珍獣の森

 街道をしばらく歩いた後、僕たちは南の竜の森へと続く枝道に入る。

 南下していくと副都の水源のひとつでもある河川に行き着く。

 河川の川幅は広いけど、ちゃんと石造りの橋がかけてあった。

 副都のすぐそばだし、まだまだ整備は隅々ままで行き届いている印象だよ。

 橋の先はいよいよ竜の森なんだけど、行き交う人々を結構見かけて驚く僕。


「竜の森の恵みは、王都でも副都でも一緒ですね」


 と、ルイセイネが言っていた。


 僕たちはそのまま、複数の人たちと一緒に森へと入る。

 だけど、森の中へと入れば、各々が自分の目的のために森の奥へと進んでいって、気づけば僕たちだけが森にできた曲がりくねった道を歩いていた。


 副都の南に広がる竜の森ももちろん王国が厳重に管理していて、木の伐採なんかは禁止されている。

 だけど、日々多くの人が出入りをしていると、自然と道ができてしまうんだ。

 王都側の竜の森でも、道はいろんな所にできていた。

 とはいっても、獣道が広がって地面が踏み固められた程度のものだけどね。

 森には荷車なんかも入れちゃいけない。

 個人が消費する程度の恵みは採って良いけど、商いをするような量は禁止。法律で定められているわけじゃないけど、これは森を利用する人たちの暗黙の了解だった。

 取り過ぎちゃったら、さすがの竜の森でも枯れちゃうかもしれないからね。


 僕たちは、最初は道なりに進んでいたけど、人の気配が完全に消えた頃に脇に逸れて道なき森の中を進みだした。


 プリシアちゃんはるんるんと大きく手を振って、楽しそうに森の中を先頭で歩く。

 プリシアちゃんはいつでも元気いっぱいだけど、森の中だとより一層楽しそうだ。

 その辺はやっぱり森の住人、耳長族なのかな。


 ルイセイネは、着ている巫女装束が木の枝に引っかからないか気にしながら、ミストラルに手を引かれて歩いている。

 なんかルイセイネの方がプリシアちゃんより子供に見えるよ。


「あらあらまあまあ、エルネア君が良からぬことを考えていますよ」

「か、考えていないよ、誤解だよ?」


 ルイセイネを見て、にやけてしまっていたらしい。僕は慌てて否定する。


「プリシアより子供にゃん」

「あっ」


 ニーミアが僕の心を読んで告げ口しちゃった。


「ええ、どうせ子供ですよー」


 ついっと、ルイセイネは僕から顔を背ける。


「ご、誤解だよー」


 僕はルイセイネに弁解するけど、ミストラルにしっしっと手で追い払われた。

 酷い扱いだよ。

 まったく、ニーミアが告げ口するからだよね。


 僕はニーミアに復讐すべく、プリシアちゃんに迫った。

 ニーミアに復讐なのに、なんでプリシアちゃんに迫るかといえば。

 ニーミアは、いつものようにプリシアちゃんの頭の上で寛いでいるからさ。


 しかし僕の手はあと少しで届かなかった。

 ニーミアははたはたと翼を羽ばたかせて、飛んで逃げる。


「んんっと、鬼ごっこ」


 飛んだニーミアを追いかけ出すプリシアちゃん。

 僕もプリシアちゃんと一緒にニーミアを追いかけ回す。

 ニーミアは木々の間を器用にすり抜け、僕たちから逃げる。


「こら。あまり遠くへは行っちゃ駄目よ」

「エルネア君の方がずっと子供ですよね」


 ミストラルとルイセイネは顔を見合わせて笑っていた。


 むむむ。凄い楽しい、と思った僕はまだまだ子供なのか……


 ニーミアはプリシアちゃんから逃げて、ミストラルたちの方へと飛んでいく。

 そして、ミストラルの胸に飛び込んだ。


 あ、羨ましいな。


「羨ましいにゃん? でもちっぱいにゃん」


 僕に勝ち誇ったつもりだったんだろうね。でも、最後が余計だった。ニーミアはそのままミストラルの胸元でぎゅっと潰される。


「にゃあ」


 悲鳴をあげるニーミアに、ミストラルは冷たい笑顔を向けていた。


 駄目だよ、ニーミア。ミストラルは怒るとスレイグスタ老にでも手を上げる人なんだよ。

 禁句を口にした以上、ニーミアは無事では済むまい。

 僕はニーミアに手を合わせた。

 ご愁傷様です。


「プリシアもだっこ」


 何を勘違いしたのか、プリシアちゃんは空いているルイセイネの胸に飛び込んだ。


「あらあらまあまあ」


 上手に受け止めるルイセイネ。


「ミストラルよりは大きい」


 ぐらっと蹌踉よろめくミストラル。ルイセイネも苦笑するしかない。


「こ、これからよっ」

「そうです。これからが成長の時期です」


 ミストラルとルイセイネは、うるうると涙をにじませたように見えた。


 あははは、と乾いた笑いを浮かべていたら、森の少し奥に何かの気配を感じた。


 むむむ、この気配は。


 僕が視線を飛ばした先には、いつもの灰色の大狼魔獣が居た。

 大狼魔獣は、じっとこちらを見つめている。

 僕の視線で、全員が大狼魔獣に気づく。

 誰よりも真っ先に、ルイセイネが動いた。

 プリシアちゃんを背後に隠し、薙刀を構える。

 咄嗟の時の反応速度は、さすがは戦巫女と言わせるほどだ。


「気をつけてください、魔獣です」


 一瞬で相手が魔獣だと判断するルイセイネ。


 大狼魔獣のどんな動きにも対応できるように警戒しつつ、ルイセイネは薙刀を構えて法術の祝詞を唱えだす。


「あ、わんこ」

「えっ」


 だけど、プリシアちゃんの思わぬ行動に、次の瞬間には、ルイセイネの目は点になっていた。


 プリシアちゃんはルイセイネの背後から飛び出すと、空間跳躍。

 直後には、大狼魔獣の背中に乗っていた。


「わんこが迎えに来てくれた」


 大狼魔獣の背中できゃっきゃと騒ぐプリシアちゃん。

 大狼魔獣も嫌がるそぶりを見せず、背中のプリシアちゃんを落とさないように僕たちに近づいてきた。


「えっ? ……はい?」


 混乱するルイセイネ。


「ええっと」


 ミストラルは困った表情でルイセイネの肩に手を置く。


「あれは大丈夫。プリシアの下僕だから」

「はい? ですが、あれは魔獣ですよ?」


 ミストラルと魔獣を交互に見るルイセイネは、どうしていいのかわからない感じで薙刀を構えたり下げたりしていた。


「じつはね」


 そんなルイセイネに、僕が説明をする。


 事の発端は、プリシアちゃんを初めて村から苔の広場に連れて出た時にさかのぼる。

 あの時、プリシアちゃんは空間跳躍で大狼魔獣の背中に何度も飛び乗った。大狼魔獣は驚いて、何度も背中のプリシアちゃんを振り落とそうとしたんだ。

 でも、この大狼魔獣。もともと僕を追いかけて、僕が苔の広場に導かれて突然消えるのを楽しんでいたような奴なんだよね。

 好奇心旺盛ってやつかな。

 だから、何度振り落としても、空中で消えた瞬間に自分の背中に飛び乗ってくるプリシアちゃんにも、興味を覚えたみたいで。

 その後、ミストラルが村にプリシアちゃんを迎えに行くと、よく現れるようになったらしい。

 そして、プリシアちゃんも大狼魔獣をわんこと言って怯える風もなく、現れる度に背中に飛び乗っていたら、いつの間にか馴れ合ってしまった。

 大狼魔獣はもともとミストラルに怯えていたから、ミストラルの連れのプリシアちゃんに悪さをすることもない。


 そんなわけで、今では大狼魔獣はプリシアちゃんの乗り物となっていた。


 僕の説明に、ミストラルは頭を抱えながら頷く。

 そしてルイセイネは顔を引きつらせて、大狼魔獣とプリシアちゃんを見ていた。


「んんっと、わんこ可愛いでしょ」


 プリシアちゃんは無邪気にルイセイネに自慢する。


 あのね、プリシアちゃん。僕たちよりも倍くらい大きい灰色の狼に似た魔獣なんて、ちっとも可愛くないんだよ。


「んんっと、お散歩行きたい」

「やれやれ」


 ミストラルは大きくため息を吐くと、僕に目線で合図する。


「じゃあ、少しだけだよ」


 僕が手招きすると、大狼魔獣は素直に僕のそばまで来て屈んでくれた。

 僕は屈んだ大狼魔獣の背に飛び乗る。


 なんと!


 この大狼魔獣、なぜか僕やミストラルも背中に乗せてくれるんだ。

 嫌がる素振りさえない。


「お散歩お散歩」


 楽しそうなプリシアちゃんが落ちないように僕が背後から抱くと、大狼魔獣は立ち上がって森の中を駆け出した。


「行ってきます」


 僕の声は聞こえたのかな。

 一瞬のうちにミストラルとルイセイネが小さくなって、立ち並ぶ木々で見えなくなった。


 ちらりとルイセイネの表情が見えたけど、まだ顔を強張らせてたよ。

 ミストラル、戻ってくるまでにちゃんと立ち直らせておいてね。


「きゃっきゃ」


 プリシアちゃんはすごく楽しそうだ。


 魔獣は相変わらず物音を一切させずに疾駆する。

 もの凄い速さだ。景色が目に追えない速さで流れていく。

 僕を追いかけ回していた時は、本当に手抜きだったんだね、と実感できる。

 いま僕が竜気を使って全力で逃げても、この大狼魔獣の全力の速さからは絶対に逃げきれないよ。


「あんまり遠くに行っちゃ駄目だよ」


 大狼魔獣は人の言葉は喋れないけど、理解はできるらしい。

 たまにミストラルと意思疎通しているしね。

 僕の言葉に、大狼魔獣は一度吠えて返事をしてくれた。


「はやいはやい」


 びゅうびゅうと風を切る音が耳に響く。


 大狼魔獣は背中に乗った僕たちに気を使ってくれているのかな。木の枝どころか葉っぱにさえ、僕たちには擦りもしない。


 スレイグスタ老がこの大狼魔獣を察知していたにも関わらず見逃していたのは、悪い奴じゃないからなんだね。

 敵意のなくなった大狼魔獣は、僕たちの森の友達のひとりになっていた。


 大狼魔獣は疾駆しながら、ひくりと耳を動かす。


 そして急転。


 突然方向を変えられて、振り落とされそうになる僕とプリシアちゃん。


 急にどうしたのかな。

 と思って大狼魔獣が駆ける先を凝視したら。


「うわあ。うさぎさん」


 プリシアちゃんが両手を挙げて喜びを表した。


「いやいやいや、それはないでしょう!?」


 僕は叫ぶ。


 視線の先で、ずっしりとした身体を伏せて寛いでいたのは、超巨大な麦色のうさぎの姿をした、魔獣だった。


 なんで魔獣だと即断できたのか。


 だって、体長が大狼魔獣の更に倍あるんだもん!

 こんなに大きな野生の兎なんて居ません。


 近づいくる僕たちに、兎魔獣も気づいてこちらに振り向く。

 でも、警戒した様子もなく、伏せたまま。


「うさぎさんっ」


 プリシアちゃんは僕の手から離れて大狼魔獣の背中から飛び跳ねると。

 直後には兎魔獣の柔らかそうなお腹の毛に埋もれていた。


「もふもふ」


 顔をすりすりさせて喜ぶプリシアちゃん。

 兎魔獣は突然のことに丸い目をさらに丸くして驚いていたけど、怒ったり騒いだりする様子はなかった。


 そして、大狼魔獣は兎魔獣の傍にたどり着き。

 二匹は鼻を擦り付けて頷いていた。


「もしかして、君たちは友達か何かなのかな?」


 大狼魔獣の背中で僕が聞くと、兎魔獣が大きく頷いてくれた。

 どうやら、この兎魔獣も人の言葉がわかるみたいだね。


 でもこの状況。

 どうしよう……


 僕は、兎魔獣の横っ腹に埋もれたプリシアちゃんを見て、苦笑した。

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