太古からの呼び水

 南側に並ぶ窓には、全て天幕が降ろされていた。陽光を遮り、大広間に闇を呼び込んでいる。そんななか、天井に空けられたいくつかの大穴から僅かに光が差し込み、日中の光源になっていた。

 綺麗に磨かれた石床が、破壊された天井からの光に照らされている。

 だけど、美しい床には相応ふさわしくない様相の人影が、春光に照らされて立っていた。


 深い闇色のきりに包まれたような、ゆらゆらと揺れる外套がいとう。室内だというのに頭巾ずきんを目深に被り、表情をうかがわせない。

 外套の下には全身鎧を着ているようで、見るからにいかつい雰囲気をかもし出している。

 元々の体格も偉丈夫いじょうぶと呼べるくらいに大きく、ただ立っているだけなのに異様な威圧感を放っていた。

 そしてなによりもこの人影を際立たせているものといえば、右手に持った抜き身の長剣だ。

 人影の身長と同じくらいの長さを持つ刀身。幅も太く、肉厚でいかにも重量がありそう。ただし、部分部分に刃こぼれがあり、斬れ味は悪そうだ。おそらく、振り回したときの遠心力や重量で叩き潰すような使い方をするのかもしれない。

 錆色さびいろ、というよりも黒くすすけたような長剣は、つい最近になって遺跡などから発掘されたような古めかしさがあった。


 でも、そんな外見的特徴よりも……


「まさか、こんなところであんな魔剣を見るなんてね」


 僕に続き、瘴気の闇から転移してきたルイララが驚いたように呟く。


「やっぱり、あれは魔剣なんだね?」

「そうだよ。しかも、あれは年代物のひと振りだね」


 剣術好きが高じて、刀剣の蒐集しゅうしゅうなどもしているルイララ。そして、魔族である彼が言うのだから間違いない。

 そう。闇の外套を纏う人影が手にしている長剣は、僕でもわかるくらいに凶々まがまがしい気配を放つ魔剣だった。


「ということは、あれは魔族?」


 転移してきた大広間で不気味な気配を放つ人影はひとりだけ。

 油断なく気配を探っても、離宮内に他のよこしまな気配は感じられない。ということは、離宮を襲撃して王妃様たちを人質に取った賊は、この人物だけということになる。

 そしてそうなると、あることが否定される。


 魔族以外の種族が魔剣を手にすれば、呪われて自我を失ってしまう。

 狂人と化した人が、人質を盾にして冷静な要求なんてしないよね。

 ということで、あの人影は魔族だ。そう思い、確信を持ってルイララに言ったけど、予想外にも否定されてしまった。


「いいや、違うね。あれの中身は人族だと思うよ?」

「えっ!?」


 どういうこと?

 魔剣を手にしているのに、理性を保っている?

 それとも、古い魔剣のようなので、呪いの効果が切れているとか……


「あれは、魔族以外が手にしても呪いのかからない珍しい魔剣なんだよ。まあ、詳しいことはまたあとでだね。今はそういう場合じゃないだろう?」


 まさか、呪いのかからない魔剣が存在するなんて。それはともかくとして、ルイララの言うように、今は魔剣の由来などを呑気に聞いている場合ではない。


 瘴気を発生させて大広間に転移してきた僕たちを微動だにせず睨む人影は、しかし恐ろしい殺気を放っていた。

 油断していたら、すぐにでも抜き身の魔剣で襲いかかってきそう。


「ううっ。気分が悪いわっ」

「ううっ。つわりだわっ」

「なにを言っているの。つわりだけはないでしょう?」


 すると、未だに消滅しない瘴気からミストラルたちが転移してきた。


「お……王妃陛下……」


 ライラも勢いよく瘴気の闇から飛び出すと、なによりも真っ先に、背後で怯える人集ひとだかりに飛び込んだ。


 女官にょかんたちの中心で、身を丸めて怯える壮年の女性がいた。周りの女官よりもきらびやかな衣装に身を包んだ女性は、駆け寄ったライラの声にも反応を見せず、怯え続けていた。

 長い白髪は、高貴な身分を表すような髪飾りでまとめられている。だけど、怯える姿に洗練された気品は感じられない。

 とはいえ、この人が王妃様で間違いないはずだ。


 ライラは勢いよく白髪の女性に駆け寄った。

 だけど、声をかけたところで動きを止めてしまう。

 王妃様へと伸ばしかけた手の先が震えている。

 躊躇いがあるのかもしれない。


 ヨルテニトス王国の王様や王子様とは仲良くなったライラだけど、王妃様とは騒乱以来の邂逅かいこうとなる。

 しかも、前回顔を合わせたときは騒動の最中で、お互いに良い感情は残していないはずだ。

 それでも、ライラは自らの意志で駆けつけたんだ。


 一瞬だけ躊躇いを見せたライラだけど、そのあとは迷わず王妃様に手を差し伸べた。


「王妃陛下、救出に参りましたわ。どうかご安心を」

「ごめんなさい……。許して……」


 だけど、王妃様はライラに反応しない。

 呪詛じゅそのように呟き続ける言葉は、たぶんライラにではなく王様に対してだろうね。

 騒乱を招いたひとりとして離宮に幽閉された王妃様は、精神が病んでいるかのように怯え、謝罪の言葉を繰り返していた。


「ライラ、王妃は貴女に任せるわよ」

「は、はいですわっ」

「私たちは女官を助けるわ」

「私たちは人質を助けるわ」


 急転直下。魔王が開いた瘴気の闇から転移してきた僕たち。

 僕たち自身が突然の展開についていけない感じもするけど、この好機をむざむざと逃すわけにはいかない。

 人質になっていた女官や王妃様は、運良く僕たちの背後に集まっている。襲撃者らしき魔剣使いは、僕たちを挟んで反対側、大広間の中程に立っていた。

 救出するなら、今だ!


 ミストラルは漆黒の片手棍を抜き放ち、ユフィーリアとニーナも竜奉剣を構えた。


「……何者だ? 闇から突然現れるとは、貴様らも魔の者か?」

「僕たちを、貴方と一緒にしないでほしいな」


 低い声。僕たちの出現は予想外だったはずなのに、声音こわねからは動揺の色を伺うことはできない。

 人質を奪い返されたような状況なのに、焦りも感じられない。

 殺気を向けながらも、冷静な口調で僕たちが何者かを探ろうとしていた。


 ルイララの言ったように、たしかに理性を持った反応だ。

 魔剣の使い手が人族だとは到底思えない。


「まあ、いい。貴様らが何者であろうが、邪魔者は排除するだけだ」


 言って魔剣使いは、ひとみこちらへと歩みを進めた。

 僕は白剣と霊樹の木刀を抜き放ち、いつでも相対できる体勢をとる。

 僕だけじゃない。ミストラルも油断なく片手棍を構えていた。

 だけど、身構える僕たちを止めたのはルイララだった。


「良いね。凄い気配だ。うずいてくるよ」


 頼まれもしないのに、直剣を抜くルイララ。


 しまった!

 王宮で久々に剣を振り回していたせいか、気が立っているんだ!

 魔剣使いの放つ鋭利な剣気に当てられたルイララは、やる気満々で魔剣使いとの間合いを詰める。

 そして、溜めもなく唐突に剣をぶつけ合う。


「あははっ。本当に良いね! 素晴らしい技だよ」


 ルイララが愉悦ゆえつの笑みを浮かべる。


 手加減なく振られたルイララの剣を弾き、すぐさま反撃する魔剣使い。

 重量のある長剣とは思えないほど軽やかに、右に左に振るう。

 身を引いてかわすルイララ。だけど躱しきれなかったのか、鮮血が飛ぶ。それでも臆することなく、剣先が通り過ぎた瞬間に間合いを詰めようとする。だけど、過ぎ去ったはずの刀身が弾かれたように戻ってくる。

 慌てて、長剣で受け流すルイララ。

 重い一撃で身体が流れるルイララに対し、追撃する魔剣使い。


 偉丈夫らしい、いや、それ以上の膂力りょりょくを見せる魔剣使いの剣捌きに、珍しくルイララが防戦へと追い込まれていた。


「はははははっ!」


 だけど、ルイララは笑い続けていた。

 好敵手。思う存分剣を振るえる相手に対し、楽しいという感情以外を持ち合わせていない様子だ。


神殺かみごろしの魔剣まけんに相応しい使い手だね。さあ、これはどうかな!?」


 一旦、大きく間合いを取るルイララ。間合いを詰めて押し迫ろうとする魔剣使いに向かい、身を低くして飛び込み直す。

 洗練された連撃が魔剣使いに襲いかかった。

 同時とも思えるような複数の斬撃に、足を止めて迎え撃つ魔剣使い。


 神殺しと呼ばれる長大な魔剣と比べると、ルイララの持つ直剣は軽い。

 魔剣使いは体勢を崩すことなく連撃をしのぐ。


 どうやら、攻撃だけでなく防御もうまいみたいだ。

 軽やかに剣戟けんげきを繰り出すルイララに対し、平然と受けてみせる魔剣使い。そうしながらも、一方的な状況にならないように、的確な反撃を見せる。


 どうやら、魔剣使いはルイララに任せるしかないみたい。

 邪魔をして割り込むと、ルイララは躊躇いなくこちらへも剣を向けてくるだろうね。

 それなら、僕たちは背後の人質に気を向けるべきだ。


 魔王が生み出した瘴気は、ライラの転移を最後に消滅していた。

 魔王本人は転移してこなかったみたいだね。プリシアちゃんをお願いしているから、安全圏にいてもらった方が良いんだけど、随分と無責任な気もするよ。


 だけど、僕たちでさえも気分が悪くなるくらいの瘴気だ。消えてくれて助かったとも思う。

 人質にされていた人たちを、瘴気を使って救出することはできないからね。

 気の弱い人は、瘴気に当てられただけで発狂したり精神を病んだり、場合によってはそれだけで死んでしまう。ましてや、魔王の生み出した闇だ。

 ほんの僅かな時間。僕たちが転移してきただけで、運悪く瘴気の側にいた女官は気を失ったりしていた。


「王妃陛下、お気を確かに。安心してくださいませ」

「許して……許して……」


 ルイララが魔剣使いの相手をしている間に、僕たちは人質を安全な場所へと避難させたい。

 瘴気が消えた今、人質をこの場から連れ出すためには、全員が走って逃げるしかない。

 気を失っている女官くらいは抱えられるけど、それ以外の人は自分の足で走ってもらいたい。

 現状はルイララの相手をしている魔剣使いだけど、逃げるこちらをみすみす見逃すはずはないだろうしね。魔剣使いが動いたときに対応できるように、なるべく僕たちは身軽な方が良い。


 でも、王妃様くらいは抱きかかえても良いのかな?


 丸まって怯えている王妃様の背中に、優しく手をえるライラ。安心してください、と懸命に声をかけ続けているけど、王妃様の耳には届いていない。


 王妃様は、心が弱いのかもしれないね。

 過去に、王様が重篤じゅうとくな怪我を負った際には、実の娘に酷い仕打ちをした。それがきっかけとなり、魔族につけ入られて洗脳され、ヨルテニトス王国を窮地きゅうちへと追いやった。

 騒乱のあとは離宮に幽閉されたわけだけど、王妃様は今と同じように、自責の念に囚われながら日々を送ってきたのかもしれない。


 やはり、ここは強引にでもライラを促して、人質を救出した方が良いのかもしれない。

 ルイララが魔剣使いを仕留めたらそれでこの騒動は終了なんだけど、なぜか嫌な予感をぬぐえなかった。


「ライラ!」

「は、はいですわっ」


 驚かせるつもりじゃなかったんだけどね。王妃様に意識を向けていたライラは、僕の呼び声にびくんっと反応をして、つい大きな声を出してしまう。

 そのとき、ようやく王妃様が反応を示した。


「ああ……」


 耳元で突然大きな声を発せられて、からに閉じこもっていた王妃様も驚いたのかな?

 はっ、と目を見開き、寄り添うライラを見た。

 そして、ふるふると唇を震わせてこれまで以上に怯え出した。


「許して。私は……。違うの……」

「ご安心くださいませ。どなたも王妃陛下を責めてはいませんわ。ですから、どうかわたくしの手をお取りください」


 ライラは王妃様を安心させるように微笑む。だけど、王妃様はそんなライラから逃げるように身を引く。


「許して……。許して……」


 王妃様は、ライラが自分を害するために来たのだと勘違いしているのだろうか。身を丸めて怯えていた先ほどとは打って変わって、ライラから逃げようと身悶みもだえる。

 救いの手を非情にも拒絶されたライラは、一瞬悲しそうな表情を見せた。


「ああもうっ。早く脱出するわっ」

「ああもうっ。ぐずぐずしている暇はないわっ」


 女官たちを促していたユフィーリアとニーナがしびれを切らして、ライラと王妃様に詰め寄ろうとする。

 だけど、人質救出よりも前に、ルイララと魔剣使いの勝負が先に動いた。


 ぎぃんっ、と甲高い金属音が大広間に響く!

 見ると、ルイララが魔剣使いの長大な剣を大きく弾いていた。

 にたり、と満足そうな笑みを浮かべるルイララは、切り返す刃で魔剣使いの胴に狙いを定め、直剣を煌めかせる。


 善戦していたとはいえ、やはりルイララの剣技には劣ったようだ。

 長剣を弾かれ、大きく体勢を崩した魔剣使いには、ルイララの必殺の一撃を防ぐ手立てがない。


 横薙ぎに払われたルイララの長剣は闇色の外套を裂き、胴に叩き込まれた。


「あははははっ!」


 笑うルイララ。


「素晴らしい。素晴らしいよ!」


 悔いはない。ルイララは全身で名勝負を喜んでいた。


 だけど……


 ルイララの放った必殺の一撃は、魔剣使いの胴を両断することなく止まっていた。

 阻んだのは、古めかしい漆黒のよろい


「まさか。まさか、こんなところにこんな鎧が存在しているなんてね!」


 ルイララの瞳は、魔剣使いが着込んでいた全身鎧に釘付けになっていた。


「すっかり忘れていたよ。飛竜を撃墜した闇の魔法をね」


 戦いにのめり込み、最初の危機を失念していた。

 ルイララだけじゃなく、僕たちも。


 魔剣使いが身にまとった古めかしい全身鎧が、周囲の闇を吸収したように深く色を落とす。


 そして、次の瞬間。


 全身鎧から放たれた漆黒の光線が、ルイララの全身を呑み込んだ。

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