よく考えたら、ぬいぐるみはお土産じゃないよね

 満腹になった僕たちは食堂を後にすると、少しだけ散歩をして帰ることにする。

 食事前に買ったぬいぐるみは、何故か僕が持って帰ることになった。


 リステアがよく、嫁と買い物に行くと荷物持ちにされると愚痴っていたけど、今ならその心境がよくわかるよ。


 手ぶらの女性陣は完全に物見遊山で楽しそうだ。


 ミストラルが食堂で計画的にプリシアちゃんを満腹状態にさせていたので、今回は店先から甘い匂いがしても反応しない。


 行き交う人々、店頭に並ぶいろんな商品。そして所々に居る大道芸人たちを見ながら、僕たちは練り歩く。

 別にお祭りでもなんでもない平日なのに、とても賑やかで僕は驚いた。


 よく考えたら、僕は王都でも夜は出歩いたりしていなかったから、夜の街というものを知らないんだよね。

 王都も、毎夜こんな感じで賑やかなのかな。

 身近にも知らない世界があることを知って、僕は新鮮な気持ちを覚える。


 ルイセイネは今頃、何をしているのかな。

 神殿での生活は厳格だと言っていたから、もうお祈りを済ませて寝ちゃったんだろうか。

 今度はルイセイネとも一緒に、みんなで歩き回りたいよ。


 僕たちはその後もいろんな場所に行って、プリシアちゃんが疲れ始めた頃に宿屋に戻った。

 宿屋の部屋に入ると、プリシアちゃんが速攻で服を脱ぎだす。


「お風呂っお風呂っ」

「あわわ、お風呂はわかったから、こんなところで脱いじゃ駄目だよ」


 僕は慌ててプリシアちゃんを捕まえる。


「エルネア、何してるの」


 ミストラルの冷たい視線が背中に突き刺さる。


「ち、違うよ。誤解だっ」


 本当に誤解だよ。僕は服を脱ぎ掛けているプリシアちゃんを抱きしめたまま、慌てて言い訳をした。


「言い訳になっていない」


 ミストラルは苦笑する。


「じゃあ、仕方ないから先にわたしたちがお風呂に入るわ」

「んんっと、お兄ちゃんも一緒が良い」

「それは駄目。絶対駄目」

「あははは」


 ミストラルの断固拒否に、僕は乾いた笑いしか出ない。


「にゃんはエルネアお兄ちゃんと入るにゃん」

「あ、ずるい」


 はたはたと飛んで僕の頭に飛び乗ったニーミアに、プリシアちゃんは拗ねた。


「それじゃあ、ニーミアは宜しくね」


 と言って僕からプリシアちゃんを受け取ったミストラルは、お風呂場へと入っていた。


 この宿屋は、各部屋にお風呂が設置されているんだ。

 副都の宿屋は大体がそういう宿屋らしい。

 共同風呂や風呂なし、という格安宿もあるけど、今回は宿代神殿持ちという事で、平均的な宿屋を選ばせてもらっていた。


 拗ねていたプリシアちゃんだったけど、お風呂場からはすぐに楽しそうな笑い声が漏れてきた。

 さあ、僕は今のうちに荷物を整理しておこう。

 部屋に入るなりプリシアちゃんが脱ぎ出したものだから、僕は抱えていたぬいぐるみを放り出してしまったんだよね。

 だけど、部屋を見渡すといつの間にかぬいぐるみは部屋の隅に旅の荷物と一緒に整理して置かれていた。


 あ、ミストラルがしてくれたのか。


 じゃあ、することがなくなったね。

 僕は窓際に設置された長椅子に腰掛け、ニーミアとじゃれ合いながらミストラルたちが上がってくるのを待った。


「おまたせ」


 髪を拭き上げながら風呂場から出てくるミストラル。

 火照って桃色になった艶やかなお肌が寝間着の隙間から見えて、色っぽさに僕はどきりとする。


「んんっと、プリシアはお兄ちゃんともう一回入る」

「こら、駄目よ」


 寝間着を脱ぎ出したプリシアちゃんを笑いながら必死で止めるミストラル。


「あはは、また今度一緒に入ろうね」

「ええー。今がいい」


 何でそんなに、僕と一緒にお風呂に入りたいんだ。僕とミストラルは笑い合う。


「さあ、髪をいてあげるからこっちに来るのよ」


 ミストラルに引きずられながらお風呂場から離されるプリシアちゃんに手を振って、僕はお風呂場に入った。

 もちろんニーミアは僕の足もとをてとてとと可愛く歩いてついて来る。


 そして服を脱ぐ僕の視界に、きちんと畳まれて纏められたミストラルの衣類が映る。

 どきり、とする。

 さっきまでミストラルが着ていたものなんだよね。


「そこでミストお姉ちゃんの下着を手に取ったら、完全に変態さんにゃん」


 にひひ、とニーミアが微笑む。


「そ、そんなことしないよっ」


 僕は顔を赤らめて視線を外し、服を脱ぎ捨てた。


 そして浴室へ。


 ミストラルたちが使った直後とあって、浴室は湯気に満ちていた。

 そして鼻腔をくすぐる甘い匂い。


 ミストラルはいつもいい匂いがするけど、それと石鹸の匂いが合わさってとても魅惑的な匂いが僕を惑わせる。

 女の人がお風呂に入った後の浴室って、こんなにいい匂いがするんだね。

 僕はついつい深く呼吸をしてしまう。


「エルネアお兄ちゃんが一歩変態の道に足を踏み入れたにゃ」

「な、なんてことを言うんだ」


 僕は変態さんなんかじゃないよ。


 僕は報復に、石鹸せっけんを泡立ててニーミアを襲う。


「にゃん」


 しかしニーミアは気持ちよさそうに目を閉じて僕に身を任せた。


「ここか、ここがいいのんかぁ」


 ふわふわのニーミアの体毛は見る間に泡まみれになる。

 あれれ、尻尾って毛がすごく長いだけで、中身は胴体と同じくらいの長さしかないのか。


「にゃん。お母さんはもっと長いにゃん」

「へええ。ニーミアで胴体の倍くらいの長さなのに、もっと長いのか」

「ううう、お母さんのことは思い出したくないにゃん」

「家出前に何があったのさ」


 笑う僕に、ニーミアはふるふると首を横に振っただけで答えてくれなかった。


 いったいニーミアに何があったんだろうね。

 ニーミアはすでに百年くらい生きているらしいけど、古代種の竜族にとってはまだまだ幼子みたいなものなのだと、スレイグスタ老は言っていた。

 そんな小さな子供が家出を決意するなんて、よっぽどのことだよね。


 僕の思考は読めるはずなんだけど、ニーミアの口は固かった。

 追及するのもどうかと思うので、僕は自分の体を洗うとニーミアと一緒に湯船に入る。


 うへへ、ミストラルがさっきまで入っていたお湯か。


「鼻の下が伸びているにゃん」

「ぐぬぬ、これは内緒だよ」


 ミストラルに見つかったら、きっと嫌われちゃう。


「貸し一個にゃん」


 ぐはっ。

 ニーミアに弱みを握られてしまったよ。


 僕はぶくぶくとお湯の中に沈む。

 ニーミアは沈んだ僕の上で楽しそうに水かきをして泳いでいた。


 その後、僕たちは十分に温まってお風呂から上がる。

 寝間着に着替えて部屋に戻ると、ミストラルが自分の髪を梳いていた。


「いい湯加減だったよ」

「それは良かったわ」


 僕はニーミアの毛を解かすのをミストラルにお願いする。

 こういう繊細な作業は苦手です。

 ミストラルはニーミアを呼ぶと、膝上に乗せて長い毛を解いてあげる。


 ニーミアは気持ち良さそうにしていた。


 あれれ、プリシアちゃんは。と思ったら、すでに寝台で寝てしまっていた。

 髪の毛がまだ完全に乾き切る前に眠っちゃったのかな。頭の下には幾重にも布が敷いてある。

 明日の朝は、髪の毛が爆発してるだろうね。


「さぁ、エルネアもしてあげるわよ」


 ミストラルに誘われて、僕も髪を梳いてもらう。

 少し恥ずかしかったけど、ミストラルは慣れた手つきで僕の髪を梳いてくれた。


「エルネアも結構髪が長いわね」

「うん。勇者のリステアが肩までの長髪なんだけど。ちょっと真似してみたら長くなっちゃった」

「ふふふ、でも貴方はあまり伸ばさないほうが良いかもよ」

「そうなの?」

「あなたの髪はふわふわで柔らかいから、伸ばすと下じゃなくて横に広がっていくかもよ」

「むむむ、そうなのかな」

「伸ばして確かめる?」

「ううん、今も少し長いかな」


 僕の髪は、耳がすっぽりと隠れるくらいには伸びている。


「そうね、もう少し短い方が可愛いかも」

「かっこよくない?」

「貴方の属性は、可愛い、よ」

「ぐぬぬ」


 男としては、やっぱり格好良いに憧れるんたけど、可愛いか……

 ミストラルに言われれば嬉しいけど、なんだか複雑だ。

 まあ、まだ僕も子供だし。これから先、立派になって、いつか格好良いと言わせてみせるよ。


 僕の髪を梳き終わったミストラルは、自分の残りをやり始めた。

 あ、僕たちを優先してくれたんだね。


「ありがとう」


 僕のお礼に、ミストラルは柔らかく微笑む。


「もう眠いかしら?」

「ううん、なんで」

「ごめんなさい。私の髪が乾くのにもう少し時間がかかりそうだから」

「なるほど。気にしなくていいよ。乾くのを僕も待っているから」

「ふふふ、ありがとう。それじゃあそれまでお話でもしてましょうか」


 そして僕たちはこの夜、結構遅くまで話し込んでしまった。


「そろそろ寝ましょうか」


 話がちょうど切れた頃にミストラルが終わりを告げ、僕たちは寝台に入る。


 プリシアちゃんを真ん中に、僕とミストラルが挟むような形で寝ることになった。


 女の人、それもミストラルと同じ寝台で寝ることに相変わらず緊張する僕を余所に、隣からはすぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。


 ミストラルは、僕と一緒に寝ることに緊張はしないのかな。と悩んでいたら、僕もすぐに夢の中へと落ちていったのだった。







 そして翌朝。


 頭が爆発しているプリシアちゃんに、僕とミストラルは大笑い。

 プリシアちゃんも僕たちが笑っている様子を見て、きゃっきゃと楽しく跳ねる。

 すると爆発した頭がふわんふわんと揺れて、より一層面白かった。


 その後、身支度を整えた僕たちは、ルイセイネを迎えに神殿へとお赴いた。


「あれが神殿なのね」

「んんっと、大っきいね」


 神殿前の広場でルイセイネを待つ。その間、ミストラルとプリシアちゃんは、視線の先に建つ神殿を興味深そうに見上げていた。


 副都の神殿は、入り口から左右対称に造られていた。

 石造りで荘厳な建築物には、僕もため息しか出ない。

 柱や壁には幾つもの彫刻が彫られ、明り取りの窓には色鮮やかな硝子がらすがはめ込まれている。


 ふああ、と神殿を見上げていると、いつの間にかルイセイネが入り口から出てきて、僕たちの方へと向かってきていた。


「おはようございます」


 わざわざ立ち止まり、丁寧にお辞儀をして挨拶をするルイセイネに、僕たちも挨拶を返す。


「昨夜はゆっくり休めたでしょうか」

「うん、お土産も買えたし、楽しい夜だったよ」


 と言ったら、ミストラルに頭を小突かれた。


「こういう時はちゃんと気を使いなさい」

「ふふふ、楽しかったなんて羨ましいです」


 あ、そうか。ルイセイネだけ居なかったのに楽しいなんて言ったら、仲間外れみたいになっちゃうもんね。


「ごめんね。ルイセイネ」

「あらあらまあまあ、お気遣いなく。エルネア君たちが楽しい夜を過ごせたことに、わたくしは喜びを感じます」

「今、羨ましいって言ったばかりじゃない」

「ふふふ、そうでした」


 神殿前で少し談笑した後、僕たちは帰路につくことになった。

 帰りは竜の森に入って、スレイグスタ老の居る苔の広場に行くんだよね。

 ミストラルの話では、何時ものように森に入って適当に彷徨っていればたどり着くとのこと。


 それってつまり、森のどこかか入っても同じようにたどり着くなら、それで苔の広場に入ってスレイグスタ老の空間転移で家まで飛ばしてもらえれば、ものすごい時間短縮なんじゃないかな。

 と思ってミストラルに聞いたら、まさにその通りらしい。


 すごい発見だよ。これなら森の周囲からならいつでもどこからでも家に帰れる、と喜んだら、ミストラルに怒られた。


「翁の力を当てにするのは駄目よ」

「他力本願は駄目だと思います」


 ルイセイネにまで言われて落ち込む僕の手を、プリシアちゃんが引っ張って歩いてくれる。


「んんっと、プリシアはお兄ちゃんをいじめないからね?」

「あはは、ありがとう」


 プリシアちゃんには、会話の内容は難しくて理解できなかったんだろうね。

 それで僕がミストラルとルイセイネから苛められていると思ったみたいだ。

 僕とミストラルとルイセイネはお互いに顔を見合わせ、苦笑し合う。


 そして、るんるんな足取りのプリシアちゃんを先頭に、僕たちは副都を後にした。

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