裏切りの魔将軍

 ミストラルが片手棍を振り下ろす。

 魔将軍は両手鎌で受ける。だけどミストラルの膂力りょりょくが上回り、両手鎌を跳ね返した。

 ミストラルはかさず魔将軍の腹部に片手棍を叩き込む。

 青白い尾を引き、片手棍の先端が魔将軍の横腹に食い込んだ。


「ぐふっ」


 魔将軍は攻撃を受けながらも、もう一度両手鎌を横薙ぎに振るう。

 ミストラルは背中の翼を羽ばたかせ、空中でくるりと一回転をして回避する。


 人竜化したミストラルは、その超常的な攻撃力で、満身創痍まんしんそういの魔将軍を追い詰めようとしていた。


「くはっ……くははは……」


 だけど魔将軍は、ミストラルの猛攻を受けながら不気味に笑う。

 そして、左半分になり三つしか残っていない複眼を不気味に光らせた直後。魔将軍の周囲に数え切れないほどの黒球が現れた。

 黒球の全てがミストラル目がけて放たれる。

 ミストラルは再び翼を羽ばたかせると、空に上昇して回避する。それでも回避できない黒球は、片手棍でことごとく叩き落としていった。


 今一歩というところで間合いを広げられたミストラル。

 魔将軍は起死回生の機会とばかりに、無数の黒球をミストラルに放ち続ける。


 魔将軍の意識は、完全にミストラルへと向いていた。


 今だ!


 僕は魔族兵に囲まれた状態から空間跳躍を使い、一気に魔将軍の死角へと入り込む。

 白剣に竜気を乗せ、魔将軍を両断すべく全力で斬りつける。

 白い残像を残しながら、白剣は横薙ぎに魔将軍の腹部へと滑り込んだ!


 ライラの参戦で若干余裕のできていた僕は、ミストラルと魔将軍の戦いの様子を伺っていた。


「……っ!」


 だけど。

 渾身の一撃だった白剣の一閃は、極薄く魔将軍の腹部に食い込んだだけで止まってしまっていた。


「くくく……ははは……」


 なおもミストラルに黒球を飛ばしながら、魔将軍の意識が僕へと向く。


「弱い。防ぐまでもない……くははっ」


 そんな……!


 岩や鉄。魔族兵の持つ武具さえも容易く斬り裂く白剣の斬れ味が、魔将軍には全く通用しない。

 最初の一撃は、魔将軍の黒の法衣に阻まれたのだと思っていた。なのに、痩せ細った肌をむき出しにした状態の腹部でさえ、斬れないなんて……


「エルネア様、危ないですわ!」


 一瞬呆然としてしまった僕を、魔将軍の両手鎌が襲う。

 目の前に迫る、両手鎌。回避行動に移るよりも速く、僕は腕を取られて後ろに吹き飛ぶ。

 ライラが咄嗟に僕の腕を掴み、後方へと回避していなかったら、危なかった!


 危機一髪。

 僕はライラに助けられ、ルイセイネたちのいる後方まで後退した。


「くははは。人族ごときがこの魔将軍ダンタール様に楯突いたことを後悔するがいい!」


 ぞわり、と背中を悪寒が走り抜ける。


 魔将軍ダンタールは、上空のミストラルに向かって牽制の黒球を飛ばし続けながら、死の悪魔が持つような両手鎌を高く頭上にかかげた。


 空気が低音に振動するなか、高く掲げた両手鎌の上に、赤黒い人の眼のようなものが出現する。

 巨大な赤黒い瞳はゆっくりと開いていき、僕たちを不気味に見下ろした。


 ルイセイネがなにかの法術を唱えていた。だけど、法術が完成して発動した直後。薄い陶器が粉々になるような乾いた音を立てただけで、効果は発揮されなかった。


「うっ……」


 魂を鷲掴みにされたような、意識を失いそうになるほどの恐怖が全身を縛る。


「ああ、く、苦しいわ……」

「ああ、お、恐ろしいわ……」


 背後で双子王女様が顔面蒼白になり、うずくまる。

 僕も意識を失いそうになったけど、懐に忍ばせていたアシェルさんの加護が僕たちを守った。

 懐で強く脈動する霊樹の宝玉。アシェルさんが宝玉に込めた加護の竜術が強く発動し、僕たちを寸前のところで救う。


「くはは……なんぞ妙なものに守られたか。しかし、ひとりだけは呪いに耐えられなかったようだ。くはははっ!」


 そんな! いったい誰が?

 アシェルさんの加護があるとはいえ、精神を蝕む恐怖の呪いに全身の自由が利かない。そんななかで周りのみんなの様子を伺う。


「うう……ううう……」


 ルイセイネも苦しそうにうずくまり、びっしょりと汗を流している。

 アレスさんと、その腕のなかのプリシアちゃんとニーミアは、僕たち以上の加護で守られていて、彼女たちだけは平気そう。


 だけど……


 僕をダンタールの大鎌から救い出してくれたライラだけが、誰よりも苦しそうに痙攣けいれんしていた。


 かしゃん、と硬い何かが砕ける音がした。


 ライラの胸元。

 どんなときも肌身離さず身につけていた守護具しゅごぐが砕け散り、はらはらと細かいくずになって落ちた。


「あああああ……」


 ライラの口から苦悶の吐息が漏れた。


 僕たちは、油断をすれば瞬く間に呑み込まれそうになる呪いに抵抗しながら、なす術なくライラを見る。


 がくがくと、立ったまま全身を激しく痙攣させるライラ。

 恐怖に染まっていた瞳が虚ろになり、唇が震えていた。


 まさか、守護具が呪いに耐えきれずに砕け散るなんて……!


 ライラは竜峰の西での事件で重傷を負い、ルイセイネの回復法術で一命を取り留めたことがある。

 だけど、強い回復法術には副作用がある。

 精神の防壁がもろくなってしまい、他者からの精神攻撃を受けやすくなってしまう。

 だから、高額で貴重な守護具を肌身離さず身につけて、脆くなった精神の防壁を補っていた。


 だけど、それが破られた。

 僕たちはアシェルさんの加護と合わせ、なんとか耐えることができた。

 でも、元々精神の防壁が弱かったライラには耐えきれなかった。


「くははは……さあ、儂の呪いは裏切り。仲間同士で殺しあうがいい!」


 ダンタールの耳障りな笑いが響く。


「エ、エルネア様……」


 虚ろな瞳に涙を溜めるライラ。だけど身体が言うことを聞かないのか、苦しみ蹲る僕に向けて、ライラは両手棍を振り上げる。


「お逃げ……ください……」


 ごく僅かにライラの意識は残っているみたい。だけど、虚ろな瞳は僕を見据え、容赦なく両手棍を振り下ろした!


「……全く。愛おしい人に何てことをするのだ」


 呆然とライラの一撃を見つめることしかできなかった僕。

 迫り来る両手棍の一撃を受け止めたのは、アレスさんだった。


 アレスさんは片手でプリシアちゃんを抱いたまま。もう片手でライラの一撃を受け止めて、深くため息を吐く。


 た、助かった。


 苦しい胸を撫で下ろしたのも束の間。

 この状態がいかに危険なのかを思い出す。


 一撃を止めたとはいえ、暴れ始めたライラを押さえ込むので手一杯になるアレスさん。

 ミストラルはダンタールの黒球を回避するのが手一杯なようで、上空から戻れない。

 でも、黒球を放ち続けるダンタールと、詰め掛けた魔族の軍勢は健在だ。


 このままでは、僕だけじゃなくてみんなの命も絶望的だ!


 危機感で胸が押しつぶされそうな中、魔族を見る。


「なんだ、これ……」


 視線を飛ばした先の異様な光景に、息が止まった。


 両手鎌を頭上に高く掲げたままのダンタール。鎌の上には、未だに不気味な眼が浮いている。

 そして、魔族の軍勢も両手鎌の上の眼に魅了されたように見上げていた。


「儂はにえを欲している。さあ、儂にその全てを差し出せ。魂を。生命を。魔力を!」


 くはははっ、とダンタールが不気味に笑う。

 がくん、と魔族の軍勢が一度だけ痙攣した。

 この場にいた全ての魔族兵が虚ろな瞳で口を半開きにし、廃人のように立っていた。

 その魔族兵たちが、黒い光の柱になって消滅しだす。

 それと同時に、ダンタールの影が黒い光の柱に伸びる。

 ずずず、と何かをすするような気持ち悪い音。

 黒い光の柱が消えると、魔族兵たちは欠片も残さず消滅していた。


「くはは……ははは……」


 喉を鳴らし、笑い続けるダンタール。

 ダンタールの姿を見て、戦慄を覚える。


 満身創痍だったはずのダンタールが再生していく。

 全身の打撲傷が消えた。深く陥没していた左肩が元に戻る。失われていた顔の左半分が再生し、六つの複眼が輝きを増す。

 そして、襤褸になっていた黒の法衣が元の状態へと復元された。


「ああ、あああ……エルネア……様……」

「いかん、エルネアよ。この娘がより一層暴れようとしているぞ。どうにかせよ」


 最初は余裕そうにライラを押さえ込んでいたアレスさん。だけど、今ではプリシアちゃんを降ろし、両手で必死に押さえているのがやっとな状態になっていた。


 プリシアちゃんはニーミアを抱き締めて、不安そうに僕たちを見ている。ニーミアはプリシアちゃんを精一杯守っているようで、歯を食いしばり、瞳を閉じて、にゃあぁと鳴いていた。


 だけど、このままだと危険だ!

 ライラは身体能力向上の竜術が得意なんだ。もしも竜術開放状態で暴れられたら、竜人族の成人男性でも顔負けの力を発揮する。


 どうにかしなきゃ……! 焦る気持ち。

 だけど、回復していくダンタールに合わせ、僕たちにかかる呪いの威力も増大していく。


「エルネア、みんなっ!」


 ミストラルが救援に飛来しようとするけど、黒球の猛攻によって阻まれてしまう。


「ううう……」


 せめて、ライラの動きを封じることができれば。

 アレスさんが自由になれば、次の手に移れる。


 恐怖に支配されていくなか。全身にじっとりと嫌な汗をかきながら、左手の霊樹に渾身の竜気を込める。


「ふむ。今回は特別だ」


 僕が霊樹の術を発動しようとしたとき。

 頭上で戦いを静観していた巨人の魔王が、ゆっくりと僕たちの側に降りてきた。

 直後に、意識を失いそうになるほどの呪いが一瞬にして消え去った。


 魂を鷲掴みにしていた恐怖が突然消え去り、気が抜けて、ふらっと意識が飛びそうになるのを耐える。

 ライラ以外のみんなも呪いから解放されたのか、未だに蹲ってはいるけど、血の気の引いていた顔色が少しずつ良くなり始めていた。


「くははっ……巨人の魔王よ、邪魔立てする気か!」


 ダンタールが忌々しそうに叫ぶ。


「約束が違うだろう。人族を葬った後に、貴様も儂が食ろうてくれる!」

「くくく。馬鹿者め。魔族同士の口約束を信じる方が悪い。気が変わった。この者たちはどうも面白そうだ。貴様にくれてやるのは勿体ない」


 巨人の魔王は、ダンタールを見下したように笑う。


「おのれ……」


 悔しそうに歯ぎしりするダンタール。


 ミストラルに向かって飛ばしていた黒球を幾つか、巨人の魔王と僕たちに向かって放つ。だけど黒球のことごとくは、こちらに到達する前に霧散してしまった。


「くはは……まだ……まだ贄が足らぬ」


 ダンタールはミストラルと巨人の魔王に向かい、更に数を増やした黒球を飛ばし続ける。

 そして、そうしている間も、ダンタールは魔族兵を食らい続けていた。


 黒球でこちらを牽制しつつ、周囲の魔族を喰らって能力上昇を図る気だ。


 ずぶり、と黒の法衣が膨らんだ。

 黒の法衣の袖口が増え、そこから新たな腕が四本生えてくる。

 最初は痩躯そうくだった腕には徐々に肉がつき始め、巨体へと変貌へんぼうしていくダンタール。


「気持ち悪いな」


 手下のはずの魔族の軍勢を贄として喰らい、蜘蛛のような手を生やしたダンタールを一瞥した巨人の魔王は、きびすを返す。そして、未だに蹲っている双子王女様のもとへと歩み寄った。


「双子よ。其方らの持っている霊樹の宝玉のなかで、一番大きな物を寄越せ」


 秘密兵器が霊樹の宝玉と知られている!

 それ以前に、宝玉とか霊樹のことを魔王が知っている?

 疑問が幾つか湧いたけど、聞き返している場合ではない。

 双子王女様が確認するように僕を見たので、頷いて返事をする。


 巨人の魔王はニーナから大きめの霊樹の宝玉を受け取ると、右手で握り締めながら、今度は僕の方へと歩いてきた。


 何をする気だろう。平静を取り戻し、息を整えながら巨人の魔王を見る。

 巨人の魔王は僕の傍まで歩いてくると、屈み込む。


 あっ! と反応する暇もなく、右手から白剣を奪われてしまった。

 焦って立ち上がり、白剣を取り戻そうとする。

 だけど、下半身に力がまだ思うように入らず、よろめく。そして在ろう事か、巨人の魔王に向かって倒れ込んでしまった。


 ぱふん、と巨人の魔王の胸へと顔を落とす僕。


 あああぁぁっ!


 頭が真っ白になる。


 だけど巨人の魔王は、僕の動揺やみんなの反応なんて気にした様子もなく、奪った白剣の鍔元に右掌を押し付けた。


 いぃぃん。と高音の、でも耳障りではない空気の振動が白剣を中心にして広がる。


 巨人の魔王はなにをしたんだろう?

 両足にしっかりと力を入れて、胸から顔を離して、巨人の魔王が手にしている白剣を見た。


 スレイグスタ老の牙から削られて造られた純白の剣のつばには、青白く輝く霊樹の宝玉が埋め込まれていた。

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