嵐の始まり
竜王ベリーグとの和解を済ませた。そうすれば、残りの問題は魔族軍と魔獣の
竜剣舞を中断し、威力が収まり始めている竜術の嵐に意識を向ける。
ベリーグも負傷した身体を起こし、僕が巻き起こした、戦場を巻き込む規模の嵐を見やる。
「お前さん。それで、これをどうするんだ?」
今更ながらに、嵐の竜術の規模にため息を吐くベリーグ。僕は彼に笑い、こうするんです、と右手に持つ白剣を振るった。
岩石や土砂、魔族や魔獣を巻き込み荒ぶっていた嵐に、変化が現れる。全てを巻き上げ、暴風によってニンブレン高山の麓を支配していた嵐に、下向きの力が加わった。
悲鳴や怒号、巨大な岩石が地表に落下する地響きが、戦場に響き渡る。
更にそこへ、上空に溜まった雷の雨が降り注ぎ始た。地上は魔族と魔獣にとって、阿鼻叫喚の地獄画図へと変わっていく。
「今さら俺が言うのもなんだが、呆れた規模の竜術だな」
傍でベリーグが呆れたようなため息を吐く。
いいえ、これでも大人しくなった方ですよ。と言いたい。
白剣の鍔に埋め込まれた霊樹の宝玉は、一時期よりも随分と威力が抑えられている。それは僕自身が望んだことではあるけど、こうして嵐の竜術を発動させ、雷の雨を降らせていると、強く感じる。
現に、低級な魔族や魔獣は嵐の竜術で壊滅状態にはなっているけど、中級の魔族などは難を逃れるように避難し、それらにはあまり影響を及ぼせていない。
まぁ、全力じゃないのが理由だけど。今回はベリーグを負かすために注力した術になっていて、魔族たちはおまけです。
でも、それで良いと思う。これが今の僕に相応しい術なんだ。呪いを受けてまで力を求めてはいない。
人族の僕が、こうして魔族の軍勢を
そう考えると、僕ってもう、普通じゃないのかな?
嬉しいような、悲しいような、複雑な気分になる。
だけど、そんな余裕はすぐさま消え去った。
おかしい。
嵐の竜術は戦場いっぱいに広がり、魔族や魔獣、そして竜人族の存在を僕に知らせている。
だけど、数百数千という気配のなかに、恐ろしい上級魔族の気配を感じない。
感じ取れるのは、せいぜいが中級の魔族くらいまで。中級魔族たちは、僕の嵐の竜術にも耐えてみせ、竜人族の戦士たちと死闘を繰り広げている。
でもやっぱり、それ以上の存在である上級魔族の気配を感じない。
あの魔王クシャリラの魔都でも、僕の呪われた竜術に耐えきった、恐るべき存在の上級魔族。その気配がひとりとして、この戦場に存在しない。
まさか、上級魔族は参戦していない?
そもそも、あれほどの魔族が多数存在するなんて、考えたくない。だけど、魔族の軍勢のなかに、ひとりとして居ないのも奇妙だ。
なによりも。
この戦場に居なくてはいけない重要人物の気配さえ、僕は掴めていなかった。
居ない。
獣魔将軍ネリッツが、戦場のどこにも居ない。
これはあり得ない!
魔族と魔獣を率い、ニンブレン高山に攻め入った魔将軍が、戦場から姿を消すなんて。
僕の
「お前さん、どうかしたか?」
ベリーグなら知っているかもしれない。彼は魔族と共にニンブレン高山へと攻め入ったのだから、魔族の動きを把握しているかも。
質問しようとした僕の声を、ルイセイネの悲鳴が遮った。
「エルネア君!!」
背後からの切羽詰まった警告に、咄嗟に身体が反応した。傍のベリーグを掴み、問答無用で空間跳躍をする。
数瞬の後。ニンブレン高山の麓に広がっていた戦場に、北から南へと一条の光線が走り抜けた。
「っ!」
全力で空間跳躍をした。一瞬でルイセイネを捕まえ、次の瞬間には大きく戦場を離れていた。
でも、
目の前に広がった凄惨な光景に、僕とルイセイネは絶句した。
足もとで、連続空間跳躍を味わったベリーグが苦悶の表情を浮かべていた。だけど、僕たちと同じように、つい今し方まで戦場だった場所を見て、息を呑む。
「こ、これはいったい……」
なにが起きたのか。
ベリーグには理解できなかったんだろうね。
伝説の英雄竜ユグラ様が放ったような黄金の光線が、一瞬で戦場を瓦解させた。桁違いの竜術の威力に、困惑するベリーグ。
でも、僕とルイセイネは知っていた。
なにが起きたのか。誰が放った竜術なのか!
僕とルイセイネの視線は、凄惨な戦場跡から北の方へと移っていた。
上空で、レヴァリアが警戒と威嚇を込めた咆哮をあげる。
更に、雲の上で戦況を伺っていたリリィの背中の上から、水面に浮かんだ波紋のようにフィオリーナの意思が竜峰全体へと広がっていった。
「予想通り、来たね」
「はい。来ましたね」
ごくり、と唾を飲み込む。緊張で張り付いていた喉の奥が、少しだけ潤う。
僕たちの視線につられ、ベリーグが北の先を見つめた。
「おいおい、ここで奴の登場かよ……」
「これは……。エルネアたちはこうなることを読んでいたのか?」
戦場を駆け回っていた竜王のヘオロナとジュラが、北に警戒を向けながら、僕の側にやって来た。
「はい。こうなるだろうと、予想していました。というか、そう仕向けたと言った方が良いのかな?」
もはや、ここは戦場ではなかった。
突如として現れた者に一瞬にして魔族軍は壊滅へと追いやられ、残った魔族は散り散りに逃げ始めている。支配の効力が切れたのか、魔獣たちも竜峰の自然の奥へと戻っていく。
竜人族の戦士たちは、これから始まるだろう激しい戦いを前に、自分の実力に見合った行動へと移りだしていた。
「予想していただと?」
広い戦場跡。その北端に立っていた者は、背中の不気味な翼を羽ばたかせて、僕たちの前にゆっくりと降り立つ。
「オルタ……」
ベリークが強い吐き気から立ち直り、両手鎚を構える。
「待っていたよ。僕たちは、今度こそ貴方を倒す」
オルタの視線は、僕だけを捉えていた。
既に、人竜化を済ませている。
黒く滑らかな、全身を覆い尽くす革鎧。その背中からは不気味に折れ曲がった翼を生やし、太く凶暴な尻尾が地面を叩く。
頭部からは、目元と口元だけを覗かせる兜の頭部を突き破り、歪に曲がった二本の角が姿を現している。
そして両手には、黄金色に輝く大剣のような巨大な両刃の剣が握られていた。
「姿を
僕の背後で、ルイセイネがオルタに警戒をしつつ、後退する。ベリーグとヘオロナとジュラも、ルイセイネから下がるように促される。
訝しがる竜王たちを、それでも強引に下がらせるルイセイネ。
それで良い。
竜王たちにも協力してもらう必要がある。
だから、オルタの相手は僕がする。
僕とオルタは睨み合う。
「貴方は竜峰を心から憎んでいる。全てを破壊し尽くそうとしている。それなのに姿を隠すのは、一辺に全ての竜人族や竜族を相手にできないからだ。だから、狙いを定め、倒せる相手と場所を見定めていた」
僕の言葉に、無言で応えるオルタ。
「それなら、条件を揃えれば良い。貴方は一度、僕たちと相対している。違うか、僕とは二度だね。だから、竜峰で僕が力を使えば、それを察知して現れると思った。僕の傍らにはミストラルが居ると思っているから」
オルタの最大の狙いは、竜姫のミストラル。彼女を倒すことができれば、己の存在と恐ろしさを竜峰中に知らしめることができる。そして、竜姫を倒せるだけの力があれば、他を圧倒できる。
それと、僕の使う嵐の竜術は、規模や効果から遠くに居ても、とても目立つ。
嵐の竜術は、オルタに対する目印の役目でもあった。
「だから貴方は、まず最初に僕たちを標的にするだろうと思ったんだ。違う?」
僕は不敵な笑みを見せて、余裕を見せる。
でも内心は全然、余裕じゃない。
最北端の村では、オルタに圧倒された。ミストラルが居なければ、僕たちは確実にあの場で死んでいた。
明らかに格上の相手に、僕はこれから戦いを挑もうとしている。
白剣と霊樹の木刀を持つ手が震えそうになるのを、必死に抑える。目の前に立つ、恐ろしい殺気を放つオルタに
「貴様では相手にならん。竜姫を出せ。それとも、あの不気味な姿を見て恐れをなし、
相手を心底侮蔑するような笑みを浮かべるオルタ。
「不気味な姿? 貴方の目はふし穴だ。あんなに美しい姿になれるだなんて、僕はミストラルに惚れ直したよ」
「くくく。
「愚か者は貴方だ。自分の曲がった思想と野望のために、平和な竜峰に災いをもたらすなんて!」
「平和だと? この腐りきった世界が平和だと、貴様はほざくのか?」
「何度でも言ってやるよ。
「魔獣や魔物が
「それって、どこで暮らしていても一緒だよ。そんなことに不平不満を言う人は居ない。そんなことで弱音を吐くのは、世界の広さを知らない弱者だけだ!」
僕の挑発に、オルタの瞳が鋭く光る。
「貴方は臆病者で、卑怯者で、愚か者だ。自分の置かれた環境に勝手に絶望し、悲観し、自ら変わろうと努力をしなかった。そして自分の弱さを他人のせいにして、周りから差し伸べられていた手を振り払い、塞ぎ込んだんだ」
「黙れっ!」
「ううん、黙らない。貴方は間違えている。だから、僕たちは何が何でも貴方を止めてみせる!」
僕の覚悟とオルタの殺気が激しくぶつかり合う。
後戻りはできない。次の戦いはない。全てをこの戦いで決してみせる!
言葉の応酬は無意味だと判断したのか、オルタは鬼の形相で、僕に斬りかかってきた。
左右から同時に振られた黄金色の竜奉剣を、白剣と霊樹の木刀で受け流す。重い攻撃だけど、受けきることができる。
そして、姿を隠しているアレスちゃんと共に、霊樹の術を全力で発動させた。
霊樹の木刀の鍔に可愛く付いた三枚の葉っぱが光り輝く。すると僕の周囲に、無限の葉っぱが出現し、乱舞した。
「この後に及んで、迷いの術か!」
だけど、すぐさまオルタに見破られた。
発動したのは、間違いなく迷いの術。任意の者を深い迷いのなかへと引き込み、
僕たちの周囲の景色が揺らいだ。荒れ果てた戦地で戦いを始めたはずなのに、深い森のなかへと移動していた。
背後に後退していたルイセイネたちの気配が隠れ、上空のレヴァリアやリリィの姿がかき消えた。
「そう、迷いの術だよ。でも、貴方を惑わすわけじゃない。関係のない人を巻き込まないためだ!」
「くだらん。貴様をすぐさま斬り刻み、術を破って残りの者も殺してくれる」
「させるものかっ」
白剣に雷撃を
間髪置かずに、霊樹の木刀を胴目掛けて振るう。剣先がゆらりと揺れる。
オルタの視線が一瞬泳ぐ。痙攣しながらも、受けようと竜奉剣を構える。
だけど、霊樹の木刀と竜奉剣は交わらない。
オルタの太ももの革鎧に、斬り傷が入った。
「っ!!」
思わぬ箇所への攻撃に、オルタの表情が歪む。
迷いの術を応用し、剣先の空間を歪ませた。
続けて更に葉っぱを召喚し、乱舞させる。
竜剣舞に合わせ、葉の刃がオルタを全方位から攻撃する。
「小賢しい!」
オルタが吠えた。
竜奉剣が黄金色に
黄金色の軌跡を生みながら、竜奉剣を振るうオルタ。竜奉剣から、光線が放たれた。剣の動きに合わせ、空間を薙ぎ払っていく眩い光。
僕は空間跳躍でオルタから距離を取り、必死に光線の乱射を回避する。
そして隙を見て、懐に飛び込もうとした。
一瞬の違和感と本能に従い、足を止める。
大地が砕け、周囲の森を飲み込む。そして大地の裂け目から、闇の刃が僕めがけて襲い掛かってきた。
「アレスちゃん!」
僕の声に応え、アレスちゃんが霊樹の術を発動する。砕かれ裂けた大地が地響きをあげ、元通りに塞がっていく。地の底から湧き上がった闇の刃が、光の壁に遮られた。
オルタの竜術をなんとか防いだ代償に、僕は大量の竜気を消費した。
一気に疲弊感が湧きだす。
「貴様と俺の格の違いを見せてくれる」
あれだけの竜術を放ちながら、僕とは違い全く疲弊していないオルタ。
不死性が一番の障害だけど、実は、内包する三つの竜宝玉から得られる計り知れない竜力も
消耗戦になれば、必ず不利になる。
僕は竜気の消費を抑え、接近戦を仕掛ける。
オルタの
雷撃は有効だ。オルタの全身を覆う黒い革鎧を貫通し、内側の肉体に届いている。そして手数で圧倒し、オルタに竜術を使わせる隙を与えない。
だけど、それでもオルタを押さえきれない。
今のオルタは、竜奉剣の能力により、竜族と同様の竜術が使える。竜族は息をするように、竜術を使う。
竜奉剣を一度振るうたびに、太い尻尾で薙いでくるごとに、攻撃と共に激烈な竜術が放たれた。
何十合と打ち合っていくなかで、オルタの竜術を防ぐために大量の竜気を消費し続ける。
息切れなのか、竜気の途切れなのか。
どれほどオルタと剣を交えたのかわからなくなった頃、僕は体勢を崩してしまう。
そこへ、狙いを澄ませたオルタの一撃が降ってきた!
たまらず、空間跳躍で一度距離を取る。
全力を出し続けた竜力が、あと僅かなことに、そこで気づく。
距離が開いたことで、オルタが強力な竜術を放とうと身構えた。
僕は上空に創りあげた嵐から暴風を巻き起こし、雷の雨をオルタめがけて何度も落とす。
だけど、オルタの動きは止まらない。
両手の竜奉剣に桁違いの竜気を溜め、僕に狙いを定める。
駄目だ。ここでなんて、終われない!
オルタとの戦いは、始まったばかり。今ここで、僕が負けるわけにはいかない。
体の奥底から体力と竜気を絞り出し、僕はもう一度、オルタと向き合った。
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