末妹を救え

「おい、油断するなっ!」


 誰かの警告が飛ぶ。

 ミストラルの圧倒的な攻撃力を目にした耳長族の戦士の動きが止まっていた。そこへ、妖魔の容赦ない攻撃が襲いかかる。

 数えきれないほどある触手のうち数本を潰された程度では、妖魔は動じない。足の止まった耳長族へ向けて、触手が伸びる。


「ぐあぁぁっっ!」


 幾つかの悲鳴が同時にあがる。

 耳長族の数人が、無軌道に振り回された触手に薙ぎ払われて吹き飛ぶ。

 更に二人が、触手に絡め取られて締めあげられた。


「ユフィと」

「ニーナの」

「「竜刃烈波りゅうじんれっぱ!!」」


 手を繋ぎあった双子の王女様の周囲に、竜の鋭い鉤爪かぎづめのような刃が無数に出現する。刃は指向性を持って放たれると、耳長族を拘束する触手を切り刻む。


「硬いわっ」

「頑丈だわっ」


 だけど、切り落とすまでには至らない。

 深い裂傷を与えたものの、触手は健在で、じりじりと耳長族を締め潰そうと絞られていく。

 更に、状況は悪化する。

 ミストラルに潰された触手が、ぶくぶくと傷口から泡を吹きながら、再生しだした。見ると、竜刃烈波で傷ついた箇所も泡を吹きながら塞がり始めていた。


「おい、貴様ら! 手を止めるなっ!!」


 僕の横を、巨大な影が通り過ぎた。

 赤褐色あかかっしょくの肌をした、大質量の存在。毛むくじゃらのひげの奥には、食いしばられた口。獰猛どうもうで覇気に満ちた瞳。手には、真新しい凶暴な戦斧が握り締められている。


 剛王と、巨人族たちだ!


 剛王は、妖魔バリドゥラの異様な容姿に臆することなく突進する。


「邪魔だ。我らが王の道を妨げるなど、言語道断!」


 側近のボーエンを筆頭に、巨人族たちが巨大な身体に見合った巨大な剣や鉄棍棒てつこんぼうを振るう。

 突進する剛王に向けられた触手は、鈍重どんじゅうな攻撃により弾かれた。

 剛王は地面を爆ぜさせながら、勢いを殺すことなく突進すると、肉厚の戦斧を振るう。


『ぎいいいっっ』


 悲鳴か奇声かわからないような、妖魔の叫びが響く。

 剛王の放った連撃により、耳長族を縛り上げていた太い触手が両断された。

 鋭い斬れ味というよりも、暴力的な破壊力で触手を潰し切った感じだ。

 切り離された触手はすぐに原型を崩し、粘度の高い液体に変わる。

 だけど、囚われていた耳長族は苦しそうに横たわって悶絶するばかりで、液体になり蒸発しだした触手から逃げ出せない。


「負傷者はお任せくださいっ」


 ルイセイネが素早く動く。

 仲間の手を借りてようやく救出された耳長族の胴は、重度の火傷のようにただれていた。そこへルイセイネが駆け寄り、癒しの法術を施し始める。


「エルネア、ルイセイネたちを護りなさい」

「わかったよ!」


 僕も観戦している場合じゃない。

 空間跳躍で、負傷した耳長族と治療に当たるルイセイネの傍に飛ぶ。

 全力で戦うことのできないユンさんとリンさんも傍に来た。

 僕は、同化したアレスちゃんの力を引き出すと、身体の内側で循環させながら錬成する。そして、霊樹の木刀へと力を流し込む。


「他の負傷者もこちらへ!」


 僕も参戦したいところだけど、誰かがルイセイネや負傷者たちを護らなきゃいけない。


 無茶苦茶に振るわれる、数え切れないほどの触手。そうすると、触手の攻撃だけでなく、弾かれた岩や大きな木の枝などに当たって負傷する人が出始めた。


 ここにいる人たちのなかで、最も高い防衛手段を持つのは僕だ。


 竜術と霊樹の術の、多重結界を展開する。更に、惑わしの術でこちらの姿を妖魔から消す。

 負傷者は、姿を隠した僕たちの気配を追って結界内に入ると、ルイセイネの法術やスレイグスタ老謹製の秘薬で傷を癒し、また戦いに戻っていく。


 ぎぃ、ぎぃ、と妖魔は不愉快そうな奇声を発する。

 それもそのはず。

 ミストラルと、剛王たち巨人族の破壊力を前に、妖魔はじりじりと後退し始めていた。

 ミストラルが触手をまとめて数本ずつ叩き潰していく。剛王や巨人族も着実に触手を両断する。

 森の部外者である竜人族と巨人族の活躍に、耳長族の戦士たちが奮起した。

 精霊術が効きにくいとはいえ、無効化されているわけじゃない。扱う精霊の属性ごとに連携し、攻撃を一点に集中させる。そして、触手を凍らせたり燃やしたりと、着実に妖魔を追い込んでいく。


 妖魔バリドゥラは、覆いかぶさっている泉への侵食に気を向ける余裕がなくなるどころか、ミストラルの連撃に合わせて放たれる爆発的な衝撃波によって、徐々に泉の上から後退させられていく。


 そして、駄目押しは空からやってきた。


「みんな、一緒に攻撃だよっ」


 可愛い号令に、凶暴な咆哮で応える飛竜たち。


 プリシアちゃん、いつのまに飛竜騎士団の指揮官になったんですか!?


 リリィに騎乗した小さな幼女の影が見えた。

 でも、それも一瞬。

 レヴァリアとリリィを先頭に、上空から急降下してきた飛竜たちは、手に持っていた巨大な岩を妖魔めがけて落とすと、すぐに急上昇。触手が絶対に届かない高度まで離脱した。

 斜め上空から放たれた岩石は、狙い違わず妖魔の本体に直撃する。

 ずうんっ、と重々しい音を立てて命中した岩石は、質量と上空から落とされた勢いをそのまま妖魔にぶつけた。


 身体を固定しようと、くさびのように地面に突き立てていた触手の殆どは、ミストラルたちに潰されていた。

 いくら硬く頑丈な身体をしていても、この攻撃には耐え切れなかったみたいだ。

 ぶよぶよとした本体に巨大な岩石をめり込ませ、仰け反った状態で、とうとう妖魔は泉の上から退いた。

 泉の底へと伸ばされていた触手も、勢いで水中から弾き出される。


「よし、今だっ」

「エルネア、行くよっ」

「はい!?」


 泉から妖魔が離れたと見るや否や。傍のユンさんとリンさんは僕の両手を掴み、走り出す。


「ちょっ、ちょっと待ってっ」


 僕は慌てて霊樹の木刀を地面に突き立てる。

 霊樹の木刀よ、あとはお願いしますっ。


『いってらっしゃいっ!』


 僕は、ルイセイネが看護する野戦避難所を護る役目じゃなかったんですか!?

 頼もしく返事をしてくれた霊樹に仕方なくこの場を任せると、僕はユンさんとリンさんに手を引かれるまま、泉に飛び込んだ。






 妖魔の触手が抜かれたとはいえ、泉の水は腐食している部分がある。

 透き通る水と、不透明に濁った水が撹拌かくはんされてた。


『汚染された水に当たらない方が良い』

『呪われちゃうからね』


 お二人とも、そんなことは前もって言ってくださいよっ。

 流れてきた濁った水から、慌てて逃げる。

 ばしゃばしゃと水をかき、ユンさんとリンさんに導かれて、泉の底を目指して潜る。


 そういえば、僕は泳げるのでしょうか!?

 水面に浮いたり遊泳するくらいはできるけど、素潜りの経験なんて殆どないよ。しかも、息が……!


『なにを心配しているかは知らないが、我らの加護を受けているのだ』

『意外と心配性なんだね』


 おお、なんということでしょうか。

 僕の不安をよそに、気づくとぐんぐん身体が沈んでいっている。そして、自然に呼吸ができていた。

 これなら、泳げないライラたちも楽しく泳げるね!


 汚染され、濁った水を回避しながら、僕とユンさんとリンさんは泉の底へと沈んでいく。

 泉の水はとても澄んでいて、遥か下方の泉底まで見ることができた。

 でも、どこにもランさんらしき人影は見えない。

 そのかわり、巨大な水中花のつぼみが一輪だけ在った。


『力を貸してちょうだい。ランを解放するわ』


 リンさんの意思に頷くと、僕は彼女に力を流し込む。

 すると、遥か頭上、泉の外で戦っているはずのミストラルとプリシアちゃんとルイセイネ、ニーナを経由したユフィーリアと、霊樹からも力が送られてきた。

 リンさんはみんなの力を受け取ると、底に見える水中花の蕾に向けて優しく術を放つ。


『ラン、目覚めよ』

『ラン、起きてちょうだい』


 リンさんの力を太陽の光のように一身に受けた蕾は、水中できらきらと輝き出す。

 蕾の隙間から溢れ出した無数の小さな泡は、泉の底に星空を創り出した。

 そしてゆっくりと、花びらが開き始める。

 ユンさんとリンさんは待ち切れないのか、蕾まで泳いでいくと、自分の身体よりも大きな花びらを両手で一生懸命に開こうとする。


 やれやれ。末妹の目覚めがそんなに待ち遠しいなんて。

 喧嘩したり、勝手に封印しちゃうくせに、姉妹愛は深いんだね。


 僕も手伝って、何重にも重なった花びらを開いていく。

 すると、視界を埋め尽くすほどに溢れ出た泡の先に、水色の可愛いしべの寝床が現れた。そして、雌しべの寝床に横たわってすやすやと寝ているのは、ユンさんとリンさんに似た、小柄な女性だった。


『ラン、起きろ』

『ラン、いつまで寝てるのよっ』


 ユンさんとリンさんは水をかき分けて、寝ている女性に近づくと、揺すって起こそうとする。


『……ううぅん。……お姉ちゃんたち。……もう少し、寝かせてぇ……。むにゃ』


 身体を揺すられて、まぶたを重そうにあげる女性。だけど、にへっと可愛く笑うと、また瞼を落とした。


 二度寝しちゃった!


 ユンさんとリンさんの寝起きは見たことないけど、二人もこんな感じなんだろうか。……ではなくて!


『ランさん、起きてっ。みんなが待っているんだよっ』


 僕も、二度寝に入った女性、ランさんを揺すって起こす。


『うにゃあ。……はっ!?』


 あともう少しだけ、と揺すり起こす僕たちの手を払いのけようとしたランさんが、急に瞳を見開く。そして、驚いたように僕を見つめた。


『きゃゃっっ。変態っ。お姉ちゃん、変態がっっっ。ぶくぶくぶく……』


 変態って誰だろう!?

 僕じゃないよっ!


 突然覚醒したランさんは、僕を見て慌てる。

 そして、悲鳴をあげて暴れようとして……


 ここは、水中です。

 普通の耳長族なら、水の精霊を使役して水中でも息ができるようにするのかな。

 封印されている間は、リンさんの術で水中花の蕾に包まれて、普通に息ができていたのかもしれないね。

 だけど、水中花は綺麗に開花して、内包されていた空気は全部泡になって水面へと昇っていっちゃった。

 そうなると……


 ランさんは、泉の底でおぼれていた!


『ラン、落ち着け。水中での呼吸を意識しろ』

『ラン、落ち着いて。エルネアは変態じゃないよっ』


 えええっ、僕が変態と思われていたの!?


 リンさんの指摘に少なからず動揺する僕。

 僕とは真逆に、ユンさんの意識を受けて水中であることを自覚し、落ち着き始めるランさん。


『ええっとぉ……。ここは?』


 ランさんは、ユンさんとリンさんに手を取られて水中に漂いながら、辺りを見渡す。ついでに、僕を見て可愛く微笑む。


『ラン、詳しい説明はあとだ。先ずは泉から出るぞ』

『ランの力が必要なんだよ。力を貸して』

『ねえ、お姉ちゃんたち……。存在が……?』

『説明はあとだと言っているだろうっ』

『貴女は、もうっ』


 ユンさんとリンさんは、まだ寝ぼけまなこっぽいランさんを引っ張ると、水面へ向けて上昇していく。

 僕も後を追う。


 意外と呆気なく、ランさんの封印を解くことができた。

 なら、あとは妖魔バリドゥラだけだ。


 水面に近づくにつれて、濁った水が多くなる。それと同時に、地上からは不気味な妖魔の気配が漂ってきていた。

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