年越しは家でゆっくりと

「ううん、ううん」


 とうなるプリシアちゃんの横で、僕も唸る。

 何かいい名前はないのかな。

 世の中のお父さんやお母さんは、子供にどうやって名前をつけているんだろう。


 僕とプリシアちゃんが真剣に悩む横で、霊樹の精霊の少女はご機嫌な様子で座っている。

 にこにこと微笑む少女は、見た目では絶対に精霊さんだなんて思えないね。


 風の精霊さんと土の精霊さんは並んで静かに佇み、プリシアちゃんを見つめている。


 ミストラルは何やら古木の森へと入っていって、今は居ない。


「プリシアちゃん、何か思いついた?」

「んんっと、お母さんと大お婆ちゃんに考えてもらう」


 どうやら諦めたらしい。

 プリシアちゃんはふるふると首を横に振って、考えつかなかったと肩をすぼめた。


 僕も、考えてくれるような人がいれば良いんだけどなぁ。


「エルネアがかんがえてね?」

「うっ」


 僕の思考を読んだのか、少女はにこやかに迫る。


「はい、頑張って考えます」


 今はいい名前が思いつかなかったけど、きっとこの子に合った素敵な名前を考え付こう。

 安易な名前だと可哀想だしね。


 僕とプリシアちゃんは、今の段階で名前を考えることを諦めた。


 さて、スレイグスタ老やミストラルに報告も済んだし、今日はお暇したい。そう思っていると、ミストラルが古木の森から戻ってきた。

 手には水差しくらいの縦長の壺を手にしている。


「そろそろ帰るのかしら」

「うん、もっとミストラルたちと一緒にいたいんだけど、年越しは家に居なきゃいけないしね」

「そうね、わたしたちも戻らなきゃいけないし、今日は仕方ないわね」

「ゆっくりできなくてごめんね」

「その分、年明けのプリシアの相手はお願いするわ」

「んんっと、お世話してね?」

「ふっふっふ、わかったよ。任せておいて」


 僕はプリシアちゃんを抱きかかえる。


「ずるいずるい」


 そうしたら精霊の少女も飛んで来て、抱きついてきた。


「小さい子供に大人気ね」

「ミストラルも抱きついて良いんだよ」

「はいはい、そのうちね」


 僕の冗談を軽く受け流すミストラル。

 本当に抱きついてもらっても構わないんだけど。

 というか抱きしめたい。

 久々に会ったんだ。僕はミストラルに甘えたくて仕方がなかった。

 だけど、今日はもう急いで戻らなきゃいけない。


「帰りにこれを持って帰りなさい」


 そわそわとする僕を見て苦笑するミストラルは、手にしていた縦長の壺を僕に差し出す。


「霊樹のしずくが入っているわ。いろいろと特別な日だし、今日はこれを持って帰りなさい」


 いろいろと特別な日というのは、僕が試練を達成して苔の広場に無事に戻ってきた日ということと、年末ということを合わせてあるのかな。


 霊樹の雫は特別なお水で、苔の広場で飲む分にはいくら飲んでも何も言われないんだけど、持ち出すのは基本厳禁だった。

 なにせ、耳長族へのお土産になるくらいだからね。

 だから、僕は今まで一度も霊樹の雫を家に持ち帰ったことはなかったんだ。


 僕は喜んでミストラルから壺を受け取る。


「ありがとう。家族で大切に飲むね。きっと父さんと母さんはこのお水の美味しさに驚くよ」

「喜んでもらえると嬉しいわ」


 ミストラルの好意と気遣いに、僕は感謝する。

 やっぱりミストラルは素敵だ。

 強いだけじゃない。美人なだけじゃない。優しくて気が利いて、最高の女性だよ。


「胸は残念ながらないがな」


 スレイグスタ老の呟きに、敏感に反応するミストラル。


「いま何か言いましたか」

「い、いいや。我は何も言ってはおらぬ。エルネアの心を読んだだけなり」

「ちょっ」


 何を罪を擦り付けてるんですか。

 僕は胸のことなんてこれっぽっちも考えていませんよ。


 ぎろり、とミストラルに睨まれて、僕はたじろぐ。


「ミストはちっぱい」

「ちいさいちいさい」


 場の雰囲気なんて読まない幼女二人が騒ぎ出す。


「エェルゥネェアァァァっっ」

「そんなっ、誤解だよっ……いたあぁぁっ」


 なんてことでしょう。

 僕はミストラルから拳骨を受け、うずくまる。


 酷いよ、スレイグスタ老。

 涙目でしゃがむ僕を睨み下ろすミストラル。


「年明け、覚えていなさいよ」

「何をさ」

「貴方を厳しく指導します」

「そんなぁぁぁっ」


 理不尽だよ。僕のせいじゃないのに、被害が僕に来ている。

 スレイグスタ老の人でなしっ。


「残念ながら、我はもともと人ではない。汝の思いはお門違いであるな」

「ぐすん」


 僕は涙を拭く。

 頭は痛いしミストラルの睨みは怖いけど、でもいつもの和気藹々わきあいあいとした雰囲気に僕は微笑んでいた。


 帰ってきたんだ。帰ってくることが出来たんだ。

 僕はミストラルを失わずにすんだんだ。


「にやにやして、気持ち悪い」


 ミストラルの冷たい視線も、今の僕には嬉しい。

 余計ににやつく僕から、ミストラルは一歩後退る。


「さあ、送ろう。また年明け落ち着いたら来るがよい」

「はい、来年も宜しくお願いします」


 僕はミストラルから受け取った霊樹の雫が入った縦長の壺を大事に抱えながら、お辞儀をする。


「プリシアちゃん、またね」

「んんっと、明日も遊ぼうね」

「いやいやいや、さすがに明日はまだここには来られないよ」


 気の早いプリシアちゃんに、僕とミストラルは苦笑した。


「さあ、帰ろうか」


 僕の言葉に精霊の少女は頷き、そして光の粒になって消えた。

 ふわり、と僕の耳元を柔らかい風が通り過ぎる。

 見えなくなっても、少女は僕の傍に居るんだよね。


 手を振って別れの挨拶をする僕の周りに、黄金色に輝く立体術式が展開される。

 全てが懐かしいな。


 僕は、視界が眩しい黄金の光に包まれる迄、みんなに手を振っていた。

 そして眩しい光に目を瞑り。

 光が収まった時には、家の裏庭に僕は立っていた。


「ただいま」


 僕は裏手の勝手口から家の中に入る。


「あんたはなんで、裏からいつも帰ってくるかねぇ」


 勝手口の先は小さな台所。そこで母さんが年越しの豪華な夕食の準備をしていた。

 とは言っても、僕の家の家庭事情だと普段の夕食に毛が生えた程度なんだけどね。


「これ、お土産。特別な時にだけ手に入るおいしいお水なんだ」


 適当にうそぶいて、僕は霊樹の雫が入った縦長の壺を母さんに渡す。


「特別な水?」

「聖水じゃないよ」


 一般的に特別な水と言えば、神殿が浄化した魔を祓う水なんだよね。

 でもこれは飲み水だよ。


 僕は一杯だけ容器に霊樹の雫を汲んで、母さんに飲ませてみる。


「なんであんたは水なんかにこだわっているんだろうね。どうせなら自分の将来に拘ってほしいわ」


 と愚痴りながら水を一口含み。

 目を見開いて、固まってしまった。


「どう? 美味しいでしょ」


 僕は苦笑しつつ聞いてみる。


「あ、あんた……」


 母さんは一気に霊樹の雫を飲み干し。


「これをどこで手に入れたの。こんなにおいしい水は生まれて初めてよ」


 驚愕と感動の入り混じった表情で僕を見る母さん。


「あ、このお水のことは絶対秘密だよ。近所にお裾分けも禁止。それだけ特別なお水なんだ」


 伊達に毎日竜の森に通っていたわけじゃないでしょ、と僕が言うと、母さんは納得してくれた。


「あんた、将来は竜の森の案内役になりなさいな」

「あはは、それってどんな職業さ」


 竜の森は観光名所じゃないよ。

 案内なんて出来るような場所は森の入り口付近になんてないし、苔の広場になんて案内できるわけもないし。


 僕は、母さんの冗談とも本気とも取れる言葉を軽く流して、自分の部屋に向かう。

 大掃除をしなきゃね。


「今夜はお酒なんていらないわね。これがあれば父さんもきっと喜ぶわ。良いものを持って帰ってきてくれて有難う」


 母さんのお礼を背中で聞きながら、僕は急いで部屋の大掃除に取り掛かった。







 大掃除は、夕方には無事に終了した。

 旅立ち前だし、裕福な家庭でもないので部屋は狭く、物もあまり無い。だから、掃除自体は実は簡単なんだ。


 さささっと掃除を済ませた僕は、母さんの手伝いをする。

 食台を綺麗に拭きあげ、夕食を並べていく。

 父さんは、夕食の準備が終わる頃に、家に帰ってきた。

 年末まで仕事だなんて、父さんも大変だな。


 僕も、ミストラルたちと結婚したら頼りになるお父さんになれるのかな。

 少しだけ未来のことを想像してみたけど、どう考えてもミストラルに尻に敷かれている情景しか思い浮かべられなくて、僕はがっくりと肩を落とした。


 そういえば、僕はミストラルとルイセイネのことを、まだ両親には言っていないんだよね。

 まだ、時期じゃないと思うんだ。

 旅立ち前に恋愛に走って良いのは、勇者のリステアのような立派で将来が安泰な人だけだと思う。

 もちろん、学校では付き合っている男女は他にもいるし、中には旅立った一年間を一緒に過ごそうと約束し合っている友達も居る。


 でも、彼らと僕は境遇がいろいろと違うからね。


 僕って表面上は、購入した大切な剣を翌日竜の森でなくし、代わりに木刀を何故か右腰にさしている阿呆の子なんだよね。

 代わりに毎日竜の森で薪や果実を取ってきていたけど、それって将来には大して役に立たない。

 きちんと将来を見据えた同級生徒の中には、職人に弟子入りしたり商店で売り子の見習いをしながら手に職をつけようとしている人もいるんだ。

 だけど、僕は毎日竜の森に通うだけ。さらに最近では、竜の森へも行かずに毎日どこかに行って意気消沈して帰ってきていたから、両親からしてみれば、随分と心配な子だったに違いない。


 迷惑と心配ばかりを、僕は両親にかけてしまっているんだ。

 そんな僕がミストラルたちを紹介だなんて、出来るわけもない。

 もっと立派になり、自慢の息子だと言ってくれるくらいになったら、僕はみんなを紹介しようと決めていた。


 だから、これからいっぱい努力しなきゃね。

 来年の目標は、立派な一人前になることだよ。


 家族が集まり、今年最後の夕食を楽しく頂く。


 父さんも、母さんと同じように霊樹の雫の美味しさに驚いていた。

 これからは毎日持って帰ってほしいと頼まれたけど、流石に無理だと断った。


 来年は、両親と別れての年越しになるんだね。

 旅立ちの後、そのまま独立する人も多いし、きっと同級生徒の中には特別な日になっている家庭もあるのかもしれない。

 僕はどうだろう。

 将来はミストラルとルイセイネと結婚する予定だから、この家からは勿論出て行くことになっちゃうね。


 そういえば、みんなで住むとしたら何処になるんだろうか。

 旅立ちの一年間は生まれ育った土地には入れないけど、それ以降は制限はないからね。もしかしたら王都に住むのかな。それなら母さんたちと住まいは別でも、会いに来ることはできるね。

 でも、ミストラルは竜人族なんだよね。そうすると、彼女が人族の中に入って生活するのは大変じゃないのかな。

 竜峰の竜人族の村に移り住むことになるのかな?

 腐龍騒動の時のアネモネさんの住む村の様子や、ジルドさんと会って思ったんだけど、竜人族の人は質素な生活みたい。だから、華やいだ王都の生活だと、ミストラルに負担がかかりそうだね。


 まあ、これからの事はこれから考えるしかないか。

 僕だけじゃなくて、みんなも思うところはあるだろうしね。


 僕のいろんな思いと共に、残り少ない今年最後の夜は更けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る