国の旗

「俺の誘いを断った貴様が何用でこの場に現れたのかと思えば、今更にそのような事を言うのか?」


 白銀色の長い髪。陶器のような白い肌。

 どこまでも燃え上がる豪炎の地獄にたたずむカディスは、自ら炎をまとう。それでも自身の存在を誇示するかのように、白い姿を炎に中に浮かび上がらせている。

 そして、魔族らしい思考で僕の願いを退けた。


「この程度の騒ぎで逃げ遅れ、命を落とすような軟弱な民草たみくさなど、俺の築く国には必要ない。くはははっ。笑わせる! 深緑の魔王たるヨグアデスが無能だったばかりに国民も軟弱ぜいじゃくとなり、魔族としての矜持きょうじも失って、この程度の騒ぎに浮き足立つとはな!」


 カディスが、容赦なく炎の魔剣を振るう。

 豪炎の地獄が範囲を広げ、地中や頭上から迫る大樹の根や枝を一瞬で焼き払う。

 さらに、逃げ遅れた人々を呑み込もうと蠢く炎。


「させません!!」


 メジーナさんが素早く反応した。

 祝詞のりとを奏上し、結界法術を展開する。

 燃え上がる魔都で逃げ遅れていた人々が、メジーナさんの結界に包まれて危機を脱する。

 だけど、それも一瞬のこと。

 人族の繰り出した法術が、大魔族の魔法を完全に防ぐことなんてできない!


 陶器が砕けるような乾いた音が、真っ赤に燃える炎のとどろきの奥で微かに響いた。


「あっ!」


 絶句するメジーナさん。

 助け求める者を、救えなかった。その絶望に、メジーナさんが息を呑む。


 でも、大丈夫だよ!

 メジーナさんが作ってくれた一瞬の猶予は、僕たちにとって十分な時間だった。


「にゃあっ」


 豪炎の奥から、可愛らしい鳴き声が響く。

 すると、視界を覆い尽くすような炎は瞬く間に白い灰に変わり、その奥から巨大なニーミアの姿が現れた。

 そして、ニーミアが佇む真下には、救われた人々も見て取れた。


「ええいっ、急に地上に降りたと思ったら、なんで私がこんな危険な場所に来なきゃいけないんだっ」


 ニーミアの背中の上から、罵声が降ってくる。

 どうやら、アステルが不平不満を容赦なく口にしているらしい。


「ニーミア、その人たちを安全な場所にお願いね?」

「任せるにゃん!」


 逃げ遅れた人々を、ニーミアが前足で纏めて捕まえる。

 炎に蹂躙じゅうりんされずに助かった人々が、今度は巨大な竜の姿とさらわれる恐怖に悲鳴をあげる。

 それでもニーミアは躊躇わずに人々を掴むと、翼を羽ばたかせて低空で戦場を去っていった。


 事の一部始終を炎の瞳で見ていたカディスが、僕たちに視線を向ける。


「猫公爵。目障めざわりな始祖族め。太公、貴様は俺の誘いを断っておいて、混乱を助長させるだけの有害な猫公爵と共に、俺の邪魔をするつもりか?」


 カディスに睨まれて、僕は苦笑してしまう。

 確かに、アステルは場を混乱させて楽しむような性格だけど、僕はこの騒乱にそんな面倒な事態は望んでいない。

 僕が望むのは、カディスの反乱に関係のない人たちを巻き込まないでほしいという願いだけだ。

 僕がそう口にすると、カディスは僅かに視線を動かした。

 そして、僕の背後に立つもうひとりの始祖族に焦点を合わせた。


「確かにあの時、俺の炎で焼いたはずだがな?」

「ふふ。ふふふふ」


 カディスに睨まれたもうひとりの始祖族。すなわち、傀儡の王が、楽しそうに微笑む。


「愉快な人形劇を堪能たんのうされたようで、良かったでございますね? ふふふ」


 挑発するように微笑む傀儡の王に向かって、カディスの殺気が膨らんでいく。

 どうやら、何も言わなくても、カディスは理解したらしい。

 傀儡のお城で自分が葬った者が、偽物の人形だったのだと。


「太公エルネア・イース。俺に余計な犠牲を出すなと言ったな? であれば、貴様がそこの小娘をこの場で殺せ! でなければ、俺は魔都が消失してでも傀儡公爵を討つぞ?」

「んなっ!?」


 カディスの纏う炎が、より一層に火勢を増していく。

 今はまだ僕たちを呑み込むことなく周囲で蠢いているだけの炎だけど、カディスがその気になった瞬間に、全周囲から襲いかかってくるだろうね。

 そして、カディスの炎は容赦なく全てを燃やし、狙った相手を焼き尽くすまでは消えない。

 大切な国民を焼き、魔都を消失させてでも。


「ふふ。ふふふふ」


 だけど、カディスの容赦ない言葉に僕が反論するよりも前に、傀儡の王が言葉を返す。


「この程度の炎で、私をお焼きになると? 陶器人形を造るのには最適な温度でございますね?」

「エリンちゃん、カディスを挑発しちゃ駄目だよ!?」


 僕たちの目的は、カディスの反乱に人々を巻き込まないように交渉することだ。

 深緑の魔王と反乱軍がどう戦おうと、部外者の僕たちには干渉する資格はない。だけど、そこに住民や関係のない者たちが巻き込まれるようなら、その者たちを救う介入はさせてもらう。

 その過程として仕方なくカディスと相対する必要があるのなら、僕は剣を握ろう。

 だけど、今はまだそういう状況ではない。


 カディスの言動は苛烈だけど、僕にきちんと向き合ってくれている。

 カディスは、自分の力を誇示するだけの傍若無人ぼうじゃくぶじんな魔族ではない。

 弱肉強食の先に、魔族を支配し魔王になろうと野望を抱く者だ。

 だから、自分から相手に対して交渉を持ちかけることもあるし、こちらの言葉にも耳を傾けようとしてくれる。

 結果がどういうものになるのかは不明だけどね。


 それでも、問答無用で僕たちを排除せずに、言葉を交わそうとしているカディスを、ここで挑発するのは間違っている。

 だけど、傀儡の王はそんな僕の意見やカディスの膨らませる殺気にも遠慮せずに、微笑みながら言う。


「私を小娘と? ふふふ。カディスの方が随分とお若いはずでしょう? 深緑の魔王のことを何ひとつ理解していない程に。ふう、これだから最近の若造は困ります」


 ほほに手を当てて、わざとらしくため息を吐く傀儡の王。


 傀儡の王は、少女のような外見をしている。

 一方のカディスは、成人男性の、立派な躯体くたいだ。

 一見すると大人の姿であるカディスの方が年上のようにも思えるけど。

 でも、違うんだよね。

 傀儡の王は、カディスが生まれる以前の時代に、深緑の魔王との間で騒動を起こしている。

 始祖族は、生まれた時から成人の姿であったり少女の姿であったりと、一生を通して加齢や老いによる容姿の変化は現れない。

 だから、たとえ少女の姿であったとしても、カディスよりも傀儡の王の方が年上なんだ。


 そして、傀儡の王は知っているんだよね。

 そう。深緑の魔王が全盛の力を保持していた姿を。

 カディスも、傀儡の王の言葉に眉尻を僅かに動かす。


「俺が、脆弱なヨグアデスのことを理解していないだと?」

「ふふ。そうでございましょう? こうして炎遊びをしている時点で、貴方は何も知らないし、理解していないのでございます」


 炎遊び、と揶揄やゆされて、カディスの殺気がさらに増大する。

 石造りの建物が豪炎の熱で溶け、空が真っ赤に染まる。

 それでも、傀儡の王は余裕の笑みで続ける。


「魔族の平均寿命は五百年前後とは言いますが。それでも、もうあの時代のことを知る者は、この国には殆どいらっしゃらないのですね。寂しい限りでございます」

「エリンちゃん、どういうこと?」


 傀儡の王の正確な年齢は、僕にもわからない。

 それでも、傀儡の王が魔族の平均寿命よりも長く生きていることは確かなようだ。

 そして、傀儡の王は僕たちやカディスが知らない時代の深緑の魔王のことをよく知っているんだね。

 では、傀儡の王は深緑の魔王の何を知っていて、カディスは何を理解していないと言うのだろう?

 僕の疑問に、傀儡の王は楽しそうに微笑む。


「ふふ。ふふふ。エルネア様、それでは問題でございます。こちらへおもむくまでに、この国の国旗をご覧になりましたか?」

「うん、見たよ?」


 傀儡のお城を包囲するように布陣していた魔族軍が掲げていたり、魔都の中でも目にしていた。


「月と剣と大樹が描かれた、国旗だよね」


 僕がそう答えると、傀儡の王は「それでは」と更に問い掛けてきた。


「月は何を表し、剣は何を象徴し、大樹は何を示しているのでございましょうね?」

「ええっと、それは……?」


 国旗にえがかれるくらいだ。絶対に意味があるはずだよね。

 だけど、この国の住民でも、ましてや魔族でもない僕たちにはわからない。

 大樹が、深緑の魔王の魔法を表しているのでは、ということくらいは読めるんだけどね?

 首を傾げる僕やライラを見て、傀儡の王はカディスを見た。


「ふふふ。この国の新たな魔王として君臨しようとしている貴方は、理解されていますか? ふふ。いいえ、理解していらっしゃらないでしょうね。だから、こうして幼稚な炎遊びを楽しんでえつひたっているのでございますから」


 傀儡の王の口を慌てて塞ぐ僕。

 これ以上は、カディスを挑発しちゃ駄目だよっ!

 カディスは、老衰していたという深緑の魔王だけでなく、傀儡の王をも見下している。

 その見下している相手に馬鹿にされたような言葉を投げられたら、それこそ魔族らしく激怒して暴れ始めるかもしれない!


 だけど、僕の予想に反して、殺気や怒気を膨らませながらも、カディスは傀儡の王の言葉に耳を傾けていた。


「この俺が、国旗の意味を知らないと? 理解が及んでいないのは貴様の方だ、傀儡公爵!」

「ふふふふ。では、理解が及んでいない私にひとつお教えくださいませ。大樹は、何を示しているのでございましょうね?」


 言って傀儡の王は、視界の先、魔王城を呑み込むような巨大な大樹へと視線を向けた。

 釣られて、僕たちも見上げる。


 近づいて、ようやく詳細が見えた。

 アステルが言った。僕たちの知っている「大樹」とは違うと。

 僕たちの知っている「大樹」とは、霊樹のことだ。

 雲を突き破るほど高く幹を伸ばし、森を覆い尽くすほど広く枝を広げる霊樹。

 でも、炎の先に見える超巨大な大樹には、霊樹のような神聖さや神秘さは感じない。

 それでも、太い根が魔王城に複雑に絡まり、太い幹と魔都の上空に広げられた枝をしっかりと支えている。

 その幹は、特殊だった。近くで見ると、よくわかる。何本もの巨樹がたばになり、ねじからまって、ひとつの超巨大な大樹を形成している。

 つまり、あの超巨大な大樹は、何本もの巨樹が束になった複合的な存在なんだね。


 その超巨大な大樹は、まさに国旗に描かれている「大樹」に見える。

 カディスも、僕と同じ認識のようだ。

 見上げた大樹を憎々しそうに睨むカディス。

 でも、僕やカディスの視線は、傀儡の王から見れば不正解だったらしい。


「ふふ。ふふふ。それでは、新たな人形劇の始まりでございます」

「えっ!?」


 何を言い出すのかな!? と、慌てて静止させようとする僕の手を掻い潜り、傀儡の王は側近の人形に抱きついた。


「さあさあ、私を楽しませてくださいませね? 新章、深緑の魔王の真意はいかに? でございますよ。ふふふふ」


 一瞬で、側近の人形の背中に翼が生える。そして、傀儡の王を抱いて空に舞い上がった。


「私を捕らえられたら幕引きでございますよ? エルネア様かカディス、どちらが先に主演の座を手に入れるのか、誰がこの国の未来を担うのか。ふふふ、楽しみでございますね?」

「笑止!!」


 カディスの怒りが爆発した!

 灼熱色に輝く魔剣を、空に向かって振るう。

 豪炎が容赦なく放たれ、頭上の大樹の枝が燃え上がる。

 だけど、翼を羽ばたかせる人形は傀儡の王を抱いたまま素早く空を逃げた。そして、魔王城の方角へと飛んでいく。


「な、なんて迷惑なんだろうね!」


 僕も、愕然がくぜんとしてしまう。

 およんで、自分勝手な人形劇を繰り広げようだなんてね!


 だけど、気にもなってしまう。

 傀儡の王は、何を知っているのか。

 カディスが理解できていない事とは何なのか。

 もしかすると、この騒乱の鍵は傀儡の王が持っているのかもしれない。


「はわわっ、エルネア様!」


 僕やカディスが魔王城の方へ視線を向ける中。

 魔都には、新たな異変が起き始めていた。

 ライラにうながされて、僕は周囲へ視線を向ける。

 そして、息を呑んだ。


 カディスに似た容貌の、それでいて老けた容姿の人影が、いつの間にか僕たちの周囲に何人も出現していた。


「ヨグアデス」


 カディスの言葉に、僕はすぐさま理解する。


「どうやら、エリンちゃんは置き土産を残していったようだね」


 深緑の魔王ヨグアデスを模した人形が、剣を片手に僕たちへと襲いかかってきた!

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