フィオリーナとユグラ

 間近で見ると、それは貴金属のようなきらびやかな黄金色ではなく、少しくすんだ落ち着きのある色合いをしていた。ただし、それでも夏の日差しを受けて、きらきらと輝いて眩しい。


 僕の正面には、周りの黄金色に日光を反射する翼竜と同じ風貌をした、一体の竜が行儀よくお座りしている。そして、こちらを見つめていた。


 目線の高さは、僕と同じ。


 つまり、座ったときの背丈は、僕とほぼ一緒くらい、ということになる。


 翼竜は大きい。それは巨体である暴君と同じくらいに。


 なのに、目の前の翼竜は周りから比べて遥かに小さく、お座りをした状態の視線が僕と水平に交わる。


 背中の翼を広げれば、それなりの大きさにはなるんだろうけど……


 やはり、小さい。


 子竜です……


 そんな馬鹿な、と思い、もう一度集中して、竜脈と竜気を伺う。


 周りの巨大な翼竜からは、強い竜気が伺える。隠すこともなく、むしろ見せつけるかのように体内を流れる竜気は、僕や竜人族など足もとにも及ばないくらい。

 なかには、竜脈から力を汲み取り、威圧するような気配を漂わせる翼竜もいる。これはきっと、暴君を警戒してのことだと思う。


 翼竜のほとんどが桁違いの竜気を放ち、窪地の巣は圧倒されるほどの力に満ちている。


 そんななか、一番に巧く竜気を扱えている者こそが、三百年前に双子の建国王とともに戦った大英雄竜のユグラ様に違いない。と思って探りを入れてみると。


 やはり、窪地の巣で寛ぐ翼竜のなかで、一番巧みに、そして自然に竜気を扱っているのは、目の前の子竜だった。


 スレイグスタ老のように、ごく自然に竜脈から力を吸い上げて、自らの竜気へと変換している。

 変換された竜気は体内をめぐり、さざ波のように、ごく自然に空中へと散布されている。

 放たれた竜気の波は、谷を越えてどこまでも広がっているように感じられた。


 間違いない。目の前の小さな翼竜が、圧倒的に周りの者よりも巧みに竜気を扱っている。


 でも、子竜……


 僕は頭を抱え込む。


 どういうこと?


 三百年以上も生き、老竜なはずのユグラ様が、子竜なはずがない。


 一瞬、ニーミアのように小型化しているのかな、と思ったけど、それはない。

 大きさを変えるあの竜術をニーミアは簡単に使っているけど、桁違いの竜力と繊細に組み上げられた竜術が必要なんだ。

 それこそ、スレイグスタ老並みの。

 いくら竜族の大英雄だとはいっても、古代種の竜族並みの竜力は持ち合わせていないと思う。


 では、この子竜は何者なのかな。そしてユグラ様、ではないよね?


 ひとりで考え込んでいてもらちかない。


「き、君は伯……じゃないよね?」


 恐る恐る尋ねると、目の前の子竜はこくこくと可愛く頷いた。


 やっぱり、違うのか。間違えたことに、僕は肩を落とす。

 ということは、正解はもしかして。


「お願いがあるんだけど。僕を伯の居る場所まで案内してくれるかな?」


 興味深そうに僕を見つめる子竜にお願いすると、もう一度こくこくと頷き、近づいてきた。


『うわあっ、可愛い!』

「うわっ」


 予想していませんでした。


 近づいた子竜は、まあるい瞳をすうっと細めると、僕に頬ずりしてきた。

 きゅうう、と可愛く喉を鳴らして、前足で器用に僕を抱きしめる。そして、顔を僕に擦り付ける。


 想定外の子竜の動きに、僕は動揺して目を白黒させる。

 鮫肌さめはだ、ではなく鱗肌うろこはだがつるつると、僕の頬を撫でる。


「ち、ちょっと! どうしたの!?」


 子竜の抱擁ほうようから抜け出そうともがくけど、さすがは竜族です。僕程度の力では抜け出せる気がしない。


『お爺ちゃんを探しているの? なのになんで、わたしのところに来たの?』


 質問しているのは僕ですよ。と思いつつも、正直に答える。


「伯が一番竜気を巧みに扱っていると思ったんだよ。だから、この群のなかで最も優れた竜気を扱う竜を目指したら、君だったんだ」

『うわあっ、嬉しい! わたしが一番だと知っているんだね!』


 子竜は可愛く喉を鳴らすと、僕をさらに強く抱きしめる。


 うぎゅうっ!


 潰れるっ


 力加減を考えなさい! と僕が突っ込む前に。


『うにゅうっ!』


 隣に居た翼竜が子竜を口でくわえて、僕から引き離した。


『フィオよ、いい加減におし。客人を早く伯の場所へ案内して差し上げなさい』

『ううん、もうちょっと』


 大人の翼竜の口に咥えられ、名残惜なごりおしそうに僕を見る子竜。名前はフィオかな。


『あまりにわがままが過ぎると、伯に叱ってもらいますよ』

『うわあんっ。それは怖い』


 どうやらユグラ様は怖い竜なのか、急に大人しくなる子竜のフィオ。

 言うことを聞き入れたのを確認すると、大人の翼竜はフィオを離す。


『こっちだよ。ついてきてね』


 自由になったフィオは、尻尾を振って僕を案内する。


「ありがとうございます」


 大人の翼竜にお礼を言うと、僕は急いでフィオの後を追った。


 大きな身体をした翼竜たちの間は、迷路のように入り組んでいる。

 フィオはそれでも目的地がわかっているのか、迷うことなく進む。

 時折振り返り、僕がちゃんと付いてきてるか確認してくれる。


 突然の頬ずりと抱擁には驚かされたけど、根は優しいみたい。


 ふりふりと陽気に尻尾を揺らしながら歩む姿は、見ていて可愛らしいと思えた。


 そして進むにつれ、フィレル王子の声が段々と近づいてきた。


「おおーい!」


 フィレル王子の元気な声。


 どうも、フィオはフィレル王子の方へと向かっているみたいだね。

 どうやらカルネラ様の出題は、僕が不正解で、フィレル王子が正解だったみたい。


 フィオと僕を見下ろす翼竜の脇を迂回して通り過ぎると、翼竜の密集地帯が少しだけ緩和された場所に出た。


「エルネア、こっちこっち!」


 フィレル王子が手を振る場所。少しだけ開けた場所の中央。

 そこには、一体の翼竜がたたずんでいた。


 フィオと同じように、少しだけ燻んだ黄金色の鱗が全身を覆う。身体の大きさは、他の翼竜と大差はない。ただし、額には縦一文字に傷があり、他の翼竜よりも立派な角が二本、頭部から生えていた。


 ああ、これなら外見を聞いていれば、容易く見つけられるね。

 フィオと一緒に近づくと、額だけではなく身体のあちこちに、無数の傷が残っていた。

 三百年前の戦いの跡なのかもしれない。


「その子竜は?」

「はい、ちょっと間違えました」


 僕が恐縮して返事をすると、フィレル王子は勝ち誇ったように微笑んだ。


「ふふふ。この勝負、僕の勝ちですね」

「ですね。完敗です」


 ユグラ様の外見を知らなかった僕。探し方も間違えたみたいだし、フィレル王子の完勝だね。


 さあ、もっとこっちへ。と手招きするフィレル王子。

 こころよく、と行きたいところなんだけど、少しだけユグラ様の鋭い視線が気になった。


 身体は横たえているけど、頭は高く持ち上げている。そこから、足もとのフィレル王子を鋭く見据え、次いで僕とフィオに鋭い眼光を向ける。


 フィレル王子は気付いていないのか、気にしていないのか。

 だけど僕とフィオは、同じように足を止めてしまった。


『お爺ちゃん、ちょっと不機嫌みたい』

「むむむ。どうしてかな。僕たちの突然の訪問に、怒っている?」


 ミストラルが事前にお伺いを立てたはずだけど。

 もしかして、カルネラ様の一族にはお伺いを立てたけど、ユグラ様たちにはしていないとか。


 いや、ミストラルに限って、そんなことはないと思う。


 では、なぜユグラ様は不機嫌なんだろう。


 僕たちがユグラ様のもとへ到着するのを見て取ると、カルネラ様と三人のお付きの人もやって来た。


「伯。この人たちが、ミストラルの言っていた人物ですよ」


 カルネラ様たちは、ユグラ様とフィレル王子の場所と、僕とフィオが佇む場所の間に立つ。

 お付きの三人が、僕の側に行儀よく座ったフィオを見て、目を丸くしていた。


「は、初めまして。僕はヨルテニトス王国第四王子の、フィレルと申します。ヨルテニトス建国王の、子孫にあたります!」


 フィレル王子が、勇んでユグラ様に挨拶をする。

 ユグラ様は、高い場所からぎろり、とフィレル王子を見下ろした。


「ひぃっ」


 フィレル王子は、どうやらユグラ様の気配に気付いていなかったみたい。視線が合い、その険しい瞳に顔を引きつらせて、後退る。

 ユグラ様はフィレル王子を一瞥すると、今度は僕を見た。


「お初にお目にかかります。僕はエルネア・イースと言います」


 竜族に対して何が礼儀正しいのか、なんてわからないから、人として礼儀正しく、挨拶をする僕。


『ジルドの後継者とは、汝か』


 フィレル王子の挨拶は流したユグラ様が、興味深そうに僕を見据える。


「はい。竜宝玉と、竜王の称号を受け継ぎました」


 ユグラ様からは圧倒的な気配が伝わってくるけど、僕はたじろがない。

 どんなに恐ろしい気配を向けられても、僕には通用しない。なにせ、どんなに凄まれても、それはスレイグスタ老の足もとにも及ばないから。


『あれは、元気にしておったか』

「はい。とても元気です。最近では、スレイグスタ老と仲良くお茶をしていますよ」

『くくく。スレイグスタ様と、か』


 何かを思い出したかのように、ユグラ様は微笑む。するとようやく、ユグラ様の気配が少しだけ和らいだ。


『汝はスレイグスタ様のもとで精進してきたか』

「はい、いつも良くしてもらってます。あ、ジルドさんにも色々と教わってます」

『なるほど。面白い竜王だ』


 足もとのフィレル王子には見向きもしないユグラ様。


 フィレル王子は、少しだけ和らいだ雰囲気に、ほっと胸をなで下ろして僕の方を見ている。

 彼には意味不明の会話をしているので、気を揉んでいるのかもしれないね。

 僕としても、ここに来た目的はフィレル王子をユグラ様に引き合わせることなので、どうにかして話題を切り替えたい。だけど、ユグラ様の興味は僕に集中していた。


『それで、汝はなぜ、フィオリーナと共にこの場にいる』


 ユグラ様は僕の側で行儀良く座り、ことの成り行きを見守っているフィオに視線を移す。


 ああ、フィオリーナが正しい名前なんだね。


「ええっとですね」


 ということで。ユグラ様のことをミストラルとスレイグスタ老に教わり、ここを訪れた目的から、カルネラ様の出題と、僕がどうやってユグラ様を探したか。そしてなぜ、フィオリーナに行き着いたのか。フィオリーナがどんな力を持っていて、僕がそのせいで勘違いしてしまったことを順番に説明する。


 説明していくと、お付きの三人は見開いた目をさらに大きくし、驚愕していた。


 はて。何をそんなに驚いているのやら。


 お付きの三人は置いておいて、僕は誤解のないように丁寧に説明する。

 竜族の大英雄であるユグラ様よりもフィオリーナの方が優れているなんて、僕の勘違い。僕が未熟だったから、間違えたんです、と断りを入れる。

 僕の勘違いで、今以上に不機嫌になられたら困るからね。


 僕の説明を受けて、ユグラ様はぐるると、喉を鳴らした。


「お見それしました」


 説明を聞いていたカルネラ様が、なぜか僕に頭を下げる。


『フィオリーナの能力を見抜くとは、只ならぬ者だ』


 なぜか、ユグラ様も感心したように頷き、周りで聞き耳を立てていた翼竜も驚きを持って僕を見る。


 ええっと、僕は何かやらかしてしまったのでしようか。


 顔を引きつらせる僕。


『くるる。エルネア凄い。エルネア大好きっ』


 フィオリーナは僕にべったりとくっ付き、先ほどのように頬ずりしてくる。


「こ、こらっ。今はこんなことをしている場合じゃないんだよ?」


 僕のことなんてどうでも良いんです。今は僕に注目しないでください。フィレル王子に集中してください!


 なんとかしてフィオリーナを引き離し、話題をフィレル王子に向けたい僕。

 くるくると可愛く喉を鳴らすフィオリーナの顔を退けようと四苦八苦していると、ユグラ様の足もとから遠慮がちに、フィレル王子が動いた。


「失礼します。僕は本日、ヨルテニトス王国の王子として、伯にお会いしに来ました」


 少し緩んだユグラ様の気配。そして僕とフィオリーナの、一見じゃれついているようにも見える様子。

 場の雰囲気が和んだと感じたフィレル王子が、注目を集めようと自ら声を上げた。


 僕は正直、フィレル王子の行動は頑張っているように感じた。ユグラ様の鋭い気配に怖気おじけつつも、見向きもされない現状を自ら打開しようとしている動きに。


 だけど、ユグラ様は違った。


 僕の方からフィレル王子に視線を移した途端、ユグラ様の気配がまた鋭くなる。

 頭上から鋭く見据えられ、フィレル王子は腰が引ける。


「ど、どうか、僕の話を……」


 フィレル王子の言葉を遮り、ユグラ様は低く喉を鳴らす。

 竜心が、はっきりとユグラ様の意思を読み取った。


『ヨルテニトスの末裔か。貴様は、心が腐っておる』


 僕と同じ竜心を持つフィレル王子は、ユグラ様の厳しい感情に、ただ呆然と頭上を見上げるばかりだった。

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