者はきちんと埋葬をして、女神様のお膝もとに送り届けたいよね?


 アリスさんに問われて、僕は精霊に伝える。

 すると、精霊たちも素直に認めてくれた。

 それで、僕たちの次の行動は決まった。


「ミシェル、それにお前たちも手伝いなさい。この村の者たちを丁重に弔う」

「は、はいっ!」


 巫女騎士としてアリスさんに命令されたら、ミシェルさんたちは従うしかないよね。

 これまでの感情や、事の顛末てんまつを整理する暇もなく、忙しくなるみんな。

 ううん、きっとこれはアリスさんなりの気遣いなのかもね?

 さっきまでの流れに身を任せていたら、ミシェルさんの悲しみや絶望や、その後に急に訪れた歓喜で、感情が壊れてしまうかもしれないからね。

 こうして何かの任務を与えることで、気持ちを整理する時間を作ってくれたんじゃないかな?

 そして、気持ちの整理が必要なのは、アリスさんだって同じのはずだ。


 僕にお願いして、この島での滞在を伸ばしてもらったアリスさん。

 これから、どうやってユビットさんの想いを伝えるか、自分たちがどれだけ幸せな夫婦だったのかを伝えるためには、もう少し気持ちを整理しなきゃいけないんだと思う。






 精霊たちのお手伝いもあって、この島で亡くなっていた人々を咲き乱れるお花畑に埋葬する弔いは、太陽が西の海へと沈む前に終わった。


「お腹空いたねぇ。アレスちゃん、演劇のご褒美に保存食を出してくれないかな?」

「まんぞくまんぞく」


 精霊たちが必死に演じた理由は、アリスさんや僕たちに島民の最後を伝えたかったから。それとは別に、霊樹の精霊であるアレスちゃんを喜ばせたかったからだよね!

 だから、僕は今回の決闘ではアリスちゃんと融合をしなかったんだ。

 アレスちゃんが観客として僕たちの舞台けっとうを見てくれていることが重要だったんだよね!

 つまり、全ては最初から僕の掌の上だったというわけです。


 ふっふっふっ。


「エルネア君、ひとりで急ににやけるだなんて気持ち悪いわよ?」

「ミシェルさん、泣きすぎて目が真っ赤だよ?」

「わ、私のことは放っておいてっ。お母さん

 エルネア君が……!」

「巫女騎士様と呼べ。娘だからと甘やかしたりはしないぞ」

「ううっ! エ、エルネア君、助けてよ……?」

「はいはい、母娘喧嘩は厳禁だからね?」


 アレスちゃんが謎の空間から取り出してくれた食材を使って、みんなで料理を作る。

 アリスさんは相変わらず厳しい人で在ろうとしているけど、出会った当初のような張り詰めた気配はなくなっていた。

 きっと、心に深く刺さっていた棘がなくなったからだろうね。

 ユビットさんから託された想いや、この島の人々の最後の祈りを知った今。もう、アリスさんは死にたいだなんて悲しい感情は持っていないはずだ。


「どうすれば、あの人の遺した想いに応えられるのか。君と戦った後からずっと考えていた」


 お肉を煮込んだ汁物をみんなに配膳しながら、アリスさんが話し始めた。


「それで、精霊たちが観せてくれた演劇に考えが及んで、思いついた」


 少し恥ずかしそうに。それでも、やはり武人として羞恥しゅうちの心を容赦なく封じて、アリスさんは続ける。


「娘には恥ずかしくて聞かせたくはないが。だが、私自身で語るべきだろう。あの人と出逢い、どうやって結ばれて、ミシェルが生まれたのか。私たち家族がどれほど幸せだったのかをここで話すことが、あの人の想いをこの島へ届けるということに繋がるのだろうな」


 精霊のようにアリスさんがひとりで演劇をするわけにはいなかいからね。

 だから、島を出たユビットさんのその後を最後まで知っているアリスさんが、ひとつひとつ語るしかないんだね。

 僕たは暖かい夕食を食べながら、アリスさんの長い長い思い出話に耳を傾け続けた。






 運命の出逢いから始まって。困惑や配慮といった余所余所よそよそしい関係から、次第に心を通わせ始めて。聖域での、祝福された結婚の義。甘い新婚生活。ミシェルさんが誕生した時の、夫婦の喜び。

 時には喧嘩もした。だけど、いつもユビットさんがアリスさんを許してくれた。


「思えば、いつもあの人は私を許してくれていた。邪族と取り引きをした時でさえ、罪の意識にさいなまれていた私を最初に赦してくれたのはあの人だった」

「懐の深い、素敵な人だったんですね」

「お父さんは、お母さんにすっごくれていたんだよ? お母さん、ちゃんと知っていた?」

「巫女騎士様と言え」

「うう……。エルネア君、巫女騎士様が部下をいじめるよ?」

「あははっ。仲が良い母娘だねー!」

「エルネア君、真面目に取り合ってよっ!」


 笑いが起きる。

 誰もが笑顔で、ユビットさんやアリスさんのことを話題にする。

 アリスさん視点からではない、バラード家の仲睦まじい暮らし。特に、ユビットさんがアリスさんを心から愛していたと娘のミシェルさんが熱弁すると、アリスさんは焚き火の炎に隠れて頬を染めていた。


 たくさん、お話をした。

 一晩では足りないほどに。

 アリスさんとユビットさん、そしてミシェルさんや聖域の人々のお話は、こんなに短い時間では語り尽くせない。

 だから、アリスさんは滞在を伸ばしたかったんだね!


 だけど、そこはやはり厳格な巫女騎士さま。


 翌日の早朝だった。

 語り疲れて、仮眠を取った僕たち。

 僕は、ふと母娘の会話を耳にして、微睡まどろみから意識をます。


「ミシェルたちは、聖域に帰りなさい」

「お、お母さん!?」

「聞きなさい、ミシェル。私はもう暫くここに滞在させてもらう。だが、貴女たちはもう帰るべきだ」

「嫌だよっ。私はお母さんと……!」

「ふふふ。安心しなさい、ミシェル。私はもう死にたいとは思っていないし、聖域に戻らないと言っているわけではない」

「それじゃあ?」

「まだ、私はあの人の想いをこの島に帰しきってはいない。それに、これほどに恩を受けたエルネア君に対して、報いずに聖域へは戻れないだろう?」

「そ、それはそうだけど……」

「ミシェル。貴女たちは先に帰って、私のことを報告してほしい。私は必ず聖域に戻って、今回の罰も受ける。だから、先に貴女たちに帰ってもらって、この顛末を姫巫女様や奥の姫様たちに報告してほしいのだ。いつまで経っても誰も帰ってこなければ、聖域の者たちに心配させ続けるだろう?」


 だから、先に帰りなさい。と優しく娘をさとす母親。

 僕がまだ寝ていると思っているのかな?

 アリスさんとミシェルさんの会話には、上司と部下という立場ではなくて、母親と娘という雰囲気が感じられた。


「……でも、私たちはどうやって帰れば良いの?」


 ミシェルさんの疑問はもっともです!

 北の海の支配者やシャルロットの手回しのおかげで、僕たちはこの島に来られたんだよね。ということは、帰る時だってそうした存在の手助けが必要になる。


 ふむふむ、仕方がありませんね!

 ここは、僕が仲介者としてひと役買いましょう!


 狸寝入たぬきねいりを止めて、がばりっ、と起き上がる僕。その視界いっぱいに、横巻き金髪が飛び込む。


「ぶわっ!」

「ふふふ。それではお送りいたしましょう。本来ですと人族の願いなど聞くに値いたしませんが。エルネア君のお願いでございますからね」

「ちょっ、ちょっと!」


 待って、シャルロット!

 と、僕が叫ぶよりも早く!


「えっ!? まだ心の準備が……! お母」


 母親に助けを求めるように声を発したミシェルさんが、最後まで言い終えるよりも前に!


 僕の視界を埋め尽くす横巻き金髪が、まばゆく輝く。

 そして、視界の先、というか起き上がった僕を邪魔するように立つシャルロットの先で、ミシェルさんの気配が一瞬にして消失した。

 もちろん、四人の戦巫女さまと、五騎の黒い天馬の気配も同時にね!


「こらこらっ。話の展開が急すぎるよっ!」


 慌ててシャルロットに苦情を言っても、あとの祭。

 楽しそうに笑うシャルロットを押し除けてようやく視界を確保すると、アリスさんが目を点にして驚いていた。


「ご、ごめんなさい、アリスさん……。この横巻き金髪の魔族が暴走しちゃって」


 謝る僕に、ようやく事態を呑み込んだアリスさんが、苦笑しながら頷いてくれた。


「魔族とは、そういうものだ。君が気にすることはない。むしろ、安全に送り届けてくれたというのなら感謝をするばかりだ」

「ふふふ、巫女騎士様に感謝をされましても、嬉しくはありませんね? ですので、エルネア君が私に感謝を示してほしいものでございます」

「断固お断りっ! ……というのは半分冗談で。ありがとうね」


 手段は相変わらずの横暴さだったけど。それでも、ミシェルさんたちを無事に大陸へと送り届けてくれたことには感謝だよね。

 えっ!?

 シャルロットのことだから、大陸とはいっても変な場所に飛ばしているかもしれないって?

 ふ、不安になってきたな……


「安心してくださいませ。あの方々は禁領の霊山近くへとお送りいたしました。あちらまで飛ばせば、古代遺跡を利用して聖域へと自力でお帰りになりますでしょう?」

「古代遺跡? ねえ、それって……?」

「ふふふふふ」

「ねえねえ、それってどういうことさっ!?」


 なにか僕は今、聞いてはいけない単語を耳にしたような気がしますよ!

 シャルロットを問い詰める僕。

 シャルロットは、首に巻いていたきつねの毛皮をくるくると振り回しながら、愉快そうに微笑む。

 そして、アリスさんはそんな僕とシャルロットを見つめて、困ったように苦笑していた。

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