身勝手な試練
やはり、ここは影竜の幼体が眠る洞窟の近くだった。
見覚えのある風景が、月明かりに照らされて浮かび上がる。
そして、実体化した影竜アルギルダルの背後の
僕たちは集まり直すと、夜闇に浮かぶ
だけど、恐怖心はない。
僕たち家族が一丸となれば、どんな相手にだって遅れを取ることはないんだ。
それに、やっぱりスレイグスタ老やアシェルさんに比べれば
「くくくっ。竜の森の守護竜様ならまだしも、我があのアシェルに劣るというか」
「だって、
男嫌いのアシェルさんに尻尾を巻いて飛竜の狩場の四方に散った
僕の挑発を、鼻で笑うアルギルダル。
「まあ、よかろう。いちいち相手にするのも面倒だ」
「いやいや、こっちは相手にしてもらわないと困りますからね? さあ、今回のことについて、弁明をしてください!」
アルギルダルが、僕たちを見下ろす。
影色の瞳が不気味に輝いていた。
「なぜ、ミストラルとセフィーナさんを
ニーミアは、影竜のことを「悪い竜」だと
お役目を果たさずに、悪さばかりをしていると。
そのせいで、今では古の都の周囲に幾重にも張り巡らされた外郭にさえ近づく者は滅多にいないらしい。
その「悪い竜」の筆頭とも言うべきアルギルダルだけど。それでも、古代種の竜族であり、古の都を守護する守護竜だ。
なら、今回の事件にも何かしらの意図はあったんじゃないのかな?
もしも、何の理由もなく気の向くままに悪さをしたというのなら、それこそ本当の「悪い竜」に
「しかし、汝は我が悪に堕ちたとは思わぬと? くくくっ。どこまでもお人好しだな」
僕の思考を読んで、
だけど、僕はアルギルダルの態度なんて気にすることなく、返答を待った。
巨竜を見上げる僕たち。
人を見下ろす影竜。
少しの間だけ、竜峰の山間に沈黙が漂う。
「……ちっ。つまらぬな」
そして、沈黙を最初に破ったのは、アルギルダルの方だった。
アルギルダルは、僕たちの微塵も揺さぶられない団結力に屈したのか、影色に光っていた瞳を鎮める。そして、ようやく事の真相を話し始めた。
「まず、竜姫ミストラル。汝に興味を持った」
「八大竜王のエルネアではなく、わたしに?」
「そうだ。貴様は、かの
ミストラルが竜姫の称号を得る切っ掛けとなったのは、流星竜という古代種の竜族の竜宝玉を受け継いだからだ。
もちろん、心構えや実力も竜姫に相応しい実績があるからだけどね。
でも、その流星竜って、そんなに凄い竜なの?
僕の思考を読んで、アルギルダルがため息を吐く。
「何も知らぬ者が竜神様の御遣いであるなど、なんと
「ごめんなさいね!」
でも、本当に知らないんだもん。
ミストラルに「何か知っている?」と聞いたら、こちらもあまり詳しくないような反応だった。
「わたしが受け継いだ竜宝玉を遺した流星竜シャンティア様のことは、
アルギルダルは、スレイグスタ老の名前は出したけど流星竜の個体名までは言及しなかった。
それはつまり、シャンティア様のことを言ったわけじゃなくて「流星竜」という竜種を指したってことだよね。
では、その流星竜とはどんな竜種なのか。
無知な僕たちに代わって、アルギルダルが呆れ口調ながら教えてくれた。
「遥か地。竜神山脈の最奥に竜神様は座すと云う。我ら古代種の竜族だけでなく、下位の竜族やその血に連なる者もまた、竜神山脈に赴いて竜神様に
竜族や古代種の竜族は、人族が創造の女神様を信奉するように、竜神様を
だから、竜神様の御遣いである僕たちに対して、アルギルダルも殺意ある牙を向けてこないんだね。
「しかし、竜神様のお膝下へとは、そう易々とは辿り着けぬ」
本来であれば、住んでいる場所がわかっているのだから、会いに行けるはずだ。世界をまたにかけて移動するぐらい、竜族ならできるだけの実力を持っているからね。
でも、竜族たちは竜神様の住むという竜神山脈に飛んでいこうとはしない。それどころか、会う資格を得るために力をつけたり徳を積んだりして、高みを目指す努力をしている。
つまり、竜族たちが気安く竜神山脈に行っても、竜神様とはそうそう会えないってことだね。
「そうだ。資格なき者はたとえ竜神山脈に踏み入ろうとも、必ず排除される。そして、竜神様を守護し、竜神山脈に侵入した不届き者を
「四護竜!」
超越者たるミシェイラちゃんを守護するために、ナザリーさん一家は
ただし、四護星であるナザリーさん一家は四人が個人個人でお役目についていたけど、四護竜と呼ばれる竜族は種全体で担っているみたい。
それと、もうひとつ。
衝撃の事実を知りました。
スレイグスタ老の竜種を表す「陰陽竜」も、竜神様の守護を担う四護竜の一種だったとは!
今度、スレイグスタ老に会ったら、このことをもっと詳しく聞いてみよう。
それよりも、今はミストラルと流星竜についてだ。
アルギルダルは、ミストラルを興味深そうに見下ろす。
そして、拉致した理由をようやく口にした。
「本来であれば、流星竜は竜神山脈の奥深くに
ミストラルが身の内に宿す竜宝玉の源となった流星竜は、僕たちが暮らす禁領にかつて芽生えていた霊樹を守護していたと、前に聞いたことがある。
「つまり、ミストラルが、というよりも彼女が宿す流星竜の竜宝玉に興味があった?」
「いいや、竜姫にも興味はあった。外の世界ではただでさえ珍しい存在の流星竜。しかもその竜宝玉を宿す者など、世界を
確かに、ミストラルは珍しい存在かもしれないね。
だけど、だからといって問答無用で連れ去るなんて、言語道断です!
「興味を持ってもらえたことは嬉しいけれど、やはりこんなやり口で存在を試されたのは納得いかなかったわね」
ミストラルも、同じ考えみたい。
僕たちが抗議の声をあげるけど、アルギルダルは意に介した様子もなく鼻で笑う。
「我が汝らの許可を得なければいけない理由はない。むしろ、我が興味を示したことを誇りに思うが良い」
「いいえ、迷惑なだけで誇りになんてなりません!」
と、僕がさらなる抗議をあげたら、
「では、人の身で我に傷を負わせたということを誇れ」
と低い声で言い返された。
「アルギルダル様が傷を?」
「汝は影を攻撃していたつもりだろうが、影こそが我なり。影を傷つけるということは、我に傷を負わせたということだ」
「さすがはミストラルだね!」
不可抗力とはいえ、思わぬ形で古代種の竜族にひと泡吹かせていたと知って、ミストラルや僕たちはようやく
「それじゃあ、次に。なんでセフィーナさんまで誘拐したのかな?」
セフィーナさんは、いってみれば普通の人族だ。
竜力を宿してはいるものの、それなら僕やライラ、それにユフィーリアにだって当てはまる。
なのに、アルギルダルは僕たちではなく、セフィーナさんを連れ去った。そこにどんな意味があるんだろう?
アルギルダルは、今度は満身創痍のセフィーナさんへ視線を移す。
「血の気の多い小娘だ」
「貴方様に言われたくはありませんね?」
巨大な竜に見下ろされても、少しも臆することなく言い返すセフィーナさん。
いつでもどこでも、どんな状況でも
「くくくっ。さらに胆力もある。そして、それこそが汝の長所であり、高みへと昇る原動力となる」
「高み……?」
そういえば、暗闇の中でもセフィーナさんはそんなことを言われたんだっけ?
では、高みとは何だろう?
僕たちの疑問に、アルギルダルは言う。
「術の
「どういうことかな? 術の深淵ってなに? 術の真理? いったい、何が言いたいの?」
アルギルダルは、何を知っているんだろう?
だけど、僕たちの疑問にアルギルダルは首を横に振って応えた。
「わからぬ。我さえも到達しえぬ高みである」
「えっ!?」
「だが、術を極めしそのまた先に、世界へと繋がる答えが眠っていることだけは理解している」
「世界へ繋がる……?」
余計に混乱してきましたよ?
セフイーナさんは、たしかに術を操るのが得意だ。しかも、それは竜術だけに留まらず、呪術や魔法、それに神術や精霊術や、そのほか色々な種族の術を操ることができる。
唯一、操れない術の系統といえば、法術くらいだよね。
そんなセフィーナさんは、他者の術を操るという部分だけを見れば、僕なんかよりも優れているかもしれない。
アルギルダルは、その
でも、いったい術の深淵とか術の真理って何だろうね?
アルギルダルも、
「我が汝に向けた言葉に、偽りはない。汝は己の力のみで、いずれは高みへと昇り至るだろう。むしろ、汝を縛る者たちは邪魔になる可能性がある」
「あら、そうかしら?」
セフィーナさんは、アルギルダルの言葉を即座に否定した。
「さっきも言いましたけど。私はどうも勘違いされているようですから、訂正させていただきます。はっきり言って、ひとりで高みに至るなんて、絶対に無理です。だって、私が自らを鍛える理由は、お姉様たちに追いつきたかったり、エルネア君やみんなの力になりたいからですから。だから、孤高なんて、本当は無理。私は誰かを想っていなければ、階段を登ることはできない。そういう者ですから」
そう断言すると、セフィーナさんはいつものように格好良く微笑んだ。
セフィーナさんは孤独が好きなわけでも、ひとりだけで生きていけるわけでもない。それは、他のみんなにだって言えることだ。
だから、僕たちは家族としてまとまり、助け合いながら生きていく。
「それに、高みへ至るのなら、やはりエルネア君やみんなと一緒の方が絶対に楽しいと思います。ひとりで何かを極めたって、理解してくれる者や喜びを分かち合える者がいなければ、それは
セフィーナさんの迷いのない言葉に、アルギルダルは沈黙で応えた。
反論しないところを見ると、アルギルダルはセフィーナさんのことを認めたんじゃないのかな?
「さて。それじゃあ、ミストラルとセフィーナさんが拐われた理由はわかったね」
アルギルダルの身勝手な興味によって、ミストラルは拐われた。セフィーナさんが拉致された理由は、アルギルダルの勘違いと思い違いだった。
どちらも、こちらから見ればいい迷惑でしかなかった事件で、得られる成果や報酬はなかったけど。まあ、二人が無事だったということだけでも、良かったのかな?
だけど、最後にもうひとつ、確認しておかなきゃいけないことがある。
「最初に戻りますけど。なぜ、僕たちにまで影や幻を見せたんですか?」
ミストラルとセフィーナさんを助けにきた僕たちの邪魔をした、という理由だけではないような気がする。
それに、僕に対して資格がどうとかって言っていたしね。
アルギルダルは「多くを求める欲深き者め」なんて僕に向かって言いながらも、最後の疑問に答えてくれた。
「そこの小娘は勘違いをしているようだが」
「にゃん?」
アルギルダルの視線が、ニーミアに注がれた。
「我は、
「それって、つまり……?」
「貴様らも、身に覚えがあるはすだ。野次馬ほど迷惑で、見境のない愚か者はいない」
ふと浮かべたのが、アームアード王国の王都にある実家のことだった。
大きな敷地の広いお庭には、竜族たちがよく遊びに来る。すると、その竜族たちをひと目みようと、野次馬や観光客がお屋敷の周りに集まってくる。
使用人の筆頭であるカレンさんが、前に愚痴を零していた。
「竜族の方々のお世話よりも、お屋敷の周りに集まる野次馬への対応に
野次馬の中には、勝手にお屋敷の敷地へ入ろうとする者がいたり、入らなくても外から大声を出したり騒いだりして、敷地の中の者たちに迷惑を及ぼす者がいるらしい。
アルギルダルは、そうした者たちを指して言う。
「我ら影竜は、外郭の最も外側を守護せし竜である。であれば、侵入者だけでなく、何をしでかすかわからぬ者をそもそも近づけさせぬことも、役目のひとつである」
「そうか! 外郭に近づくだけでも命の危険があると周辺に広まれば、おいそれと近づく者はいなくなりますね」
最初こそ、関係のない者にも犠牲は出るかもしれない。だけど、恐ろしい噂が広まってしまえば、それ以降は気安く野次馬が近づくことはなくなるね。
まあ、これは、お役目に対してどこまでも無慈悲になれる古代種の竜族ならではの戦略だ。僕の実家には利用できない考えだけど、それでも極論的には有益な守護の仕方になる。
そして、まだ幼く、心が
「とはいえ、それと僕たちに何の関係が?」
アルギルダルの、古の都を守護する覚悟は聞けた。でも、古の都に近づこうとしていない僕たちには関係のない話のように思えるけど?
すると、アルギルダルは僕の思考を読んで、ぐるぐると喉を低く鳴らす。
「汝らは、夢見の巫女様だけでなく、都に住まう多くの巫女やスー様と
「つまり、僕たちが外郭を越えて古の都に入れるかってこと?」
「そうだ。己の偽りの影と対峙し、心の闇に呑み込まれることなく未来を見据えられるか。我ら影竜は資格者に問う」
ようやく理解できた。
アルギルダルが僕のことを「資格者」と呼んだのは、影竜たちから門前払いされることなく試練を受けられる者、という意味だったんだね?
「だが、
「古の都に入るためには、いったい幾つの試練が待ち構えているんです!?」
「いっぱいにゃん」
「にゃーっ!」
もしも古の都に用事ができた時は、大変なことになりそうだ。
その中でも、
なにせ、男嫌いのアシェルさんが待ち構えているからね!
「汝は男だ。女どもよりも遥かに厳しい試練が待つことを覚悟せよ」
「心得ていますよ。だって、あのスー様でさえ、決まった日にしか古の都の中には入れないんですもんね?」
古の都で暮らす最愛のレティ様に会うために、スー様は決まった日以外は外郭の周りで暮らしているんだよね。
それだけ、男に対しては厳しい入国管理を敷く古の都だ。なら、用事もなく気軽に入れるとは思っていない。
そして、だからこそ意味もなく訪れようとは思っていません。
「良い心がけだ」
「お褒めにあずかり、ありがとうございます。でも、今回の事件に対するアルギルダル様からのお詫びを、褒め言葉以外にほしいですね!」
突然、大切なミストラルとセフィーナさんを連れ去られて、家族のみんなまで巻き込まれた。
みんなが無事に戻ってきたからといって、素直にアルギルダルを許すわけにはいかない。
試練を克服したから、最外郭を越える資格は得た?
それはそれ、詫びは詫びです!
僕の抜け目のない要求に、アルギルダルは少しだけ目を見開いて驚く。
「影竜たる我を前にして、臆することなくそれを口にするか」
「しますとも? だって、おじいちゃんやアシェルさんより怖くないですからね!」
「にゃん」
どんなに威厳を放っていても、やっぱり僕たちには通用しません。そして、二千年以上も生きたスレイグスタ老や、男には容赦しないアシェルさんと比べれば、アルギルダルもまだまだです。
「くくくっ。我をまだ未熟と言うつもりか。良かろう、
やったー、と喜ぶ僕たち。
だけど、アルギルダルは、やはり「悪い竜」だった。
「しかし、我の報酬を
「えっ!?」
「
「雲竜?」
「竜神様が天に飛翔する時、雲竜が空に雲を敷いて道を示す、と云われている」
「なるほど。神竜様は、あの巨体ですもんね。空をそのまま飛んだら目立つから、雲竜が雲を広げて下から見えないように隠すんですね。それで、その雲竜と報酬がどう結びつくと?」
「竜の森の守護竜様などと同じように、雲竜の個体が竜神山脈から旅立ったことがある。そして、その雲竜は、内に全てを
「全てを癒す秘宝!?」
いったい、どんな宝石なんだろう?
でも、内側ってことは、雲竜の体内ってこと?
つまり、その秘宝は、雲竜を倒さないと手に入らない?
「雲竜は、影竜みたいに実体を雲に変えられるにゃん」
「ほうほう。ということは、雲の中に秘宝が?」
「だが、用心することだ。旅立ったとはいえ、元は竜神山脈に住む者。守護のためならば容赦はせぬ」
「つまり、不用意に雲竜の雲の中に飛び込んでしまうと……」
「我らのように、試練などはない。問答無用で雲に溶かされるだろう」
「うひっ!」
本当に、容赦ないですね!
「というか、その秘宝の情報が僕たちにとって有益かどうかも定かでないし、雲竜が世界のどこにいるかもわからないじゃないですか! これが今回の報酬なの!?」
「言っただろう。我の話を役立てられるかは、汝ら次第だと。さあ、報酬は払った。我はもうこの地に用はない。帰らせてもらおう」
「あっ」
僕たちが何かを言う前に。アルギルダルは、自らの影に溶けて、あっという間に竜峰から姿も気配も消してしまった。
残された僕たちは、お互いに顔を見やって大きくため息を吐く。
「本当に自分勝手だね」
「悪い竜にゃん」
「間違いない!」
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