奥様は巫女

 今年は、粉雪が舞うしんみりと冷える年越しになりました。

 アームアード王国の王都上空にはあまり雲はかかっていませんが、竜峰より吹きおろす西風に乗って柔らかい雪が運ばれてきます。

 それでも、誰もが白い息を吐き、暖かい服を着込んで、年越しの夜神楽よかぐらを観ようと復興途中の大神殿へ集まりました。


 王都の大神殿はようやく基礎工事が終わり、柱やはりや壁の一部が姿を見せ始めています。お話を聞いたところによりますと、大神殿に使われる石材には竜峰産の物がふんだんに使われているとのことです。

 竜人族の方々が、竜峰で採掘された硬く美しい石を売り込みに来たそうで、最近では竜人族の隊商の主要な取引物になっているのだとか。運搬には竜族の方々も協力しているということで、敷地内の空いている場所だけでなく、大神殿前の大広場になる予定の場所に、もたくさんの石材が積まれています。


 王都だけでなく、近隣の町や村からも集まって来た人々は、加工前の石材の上や隙間にぎゅうぎゅうと詰め寄せて、夜神楽を楽しんでいました。


 巫女職の女性が神楽を奉納し、神官職の男性が朗々ろうろううたいます。雅楽ががくの幻想的な音色と、錫杖しゃくじょうや鈴の音が響く、とても美しい夜です。


 ですが、神職のみなさんが忙しく働く最中さなか、わたくしだけは取り残されたように暇を持て余していました。

 それもこれも、エルネア君のせいだと思うのです。……ふふふ、ごめんなさい。本当は違います。


 わたくしも、当初は戦巫女いくさみこという立場上、夜神楽を見物に来た人々の間に立って警備を担っていたんです。

 ですが……


「あら、あんたはエルネア君のところのお嫁さんじゃない? おやまあ、新婚だというのにお仕事なのね。ご苦労様」

「お姉ちゃん、冒険のお話を聞かせて?」

「お嬢ちゃん、どうか竜族や竜人族と触れ合う機会を俺に作ってくれないか」


 などと、わたくしのことを知っている人々に押しかけられて、慌てて奥に逃げ込んで来たのです。

 普段であれば、小さな子どもにお話をしたり女性との井戸端会議に花を咲かせるところなのですが。今夜は、人が多く集まる儀式の最中です。

 警備をしているはずのわたくしが騒動を起こしてしまっては、元も子もありません。

 エルネア君じゃあるまいし、ですよね。


 そういうわけで、わたくしは大神殿内の警備になってしまいました。

 大神殿は建立途中ということもあり、色々な場所が無防備になっています。敷地を隔てる壁は昔から存在していませんでしたが、現在は建物の内外を仕切る壁もいたるところが欠損しています。宮大工みやだいくの方々だけでなく、石材を搬入するための空間が空けられていたりと、場所によっては街路から奥が丸見えという場所もあります。


 とはいえ、ここは大神殿です。人族の方々は神職の者や聖域に手を出すことはありません。

 現在は、王都に竜人族や獣人族といった違う種族の方々も滞在していますが、彼らも人族の文化にならって神職の者をうやまってくれています。

 ただし、竜族の方々だけは、どうも自由奔放らしいです。


『今夜は賑やかだな、竜の巫女よ』

「こんばんは。お騒がせしてますね」

『いや、なに。年越しにはこういう賑やかさも必要だろう。しかし、子たちが迷子にならぬか不安だ』

「可愛いですものね。誘拐とかは気にならないのでしょうか」

『ふふん。子とはいえ、そこは竜族。人ごときに後れを取るものか』


 てふてふ、とわたくしの足もとに歩いて来たのは、鶏竜にわとりりゅうさんでした。

 普通の鶏の倍以上も大きく、鶏冠とさかの部分には立派な角が生えています。竜気に満ち溢れ、雄々しい姿でわたくしを見上げています。


 ですが、そうやって見ることができるのは、わたくしだからなのですよね。


 わたくしの瞳に宿るという竜眼りゅうがんの能力。

 竜気の流れを視認できる、特殊な能力です。竜気の流れを見れば、相手がどのように動くのか、自然とわかってしまいます。

 竜族の方々やミストラルさんの場合は、竜気を読んでもさすがに対処できませんが、エルネア君なんて未だに丸わかりです。

 竜剣舞を舞っているエルネア君の周りでは、竜脈から湧き上がる力や放たれる竜気が美しく乱舞します。そしてその全てにエルネア君の意志が伝わっていて、どう流れるのか、なにが起きるのか、手に取るようにわかるのです。


 手合わせをすると、わたくしにはまだ勝てない、といつも口にするエルネア君。

 たしかに、わたくしはエルネア君の竜気を読み取り、手に取るように動きがわかります。

 ですが、本当は違うと思うのです。

 エルネア君はとっくの前から、わたくしなどよりも強いのです。もしかすると、ミストラルさんと同じくらい強いのかもしれません。

 ですが、エルネア君はわたくしたちを相手にすると勝てません。その原因は、精神に由来する部分が大きいからじゃないか、と誰もが知っています。

 ミストラルさんやわたくしたちに頭が上がらないから? お尻に敷かれているから? いいえ、違います。

 エルネア君は家族に対して優しい、というか甘いのです。家族には手をあげない、なにがあっても護るんだ、という想いが強すぎるのではないでしょうか。

 そのせいで、手合わせをしても無意識に引け目を感じてしまい、わたくしたちに負けてしまうのです。

 そんなことだから、プリシアちゃんがわがまま放題になってしまっているのですよ?

 とはいえ、そういった自覚のない無邪気なエルネア君が可愛いのですが。


 わたくしたちは、思わぬことから不老の命をいただきました。

 不老になると、加齢による成長も止まってしまうらしいです。精神年齢に引っ張られて肉体の年齢も上がる可能性はあるらしいのですが……

 ふふふ、エルネア君にはいつまでもあのままでいてほしいですよね。これは、わたくしだけでなく身内全員の総意です。

 本人は、ザンさんのような筋肉に憧れているようですが。もしもイド様のように筋肉お化けになったら、離婚ですよ?


 そうそう。竜眼のことは竜気を扱う者にとっての天敵になる、とミストラルさんはわたくしに言いました。そのため、ごく一部の方々以外には、竜眼のことは未だに伏せています。

 鶏竜さんたちにも秘密にしています。


『ふむ、其方のもふもふを許そう。存分に撫でよ』

「ふふふ。はい、かしこまりました」


 鶏竜さんはわたくしに背中を見せて、撫でるように要求してきました。わたくしは屈み込むと、優しく撫でます。


『其方の撫でかたは慈愛に満ちて気持ちがいい』

「プリシアちゃんはどうなのですか?」

『あれはたまに逆撫さかなでするから油断ならん』

「あらあらまあまあ、それはいけませんね」

いもおうしつけがなっていない』

「今度、伝えておきますね」

『うむ。それなら引っ越し祝いとかいう先日に贈られた竜芋りゅういもの謝意も伝えておいてもらおうか』

「かしこまりました」


 鶏竜さんが満足するまで撫でてあげます。

 ですが、なぜここにきたのでしょう?


 鶏竜は数年置き、もしくは毎年のように巣を作り変えるといいます。

 そして今年の年末。といいますか、わたくしたちの結婚の儀から帰る途中で久々に立ち寄った王都を気に入ってしまい、巣を大神殿の近くに作ってしまった鶏竜の方々は、大神殿の敷地だけでなく神職の者たちの生活の場にも自由気ままに出入りしているようです。


 王都の人々は、当初は鶏竜の方々を大きな鶏と誤認してしまって、何度も騒ぎになりました。最近ではようやく存在を認知されて、街中を闊歩かっぽする巨大な鶏には絶対に手を出すな、と知られるようになったらしいのですが。


『なあに、たいしたことではない。他の者たちがここに人が集う様子に興味を持って見学に来たから、我もついでだ』

「ふふふ、そして単独行動なのですね」

『夜神楽も良いが、其方に撫でられるのも良いかと思ってな』

「あらあらまあまあ、光栄です」


 ふわふわと柔らかい羽根が掌に気持ちいいです。

 竜族の方々は、その多くが硬い鱗に覆われていますが、鶏竜さんは綺麗な羽根です。

 わたくしが鶏竜さんを撫でていると、夜神楽の一幕を終えた神職の方々が休憩に戻ってきました。


「うっわー、疲れたー」

「今年は例年にも増して人が多いように感じますね」


 こちらへと歩いてくる人のなかに、キーリとイネアの姿を捉えます。

 労いとともに声をかけると、二人は駆け足でやってきて、一緒に鶏竜さんを撫で始めました。


『ほほう、この者たちもなかなかに』

「キーリ、イネア。褒められていますよ」

「あらまあ、それは光栄です」

「うっわー。良いな良いなー。わたしも竜族と会話がしたいよー」

「それならば、ドゥラネル様といつも親密にしていれば、竜心りゅうしんを手に入れられるかもしれませんよ」

「よおし、頑張ってみるー」


 キーリもイネアも、鶏竜さんを鶏と誤認しません。

 見慣れると、身体の大きさと頭の角で、鶏か鶏竜かすぐに判別できるようになりますからね。


「そういえば、ルイセイネ。家を新築なさったと聞きましたが?」

「どなたに聞いたのでしょう?」

「んもうー。夫婦なのにお互いの行動を把握していないなんてさー。年越しの夜神楽を見学しに、さっきエルネアっちが来てたよー。そして、すんごい騒ぎになっていたよー」

「エルネア君、なんてことを……」


 わたくしが自粛じしゅくして奥へと引っ込んだというのに、エルネア君は嬉々ききとして騒動を巻き起こすのですね。

 年が明けて合流したら、お説教です。


「建てたというか、建てられたというか。ともかく住まいは確保できたのですが、残念ながら二人を容易に案内できるような場所ではなくて」

「巨人の魔王がらみなのですよね? わたくしたちもそれだと気軽にはいけませんし」

「でも、いつかは行ってみたいなー」

「エルネア君に相談しておきますね」


 禁領は、限られた者しか出入りができない場所です。キーリとイネアは心から信頼できる親友ですが、わたくしの一存だけではどうしようもありません。

 鶏竜さんも招待しろ、と鳴いてますが、こればかりはエルネア君たちとの相談が必要ですよね。


 談笑しながら、鶏竜さんをわたくしとキーリとイネアの三人がかりで撫でていると、満足したのか、てふてふと歩いて行ってしまいました。

 竜族は気まぐれです。この能天気というか、怖いもの知らずの自由な気質がプリシアちゃんと合うのでしようか。

 プリシアちゃんはきっと今ごろは、耳長族の村で楽しい年越しをしていることでしょう。

 未来の族長様なのですから、自分の村の節目節目の祭典には参加しませんとね。


「遊びに行くのも良いけど、たまにはこっちにも遊びに来てねー」

「ミストさんたちもぜひ連れて来てくださいね。ああ、ただし……。双子様はセリースが嫌な顔をしそうです」

「ふふふ、今ごろ王宮では大変なことになっているのでしょうね」


 リステア君たちは、わたくしたちのように一家離散の年末年始を過ごしているわけではありません。

 リステア君とスラットン君の夫婦は、毎年の年末年始は王宮で過ごしています。ただし、神職のキーリとイネアは派手な集まりには参加できませんので、二人だけは大神殿での年越しです。


 神職に身を置くものとして、これに不満はありません。

 ですが、一緒に居られなかった分を再会したときにいっぱい補充したいです。

 そろそろ、わたくしもエルネア君成分が不足し始めているようです。


 そうです。このままキーリとイネアと談笑しながら外に出れば……

 エルネア君は、外で騒いでいるのですよね?

 悪魔的な欲求が沸き起こり始めました。


 ですが、わたくしの邪心を打ち払うように、年越しのかねが鳴り響き始めました。

 からん、からん、と大神殿の鐘楼しょうろうから年の移り変わりを知らせる鐘の音が冬の夜空に広がっていきます。

 がらん、がらん、と遠くから王宮や王都中の鐘が響いてきました。


「ああーっ、年越しの大奏上だいそうじょうに行けなかったー!」

「あらまあ、いつの間に」


 どうやら、話し込みすぎていたみたいです。

 上級巫女のキーリとイネアは、巫女頭みこがしら様たちと一緒に祝詞のりとの奏上がありましたのに。

 勇者の伴侶として神殿から離れて活動するキーリとイネアは、神殿勤の聖職者とは違い、大詠唱は強制ではありません。なので、他の巫女の方々は談笑していたわたくしたちに配慮をしてしまい、声をかけなかったようです。


 しまった、と三人でぺろりと舌を出して、新年早々に反省をするのでした。


 どうか、今年は平穏でありますように。

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