走れ 巫女見習い
エルネアたちが東奔西走するなか。
「イステリシア、こっちだべ」
見習い巫女ルビアの案内で、同じく見習い巫女であるイステリシアは森を進む。
「わらわ、心外。耳長族のわらわより、ルビアの方が森歩きに慣れています」
「はははっ。あたいは、マドリーヌ様に弟子入りするまでは、秘境みたいなところに住んでいたからね」
付け加えるのであれば、耳長族のイステリシアが空間跳躍を封印し、徒歩で移動しているからでもあった。
うら若いルビアの、何倍もの年月を生きてきたイステシシア。
しかし、その人生の大半を一族の
今も、不器用ではあるが、同じ試練を課せられたルビアと、それなりに付き合えている。
「この先に、マドリーヌ様が言っていた
ルビアも、エルネアと出逢うまでは、家族以外の人を見たことがなかったという。それなのに、気さくな性格のルビアは都会に出てすぐに、多くの友人や知人を得た。
社交性豊かなルビアと、人見知りがちなイステリシア。
二人にはいつの間にか、年下のルビアが姉のように先導し、年上のイステリシアが妹のように追いかける、という奇妙な関係が生まれていた。
「水の匂いがします」
「耳長族は、凄いべ。水の匂いかぁ。あたいも感じてみたいね」
「わらわ、ルビアの方が凄いと思います。
「何を言うさ。イステリシアも、精霊たちの声だけじゃなくて、姿を見ることもできるんだべ?」
たしかに、イステリシアは精霊を身近に感じ、顕現していない者たちの姿を視ることができる。
ただし、精霊たちがイステリシアに近づいてくれば、の話だが。
現に、森を行く二人の周囲には、精霊の姿どころか気配さえもない。
北の地で。
巫女のルイセイネは、イステリシアも精霊に愛されている、と
だが、この楽園に来て数日が経つ現在。イステリシアは未だに、精霊の気配を感じられずにいた。
「本当に、泉には精霊の王様がいらっしゃるのだべかね?」
そもそも、この楽園に精霊たちは本当に住んでいるのがろうか、とさえ疑いたくなるほどに、森は静かだった。
だが、普段はイステリシアに近付いてこないだけで、精霊はいるのだろう。
「わらわ、未だに信じられません。本当に、物を盗んでいるのは精霊たちでしょうか?」
イステリシアとルビアは楽園に来て以来、事前に到着して神殿建立の計画を進めていた巫女や神官たちと共に、寝食を送っていた。
だが、毎朝イステリシアが目覚めると、必ず物が紛失しているという事件が続いていた。
犯人は誰か。
手掛かりを見つけてくれたのが、ルビアだった。
「
真夜中になると、精霊たちが寝所にやってきて、寝静まるイステリシアや他の巫女たちに悪戯をしていくという。
そして朝になり、イステリシアが目を覚ます前に、物を盗んで帰っていく、と梟は言う。
「なんで、精霊たちがイステリシアに悪さをするのかは、精霊の王様に聞けばわかるべ。それと、荷物も返してもらわねばね」
「わらわ、聞かなくても知ってます。嫌いな者への嫌がらせです」
「そうだべか? あたいには、興味のある相手へ、ちょっかいを出してるだけだと感じるんだけっどなぁ?」
どこをどう
長くは生きても、人生経験の
「ともあれ、この先の泉の精霊様にお会いすれば、悪戯の問題は解決するべ」
「会えれば、ですね……」
果たして、水の精霊王はイステリシアの前に顕れてくれるのか。
澄んだ水の気配が強まるにつれて、イステリシアの足取りは重くなっていく。
だが、イステリシアがこの先のことを憂う前に、思わぬ問題が発生した。
「イステリシア、止まるべ!」
急に腰を落とし、息を潜めるルビア。
イステリシアも、素早く反応する。
「困ったべ。この先に、地竜がいるだ」
茂みを抜ければ、もう少しで泉にたどり着く。
しかし、二人の進路を
そして、人であるイステリシアとルビアよりも優れた探知能力を持つのが、竜族だ。
二人が地竜の気配に気づく以前に、地竜の方が先に、二人を認識していた。
『隠れても無駄だ!』
地竜が咆哮を放つ。
「逃げるべ!」
「わらわ、恐怖!」
踵を返し、逃げ出すルビアとイステリシア。
地竜は茂みを蹴散らして、二人を追う。
さらに、その時だった。
『耳長族だわ』
『あの、罪深い人ね?』
『罪人だぞー』
これまで、姿どころか気配さえ感じなかった精霊たちが、イステリシアとルビアの周りに突如として顕現してきた。
「もしかして、隠れていたべ?」
そんなはずはない、と耳長族であるイステリシアは、ルビアの言葉を否定しそうになる。
自分の側に精霊たちが居たにも関わらず、気配を読み取れなかったなど、イステリシアには到底信じられない事態だった。
だが、現に精霊たちは遠くから来たわけではなく、唐突に自分たちの近くに顕れた。
「わらわ、困惑」
とはいえ、
振り返らずとも、わかる。
地竜が地鳴りをあげながら
追いつかれれば、人など簡単に殺されてしまう。
背後に迫った死の恐怖に、足がすくみそうになるイステリシア。
空間跳躍で、今すぐにでもこの場から立ち去りたい。
現れた精霊たちを強制的に使役してでも、危機を回避したい。
「わらわ、自分の弱さに負けません!」
しかし、イステリシアは、恐怖で暴走しそうになる本能を抑え込む。
そんなイステリシアを、精霊たちが
『耳長族なのに、精霊術を使わないの?』
『噂じゃ、精霊を贄にするらしいわ?』
『まあ、怖い』
『悪い耳長族だね』
口々に言いたいことを言う精霊たち。
イステリシアは、心を痛める。
自分の犯した
精霊たちは、
精霊たちの言葉が心の重しとなり、地竜から逃げる足が
すぐ背後には、地竜の恐ろしい牙が間近まで迫っていた。
このままでは、目的を果たせないまま、地竜の
だが、思うように身体が動いてくれない。
そのとき、イステリシアの手を、ルビアが握った。
「あんたは、一生懸命に頑張っているさ。だから、もっと自分の心に素直になると良いべ」
「わらわの心……?」
果たして、自分の心に正直になるとは、いったいどういうことなのだろう?
必死に走りながら、ルビアに聞き返そうとするイステリシアだったが、胸と喉と口を支配する荒い息に阻まれて、思うように言葉を発せられない。
すると、まだ余裕のあるルビアの方が先に、口を開いた。
「このままじゃあ、地竜と精霊たちに、いいように弄ばれるだけだべ。イステリシア、二手に別れた方が良いだ!」
「えっ!?」
「地竜は、あたいが
「えええっ!」
困惑するイステリシア。
だが、異論を唱えている余裕はない。
ルビアは、イステリシアの手を離す。そして、背後に迫る地竜に向けて、挑発を入れた。
「鬼さん、こっちさ! 捕まえられるものなら、捕まえてみるべ!」
『
ルビアの挑発に乗り、眼光を鋭くする地竜。
ルビアは、地竜の注意を引きつけると、並走していたイステリシアと別れて、森の奥へと消えていく。
「わ、わらわ、不安!」
頼れる仲間を失い、足が止まるイステリシア。そこへ、精霊たちが寄ってきた。
『罪人が、ひとりになったわ』
『怖い
『きっと、悪戯の復讐に来たんだよ』
『まあ、怖い』
姿を顕したとはいえ、イステリシアに近づこうとする精霊たちはいない。
それでも、これまでの状況とは違い、気配を感じ、姿を見ることができる。
イステリシアは、久々に目にした多くの精霊たちの姿に、思わず息を呑む。
『
『いいえ、いいえ。わたしたちを
『怖い悪戯をするのかな?』
『だって、罪人ですもの』
『まあ、怖い』
どうやら、この精霊たちが、毎朝のようにイステリシアの寝所から物を盗んでいく犯人らしい。
ならば、泉に向かわずとも、精霊を捕らえられれば……
「わらわ、捕まえてみせます」
精霊術に頼ることなく。
精霊たちを、使役せずに。
精霊を捕まえて、盗まれた物を取り戻す。
『逃げろー』
『罪人が追いかけてくるぞっ』
『捕まったら、贄にされてしまうわ!』
イステリシアの宣言に、集まってきていた精霊たちが一目散に逃げ出す。
イステリシアは、精霊たちを追うように、止まっていた足をもう一度動かし始めた。
だが、この時。
イステリシアはまだ、ルビアが言った言葉の意味を、理解してはいなかった。
「今日も、物を盗まれたべ?」
「わらわ、おかんむり。今朝は、ジャバラヤン様に
「そりゃあ、頑張って取り返すしかないね」
最初に、地竜と精霊たちに絡まれて、何日が経っただろうか。
ルビアとイステリシアは、未だに楽園の森で奔走し続けていた。
ただし、当初から比べると、少し意味合いが違ってきていたが。
「ルビアさんの方も、大丈夫ですか?」
「なぁに、心配ないべ。竜族たちに追いかけ回されるのにも、慣れたさ」
「き、気をつけてください……」
「お互いにね?」
最初は、地竜一体に追いかけられていたルビアだったが。日が経つにつれ、ルビアの噂が楽園の竜族たちに広まっていった。
竜族、
元々、辺境の地で自給自足していたルビア。もちろん、魔獣や魔物が現れれば、自分で対応しなければいけない。
そうした、過酷な日々で身についた身体能力と、竜峰で「暴君」と恐れられた紅蓮色の飛竜にも物怖じすることのなかった
持ち前の能力を
そして、精霊たちと向かい合うイステリシアも、ここ数日は大変な毎日を送っていた。
精霊たちは、以前とは違ってイステリシアの前に顕れるようになった。
だが、友好的なわけではない。
相変わらず就寝中に物は盗まれるし、取り返そうと追いかけると、逆に悪戯されたり罠に嵌められる。
それでも、イステリシアは諦めることなく、精霊たちと向き合い続けていた。
最初は、
どんな形であれ、精霊と接することによって、自分の罪と向き合い、罰を受ける。
「でも、わらわ、意外と楽しいのです」
追いかけたり、追いかけ回されたり。
容赦ない悪戯や、心に刺さる言葉を受けることもある。
だが、いつ頃からだろうか。
精霊たちと過ごす時間を、イステリシアは楽しみ始めていた。
「あははっ。ようやく、自分の心に気づいたべ?」
「わらわの心?」
そういえば、ルビアは最初にそんなことを言っていたか、と振り返るイステリシア。
「あんたは、耳長族だ。耳長族ってのは、精霊と共に生きる種族なんだべ? なら、どんな形であれ、精霊たちに囲まれている方が幸せだべ? あんたの犯した罪は、聞いてる。罪滅ぼしがしたいと願っているのも、知ってるさ。だけんどもな。それは精霊の心を知り、自分の本心を知らなきゃ、無理な話だべ?」
「わらわの本心……」
イステリシアは、やはり耳長族なのだ。
指摘されるまでもなく、精霊と共に暮らし、生きることに幸せを感じる。
では、精霊たちはどうなのだろう。
北の地でも、指摘を受けた。
贖罪が、自分よがりになっていないかと。
果たして、精霊が本当に望むことは何なのだろうか。
「あたいは、精霊のことは詳しくないべ。でも、イステリシアのことは少しはわかるさ。あんたは、精霊が大好きだべ?」
ルビアの指摘に、うん、と素直に頷けたイステリシア。
「なら、先ずはその心に正直に生きると良いさ。そうしたら、いつかは、精霊たちにもイステリシアの想いが通じるさ」
これまでは、精霊たちに対して罪悪感しかなかった。
だがルビアは、罪を償いたいと思う相手のことを、自分が好いていても良いのだと言う。
好きだからこそ、できること。
愛しい者に、どう向き合えば良いのか。
イステリシアは改めて、精霊たちと向き合うための心を手に入れた。
「そんじゃあ、今日も張り切って向かうべ」
「今日こそは、盗られた物を取り返します」
「あたいも、竜族たちから逃げてみせるべ!」
未だに、達成できる見込みは立っていない。
だが、いま目の前に立ちはだかる問題を乗り越えた先に、きっと解決への糸口があるのだと、なぜか二人は確信していた。
今日も、迷いのない足取りで楽園の奥深くへと入っていくルビアとイステリシアを、他の巫女や神官たちが優しく見送った。
そして、さらに数日後。
苦難の先に、ルビアとイステリシアの道が繋がる。
激しい
その横で、水面を揺らすことなく、水の精霊が水中に逃げ込んだ。
「あらま? 勢い余って泉に落ちるなんて、おっちょこちょいの地竜だべ?」
「わらわ、悔しい。あと少しで、今朝盗まれた下着を取り返せそうでしたのに」
それぞれが、別々に楽園を駆け回っていたルビアとイステリシア。
奇しくも、二人同時に泉へとたどり着いた。
地竜と水の精霊が沈んだ泉を覗き込む二人。
すると、水面が静かに波打ちだした。
そして、透き通った水中から、ひとりの女性が姿を顕した。
「お二人が泉に落とされたものは、この悪戯な悪い子と、お馬鹿な竜でしょうか。それとも、この
事前に、マドリーヌたちから聞かされていた。
泉には、水の精霊王が棲んでいる、と。
右手に、地竜の尻尾の先と水の精霊の
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