そして逃亡劇へ

「宿屋の主人より、飲食代が……」

「路地裏の露天より、破損した金物、投げられた果物。潰された魚それから……」

「馬車の持ち主より、修理の請求が……」

「屋根を踏み壊されたしと多数住民から……」

「酪農家より、上牛三頭分の請求がきております」

「ええっと……」


 メディア嬢とトルキネア嬢の案内で一度領主の館に行き、卵泥棒と追跡の件を軽く説明した。その間に、どこからともなくいろんな請求が来たのは気のせいです。


「エルネア?」


 同席していたミストラルが白い目で僕を見る。怒気ではなく、呆れた雰囲気で見つめられると、絶縁状でも突きつけられそうですごく怖いです。これなら、拳骨の方が良いよ。


「ぼ、僕は一刻も早く地竜に卵を返さなきゃいけないから、行ってくるね!」


 そう。奪還した卵はすぐに母親に戻してあげないと、心配しているもんね。


 けっして、ミストラルの白い目に耐えきれなかったんじゃない。本当だよ!


 ニーミアが居なくて良かった。居たら心を読まれて追い詰められていただろうからね。

 幸いなことに、ルイセイネとプリシアちゃんとニーミアは、まだ神殿から到着していない。

 代わりにフィオリーナとリームが同席していて、逃避行動に入った僕を追おうとした。


 ごめんね。君たちを置き去りにする僕をどうか許して……


 僕は卵の入った大きな巾着袋を抱えると、脱兎だっとのごとく応接間を抜け出し、館から飛び出す。

 館の前が街の広場になっていて、そこには騎竜が二体待機していた。


「おおいっ、レヴァリア!」


 上空では暴君が旋回していたので、急いで呼び寄せる。

 こちらの切羽詰まった雰囲気を察してくれたのか、暴君は急降下。僕は暴君が地上に近づいた瞬間に、空間跳躍で暴君の背中に飛び乗った。


「エルネア様!」


 ライラが追いかけてくる。彼女もなにか危機的な感じを覚えたに違いない。


「ライラも捕まえてあげて」

『貸しだ』


 暴君は不満そうに鼻を鳴らしながらも、ライラを掴んで大空へと一気に高度を上げる。


「エルネア様っ」

「お、お戻りをっ」


 メディア嬢とトルキネア嬢が慌てて騎乗する姿は、瞬く間に小さな点になって見えなくなった。


「ふうう、危機一髪」

「エルネア様、あとでどうなっても知らないですわ」

「うん。ミストラルは追ってこなかったけど、冷たい視線が痛かったよね。でも、あの場はああするしかなかったんだよ」


 身に覚えのない……とは言わないけど、僕たちが起こした損害じゃない請求なんて、受けとれません。ただでさえお金なんてお小遣い程度の金額しか持っていないのに。


 大男が意識を取り戻したら、彼の方へ請求してもらおう。

 裏路地で馬車を投げたりと暴れながら走ったり、屋根を踏みしめて逃げたのは大男なんだからね。


『くだらぬ問題でも起こしたのか。騒がしい奴だ』

「いやいやいや。レヴァリアたちが食べた牛の請求も来ていたからね!」


 急いで逃げて来たので、フィオリーナとリームを地上に置いてきてしまったけど、ミストラルがいるから大丈夫だろう。


 成竜一体と子竜二体で牛三頭が多いのか少ないのかはわからないけど、上物の牛を狙って三頭は贅沢すぎるよ。

 僕もそんな牛は食べたことがない。


 竜族は数日に一回の食事で事足りるらしいけど、長期の旅になったら彼らの食事も考えないといけなかったんだね。

 失念していたし、今回は仕方がないかもしれない。今後は気をつけてもらおう。


 でも、上牛三頭分の代金なんて、僕に払えるのかな……

 大男が暴れた分は彼へ請求するにしても、身内である暴君たちの食事代は僕が責任を負わなければいけないだろうね。

 弱冠十五歳で、借金生活に突入するのだろうか。


「エルネア様、ひとりで悩まないで良いですわ。傍らにはいつでも私が居ますわ」

「うん、ありがとう。いざというときは頼りにさせてもらうね」

「はいですわ」


 お金の問題に気づいているのか、いないのか。暴君のてのひらに掴まれた状態で微笑むライラだけが、いま唯一の救いだった。


 そして、そうこうしているうちに、暴君はあっという間に地竜たちが待つ場所まで飛んできた。


 暴走していた最終地点で、群を成して静かに待機している地竜たち。上空には今でも三騎の飛竜騎士団が旋回している。地上では地竜騎士団がそのまま遠巻きに、地竜の群を監視していた。


 そういえば、暴君にはどこへ飛んでと指示を出していなかったね。だけど、僕が地竜の卵の入った巾着袋を持っていたのに気づいていたのかな。随分と気がきくね。


『貸しを忘れるなよ』


 なるほど、そういうことですか。暴君は僕への貸し作りに一生懸命なんですね。


「うん。今度、倍にして返すね。ありがとう」


 暴君は僕の言葉に満足したのか、鼻息高く、地竜の群の側へと降り立つ。


 こういうときって、竜の言葉だけじゃなくって、感情までわかってしまうのは罪だね。暴君の名誉のためにも突っ込むのはやめておこう。


 地竜の卵を抱えている僕は、ひとりで背中から降りる。ライラも暴君の掌から解放されて、こちらへと駆け寄ってきた。


「お待たせしました」


 そして僕とライラは並んで、地竜の群へと向かう。


『おお、そなたらか。随分と早いではないか!』


 僕が抱える大きな巾着袋がなんなのか、言わなくても、もちろん誰でもわかると思う。

 地竜たちは歓喜に吠えながら、僕とライラを取り囲んだ。


『ありかとう。感謝するよ』


 母地竜のフルルアさんが目から大粒の涙を流しながら寄ってくる。


「人族が迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい」


 謝り、巾着袋から大きな卵を取り出す。


 白乳色で美しい輝きの卵。


 じつは、地竜の卵は初めて見た。こんなに綺麗な色合いをしているんだね。

 少し荒っぽく大男とリームが扱っていた気がするけど、表面には擦り傷ひとつない、綺麗な卵だ。


 手の使えない地竜にどうやって卵を渡そうかと思っていると、フルルアさんが口を軽く開けて顔を突き出してきた。


『卵や物を運ぶときは口だ』


 とかしらに言われて、僕は卵をフルルアさんの口に入れてあげる。


『ありがとう。ありがとう』


 きっと、今すぐにでも卵を温めたいんだろうけど、巣から離れているからそれができない。だけどフルルアさんは愛おしそうに口にくわえた卵を舌で舐めてあげていた。


 フルルアさんのお母さんな雰囲気に、僕とライラはほっこりとする。


『さすがは竜王だ、感心した。フルルアには申し訳ないが、本当は半分諦めていたのだ。しかしまさか、これほどの手際の良さだとは』


 地竜たちが僕とライラを褒め称え、揃って地響きのような咆哮をあげた。


「いいえ。本当に早く見つかって良かったです」


 きっと、すごい金額になっている請求書は、地竜たちには関係ないからね。戻った後が憂鬱ゆううつだけど、ここはフルルアさんのもとに卵が戻ったことを素直に喜んでおこう。


 僕とライラは手を取り合い、お互いを労いあう。


『なにか感謝の礼をせねば』


 地竜の頭が言う。


『とは言っても、我らが汝らに与えられるような物はないであろう』


 頭の視線は、僕の腰を捉えている。白剣と霊樹の木刀。これに勝る物は、たしかにないと思う。


「あのう、僕たちはお礼なんていらないですよ」

「そうですわ。愚かしい人の不始末を解決しただけですわ。むしろ、迷惑をかけたのは私たち人ですわ」


 地竜の頭とのやりとりを通訳すると、ライラも頷いて僕に同意する。


『そう言ってくれるな。我らは汝らになにか報いたいのだ』


 好々爺こうこうや的に微笑む地竜の頭。もしかして、お爺ちゃんくらいになる年齢なのかな?


『相応しい物は持ち合わせぬ。ならば、少し助言をしておこう』

「助言ですか?」

『そう。竜峰の竜王には不要なものかもしれぬが、この辺りを支配する人族には有益なものだ』


 竜族らしい、と言えばいいのかな。

 仲間や家族との絆を大切にする竜族。だから出所が違うとはいえ僕も人族だから、種族にとって有益な助言を、ということみたい。


『ここよりも北。山岳のずっと奥地に多頭竜たとうりゅうが最近になって現れた』

「多頭竜?」

『ふむ。知らぬか?』

「ごめんなさい。僕は竜王になってまだ日が浅いので、勉強不足なんです」

『ふむ、構わぬよ。知らぬことは罪ではない。知ろうとせぬことが罪なのだ。だが、そうだな。多頭竜のことは、そこの経験豊富そうな飛竜に聞くが良い。我らは重要なことのみを伝えておこう。あれは、飼われているぞ』


 地竜の頭の言葉に、何か言葉にできない不気味さを感じ取った。


「多頭竜って竜族ですよね? それが飼われている?」


 ヨルテニトス王国は竜族を調教して使役する。僕やフィレルは竜族と信頼関係を築いて、協力してもらっている。

 でも、そうじゃなくて飼われている?

 犬や猫や家畜のように?


 通訳して伝えたライラも、その不気味な助言に眉をひそめながら首を傾げていた。


『詳しいことは我らもまだわからぬ。なにせ、近づけば我らとて容易く殺されてしまう。多頭竜が現れた周辺からは、すでに竜族や魔獣は逃げ出し始めている。人族にとっては、これはじきに大きな問題になるであろう』


 攻撃型の飛竜。その対になるのが防御の地竜。その地竜が容易く負けるような恐ろしい竜族か……


『もっと汝のためになる礼をしたいのだが、いまはこれくらいの助言しかできぬ。だが、我らの協力が必要な時は、いつでも言うが良い。この恩に必ずや報いよう』

「はい。そのお心だけで十分すぎます。ありがとうございます」


 もう少し深く聞こうか迷う。

 だけど、僕たちを追って飛来したメディア嬢とトルキネア嬢が暴君の側に着地したのを確認して諦めた。


 いまは大人しいとはいえ、暴君の側に着地するなんて、なかなか精神が図太いね。飛竜は顔を引きつらせているけど、竜騎士に命令されて仕方なく着地したように見える。


 と、それは置いておいて。


 多頭竜のことは、詳しくは暴君に聞けということだった。

 多種多様な竜族が住む竜峰に君臨していた暴君だ。多頭竜のことも色々と知っているに違いない。

 それに、博識のユグラ様もいるし、いざとなればニーミアに乗って一日で戻り、スレイグスタ老に聞くという手もある。

 戻れば竜人族で竜姫のミストラルだって居るしね。


 ……ああ、いまは帰るのが怖いことを思い出しました。


 何はともあれ、地竜の頭の助言は、僕たち人族にとって重要なことのように感じる。

 戻ったらみんなと相談しよう。


 僕とライラは地竜たちに別れの挨拶をすると、暴君のもとへと戻る。


「エルネア様……」

「ライラ様……」

「メディアさん、トルキネアさん。地竜の問題は解決しました。さあ、戻りましょう」

「えっ!?」

「は?」

「急いで戻りますわ」

「ちょっ……」

「そんなっ……」


 着いたばかりで、まだひと息もついていない二人を急かし、僕とライラは暴君に乗って大空へ。


「エルネア様っ」

「お待ちください!」


 地上で悲鳴をあげるメディア嬢とトルキネア嬢は瞬く間に小さな点になって、見えなくなった。

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