エルネア家の春

 神殿の試練を乗り越えて王都に戻ってきてからは、慌ただしく日々が過ぎていった。

 国側と獣人族の関係を取り持つお仕事は、基本的にはリステアたちが受け持ってくれている。

 それじゃあ、僕はなにをしていたのかというと。

 長期間、会っていなかったスレイグスタ老や霊樹の精霊さんに会いに行ったり、女性陣の相手をしたり。

 そうそう。獣人族の人たちは毎日のように国のお偉様たちと視察に行ったり勉強会を開いたりしているんだけど、宿泊は僕の実家を利用しているので、帰ってきたフォルガンヌたちの相手をしたりもしていたよ。

 あと、スラットンが王都に滞在しているときは、なぜかドゥラネルがよくうちのお庭に遊びに来ていた。王都内では自由にできないからね。僕の実家の大きなお庭は都合が良かったみたい。

 ドゥラネルは遊びに来ると、リリィによく弄ばれていた。お互いに子竜だけど、格が全然違うからね。


 でもまあ、こういったせわしさは全然苦にはならないんだけど。


 問題はあれです。

 そう、あの人たちです。


「やあ、エルネア君。手合わせをしないかい?」

「ええっ。昨日もやりあったばかりじゃないか」

「いやあ、昨日の一撃は鋭かったね。危うく胴が真っ二つになるところだったよ」

「いやいや、それは大げさだよ。ちょっと胴をかすっただけじゃないか。たまにはスラットンと戦ったら?」

「彼は防御は一流なんだけど、攻撃面はお嫁さんがいないと雑魚雑魚だからね。やはり、戦うなら危機感を覚えるほど攻められたいからね」

「君の性癖には付き合ってられないよっ」

「エルネアよ。そんなことよりも酒を注げ」

「飲みすぎじゃないですか?」

「魔族の国でも、これほどの酒はなかなかない」

「魔王に喜ばれるなんて、蔵元くらもとはきっと複雑な気分でしょうね」

「それはどういう意味だ?」

「だって、魔王御用達のお酒だなんて、呪われてそうで……」

「言うではないか。それでは、其方の言葉に従って狂気の呪いでもかけておこうか」

「駄目駄目っ。絶対に駄目っ!」


 魔王は、それくらい気にもせずにやりそうなので怖いです。

 というか、この魔族たちはいつまで滞在をするのでしょうか。

 一般の人が、まさか僕の実家に魔族の国でも屈指の魔王が滞在していると知ったら、どうなるのかな。連日敷地の周りに集まっている人たちは逃げていきそうだよね。


「それは面白い考えだ。酒の余興よきょうには丁度良い」

「余興でよそ様の国を混乱におとしいれちゃ駄目ですよっ」

「混乱に乗じて、エルネア君がこの国を乗っ取れば良いんじゃないかな?」

「ルイララよ、そのあかつきには其方をエルネアの魔将軍に任命してやろう」

「ちょっと待って! その話だと、僕は魔王になっちゃうじゃないかっ」

「良いではないか。後見人は私だ。東側で思う存分に勢力を広めろ」

「いやいやんっ」


 誰か、この人たちを早く追い返してっ!


「くくくっ。なぜそんなに魔王を嫌う」

「むしろ、なんで僕を魔王に仕立て上げたいんですかっ」

「……そうか。其方はまだ気付いておらぬか。まあ、気が向いたら私を頼るといい」

「んん? なんか意味深なことを言わないでください。そうやって深読みしそうなことを言って惑わそうとしても、僕には通用しないですからね」

「なんだ、つまらぬ奴だ」

「残念。エルネア君が魔王になったら、きっと楽しい日々になると思うんだけどね」

「それは、君が楽しいだけだよねっ」


 魔族の冗談に付き合っていたら、こっちまで常識が崩壊しそうで怖いです。

 さらっと嘘を言ったり、油断しているとだましてきたり、罠にめようとしたり。

 もしも魔族の国で生きようとしたら、こういった駆け引きが日常茶飯事なんだろうね。騙された者は、財産だけじゃなくて、下手をすると命まで失う。そして自分の利益を得ようとすれば、相手を騙してでも手に入れなきゃいけない。恐ろしいほどの弱肉強食の世界。

 魔族から見れば、人族の国はきっと生温い世界なんだろう。だから潜入されれば、人族は容易たやすく騙される。

 いま思えば、ヨルテニトス王国での混乱は、魔族に目をつけられた時点で避けられないものだったのだとわかる。

 そして、魔王があからさまに僕の家に滞在していることが、どれほど恵まれていることなのかも知った。

 もしも魔王が、魔族がアームアード王国を本気で狙っていたら、こうして表立って動いてはいないもんね。


 ……そうだよね?


 あれ? 魔王や魔族を信じようと思ったけど、全然信じられないぞ。なんでだろう。


 むむむ、とうなる僕。それを見て笑う魔王。ルイララも、僕を変な目で見ていた。

 魔王が滞在している部屋でああだこうだと騒いでいると、扉を叩く音がした。


「マー様、お客様がお見えですが」


 マー様。

 僕が付けた魔王のあだ名。

 だって、魔族は気安く名前を呼ばれることを嫌うんだよね。ルイララはさほど気にしない性格みたいだけど、普通は違うらしい。

 昨冬、魔王大対戦の際に、更に上位の存在が現れた。立ち位置のせいで僕は真紅の少女の名前を知ったけど、絶対に口に出すなと言われたんだよね。そして、ルイララやリリィ、家臣たちは、自分の支配者である巨人の魔王の名前を絶対に口にしない。

 僕もそれにならって、魔王の名前は口にしないことにしている。

 だけどね。知らない人の前で「魔王」とは言えないでしょ。

 だから、魔王のマー様。


 いったい、僕が帰ってくるまではなんて呼ばれていたんだろう。帰ってくるまではミストラルが対応していたらしいので、問題なかったのかな。


 カレンさんに案内されて部屋へとやって来たのは、くるくる横巻の金髪が特徴のシャルロットだった。相変わらずの糸目は、人族の国に興味を持ったように光っている気がします。

 カレンさんはシャルロットを案内して、魔王からお酒の追加を所望されると、すぐに戻っていった。


「陛下、人族との交渉が終了いたしました」

「交渉?」


 魔王はシャルロットに労いのお酒を渡しながら、僕を見る。

 駆けつけ五杯。いったい魔族の基準はどうなっているんですか?


「なんだ。魔族が無報酬で動くとでも思っていたのか?」

「えええっ。もしかして、恐ろしいほどの報酬を要求したんじゃないよね!?」


 領土の分割。万人単位の奴隷を差し出せ。ううん、気づいたらアームアード王国だけでなく、ヨルテニトス王国までもが属国となっていたらどうしよう!?


「ふふふ。エルネア君を魔王として召し上げること、ようやく人族の王が了承いたしました」

「えええっ。ちょっと待ってよっ! 勝手に僕を魔王にまつり上げないでっ」


 シャルロットは困惑する僕を見て、糸目の目尻を下げて面白がっていた。

 やっぱり魔族は恐ろしい。

 この人たちには、人族の常識なんて通用しないよっ。


 僕が悶絶もんぜつしていると、極悪魔族たちはそれをさかなに笑っていた。


「本当に面白い奴だ」

「からかい甲斐がありますね」

「エルネア君は最高だね」


 ……もしかして、弄ばれた?


「冗談でございますよ。本当は支援した物資などの照合と、少しばかりの見返りを打ち合わせしていただけでございます」

「そもそも、ルイララの活動は昨冬の騒動の後始末だ。騒ぎの元凶は魔族だからな」

「でも、巨人の魔王は協力者側で、悪いのはクシャリラですよね?」

「そうだ。だからルイララが運ぶ物資は奴の国から略奪りゃくだつしたものだ」

「……耳にすべきじゃない事実が含まれています。忘れます」

「まあ、人族の国で暮らす其方らが気にすることではない。ただ、私の家臣が動いているわけだからな。その分の交渉をシャルロットに任せていた」

「もしかして、魔王はその間ここに滞在していただけ?」

「だけ、とはつれない。私もたまには休むさ」

「そうですね。ここに来るのは旅行みたいなものなのかな」

「其方も、気が向いたら私の国を訪れるが良い」

「はい。またみんなで遊びに行きます」

「さらりと、魔族の国に遊びに行くというエルネア君は、やはり大物だね。しかも、陛下に気軽に会おうとするなんてね」

「うっ。言われてみるとそうだね」

「長生きしている分、私は寛容かんようだ。気にするな。それと、たまには禁領へも足を運べ」

「はい。あそこでやりたいこともあるし、また行こうと思います」


 カレンさんがお酒を運んでくると、一緒にユフィーリアとニーナもついてきた。その他、お屋敷の使用人さんたちで手の空いている人も巻き込んで、この日は大宴会になった。

 ……ここ数日、毎日のような気がするけど、きっと気のせいです。


 正体を知らないって、平和だね。

 僕は結局、魔族の正体をまだ口にしてはいない。

 フォルガンヌや獣人族は、王都に到着した当初辺りは魔王のことを随分と警戒していた。だけど、僕たちがあまりにも普通に接するので、今では一緒にお酒を飲むような関係になっている。

 魔王も、僕たち以外には無用な陰謀を張り巡らせることもなく、楽しそうにお酒を飲んでいた。


 そして翌日。

 魔王はシャルロットを連れて、自分の国へと帰っていった。

 もちろん、空間転移でね。

 シャルロットは沢山のお土産を持たされて大変そうだったけど、一瞬で帰り着くから大丈夫だよね。

 ルイララは、あと少しだけ働くらしい。

 仕事が終わったらまた寄ってね、と言葉を交わして、ルイララもお屋敷の玄関から普通に去った。


「マー様とシャー様は、いつの間にお帰りになったのですか?」

「あらまあ、挨拶ができなかったじゃないの。エルネア、そういうことは先に教えておいてちょうだい」


 突然姿を消した魔王とシャルロットに、母さんやカレンさんたちはとても驚いていた。


「遠いところから来られていると聞きました。どのようにお帰りになったのですか?」

「馬車とか準備しなくて良かったのかしらね」

「それは大丈夫だよ。あの人たちは空間転移で帰ったから」

「く、空間転移!?」

「嘘をおっしゃい。エルネア、嘘だけはいけませんよ」

「本当だよ。だって、あの人は魔王とその宰相だもん」

「……」

「…………」


 もう魔族はみんな帰っちゃったから、大丈夫だよね。と、ようやく正体を明かしてみた。

 すると、母さんやカレンさんは目が点になってしまった。


「魔王のなかの魔王らしいよ。最古の魔族なんだって。金髪横巻のシャーもおしとやかそうに見えて、たぶん僕なんかも歯が立たないくらい強いんじゃないのかな」


 母さんたちは金魚のように、口をぱくぱくとさせていた。


「心配しないで。あの人たちは魔族だけど、いい人だから!」

「ま、魔族……」

「ま、魔王様……」


 おや? 刺激が強すぎたのかな。

 本人を前にしてはさすがに言えないと思ったけど、今後も来訪しそうだから打ち明けたんだけどなあ。


 安心させようと、僕はにっこりと笑う。

 だけど、母さんたちは何拍も遅れて、声にならない悲鳴をあげた。


 そして、僕はそのあと。

 三日ほどミストラルに正座をさせられるのだった。

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