不幸の始まり

 少しだけ眠れた。

 でも油断しちゃ駄目だ、という気の張りは僕から抜けず、寝たけど疲れが取れない。

 少し気だるい面持ちで上半身を起こすと、アレスちゃんが右に左に可愛く揺れながら僕を見ていた。


「おはよう、アレスちゃん」

「おはよう。もういいの?」


 アレスちゃんの気遣いに、僕は微笑む。


「うん。大丈夫」


 言って僕は袋から芋を取り出し、アレスちゃんと分け合って食べる。


 甘い。


 もう当たり前に冷えてしまっているんだけど、しっとりとした優しい甘さが寝起きの僕には丁度良い。


 朝食は、芋一個でお終い。

 まだまだ有るけど、食べ過ぎはよくないよね。


 水を一口飲むと、僕は茂みから這い出す。


 本当に少ししか寝てないのかな。

 太陽はまだ随分と低い位置にあるよ。


 そして、今日は少し寒い。


 立春が過ぎたとはいっても、まだまだ寒い日は多い。

 特に竜峰に入ったあたりから、山岳から吹き下りてくる冷たい風が、たまに僕を心底冷えさせていた。

 僕は一度身震いをすると、気合いを入れ直す。


「よし、今日も頑張るぞ」

「がんばれがんばれ」


 アレスちゃんの応援に、僕は背伸びをして応える。


 三日目で出てきた気だるさと疲労。でも、竜気の満ちた僕にはまだ許容出来る範囲だね。


 僕は歩き出す。


 アレスちゃんは僕が出発をすると、光の粒になって冷たい風の中に溶けていった。


 アレスちゃんは顕現したり消えたりを繰り返すんだよね。

 ずっと姿を維持するというのは、精霊には難しいことなのかもしれない。

 アレスちゃんは僕が休憩する時なんかに現れて、代わりに周囲の警戒をしてくれる。

 そして僕が出発すると、程なくして消える。


 それの繰り返し。


 だから移動中は、基本は僕ひとりで行動することが多かった。


 随分と周りの風景が変わってきたね。と僕は周囲を見渡して思う。

 最初は深い森を進むだけで、本当に僕は竜峰に向かっているのかと不安だったよ。

 だけど今は、僕は山の中に入ったんだと実感できるくらいの気配を感じていた。


 急勾配の坂道を登る。と思ったら降る。

 蛇行する道が続き、先に見える白い頂の山々がなかなか近づいてこない。


 そして僕はいつしか、深い渓谷のふちに沿った細い岩道に入っていた。


 足もとは相変わらず荒れていて、慎重に歩かないと滑って谷底に落ちそうな気がするよ。

 道幅が狭い上に、落石なんかで途中途中に嫌な障害岩が鎮座している。

 僕はその度に空間跳躍でやり過ごすんだけど、これは普通の人だと難儀しそうだね。


 竜人族の人たちは、道を塞ぐ岩や崩れ落ちた岩道をどうやって通過しているのかな。

 そもそも、こんなに荒れ放題の道を、なんで整備しないんだろう。


 竜人族の隊商は、春に一、二回。夏に一回。そして秋に数回、王都にやって来るんだよね。

 その都度、この道を使っているはずなんだから、もう少し歩きやすいように整備すればいいのに。

 それとも、竜人族にとってはこの程度の障害は気にもならないのかな。


 竜人族の人たちとはこれまでに結構多く会った気がするけど、みんな人族と同じように見えて、特別凄いと思うような感想は持たなかったんだよね。

 だから、ついつい人族基準で竜人族も見てしまう。

 でもやっぱり、竜人族は人族なんかとは全く違う身体能力なのかもしれないね。と思いつつ歩いていると、切り立った岩壁の所々に人工的な横穴がたまに空いているのを見かけるようになった。


 何だろう? 気になる。


 岩道は深い渓谷沿いの切り立った場所に作られているんだけど、ずっと見上げる高さの所に、時折だけど横穴が空いているんだ。

 ちょっとやそっとの跳躍では届かない高さ。かといって、そこまで行くのには縄梯子なわばしごもないし、階段なんて勿論無い。

 それどころか、横穴にたどり着くための足場も無いような所にあえて掘られている印象がある。


 ちょっと見てみよう。


 僕は次に見つけた横穴に向かって、空間跳躍で跳んだ。

 すると、横穴は少しだけ深く、奥には人の生活の跡が見て取れた。

 寝やすいようにわらが敷かれ、幾つかの生活用品が転がっている。

 藁の状態から、どうやら最近この穴を使った人がいることがうかがい知れる。

 もしかしてこれって、竜人族の人たちが旅の途中で寝泊まりする場所なのかな?


 普通じゃ届かないような高さにあえて掘られた横穴。それは、就寝中に魔物に襲われたり魔獣に狙われる心配のない場所だよね。

 僕は、茂みの奥や木の根の隙間で休憩したりするけど、危険とはいつも隣り合わせ。

 アレスちゃんが居なかったら、とっくに挫折してしまっているかもしれない。

 だけど、僕と同じように竜峰をひとりで移動する竜人族は、こういった安全な場所で休息を摂っているのかも。


 道は整備しないけど、こういった安息の場所はきちんと作っているんだね。

 僕はちょっと感心してしまったよ。

 これから先、注意深く周りを観察していれば、こういった竜人族の作った安息場所を他にも見つけることが出来るかもしれない。


 横穴を後にした僕は、より一層周りの風景を注視しながら移動した。


 その後の渓谷沿いの荒れた岩道では、幸い魔物にも魔獣にも襲われることはなかった。


 そしてお昼過ぎ頃、僕の目の前には難関が立ちはだかった。


「どうしたものかな」


 僕は目の前の難所に腕を組んで、むむむと唸る。


 ミストラル手製の地図には、こう描かれている。


「岩道の途中に架かっている吊橋を渡り、対岸へ」


 渓谷沿いの岩道はまだずっと先の山奥に続いているんだけど、吊橋があるところで進路を変えなきゃいけないみたい。

 だけど、僕の目の前に架かっている吊橋は、とてもじゃないけど渡れそうにはない状況だった。


 木の床板は腐り、至る所が欠損している。橋を張っている縄も古く、今にも切れそう。

 そしてなによりも。

 渓谷沿いに吹く強風で、橋はぐわんぐわんと激しく揺れていた。


「こまったこまった」


 アレスちゃんが現れて、僕と同じように腕組みをする。


「どうやって渡ろうか」


 空間跳躍をもってしても、対岸まではさすがに届かない。

 それくらいの幅が渓谷にはあるんだよね。

 連続跳躍しようと思っても、一度は必ず吊橋の途中に着地しないといけないんだけど。

 こんなに不安定な橋だと難しそうだ。


 僕は渓谷の底を覗き込む。


 遥か眼下に、雪解け水の冷たそうな河が流れていた。


 落ちたら助からないね。


「ほかのはしはないの?」


 アレスちゃんの言葉に、僕はミストラルの地図を覗き込む。


「うん。橋はここの一箇所だけみたいだね」


 岩道に沿って歩いていけば、いずれは渓谷も浅くなって終わりはあるんだろうけど、それがどれくらい先になるのか。無事に対岸に移動できたとして、そこに道があるのか。

 ミストラルの地図には枝道の先の情報は記されてなかったけど、橋はここだけだと注意書きがあった。


「渡るしかないのかな」


 僕は決意を固め、恐る恐る一歩吊橋に足を延ばす。

 ぎしり、と今にも床板が割れそうな音がして、慌てて足を引っ込めた。


 こりゃ駄目だ。


 とてもじゃないけど、この橋は使えない。

 竜人族がどんなに優れた身体能力を持っていても、この橋を渡ることは不可能だと思う。

 だとすると、他に絶対別の手段があるはずだよね。


 もう少し上流に向かって歩いてみよう。そう決意をして岩道の先を進もうとした時。

 僕は、見たくないものを見て顔を引きつらせた。


 岩道の先に、岩人形が現れた。

 魔物だ!

 よりによって今、しかもこんなところで。


 引き返そう。と思って振り返ると、来た道でも岩人形が。


「そんなっ」


 僕は愕然とする。


 岩人形。他にも土人形や水人形といった巨人型の魔物はアームアード王国内でもよく現れる。

 動きは重鈍じゅうどんだけど、破壊力は桁違い。

 平地であれば、人形型の魔物の攻撃を避けながら戦うのは容易い。

 でも、ここは細く荒れた岩道なんだよ。

 避ける場所の余裕もないし、岩人形が岩道を破壊したら大変なことになる。


 空間跳躍で逃げて、さっきの穴に逃げ込もう。あの穴なら岩人形をやり過ごすことはできると思う。

 戦う、という選択肢は、今は無理だろうね。


 僕は飛ぼうとして竜気を練り、そして絶望する。


 次から次に、岩道沿いに岩人形が現れ出した。岩道の奥からも、来た方角からも。


 そんな馬鹿な! と叫ぶしかない。

 よりにもよって、なんでここで人形型魔物の大量出現なのさ!

 出鱈目な状況に僕は愕然としてしまう。


 連続で空間跳躍をする隙間もない。

 岩人形の集団は、密集して僕に襲いかかってきた。


 僕の逃げ道はもう、朽ち掛けた吊橋しかない。

 でも、この吊橋は渡れない。


 仕方ない、戦うか。


 ……ううん、駄目だ!


 足場が悪過ぎるし、岩人形の数が多すぎる。


 岩人形は、命の核が体のどこにあるのかわからない。だから、核を破壊できるまで斬り刻むしかない。

 白剣であれば、岩の肌も容易く斬り刻めるだろうね。だけど、一体を倒している間に次から次に押し寄せてくる他の岩人形に、ここでは対応できないよ。


 岩人形は重鈍とはいえ、着実に僕に近づいてきていて、もう時間がない。

 僕は迷いながらも、無意識に両腰の武器に触れていた。


 あっ!


 霊樹の木刀に触れた時、僕は妙案を思いつく。


 そして、霊樹の木刀を抜刀した。


 練り上げた竜気を霊樹の木刀に流し込む。

 僕の意思を受け、霊樹の木刀は力を漲らせた。


 そして振るう。


 鍔元つばもとに絡みついていた細いつたが伸びる。

 岩人形にではなくて、吊橋に向かって。


 一瞬で伸びた蔓が、吊橋の中ほどの縄に絡みつく。

 僕は霊樹の木刀を離さないように力一杯握りしめた。


 次の瞬間、伸びきっていた蔓が縮む。


 僕は、先が絡まった蔓に引っ張られて、吊橋の奥へと飛ばされる。

 一瞬で元いた場所から岩道引き離され、僕は吊橋の中程まで飛ばされた。


 そこで、すかさず空間跳躍。


 対岸に届くかは微妙。


 僕は全力で跳んだ。


 一瞬視界が霞み、直ぐに違う景色を映し出す。


 僕は対岸の道の端に危うい態勢で立っていた。


 ふううう、と心からため息を吐く。


 危機一髪。こんな無謀なことは本当はしたくない。

 でもあの時、咄嗟に思いついた方法がこれしかなったんだ。

 僕は今更ながら、自分のやった危険な行動に冷や汗を流していた。


「すごいすごい」


 アレスちゃんは、一度消えて再出現すれば僕の側。

 嬉しそうに手を叩きながら僕を褒めてくれた。

 だけど、僕は素直には喜べなかったよ。


 僕はアレスちゃんを抱き寄せる。

 アレスちゃんの小さな身体と温もりで、僕は今の無謀な行動がなんとか成功したのだとやっと実感できた。


「それにしても、なんで急にあんなに沢山の岩人形が現れたのかな?」


 不運すぎですよ、僕。


 魔物の巣にでも運悪く出くわしちゃったのかな。

 魔物には巣と呼ばれる密生する場所がたまに出来るんだよね。

 僕はどうやら、運悪くそれに出くわしたらしい。

 でももう追ってこられないでしょう。と思って対岸を見る僕。


「あああああぁぁぁっっ」


 そして僕は悲鳴をあげた。


 僕を追おうとした岩人形が、吊橋を渡ろうとして。

 次から次に渓谷の谷底に落ちていってく。


 それだけなら良かった。


 だけど、岩人形の重量に耐えきれなかった吊橋の縄が切れ、吊橋は無残にも崩れ、岩人形と共に渓谷の谷底へと消えていった。


 ああああ、なんてこった。

 岩道を崩落させないようにと気を使ったのに、渓谷に一本しかない貴重な吊橋を落としちゃったよ。


 僕は、竜人族の人になんて言えばいいんだろう。

 頭を抱えこむ僕の背中を、アレスちゃんが優しくさすってくれた。

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