人と竜の珍道中

 森自体が只ならぬ気配を放っているような、得体えたいの知れない不気味さがある。

 スラットンとドゥラネルは慎重に草を払うと、ゆっくりとあゆみを進めていた。


「ちっ。いったい、ここはどこだ? リステアたちはどこに消えた?」

『ぐるる。まるで気配を掴めん。近くに奴らは居ないのだろう』


 スラットンの独白に、ドゥラネルが相槌あいづちを打つ。だが、スラットンにはドゥラネルの意思は読み取れない。


 人族と地竜は、足もとを確認しながら鬱蒼うっそうとした森を進む。

 夏のさかり。玉のように吹き出す汗を、スラットンは汚れた手ぬぐいで拭う。

 襤褸ぼろになった手ぬぐいは、もしかすると本来は上着だったのかもしれない。

 血がにじんでどす黒く染まった手ぬぐいを握るスラットン。彼はなぜか、ほぼ全裸だった。


「畜生め、あの野郎。俺の服を返しやがれ!」

『返すも何も、貴様の無様な戦いっぷりに衣服を損傷してしまっただけだろうが』


 どうやら、スラットンとドゥラネルは何者かと相対したあとのようだ。

 見れば、均衡きんこうのとれた筋肉質なスラットンの身体は、無数の怪我を負っていた。

 各所の肌は火傷したように真っ赤になっていたり、場所によっては熱湯を浴びたあとのようにただれて、化膿かのうしている。

 ドゥラネルも、黒い鱗が傷だらけだ。


「しっかし、ここはどこだ……?」


 同じ言葉を何度も呟いているのか、ドゥラネルはあきれた様子で反応もしなくなる。


 スラットンは、衣服を酷く損傷したものの、大切な長剣は失わなかったようだ。

 行く手を阻む雑草や枝葉を長剣で斬り払い、道を作る。

 先頭をスラットンが進み、ドゥラネルが背後から付き従う。


 普通だと、人よりも巨大な身体を持つドゥラネルが先頭を行く方が、すんなりと道ができそうだが。

 どうやら、役割分担があるらしい。

 スラットンは目視で前方を警戒し、ドゥラネルが死角になる後方を警戒する。


 いい連携だ。


 恐ろしい竜族や狡猾こうかつな魔獣が跳梁跋扈ちょうりょうばっこする、危険な森だ。

 茂みの陰や空、下手をすると地中からでも、不意に襲撃されかねない。

 人族のスラットンよりも危険察知の能力に優れた地竜のドゥラネルが後方を警戒することで、彼らはゆっくりとではあるけど確実に進めている。


 だが、やはりここは厳酷なる自然の只中ただなか


 平地で生まれ暮らしていた者には想像もできない、恐ろしい事態が生じる場所。


『スラットン、止まれ!』


 ドゥラネルが警戒に喉を鳴らす。

 言葉こそ理解できないが、スラットンはドゥラネルが発した警戒の気配を感じ取り、足を止める。そして、長剣を握り直すと、慎重に周囲を見渡す。


 鳥のさえずり。動物たちの鳴き声。森を流れる風の音。

 普段であれば、耳に心地いい自然の音楽だが、スラットンとドゥラネルには不気味な耳鳴りにしか感じられていないのかもしれない。


「ちっ……」


 スラットンが小さく舌打ちをする。

 おそらく、これまでにも似たような経験を何度となく繰り返してきたのだろう。

 見えない敵。不意の襲撃。

 仲間であるリステアたちと逸れて、すでに数日が経つ。

 これまでに何度となく命の危機を感じ、乗り越えてきたのか。

 スラットン単独だったとしたら、命を永らえてはいなかったかもしれない。


「ドゥラネル、進むぞ。あと少しで山を下れそうだ」

『人の気配のある土地であることを願うばかりだな』


 ドゥラネルの見せた警戒に精神をとがらせるスラットン。だが、いつまでも往生おうじょうはしていられない。

 進まなければこの窮地きゅうちからは抜け出せないと、本能で気づいている。


 極めてゆっくりと、移動を再開させる。

 周囲への警戒は怠らない。

 一歩進むのに何度呼吸を繰り返したか、それはスラットンにもわからない。


 スラットンとドゥラネルは、鬱蒼とした草木が林立する山の斜面を下っていた。


 東を振り返れば、どこまでも続く険しい山岳地帯が見える。

 だが、スラットンがつま先を向ける先には、もう急ながけや絶壁は見えない。

 森は深くどこまでも続いているように見えるが、山肌がない。それだけでも、スラットンとドゥラネルにとっては救いに思えたのかもしれない。


 しかし、希望はすぐさま絶望へと変わる。


『スラットン!!』


 ドゥラネルが鋭く吠えた。


「うおおおぉぉっっ!」


 スラットンは無様な悲鳴をあげつつも、恐ろしい事態へなんとか対処を見せる。


 何重にも重なった頭上の枝葉の先に、僅かに見える夏の青空。

 その真夏の空がぱっくりと切り裂かれ、暗黒の闇が出現する。


不味まずそうな命が、みーっつ」


 そして、空を大きく切り裂いた暗黒から伸ばされる、巨大な化け物の手。

 蜘蛛くもの手に見えるそれは、スラットンとドゥラネルを目掛けて落下してくる。

 スラットンとドゥラネルは、慌てて逃げる。


 ずどぉんっ、と大きな地響きをあげて、超巨大な蜘蛛の手は大地に突き刺さった。


「なっ、ななな……っ!?」

『ぐぬぬ、こ、これは……!?』


 空から蜘蛛の手が降ってくるというありえない光景に動転するスラットンとドゥラネル。

 しかし、蜘蛛の手のぬしはそんな地上の様子など気にした様子もなく、地上に振り下ろした手を暗黒へと引き戻していった。


「な、なな、な? ななな? なぁ?」


 どうやら、思考が麻痺まひしてしまったらしい。

 言葉にならない言葉を発しながら、スラットンは空と穴の空いた地上とドゥラネルを交互に見ていた。


『駄目だ。これ以上は進めんぞ?』


 子竜とはいえ、そこは人族よりも優れた知能を持つドゥラネル。

 本能で命の危険を察知したのか、相棒のスラットンを引っ張って、来た道を戻ろうとする。


 だが、スラットンはドゥラネルと違う思考をしたようだ。


「ななな、なーな!」


 何を言っているのかはわからない。

 だが、戻ろうとするドゥラネルに反抗していることはわかる。


「なっ!」


 スラットンはドゥラネルの制止を振り切ると、また斜面を降り始めた。


貧相ひんそうな魂が、みーっつ」

「なぁぁぁぁーーーーーっっ!!」


 しかし、またしても空が割れて蜘蛛の足が降ってくる。

 逃げるスラットンと、巻き込まれるドゥラネル。


 蜘蛛の足は地面を容赦なく穿うがち、空に引き戻されていく。


「なななっ!」

『おい、よせっ』


 空を指差すスラットン。すると、また進み出した。

 ドゥラネルが必死に止める。だが、スラットンは進む。


「お腹の足しにもならない魂がみーっつ」

「なななぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」


 三度目。

 しかし、今度はこれまでと少し違った。


 スラットンが逃げない。

 スラットンは空に何かを訴えかけるように、両手を大きく振りながら叫ぶ。

 そこへ、容赦なく振り下ろされる超巨大な蜘蛛の手。


「なななぁぁぁぁぁ……」

「スラットンの、お馬鹿ぁぁぁっっ!」


 僕はそこでたまらず、茂みから飛び出した!


「なっ!?」

『なにっ!?』


 突然、近くの茂みから僕が現れたことに、スラットンとドゥラネルが驚愕きょうがくする。

 空から振り下ろされる恐ろしい蜘蛛の手のことも忘れて。


 だけど、超巨大な蜘蛛の手が、スラットンとドゥラネルと僕を串刺しにすることはなかった。


「エルネア君、お帰りなさーい」

「やあ、テルルちゃん、こんにちは。でも、帰って来たわけじゃないんだよ?」


 僕は、空に向かって挨拶をする。


 そう。空を切り裂いて超巨大な足を振り下ろしていたのは、禁領を守護している千手せんじゅ蜘蛛くものテルルちゃんだった。

 そして、テルルちゃんがこうしてスラットンとドゥラネルを襲ったということは……


「この先は禁領でーす。許可されてない方は、入れませーん」


 そう言うと、テルルちゃんはあとのことを僕に託して、暗黒のなかに消えていった。

 空も元どおりになり、雲が流れていく。


「なな?」

「スラットン、驚きのあまり舌を噛んじゃったんだね? これを舐めると傷が治るよ」


 言って僕は、小壺こつぼから粘度ねんどの高い軟膏なんこうを取り出す。


「た、助かったぜ。しかし、なんだこれは?」


 秘薬の正体は、聞かない方が良いよ?

 僕は曖昧あいまいに笑いながら、小壺の軟膏をスラットンの全身に塗ってあげる。すると、見る間に傷が癒えていく。


「ドゥラネル、動かないでちょうだいね?」


 僕に遅れることしばし。ミストラルが茂みから姿を現わす。そして、こちらにも薬を塗っていく。


「まったく。貴方たちはなにをやっていたのかしら?」


 最後にセフィーナさんが姿を現したところで、スラットンは急に力尽きたように座り込んだ。


「た、助かったんだな……?」

「みんな心配していたんだからね!」


 特に、クリーシオが!


 色々と言いたいことがあるし、問い詰めたいことや質問したいこともある。でも、それはあとでも良いよね。

 まずは、スラットンとドゥラネルが無事だったことを喜ぼう。


 僕はスラットンに抱きついて、無事を喜び合った。スラットンもふざけたことはせずに、素直に安堵あんどしていた。


「それにしても、あれはなに? テルルちゃんに向かって、貴方、本当にお馬鹿かしら?」


 スラットンをそう問い詰めているセフィーナさんも、顔は笑顔だ。


「ち、違うんですよ、セフィーナ様。ドゥラネルは気づかなかったようだが、俺はすぐにわかったんだ。あれはたしか、エルネアやミストラルさんの結婚の儀で見かけた蜘蛛の魔獣だってね」

「ああ、だから手を振っていたんだね?」

「舌を噛んじまって、まともに喋られなかったんだよっ。ってか、お前たちの方こそ、なんなんだ!?」


 僕が水の入ったつつを手渡すと、スラットンは美味しそうに飲み干した。

 どうやら、怪我は負っていたようだけど、元気みたいだね。


「ええっとね。僕たちは……」


 竜峰の西に暮らす竜族の間で広まっていた噂をもとに、各地を捜索していた僕たち。

 すると間もなく、禁領の東部と接しているりゅう墓所ぼしょと呼ばれる竜峰北部の境目付近で、それらしい気配を察知した。

 それで、念のために慎重に接近して、何者か確認をしたんだ。


 だって、実際にスラットンとドゥラネルをこの目で確認しても、にわかには信じられなかったんだもん。

 とても低い可能性としては頭のすみに入れていたけど、まさか本当に竜峰の東で行方不明になった者が数日で西へと移動しているなんてね。


 けっして、スラットンとドゥラネルの行動を観察していたわけじゃないよ?


 僕の説明に「俺たちを見つけたんなら、さっさと合流して来やがれっ」と愚痴ぐちるスラットン。

 口は悪いけど、これが彼なりの感謝の言葉だということは、親しい僕にはわかるよ。

 でもね、ときには口も素直にならなきゃいけないと思うんです。


『命の恩人には、もう少し丁寧に接しろ』


 ばこんっ、とドゥラネルの尻尾にはたかれたスラットンは、ばつが悪そうに苦笑していた。


「ともかく、無事に発見できたのなら、戻りましょう。なにが起きたのかを聞くのは、それからでもいいでしょう?」

「ミストラルの言う通りだね。クリーシオが憔悴しきっているんだよ。だから、早く元気な顔を見せてあげなきゃね」

「お、おう」


 クリーシオの名前を出したことで、スラットンの表情が引き締まる。

 きっと、クリーシオが心配していたように、スラットンもみんなの安否が心配だったはずだ。


 僕の指示で、ドゥラネルはスラットンの影に入る。

 それを確認して空に合図を送ると、レヴァリアが飛来してきた。


「うおおっ!」


 レヴァリアの背中に騎乗する、僕とミストラルとセフィーナさん。

 だけど、スラットンだけは乗せてもらえなかった。

 スラットンはレヴァリアに嫌そうに掴まれて、空に舞い上がる。


「レヴァリア、途中で拠点の村に寄ってちょうだい。捜索を続けている他の協力者やライラたちに報告をしなくちゃいけないから」

「それじゃあ、スラットンだけ先に帰ってもらう?」

「それは無理じゃないかしら? 貴方がいないと、レヴァリアがねるわ」

「なるほど!」

『ふんっ、好き勝手言いよって』

「痛てててっ、強く握りすぎじゃないですかね!?」


 僕たちへの不満は、どうやらスラットンに跳ね返ってきたようです。

 レヴァリアの凶暴な手に握られたスラットンは、竜峰を彷徨っていたとき以上に顔を青ざめさせていた。

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