疑われたスラットン

わたくしとアレクス様は、ある依頼を受けて霧の化け物を追っていたのです」


 突然斬り掛かってきたことに目をつむり、少しばかり言葉の裏に棘があることにも慣れてしまえば、ルーヴェントは実に紳士的な人だ。

 物腰は高貴な者に仕えるのに相応しく洗練されているし、主人に絶えず気を配り、手をわずらわせるようなことは全て自分がう。


 僕たちに事の説明を始めたのも、ルーヴェント自らだった。


「ある依頼とは?」


 誰かが気を利かせたのか、スラットンは新しい服にそでを通しながら聞き返す。


「おお。本題ではなく、そこに興味をお持ちになるとは。では、仕方なくお話し致しましょう。ここより南へと下りますと、竜峰の南部に接する神族の帝国がございます。私とアレクス様は、その帝国領のはしはしにてひっそりと暮らしておりました。とはいえ、外界との接触は無縁ではございませんで、近隣の小さな村落からまれに依頼を請け負うこともしばしば」


 神族の帝国はとても大きく、みかどの威光は領土の隅々すみずみにまで行き届いているという。

 ただし、威光は広まっていても、辺境まで帝都ていとのような発展は見込めない。

 魔族の国であれ、神族の帝国であれ、辺境僻地へんきょうへきちは未開の地も多く、住む者も少ない。

 そんな帝国領の隅っこに、アレクスさんとルーヴェントは僅かな身内と暮らしているのだという。


 そこへ、近隣の村からある依頼が舞い込んできた。


「人をさらう霧が出る、と噂は広まっておりまして」


 帝国の辺境では、何人もの村人、特に女子おんなこどもが忽然こつぜん行方ゆくえくらませる事件が多発していた。

 そして、失踪者が出る前には必ず深い霧が発生するのだと、騒ぎは徐々に大きくなり始めていた。


「アレクス様は、辺境でひっそりとお暮らしになるには勿体もったいないほどのお方でございます。近隣の村落からは、アレクス様の力を借りるべく依頼が時折舞い込むのでございます」


 なぜ、アレクスさんは辺境で暮らしているんだろう?

 ただ普通に立っているだけで、見るからに強そうな気配をかもし出しているアレクスさん。

 もしかすると、並みの竜人族の戦士よりもうんと強いかもしれない。竜人族の人たちもアレクスさんの気配を感じて「神族ごとき」という雰囲気を抑えていた。


「話が見えねぇな。そのずっと南で起きた失踪事件と、俺に仕掛けてきた話と、どう繋がる?」

「それはでございますね……」


 村人の失踪。それは、辺境に住む者たちにとっては死活問題だ。

 ただでさえ人口が少ないというのに、そこから女性や子どもがいなくなれば、いっきに過疎化かそかが進む。それだけじゃなく、働き手がいなくなれば、残された者たちの負担も増大する。

 それで、アレクスさんとルーヴェントは、謎の霧と失踪事件を追って動き出した。


「ですが、そこに誤算があったのです。いいえ、アレクス様に手違いはございませんでした。あれは私の不徳のなすところ。全ては私の失態でございます」


 濃霧と失踪に繋がりがあるということは、依頼を受けた時点でほぼ判明していた。

 そうなれば、あとは天族の腕の見せ所。

 ルーヴェントは連日のように空を飛び回り、濃霧の発生場所を探したという。


 そして、見つけた。


 まるで生き物のようにうごめき、今にも小さな村を飲み込もうとする深い霧。

 ルーヴェントはすぐさまアレクスさんと合流し、二人は現場へと駆けつけた。


「ですが、相手は実体のない化け物だったのです」

「もしかして、物理攻撃が一切効かないとか?」

「おお、人族にしては見識けんしきがよろしゅうございますね。さすがは人族でありながら竜王を名乗られる少年でございます」


 とはいえ、所詮しょせんは人族。噂に尾ひれがついただけでしょうけれど。という言葉が、なぜか聞こえてきそうですよ?


 ルーヴェントには一切の自覚がないんだろうけど、言葉の裏に含まれる棘に僕は内心で苦笑した。


「アレクス様は、他者の比肩ひけんを許さない、類稀たぐいまれなる神族様。ですが、あの化け物は物理的な干渉を一切受け付けなかったのです。どれほどアレクス様が無双の腕をお持ちであっても、攻撃が通じなければ苦戦してしまうのは致し方のないこと」

「おいおい、ちょっと待てよ。あの赤髪が神族で強ぇんなら、神術しんじゅつって手があるだろう?」


 スラットンの質問に、まさにその通り、と頷くルーヴェント。


「もちろん、アレクス様は神術にも深く通じております。しかし、あの霧の化け物は姑息こそくにも神族様の肉体にひそみ、アレクス様の手をにぶらせたのでございます」


 なるほど。潜んだ相手が神族じゃなければ、手加減なんてしなかったということですね。

 神族の国にも、奴隷は存在する。そして、奴隷になるのは人族や有翼族といった、彼らが下等と見下す種族だ。


 話すルーヴェントの背後で寡黙かもくに立つアレクスさん。

 竜人族の人たちに囲まれていても落ち着き払った気配は流石だけど、彼もやはり伝聞でんぶん通りの「神族」なのかな?


「それと、あの化け物の正体はまさに霧そのものでございまして。どれほどの高熱で焼き払おうとも、僅かなしずくさえ残っていれば、たちまち再生してしまうのでございます」


 うわっ、と僕たちは露骨に嫌な顔になる。

 霧の化け物に四苦八苦しくはっくするアレクスさんの戦いが目に浮かぶよ。


 霧の化け物は、小さな村を包み込むくらいの大きさがあるんだよね。それを跡形もなく消滅させようとすると、相当な神術を使わなきゃいけなくなるはずだ。

 でも、僅かにでも水滴すいてきを残しちゃうと、霧の化け物は再生しちゃう。

 それどころか、人の体内に潜んでアレクスさんの手を鈍らせる戦術を取るだなんて。


「それって、魔物まものなのかな? 妖魔ようまなのかな?」


 ふとした疑問を口にする僕。


「おお、竜王殿でもそこまではおわかりになりませんでしたか。ですが、魔物でございましたら、かくがございます」

「ああ、そうだよね!」


 魔物であれば、どれだけ再生能力を持っていたとしても、核をくだいてしまえば死んでしまう。

 でも、実体を持たないという霧の化け物は、僅かな水滴だけでも再生しちゃう。そうなると、霧の化け物の正体は妖魔ということになるのかな?


「そうなると、霧の化け物は『金剛こんごう霧雨きりさめ』とかいう恐ろしい魔物の可能性はないんだね?」

「おや、人族の口からそのような伝説の魔物の名前を聞くことになろうとは。さすがは竜王殿、と言ったところでございましょうか。たたし、その懸念けねんはございません。霧の化け物は、所詮は妖魔でございます」


 金剛の霧雨とは、と首を傾げるリステアたちに「あとで説明するね」と僕は答える。


「竜王殿、話を戻しても?」

「はい、どうぞ」


 霧の化け物の正体がわかった。

 それで、ルーヴェントに話を続けてもらう。


 アレクスさんとルーヴェントは、それでも霧の化け物を相手に奮戦したらしい。

 だけど、化け物は無限に再生を繰り返す。


「質問だ。その化け物が人の内側に身を潜めているうちに跡形もなく焼き払えば、消滅させられたんじゃねえのかい?」


 屈強くっきょうな竜人族の戦士が質問する。

 取りかれた人ごと、という部分には疑問をていしたいところだけど、それは現実的な戦術のひとつとして間違ってはいない。

 だけど、ルーヴェントは肩をすくめて首を横に振る。


「残念ではございますが、そう上手く物事が進むことはございません。霧の化け物が人の内側に潜むとはいっても、それは全体のごく一部。もちろん、人の内側に潜り込みませんでした霧の残りは、周囲に存在し続けるのでございます」


 うわっ、と場にいる全員が顔をしぶらせた。


「そして、いかなアレクス様であっても、霧を一滴も残さず消滅させることは至難であったのです」


 再生し続ける霧の化け物に対し、アレクスさんの神力は無限ではない。

 打開点を見出みいだせないまま、神力を消耗していくアレクスさん。


「あのとき、私がもう少し慎重に探りを入れておりましたら、アレクス様にあのような失態をさせてしまうことはございませんでした」


 霧の化け物には、物理攻撃が通じない。僅かな水滴からでも再生してしまう。そして、人の肉体に潜み、姿の一部を隠す。

 どれもが、厄介で面倒な能力ばかりだよね。

 そんな化け物と戦ったら、神族のアレクスさんじゃなくても苦戦するのは仕方がない。


「結局、霧の化け物を討伐することは叶わず、まんまと逃げられてしまったのでございます。ですが……」


 ルーヴェントは、改めてスラットンを見る。


此度こたびは、万全の対策を準備してまいりました。もうあの化け物に遅れをとることはございません」


 いったい、厄介な霧の化け物にどんな対策を持ち出してきたのか。

 だけど、その疑問よりも前に、僕たちには確認しておかなきゃいけないことがある。


「俺からも、幾つか質問をさせてほしい。その霧の化け物が人の内側に潜んだ場合、どうなるのでしょう? それと、なぜスラットンが宿主になっていると貴方たちは断定しているのか、その理由を知りたい」


 リステアの質問に、ルーヴェントは真面目に向き合ってくれる。

 こういう部分は、本当に紳士的だよね。だけど、ルーヴェントの口からは無情な答えしか発せられなかった。


「霧の化け物を宿した者は、奴にあやつられてしまいます。アレクス様も、それで大変に苦戦を強いられておりました。そして、奴は身の危険を感じると、人に存在の一部を潜ませ、肉体を操って逃げようとするのでございます。貴方たちは霧の化け物と遭遇した。そこで他の方々が無事だったのは、化け物がアレクス様と私の追跡から逃げることを優先させたからでございましょう。そして、逃走する奴と一緒に姿を眩ませたというスラットン殿こそが宿主になっている、と考えるのが普通ではないかと」


 霧の化け物は、神族の女性や子どもに乗り移ったんだよね。

 そうすると、宿主も神術が使えたりするし、同族を相手にする、しかもそれが罪のない人たちだったら、手が鈍っちゃう。

 そうやってアレクスさんたちの弱点を突き、霧の化け物は逃げたんだ。

 そして、今度はスラットンに乗り移ってしまった。


「ですが、今回は人族の内側に潜んだ様子。ならば、私もアレクス様も心置きなく対処できるというもの」

「おいおいおいぃぃぃっ! ちょっと待ちやがれ!」


 そこで叫んだのは、当事者のスラットンだ。

 スラットンが叫ばなかったら、僕がリステアが叫んでいたけどね。


「なんだ、てめぇっ! 同族じゃなけりゃ、血も涙もねえってのかよ!?」


 スラットンのうったえに、しかしルーヴェントは「何を当たり前のことを」という表情で返す。

 これには相棒であるリステアもたまねたようで、眉間みけんしわを寄せながらルーヴェントに詰め寄った。


「貴方は最初、霧にさらわれたスラットンに用事がある、と言っていた。だがまさか、スラットンを霧の化け物と一緒にほうむろうとしているのか!?」


 霧の化け物の宿主にされた者が、いったいどうなるのか。

 操られてしまうとは聞いたけど、先程ルーヴェントが見せた敵対行動からして、嫌な予感がする。

 ルーヴェントは、リステアの剣幕にもました様子で答える。


「残念ながら、宿主になってしまった者は化け物と一蓮托生いちれんたくしょうでございます。なにせ、宿主から霧の化け物を引き剥がす方法は、殺すことのみでございますから」

「なっ!?」

「それとも、貴方たちは宿主が無事なまま、霧の化け物だけを葬る方法を知っているのでございましょうか?」

「それは……」


 言葉を詰まらせるリステア。

 たしかに、霧の化け物だけを倒す方法なんて、僕たちは知らない。

 スラットンも、自分の置かれた立場を理解して、絶句していた。


「アレクス様や私も、鬼畜生おにちくしょうではございません。宿主もろとも消滅させて、残された者がとむらうことさえできない、ということは極力望んでおりません。ですが、犠牲になった者、これから犠牲になる者のことを考えますと、放置できない問題なのでございます」


 だからこそ、神族の国から遠く離れた竜峰まで追ってきた。そして、ついに追いついた。

 もう、今度こそ逃しはしません。と強い意志を見せるルーヴェント。背後に立つアレクスさんも、きっと同じ考えなんだろうね。


 神族と天族の使命を前にして、僕はどうすればいいんだろう。

 手が貸せる問題なら、いくらでも協力したい。

 だけど、スラットンを犠牲にするだなんて、それだけは絶対に嫌だ!


 リステアも僕と同じ考えだったようだ。


「貴方たちの考えは理解できるし、素晴らしい使命感だと思う。しかし、俺は相棒を売る気はない!」

「俺は、ではありませんよ、リステア。私たちは、です!」


 スラットンとルーヴェントの間に立ち塞がるリステア。その横に、仲間であるセリースちゃんとネイミーが並ぶ。

 きっと、この場にキーリとイネア、それにクリーシオがいれば、全員が同じ行動をとったはずだ。


 僕やセフィーナさんだって、それは同じ。


「おやまあ。これは大変に困りました」


 本当に困った様子のルーヴェント。

 あくまでも目標はスラットンだけで、他の僕たちには危害を加えたくない、とため息を漏らす。


「ははんっ。お前らの優しさは嬉しいがよ。だが、ちょっと待ちな。俺は何者にも取り憑かれてねぇし、操られてもいねえ。それを今から、俺自身が証明してやるぜ」


 すると、僕たちの背後でスラットンが長剣を構えた。


「ようやく仲間に合流できたんだ。この手でクリーシオを抱きしめるまでは、俺は誰にだろうと負けねえし、討伐されねえぜっ!」


 言ってスラットンは、鋭い剣先をルーヴェントに向けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る