夕ご飯は毒三昧

 容易たやすく背後を取られたこと以上に、只ならぬ気配の人物に呆気あっけにとられてしまう。

 逃げるとか、身構えるなんてことにさえ思考が回らない。


 ううん。違うか。

 思考が回らないんじゃない。

 この人にはなにをしても無駄だ、と本能がさとってしまっているんだ。


 呆然あぜんと、僕と顔を並べてうんうんと頷いている人物を見つめた。


 肌の色は違うけど。

 長い耳は、プリシアちゃんたちと同じ耳長族の特徴そのもの。

 もしかして、禁領に集落を持つ人たちなのかな?

 いいや、そんなはずはないよね。

 巨人の魔王はそういった話をしていなかったし、ここは認められた者以外は立ち入れない禁制の場所なんだ。

 ということは、この人は許可を得て入った人?

 それとも、不法侵入者かな?


 僕の思考は、相手も同様にめぐらせたらしい。


「狩りの手際の良さから、君が普通じゃないことくらいはわかる。ただし、ここは禁じられた土地だ。君は誰かの許可を得て入ったのかな?」


 捌いていた兎から、こちらに視線を移す褐色肌の耳長族。

 灰色みを帯びた緑の瞳で、僕を図るように見つめる。

 二十代くらいに見える美しい顔。だけど耳長族なら、見た目と実年齢は釣り合わないだろうね。

 きりりとした顔のひたいには、深い傷が刻まれていた。額だけじゃない。むき出しの腕や首筋にも、戦歴をうかがわせる傷跡が見て取れる。

 僕の背後からかがんで見つめてきているけど、背はあまり高くなさそう。

 小柄な耳長族の女性だった。


「ええっと。許可というなら、巨人の魔王から……」

「へええ? 人族の君が、あの人から許可を? にわかには信じられないな。でも、あの人がこの土地に関わる人物と知ってはいるんだな」


 特にうたぐり深い視線ではなく、ふんふんと興味深そうに僕を見つめる耳長族の女性。

 口ぶりからすると、この人は巨人の魔王と面識があるみたい。それと、彼女自身も禁領に入ることを許された人物なのかも。

 巨人の魔王は言っていた。

 僕たち以外にも、禁領を利用する者がいるって。そのうちのひとりなのかもね。


「手を止めていないで、仕上げたらどうだ? 新鮮なうちに捌ききらないと、美味しくなくなる」

「は、はい」


 僕には「何者だ?」と問いただしておきながら、答えには頓着とんちゃくせずに、兎の解体を促してくる。

 僕は女性を気にしつつも、残りの作業を再開させた。

 必要な肉を取り、剥ぎ取った毛皮に包んで纏める。不要な骨や内臓は、地面を掘って埋めた。


「変な子だな。大層な剣を使って、そんな小さな兎の解体だとは。やりにくくないか?」

「ううんと。こういうことを想定していなかったので、短剣などを持ってきていないんです」


 変な話だよね。

 禁領という隔離された土地に踏み入っているのに、必要な準備をしてきていないだなんて。

 女性も、僕の意味不明な返答に首を傾げた。


「ふうん。……少し、質問をしてもいいだろうか?」

「はい。なんでしょうか」

「この兎を狙うまでに、他にも狙いやすそうな多くの獣がいたな。狩るなら、もっと肉の取れる鹿や猪を狙いそうだが?」

「ああ、それはですね。僕ひとりなら、兎くらいで十分だから。取り過ぎても、保存方法に詳しくないので、腐らせちゃいそうだし」


 血で汚れた白剣を身近な雑草の葉っぱでぬぐい、荷物を整理しながら答える。

 そうしながら、内心で動揺する。

 どうやら、この女性にずっと後をけられていたらしい。それなのに、周囲の動物を探すために気配を読もうと気を張っていた僕は、それにまったく気づくことができなかった。

 竜の森に住む耳長族の戦士たち。カーリーさんたちの気配を読むのも至難の技だけど、この女性はそれ以上の能力を持っていることは間違いない。

 僕は不審者としてずっと監視されていたのかな?


「北から来たように思えるけど、どうやって禁領に入った?」

「ええっと。海から……」

「んん? 北の海は長いことオリヴィアの支配下で、航海できる規模の船を出すことも泳いで渡ることもできないはずだが?」

「知り合いの魔族に連れてきてもらったんです」


 ルイララの名前を出しても良いものか。少しだけ思案し、問題ないと結論づける。

 オリヴィアなんて者は知らない。でも、それが北の海の支配者ということは、つまりルイララの親御さんだよね。親を知っているなら、子も知っているだろう。


「巨人の魔王配下の、子爵のルイララという魔族に」

「……ああ、あの人魚か」

「人魚って言わないで!」

「は?」


 つい反射的に、否定してしまいました。

 女性は僕の唐突な反論に、ぽかんとほうけた。


「い、いえ。人族のおとぎ話などでは、人魚といえば美しい女性と相場が決まっているので」


 と言い訳をすると、女性は上半身を起こして愉快そうに笑った。


「なるほど。たしかに、あれは人魚らしくない。夢を壊してしまったな。失礼した」

「いえ。理解してもらえて嬉しいです」


 なんだろう。普通なら、特殊な土地で知らない人に会って、警戒しなきゃいけないはずなのに。全然、そういった気にならない。

 直感的に、相手の方が圧倒的な上位者だと感じ取っているからなのかな。それとも、この女性から敵意やよこしまな気配を感じないからなのかな。

 ……両方かな。


「それにしても、奇妙な子だね」

「僕って、そんなに変ですか?」

「変だとも。言っただろう。竜人族のような狩りをし、耳長族のような配慮を見せる。かと思えば魔族と知り合いで、魔王に許可を得てここへとやって来た人族。しかも、気配は古代種の竜族のようだ。長いこと色々な人族を見てきたが、君ほど掴み所のない者は初めてだ」

「……言われてみると、たしかに変ですね、僕って」


 何気なく言われたけど、古代種の竜族の気配とは、内包する竜の王の竜宝玉のことだよね。つまりこの女性は、僕の深い部分まで一発で見破みやぶっているわけだ。


「差しさわりがなければ、君の経緯を聞きたいが?」

「ええっとですね。狩りはミストラル……竜人族に習いました。初期段階で狩りをしていたのが竜の森で、耳長族に捌き方などを教わったので、その影響かな。魔族とは……」


 なんて説明すれば良いんだろう。

 昨年の騒動や、ミストラルと巨人の魔王の関係など、説明しようと思うと結構な部分を話さなきゃいけないよ。

 だけど、僕の困惑に耳長族の女性は納得顔になった。


「ああ、ミストラル。聞いたことがあるな。たしか、竜峰の竜姫か」


 どうやら、この人もミストラルのことは知っていたらしい。さすがは有名人のミストラル。顔が広いです。


「ということは……。なるほどなるほど。つまり……。へええ」


 ひとりでなにかを納得したように、うんうんと頷く女性。


「君のことは理解できた。信じよう」

「自分で言うのもなんですが、こんな突飛とっぴな話を簡単に信じても良いんですか?」

「ふふふ。突飛だが、君のこれまでの動きが真実だと実証していた。これでも、人を見る目はある方なのだ、わたしは」

「あ、ありがとうございます……」


 普通だったら、こんな話を簡単に信じる人なんていないよね。

 この人は僕を監視して動きを見ていたから、偽りがないと確信してくれたんだろう。


「それじゃあ、移動しよう。このままここに居ては、血の匂いを嗅ぎつけた魔物や魔獣が寄ってくる可能性がある」

「そうですね」


 後片付けの終わった僕が立ち上がると、女性は無造作に僕の腕をとった。

 そして、有無を言わさず空間跳躍。


「なっ!」


 胸から息が漏れた。


 普通の空間跳躍じゃない。

 一瞬のうちに、僕たちがいた森の空間が見えなくなった。

 僕の空間跳躍とプリシアちゃんの空間跳躍を比べると、飛距離が違う。もちろん、本家本元の耳長族が使う空間跳躍の方が上で、その気になれば僕の倍以上の飛距離を出す。

 でも、この女性はそれ以上だった。

 一瞬で元いた森を抜けて、見知らぬ丘の上に降り立つ。

 飛距離がありすぎるせいか、身体がぐいぐいと空間に強く引っ張られる感覚を受けた。

 これってもう、空間跳躍というか、空間転移に近いんじゃないかな。


 たった一度の空間跳躍で、僕の十倍以上の距離を跳んだ女性は、丘の上で一旦止まった。そして、僕の様子を見る。


「酔わない、か。やはり耳長族と接していたというのは嘘じゃなかったな。それと、君が使っていたのも、どうやら空間跳躍か。耳長族のそれとは少し違う気がしたけど」


 超長距離の空間跳躍に驚きはしたけど、根本は一緒なので、たしかに僕は酔ったりしない。それを確かめたんだね。

 というか、これが初めての空間跳躍だったらどうなっていたんだろう……


 僕が空間跳躍に耐えられると知って、女性はまた空間を渡った。

 今度は、連続した空間跳躍。

 一瞬一瞬ごとに、全く知らない景色が視界に浮かぶ。

 空間跳躍自体には酔わないけど、風景の目まぐるしい変化に目が回りそう。

 丘にいたと思ったら、次の瞬間は湖の真ん中。水に落ちちゃう、と思った瞬間には、山の頂上。ほっと胸を撫で下ろす間もなく、森の中。と思いきや、湖畔こはんにいたり。

 もう、目と頭が景色についていきません。


「そういや、自己紹介がまだだったね」


 褐色肌の耳長族の女性に腕を掴まれたまま、僕は成り行きに任せて禁領を移動した。

 そうしながら、女性は話しかけてきた。


「わたしは、四護星しごせいのなかで『技』をつかさどるナザリア」

「しごせい?」

「ああ、なるほど。その辺はまだ知らないようだね。じゃあ、普通に名前だけ覚えておいて」

「はい。僕はエルネア・イースです」

「ふふふ、やっぱり」


 もしかして、僕の名前を知っていた?

 疑問に思ってナザリアさんを見つめたけど、僕のほしい答えはくれなかった。

 そして、陽が沈む前。


あるじさま、ただいま。今日の夕食を持ってきたよ」

「ほへ?」


 たどり着いたのは、僕も見たことのある禁領にある山の中腹。広く緩やかに裾野すそのを広げる霊山の一画の、廃墟はいきょの村だった。

 こんなところに村があるだなんて、と思う以前に。

 僕と褐色肌の耳長族ナザリアさんの前で、ひざを抱えてちょこんと座っている少女に目が点になってしまう。


 可愛らしい、ふりふりの服を着た、愛らしい少女。年齢は十歳くらいに見える。膝を抱える少女の腕は細く、見るからに華奢きゃしゃだ。大きな瞳は濃い桃色で、豊かな睫毛まつげが揺れている。長い髪の毛も桃色で、ふわふわと柔らかそう。

 でも、僕の目を引いたのは、可憐な少女の容姿ではなかった。


「せ、背中にはねがある……」


 そう。

 可愛らしく座って僕たちを見上げる少女の背中には、見たことのない羽が四枚生えていた。

 半透明の羽が、桃色の小さなしずくをきらきらと空中に振りまきながら、ゆっくりと開いたり閉じたりしていた。


 背中の羽は、悪く例えると、虫のそれ。でも、神秘的な少女の雰囲気は、虫というよりも精霊や妖精に近いように感じる。

 だけど、精霊にこうした羽が生えている姿なんて見たことないよ。アレスちゃんは空中に浮いたりするけど、背中には羽も翼も生えていない。

 では、この少女は有翼族や天族かな?

 いいや、違うはず。空を飛ぶ種族は必ず背中に翼を生やしているけど、羽が生えている人型の種族なんて僕は知らない。


 不思議な少女に僕が魅入みいっていると、少女の方も僕を見て、わあっ、と驚いたように口を開けた。


「ナザリア、残念だけど。いくら食糧難だからといっても、あたしは人を食べるような悪食あくじきではないわ」

「えええっ! 僕は食べられちゃうの!?」


 なんてこった。

 見惚れている場合じゃなかった。呑気のんきについてきたのは失敗だったようです。

 ナザリアさんは、目の前の少女の食料にするために、僕を捕まえたのかな!?


 僕と少女の反応に、ナザリアさんは愉快そうに笑う。


「違う違う、主さま。この子が持っている兎の肉を分けてもらいましょう、と言っているの」


 くつくつと心底愉快そうに笑うナザリアさんを見て、僕と少女はほっと胸を撫で下ろす。

 良かった。僕は少女の夕食にならずに済んだようです。

 食べられちゃうくらいなら、兎の肉を提供するくらい、おやすい御用ですよ。

 はい、と手を出されたので、僕はナザリアさんに兎の肉を包んだ毛皮ごと渡す。


「調理は、主婦のナザリアに任せましょう。貴方はこっちへ」


 ちょいちょい、と可愛らしく手招きをする少女に釣られて、僕は隣に座る。

 ナザリアさんは僕から肉を受け取ると、近くのかまに移動して、なにやら料理をし出した。

 なんでこんな野宿場所に立派な竈が?

 それはともかくとして。ナザリアさんは主婦らしい。

 言われてみると、料理をする後ろ姿は主婦らしい貫禄かんろくがあるね。


「はっはっはっ、山菜さんさいんできたぞ」

「おおい、母さん。俺の獲物を見てくれ!」

「母さん、主さま。今夜は大漁よっ」


 すると、方々から更に三人の人物が空間跳躍で飛んできた。


 かごいっぱいに山菜を詰め込んできた男性は、たくましい筋肉の持ち主。ナザリアさんと同じ褐色肌の耳長族。次に、へび蜥蜴とかげといった下手物げてものを両手いっぱいに抱えて現れた青年も、同じ褐色肌の耳長族。最後に現れた女性も同様で、網には不気味な魚がいっぱい入っていた。


「はい、セジム。あんたのは全部毒草毒きのこ。毒毒三昧どくどくざんまいね。アゼイラン、それは薬事には使えるけど、夕食にはならない。アユラ、そんな毒と骨ととげだらけの魚を主さまの口に入れるわけにはいかないでしょう」


 なるほど、食糧難になるわけだ、と新たに現れた三人が手にした食材に僕と少女は納得顔で頷いた。


「ナザリア。そう言うお前だって、人族を捕まえてきているじゃないか」

「母さん、俺は人族を食べるような悪食ではないぞ」

「母さん、いくらなんでも、人族を食べようとは思わないわ」

「いやいや、僕は食料じゃないですからね!」


 僕を見て、げえっと舌を出した三人に、強く否定を入れておく。

 ナザリアさんと隣の少女は、僕たちのやり取りが面白かったのか、笑っていた。

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