ヨンドの街の帝尊府

 ヨンドの街は、飛竜に襲撃された村から東へ五日ほど、山を六つ越えた先にあるという。

 魔族と神族の国に挟まれた緩衝地帯において、北寄りに位置する街でもあった。


 つまり、帝尊府やグエンは、魔族の支配地域のすぐ近くで活動していたというわけだね。

 そりゃあ、クシャリラや魔族が神族の動きに敏感になるのも仕方がない。

 では、帝尊府は魔族を刺激してしまうと知っていて、なぜ緩衝地帯の北側で目立つ活動していたのか。

 グエンの話では、有翼族は天上山脈を越えるための抜け道をいくつか持っているらしい。

 その抜け道を帝尊府が利用できないか、各地で調査しているようだった。


 有翼族が天上山脈の西側で狩った奴隷を、東の魔術師に見つからないように連れてくるための秘密の道。

 東の魔術師ことモモちゃんは、有翼族は弱いからと、天上山脈の往来にあまり気を留めていなかった。だから有翼族が奴隷を連れて移動しても、モモちゃんは気付かなかったんだと思う。

 だけど、天上山脈を越えようとする者が神族であれば、そう上手くはいかない。

 神族が天上山脈に入った瞬間から、モモちゃんの警戒魔術網に引っ掛かってしまう。


 有翼族も、東の魔術師の警戒がどれだけ深いかは、長い歴史で承知しているはずだ。だから、もしも神族に抜け道を使わせて東の魔術師に目を付けられてしまうと、今後はもう利用できなくなってしまう。そういう観点から見ると、有翼族は神族の要求にあまり乗り気ではないような気がするよね。

 だけど、評議長のセオールが神族に肩入れしてしまっているせいで、こうして緩衝地帯の北部まで調査に来てしまったようだね。


 そして、中立派の評議員候補だというスラスタールは、こうしたセオールの肩入れや神族の動きをこころよくは思っていない様子だった。

 ヨンドの街に向かう道中でも、スラスタールは何度となくセオールに忠言ちゅうげんしていたみたいだけど、聞き入れてもらえない様子だった。

 セオールは、なぜそんなにも神族に肩入れするんだろうね?

 曲がりなりにも中立派であり、しかも評議会の議長という要職に就いているのなら、有翼族の未来をもっと慎重に考えて行動すべきだと思うんだけど?


 セオールの行動の不可解さや、帝尊府がなぜ帝の威光を無視して天上山脈を越える方法を探っているのか。まだまだ僕たちの知らないことが多い。

 有翼族と一緒になって山岳地帯の道を進みながら、僕たちは同行する人々を観察し続けた。


 ちなみに、ヨンドの街まで掛かる日数は、あくまでも地上を歩いていけば、という計算になる。

 つまり、翼を持つ有翼族なら、半分以下の日数で到着するはずなんだけど。

 でも、有翼族の人たちは背中の翼を利用せずに、苦労しながら山道を歩く。それはなぜかというと、やはりレヴァリアの存在が大きいみたいだ。

 もしも不用意に飛んでレヴァリアに見つかってしまったら、と有翼族の人たちは完全に怯えきっていた。


「なんだか、有翼族の人たちは歩くのが苦手みたいだね?」

「飛ばないのなら、背中の大きな翼は邪魔でしかないように見えるわね」


 数日間、有翼族と一緒に行動していて、幾つかわかったことがある。

 今ミストラルと会話したように、有翼族は地上を歩くのが苦手、というか足腰があまり強くないように感じるね。だから、険しくもない山道で何度も休憩を入れなきゃいけないほど、苦労している。

 それと、と能力的な部分もわかり始めてきた。


 有翼族は、僕たち人族のように種族を見極める能力を持っていない。それだけではないと、ここ数日で気付いた。

 力や俊敏しゅんびんさといった身体能力も、僕たち人族とあまり差はないんじゃないかな?


 術だって、魔法や神術や竜術に比べてとても地味で、ある意味では呪術くらいの効果しか出せない。

 なにせ、鳥や虫を使って偵察を飛ばしても、術の範囲はそれほど広くないみたいで、山の向こうまでは見ることができない。

 攻撃術だって、操った鳥たちに標的を襲わせる、というのが関の山で、術で爆発や旋風を巻き起こすことさえできない。

 道中、魔物に遭遇した際に目にした剣技や身のこなしも、人族と比べても特筆するような部分はなかった。


 それでも有翼族が人族を一方的に奴隷として扱ったりするのは、やはり背中の翼の存在が大きいんだろうね。

 翼を使って、地上からでは手の出せない高さから一方的に攻撃できる、というのは強みだよね。

 だけど、その「強み」を、今はレヴァリアによって封じられてしまっている。

 山道を苦労しながら歩く人々を観察していて、僕たちは有翼族の特性を理解し始めていた。


「身体能力的には人族と同じだけど、生活圏は魔族と神族という脅威の間にある。だから、奴隷売買を積極的に行って、自分たちの存在意義を他の種族に示さなきゃ生き残れないんだろうね」

「奴隷にされる側としては、たまったものではありませんが。それでも、有翼族の人たちがこの地で生きるためには必要なのですね」


 ルイセイネやマドリーヌ様は、巫女として僕たち以上に複雑な思いを持っているようだった。

 女神様に仕える者として、不幸に見舞われた者を救いたいと願う。だけど、奴隷になった人々に手を差し伸べたら、今度は有翼族が魔族や神族の犠牲になってしまう。

 何かを救おうとしたら、何かを犠牲にしてしまう。という現実をたりにし、深く苦悩しているようだった。


 聖職者が政治や習慣に干渉しない、という決まり事をかたくなに守るのは、こうした苦悩を巫女様や神官様に背負わせないためなのかもしれないね。


「さあ、悩んでいても仕方がないわ。それよりも、今後のわたしたち自身のことについて、気を引き締めておきましょう」


 ミストラルに背中を押されて、足が重くなっていたルイセイネとマドリーヌ様は山道を登る。


 見渡す限りの、山。山。山。

 緑いっぱいの夏の景色が、どこまでも続いている。

 有翼族が住む緩衝地帯は、基本山ばかりなのかな?

 その山の合間に村や町や集落を築き、慎ましく暮らしているのかもしれない。

 そういう部分も、人族に近いね。


 だけど、今から僕たちが向かうヨンドの街は、少し規模が大きいらしい。

 緩衝地帯の北部では最もにぎわっていると、グエンが僕たちに聞こえるように、わざとらしく話していた。

 そして、そのヨンドの街には、帝尊府の本隊が滞在している。

 それと、ヨンドの街はセオールの本拠地らしい。

 セオールは自分の領地に帝尊府を招き入れて、神族の要望に応えているんだね。

 これはもう、中立派とは言えないんじゃないかな?


 セオールがいったい何を考えて神族に手を貸しているのかはわからない。

 おそらく、スラスタールも理解に苦しんでいるんじゃないかな?


 スラスタールは、僕たちから見てもかなり優秀な人物に見えた。

 いつも冷静沈着に周囲や自分の状況を分析し、最良の手を選ぶ。

 僕たちと遭遇した際も、ミストラルやニーミアの種族こそ見破ることはできなかったけど、こちらの服装や立ち振る舞いだけで、奴隷狩りの対象から外す采配を見せた。

 こういう人が有翼族の評議会に入ると、有翼族は発展できるかもしれないけど。と、評議会の議長、つまり有翼族の代表であるセオールを見る。

 そのセオールの方は、保身が先に立つような人物で、大物感は全くないね。


 だとすると、今後はスラスタールと関係を築いていた方が物事は上手く進むのかな?

 でも、スラスタールは評議員候補なんだよね。

 ある程度の地位に就いているのは確かだけど、国を動かせるほどの権力は持っていそうにない。そう考えると、やはり発言力と権力を併せ持つ評議長のセオールを説得した方が良いのかな?

 いやいや。セオールは中立派の立場を破って神族に便宜べんぎを図っているくらいだから、信用ならないよね。


 グエンという神族の曲者。それに、スラスタールとセオールという有翼族の有力者。誰を味方につけて、どう動くかによって、今後に大きく影響が出そうだ。

 ミストラルの言葉ではないけど、気を引きしてめ立ち向かわないと、逆に僕たちが利用されるだけで事態が好転しないことも考えられるね。


 クシャリラに囚われているルイララやトリス君を助け出すためには、どうしても帝尊府や神族を緩衝地帯から追い出さなきゃいけない。

 そのためにどう行動すれば良いのか、と思案する僕たちの前に新たな障害が立ちはだかったのは、ヨンドの街へ到着したときのことだった。


「グエン、ご苦労だった」


 そう言ってグエンや有翼族の人たち、それに僕たちを迎えたのは、見上げるほどの偉丈夫いじょうぶだった。


「エスニード将軍、ただいま戻りました」


 軍式の敬礼けいれいを取るグエンに、僕たちは内心であせりを持つ。


 この人は……。まさか、帝国の神将しんしょうなのかな!?


 広い肩幅。分厚い胸板。腕も脚も筋骨隆々で、いかにも歴戦の戦士と思わせる肉体を誇る。

 周りの小柄な有翼族の人たちが、まるで小さな子供のように見えてしまうほどに。

 堀の深い顔でグエンを見下ろしたエスニードは、次に、街まで避難してきた有翼族の人々や僕たちを見下ろす。そして、ミストラルで視線を止めた。


「グエン、説明をしろ。この竜人族の娘は?」

「はい、それがでございますね」


 辺境の村で起きた飛竜の騒動と、スラスタールが連れてきた僕たちのことを、グエンがつまんで話す。それを、眉ひとつ動かさずに聞いたエスニード。


「ふんっ。飛竜か。天族の配下がいれば、討伐に向かうのもやぶさかではなかったが。まあ、良い。グエン、よくやった。武神様が退位された後、食いっぱぐれていた貴様を拾ってやった恩を忘れずに、今後も我ら帝尊府のためにはげめ」

「全ては、帝の威光のために!」


 グエンが声高に返事をすると、エスニードの周りに集まっていた翼を持たない者たちも一斉に「帝の威光のために!」と復唱し始めた。

 僕たちは、帝尊府の異様な高揚こうように不気味さを感じてしまう。


 この人たちは、間違いなく帝尊府なんだ。

 しかも、思想を共有する者たち、という枠を大きく外れ、帝国の帝を異常に崇拝すうはいする集団と化している。

 そして、狂った帝尊府を纏めあげているのが、このエスニード将軍と呼ばれる偉丈夫だ。


 でも、なんでこんな人が緩衝地帯に!?


 エスニードが放つ存在感と威圧感は、まさに「将軍」と呼ばれるだけの迫力がある。

 腕も立ちそうで、腰に下げた肉厚の長剣は威力の高い神剣のように見える。

 しかも、グエンが武神ウェンダーさんに仕えていた過去を知っていた。

 もちろん、ウェンダーさんの下を離れた後のグエンの経歴は嘘で塗り固められたものだろうけど。それでも、武神の元配下を自分の部下として重用ちょうようできるような人物は、本物の神将や同じ武神くらいしかいないよね。


 ということは、やはりエスニードは本物の神将ってことになるのかな?

 だけど、やっぱり違和感がある。

 神将であれば、ベリサリア帝国で軍を率いて活動しているはずだよね。なのに、本国から遠く離れた土地で、帝尊府の頭目とうもくとして活動しているなんて、変じゃないかな?


 何か、事情があるのだろうか。

 それとも、帝を崇拝するあまり、暴走してしまっているとか!?


 そうだ!

 グエンが動いている理由は、このエスニードなんじゃないかな?

 グエンは、誰を狙っているかは会えばすぐにわかる、と言っていた。

 なるほど。確かに、すぐにわかったよ!


「小僧」


 気付くと、エスニードはミストラルに向けていた視線を、僕に向けていた。


「名は?」

「ええっと。エルネアと申します、将軍閣下」


 相手は神族なんだし丁寧な対応を、と気を使った僕だったけど、エスニードは相変わらず眉ひとつ動かさずに僕を見下ろす。

 ただし、右手だけは腰の剣に伸ばされていた。


「エルネアか。貴様、人族ではあるが、相当に腕が立つだろう?」

「えっ!?」


 エスニードは感情を見せない表情のまま肉厚の長剣を抜き放つと、僕に剣先を突き付けた。

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