おかえりなさい、王子様。

「それじゃあ、気をつけて行ってらっしゃい」


 ミストラルと村の人たちに見送られて、僕たちはニーミアの背中に乗って飛び立った。


 目的地はもちろん、フィレル王子のいる飛竜の巣。

 彼を連れて、はくと呼ばれる翼竜のユグラ様に会いに行く予定なんだけど。でもその前に、まずはユグラ様をお世話しているというカルネラ様の部族にお伺いを立てないといけないらしい。

 なので、その役割はミストラルが請け負ってくれて、僕たちは先ににフィレル王子を迎えに行く手はずになっていた。


 山脈にかかるきりなのかくもなのか判別しない真っ白なもやを抜け、竜峰の上空へと舞い上がるニーミア。


 ニーミアの飛翔能力には、毎回のように感動させられるね。

 暴君の荒々しい飛び方も迫力があって良いんだけど、やっぱりニーミアは格別。滑らに流れていく景色。数度羽ばたくだけで山をひとつ飛び越える。飛竜など足もとにも及ばない飛行速度なのに、背中に乗る僕たちはそよ風程度しか感じない。

 少ない羽ばたきで飛べるのも、風をさえぎっている力も、他の追随ついずいを許さない飛行速度も、全てはニーミアの竜術らしい。

 僕も、そしてミストラルでさえも、ニーミアの潜在的な竜力には遠く及ばない。


 普段は子猫のように小さくて可愛いのに、本当は計り知れない存在なんだね。


「にゃんは大きくても可愛いにゃん」

「かわいいかわいい」


 高所なんて精霊にとっては怖くもなんともないのか、アレスちゃんがニーミアの頭まで移動して撫でてあげる。

 プリシアちゃんも真似をして行こうとしたので、先頭で空の景色を満悦していたライラが慌てて捕まえた。


 ライラは空の上が大好きだ。いつもニーミアの背中に嬉しそうに乗って、苔の広場から鶏竜の巣まで、支配能力の修行へと向かう。


 ライラもフィレル王子と同じように、竜騎士になりたいのかな。と思って昨夜の談笑中に質問してみた。

 すると、今はもう竜騎士には興味がないらしい。竜に乗り、ただ空を飛ぶだけで満足なんだとか。


 今では、ニーミアの背中に乗る順番は、ライラが必ず先頭だった。

 たまにプリシアちゃんが前に行きたがる時は、ライラが抱きかかえることになる。今みたいにね。


 空の景色を堪能していると、騒ぐ暇もなく飛竜の巣が前方に見え始めた。

 ニーミアなら、もしかしてヨルテニトス王国にも簡単にたどり着くんじゃないだろうか、と思えてしまう速さだね。


「一日で行けるにゃん」


 ……聞かなかったことにしよう。僕は何も聞いていません。


 ニーミアの接近に気付いたのか、飛竜の巣から数体の飛竜が飛び立つのが見えた。

 だけど雲の遥か上のニーミアには届かず、低い位置を旋回しながら僕たちの様子を伺っている感じ。


 まさか、フィレル王子が飛竜の背中に乗っていたりしないよね、と注意深く見てみたけど、さすがに騎乗はしていなかった。

 見れば、フィレル王子は竜の巣で元気よく大きく手を振り、僕たちを出迎えていた。


 ニーミアは飛竜たちを刺激しないようにゆっくりと降下していき、柔らかく飛竜の巣に着地する。

 そしてすぐさま小さくなると、プリシアちゃんの頭の上へと移動した。


「みんな、こんにちは!」


 元気よく挨拶をしてきたフィレル王子に、僕たちは目を見開く。

 フィレル王子は、見るも無惨に汚れきっていた。頭の天辺から靴のつま先まで、泥やほこりで汚れている。

 そこには王子としての気品さはなく、野性味溢れるひとりの少年の気配があった。


 なにがあった!?


 たった数日でのフィレル王子の変貌へんぼうに、誰もが驚愕きょうがくしていた。


 別れる前のフィレル王子は、良くも悪くも「王子様」だった。

 大きな夢を語り、僕たちに高揚感こうようかんを与える姿は、まさに王族。人々を先導する立場の人だな、と思えた。

 だけど、身分をかさに威張るようなことはせず、僕たちに対しても低姿勢で話したり行動したりしてくれる。と思うけど、じつは、そこにはやっぱり貴族社会の中で生まれ育った弊害があって。平民である僕たちなどには軽く上から目線だったりする場面がしばしば見受けられた。それどころか、同じ王族である双子王女様は年上なのに、少しだけ見下している雰囲気もちらほらと……もしかして、女性蔑視的な潜在意識でもあるのだろうか。

 僕たちも双子王女様も、そういうことは全く気にしないから良いんだけど、これはグレイヴ王子なんかが周りにいる悪影響なのかな。

 フィレル王子には全く悪意がなく、無意識なんだろうけど。そうした、ちょっと世間離れしている部分が、やっぱり王子様だなぁ、と思えた。


 そんなフィレル王子がたった数日で垢抜け、最初の頃の頼りなさそうな雰囲気が一変していることに、僕たちは驚いたんだ。


「見違えたわ」

「なにが起きたのかしら」


 双子王女様がフィレル王子の汚れを払ってあげる。ライラも慌てて双子王女様に続き、ルイセイネが浄化の法術を唱える。

 何があったのか聞く暇もなく、フィレル王子は女性陣に取り囲まれた。


 あれ?

 ルイセイネたちに取り囲まれているフィレル王子を見て、僕の心にもやもやとした嫉妬心が湧き上がる。

 独占欲なんて持っていないと思っていたけど、自分に好意を寄せてくれているだろう女性が他の男性を取り囲んでいる様子に、少し胸が苦しくなる。


 これでミストラルまであの輪の中にいたら、もしかして僕は気が狂うんじゃないだろうか。


 思いもしなかった自分の心の一面を知って、ちょっと動揺する。


「仕方ないから、にゃんが側に居てあげるにゃん」


 ニーミアが僕の頭の上へと飛んでくる。


「んんっと、よくわからないけど居てあげるね?」

「しかたないしかたない」


 プリシアちゃんとアレスちゃんが抱きついてくる。


 うん、今はこれだけで大満足です。

 顔を綻ばせた僕がプリシアちゃんとアレスちゃんの頭を撫でていると、頭上でニーミアが変態にゃん、と小さく呟いた。


 そして少し待つと、ちょっとだけ小綺麗になったフィレル王子が恥ずかしそうに女性陣にお礼を言いつつ、僕の側に寄ってきた。


「まずは、お礼を言わせてください」


 そうして、フィレル王子は僕に頭を下げた。


「僕なんかのために色々と協力していただき、ありがとうございます。そしてこの飛竜たちと会わせていただき、共に過ごす時間を作ってくれたことに感謝します」

「いえ。僕たちは出来る事をしただけですから。それよりも、何か立派になりましたね」


 まだちょっと汚れているとか、見た目の部分ではなくて。なんだか、フィレル王子の心が一回り大きくなったような気配がする。

 飛竜との生活で多くのことを学んだんだろうね。そしてそれをかてに、大きく成長できたに違いない。


 僕も見習わなきゃね。


 顔を上げたフィレル王子と握手を交わす。

 フィレル王子の手は、高い身分で苦労の知らない細く弱々しい手ではなく、硬い皮膚でごわごわとしていた。

 よく見れば、手だけでなく露出している肌の至る所に擦り傷や細かい怪我をしていた。


 本当にたくさん努力したんだ。

 出会った当初に感じた雰囲気とは違う頼もしさを、今のフィレル王子からは感じる。

 これなら。今のフィレル王子になら、進んでユグラ様のところにまで案内できそう。


「殿下、じつは今日ここへと来た理由なんですが」

「エルネア、ぜひ僕を伯に会わせてほしい!」

「えっ!?」


 思いがけない言葉に、僕たちは驚いた。


「飛竜から聞いたんです。ずっと昔。初代のヨルテニトス王が騎乗していた翼竜が、現在もこの竜峰で生きていると。生きているのなら、僕は是非お会いしてみたいんです!」


 なるほど。フィレル王子は飛竜から、ユグラ様のことをすでに聞いていたんだね。

 それなら、話は早い。


「はい。じつは僕たちも、殿下に伯を紹介しようと思ってここへと来たんです」

「うわぁっ、そうなんですね!」


 嬉しそうに僕の手を取り、喜ぶフィレル王子。

 彼にとって、ユグラ様は僕たちが思っている以上に重要な竜なのかもしれない。

 なにせ、建国王が騎乗していた伝説の翼竜だからね。


「それじゃあ、早速行きましょう!」


 やる気満々のフィレル王子に、僕たちは苦笑しあった。

 精神的に大きく成長はしても、若干自己中心的な王族然とした考え方はまだまだみたいだね。


「殿下、まずはお世話になった飛竜の方々にお礼を言わなくてはいけませんわ」

「ああ、そうでした」


 フィレル王子は慌てて飛竜のもとへ。

 飛竜は静かに僕たちを見守っていた。


「多くのことを学ばせていただきました。この恩は一生忘れません。また機会があれば、一緒に肉を食べましょう!」

『ふははっ。貴様と過ごしたこの数日間は、意外にも楽しめた。貴様のこれからの活躍を楽しみにしている。貴様の望みが叶うと良いな。それと、もっと肉を食え、肉を! 』

「はい、肉万歳!」


 いったい何があったんですか……

 肉肉連呼する飛竜とのフィレル王子に、僕たちは顔を見合わせて困惑してしまう。


「あのう。飛竜のみなさん、今回は急なお願いだったにも関わらず、本当にありがとうございました。あ、ついでに竜峰同盟りゅうほうどうめいに入っていただけると嬉しいです!」


 僕もお礼を言いつつ、勧誘する。


『汝にも感謝している。良い出会いを空の風に乗せて運んできてくれた。汝の目的にも進んで協力させていただこう』

「ありがとうごさいます」


 僕たちは、それぞれ飛竜にお礼を言うと、再び巨大化したニーミアの背中へと移る。


「一度村に戻るにゃん」

「そうだね。ミストラルの帰りを待たなきゃね」


 今更だけど、ユグラ様とお世話をするカルネラ様の一族が、竜峰のどこに住んでいるかを聞いていなかったね。

 もしかして、往復に日数がかかったりするのかな?

 先のことばかり考えていて、目先の情報を得ることをないがしろにしてしまっていたよ。


 反省です。


「帰ったら村の人に聞けばいいにゃん」

「うん、そうだね」

「あのう……」


 僕とニーミアが会話をしていたら、ルイセイネが申し訳なさそうに声をかけてきた。


「ん?」

「ミストさんもよく言ってますが、ふたりだけでわかるような会話をしないでください」

「ああ、そうだった。ごめんね」


 ニーミアは人の心を読む。僕はそれに慣れすぎていて、ニーミアやスレイグスタ老と会話をするときには、こちらの伝えたいことは思考で飛ばしたりと、心を読まれていることを前提で、つい会話をしちゃうんだよね。


「空で飛竜とのニーミアちゃんと、どんな会話をしていたか教えてくださいね」

「はい」


 僕とルイセイネのやりとりが終わるのを待って、ニーミアがゆっくりと空へ舞い上がる。

 飛竜も飛び立ち、ニーミアが雲の上に昇るまで見送ってくれた。


 空の旅は、来る時と同様にあっという間だった。


 フィル王子は飛竜の巣での数日間を、ライラに嬉しそうに報告していた。ライラも楽しそうに話しを聞いている姿を見て、ああ、二人がこうして出逢えて良かったな、とみんなで微笑みあう。


 そして村に近づいた頃。


 雲の下に、見慣れた紅蓮色の飛竜を見かけた。真っ先に気付いたのはニーミアで、高度を下げて飛竜に近づいていく。

 飛竜は、雲のはるか上から降下してきた巨大なニーミアに、威嚇いかくを込めて吠える。

 荒々しい咆哮が空に響き渡り、楽しそうに会話をしていたフィレル王子が、紅蓮の飛竜、つまり暴君に気づいて慌てだす。


「た、大変です。とても恐ろしい飛竜が近くにいます!」


 ライラに抱きつき、震えるフィレル王子。


 フィレル王子も、飛竜の狩場で暴れ回った暴君を、心の底から恐れている様子だね。大丈夫ですわ、となだめるライラの言葉にも効果はなく、怯え震える。


 何度となく見た光景。フィレル王子だけでなく、人だけでなく、竜峰に住む者は誰もが暴君を見て、最初に同じような恐怖を感じる。


 でも、それは過去の話。

 もう暴君は改心したんだよ。


 フィレル王子は、鶏竜の巣での騒動の際は、双子王女様に早々に気絶をさせられていた。なので、飛竜の狩場以外でこうして暴君に出会うのは初めてなんだね。

 飛竜の巣で数日を過ごし、竜族に少しは慣れただろうけど、さすがに暴君は怖いのか。

 まあ、仕方がない。


 ニーミアは、背中で怯えるフィレル王子にはお構いなく、どんどんと暴君に近づいていく。

 がああぁぁっ、と暴君が叫び、口から威嚇の炎を吐き出す。そして近場の山岳の表面を黒く焦がした。


「んにゃん」


 それに合わせて、ニーミアが可愛く鳴く。

 暴君が黒く焦がした山肌の数倍の範囲が、一瞬で真っ白な灰に変わった。


 ねえ、それって君たちなりの挨拶なの?

 見たことのあるやりとりの風景に、僕は苦笑する。


 だけど、初めて見た他のみんなは、暴君の炎とそれを遥かに凌駕するニーミアの術に驚愕していた。

 ただし、今のやり取りで暴君よりもニーミアの方が強いことをなんとなく理解したフィレル王子が、ようやく落ち着きを取り戻しだす。

 ライラはフィレル王子の背中を優しくさすってあげていた。


「それで、なんで君がこんなところを飛んでいるのさ?」


 近づいた暴君に、気軽に話しかける僕。これにはさすがに、フィレル王子は顔を引きつらせていた。

 大丈夫だ、と安心はしても、まさか知り合いだとは思わなかったのかな。


『ふふん。我は竜姫に呼ばれたのだ』


 ミストラルに? なんでだろう、と思いつつ、僕たちと暴君は揃ってミストラルの村に向かった。

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