深響のエスニード

「し、始祖族!?」


 そう聞いて最初に思い浮かんだのは、魔族の真の支配者だった。

 魔族の支配者は、始祖族を公爵位こうしゃくいに封じて地位と権力と特権を与えることで、有り余る力の暴走を抑え込んでいるという。

 では、あの巨大な化け物も!?

 と考えて、すぐに思い違いだと気付く。


 スラスタールの話では、幽冥族が滅びた時代は魔族が勢力を伸ばしてくる前だ。そうすると、魔族の支配者がこの始祖族の巨人の存在を知る以前に、この地は封印されていたことになる。

 だとすれば、魔族の支配者の支配権はあの巨人のは及んでいないはずだ。

 そもそも、この地は有翼族の支配する地域で、魔族の支配する国々ではないからね。


 それと、もうひとつ。

 まさか、かつての魔族軍の生き残りなのでは、とも考えたけど。

 でも、これも違うだろうね。

 魔族の大軍が冥獄の門を越えた理由は、天上山脈の西を侵略して人族の文化圏を支配するためだ。それなのに、圧倒的な力を持つ始祖族を地下遺跡に残して行くなんて選択肢は、魔王だって取らないはずだ。

 逆に、敗走の際に地下遺跡に取り残されたということも考えられないね。


 復路で地下遺跡を踏破できなかったという意味は、即ちそこで間違いなく死んだということを意味する。

 だって、死ななかったら踏破できているはずだからね。

 冥獄の門は一度封印を解いても満月になると自然復活すると言っていたけど。そうとわかっているのなら時間は十分に取るだろうし、始祖族が脱出に間に合わなかったなんて考えられない。


 僕の知っている始祖族といえば、巨人の魔王やシャルロット。それにクシャリラや魔族の支配者だ。

 誰もが他を絶する圧倒的な魔力と知識を有している。

 それとあの巨大な化け物が同じ存在というのであれば、やはり地下遺跡に取り残されていたなんてことは考えられないね。


 では、やはり。

 あの始祖族の巨人は、最初から地下遺跡に住み着いていた!?


 そこまで考えて、僕は恐ろしい結論に辿り着く。

 つまり、あの始祖族の巨人は、魔族の支配者の誓約を受けていない力の権化ごんげだということだ!


「な、なんでこんな地下深くの遺跡に始祖族が住み着いているのかな?」

「それはわからないわ。でも、あんなのを相手にしていたら、こちらの方が危ないわよ!」

「そうだね。実力はともかくとして、あんな巨人が地下の空間で大暴れでもしたら、天井が崩落ほうらくして生き埋めにされちゃう可能性があるからね!」


 もしかしたら、あれが伝承にあった呪いの巨人なのかもしれない。それとも、別の何かなのか。

 念のために、スラスタールへ確認しようと振り返る。

 そのスラスタールは、天と地を支える巨大な柱の裏から現れた巨人を、呆然ぼうぜんと見上げていた。

 そして僕の質問に答えるわけでもなく、ぽつりと言葉を零す。


「馬鹿な……。伝え聞いていた者よりも、巨大で禍々まがまがしい……」

「どういうこと!?」


 相手が有翼族の有力者だなんて、今は関係ない。

 僕はスラスタールの肩を強く揺さぶって、正気に戻させる。

 スラスタールはようやく、巨人から僕へと視線を移した。


「逃げるべきだ。私の聞いていた伝承とは、色々と食い違いが見られる。このままこの地下遺跡に残っていれば、私たちも魔族と同じ運命を辿ることになってしまうぞ!」

「伝承との食い違いって? スラスタール、知っていることを全部話して!」


 撤退の意見には賛成です。でも、このまま無事に、あの巨人から逃げられるのか。

 巨人は、ゆっくりとした動きで柱の裏からい出てこようとしていた。手を柱に掛け、のそり、と緩慢かんまんな動きで足を前に出す。

 一歩踏み込むと、大地が振動で大きく揺れた。

 巨人は、真っ赤な瞳で僕たちを見下ろす。そして、ゆっくりと口を開け始めた。


「ス、スラスタールよ」


 セオールがスラスタールにすがりつく。


「私はお前と一緒にいれば、安全なのだよね?」


 なぜ、スラスタールと一緒にいれば安全なのか。それを聞き出す前に、巨人が動く。

 巨人が大きく開けた口の奥が、これまで以上に赤くたぎる。


「奴め。魔法を放つ気か!」


 エスニードの言葉通り。

 巨人の口腔こうくうに、真っ赤に滾る瘴気が収束していく。

 そして、巨人は瘴気の咆哮をあげた!

 瘴気の塊が、僕たちに向かって放たれる!!


「っ!!」


 逃げる余裕はなかった。

 辛うじて、全員が全力で結界を張り巡らせていた。

 瘴気の塊の着弾と共に、視界が真っ赤に染まる。

 物理的な激しい振動と衝撃波が何重にも襲い掛かり、結界を維持するだけで精一杯だった。


「ば、馬鹿な……!」


 スラスタールが絶句していた。


「なぜだ!? なぜ、私がいる場所にまで容赦ない攻撃が!?」


 僕たちの結界には、スラスタールとセオールも取り込まれていた。だから、二人は無事だ。

 とはいえ、スラスタールは今の一撃に余程の心理的衝撃を受けたのか、呆然と気が抜けていた。セオールも、恐怖に腰を抜かして座り込む。


 ルイセイネとマドリーヌ様が、法術で瘴気を祓う。

 それでようやく僕たち以外の状況、即ち、帝尊府の人たちの様子が見えた。


 エスニードは攻撃を受ける前と同じように、雄々しく立っていた。

 神剣を振るったのか、頭上に高く掲げられていた剣先が足もとを向いている。

 神術で、瘴気を払ったんだ!

 他の帝尊府たちも神術の結界が間に合ったのか、殆どの者が無事だった。

 だけど、数名が間に合わなかった。


「あ、ああぁぁぁ……っ!」


 対応が遅れた何人かの神族が、恐怖に怯えて悲鳴をあげた。

 ひとりは、右腕を黒い岩肌へと変えていた。変わり果てた自分の腕を見て、叫び狂う。

 ひとりは、下半身が黒い岩肌に侵食されていた。恐怖に後退りそうになるけど、重くなった下半身に均衡きんこうを崩して尻餅しりもちをつく。どすん、と重い岩の音が響いた。

 そして、もうひとり。彼は、全身を黒い岩肌に変えて、魔物に成り果てていた。


「なるほど、合点がてんがいった。あの巨人の真っ赤な瘴気を受けると、魔物へ変貌するのだな」


 エスニードは、自分の部下に起きた異変を冷静に観察していた。

 神剣を振るう。

 巨人の瘴気を受けて魔物へ変貌した部下の首を、躊躇いなく両断した。


「そんな! 自分の部下なんじゃないんですか!」


 あまりの無慈悲さに、咄嗟に声を上げる僕。

 だけど、エスニードは淡々と反論する。


「では、貴様であればあの者を救えたのか。我は、救えぬ。であれば、迅速に安らぎを与えることこそが慈悲であり、上官である我の役目だろう」


 言って、エスニードは更に神剣を振るう。

 身体の一部を黒い岩肌へと変えていた他の神族たちも、一瞬で斬り伏せた。


「だからといって、まだ魔物になりきっていない人たちまで!」

「あのまま魔物へと変わっていく恐怖に耐えさせるのは忍びない。あの者たちは、何が起きたか感じることなくけただろう」


 エスニードの言葉に、反論する帝尊府はいない。

 彼らは武人であり、エスニードの忠実な部下だ。だから、神将であるエスニードの判断に従い、忠誠を尽くす。


 僕たちは、容赦のないエスニードの判断と、巨人の放った瘴気の魔法の恐ろしさに息を呑む。


「さあ、呑気に議論を交わしている場合ではないだろう?」


 僕がこれ以上は何も言い返せないと判断したのか、エスニードは巨人へと向き直る。

 巨人は、こちらの動きなんてお構いなしに、次の行動に移っていた。

 もう一度大きく口を開くと、真っ赤に滾る瘴気を口腔に溜め始めていた。


「奴め。りずに意味のない魔法をまた放つつもりか! 全員、結界を張りつつ後退だ! 予定通りに地下道まで退がり、魔物を殲滅する!」

「それじゃあ、あの巨人の対処はどうするのかしら?」


 ミストラルの疑問に、エスニードはにやりと不敵な笑みを浮かべた。


「あの程度の始祖族如き。我の深響しんきょうの神術の前では敵ではない。見せてやろう、これこそが我が真髄しんずい! 深響の神術の本当の威力を!!」


 言って、エスニードは神剣の剣先を巨人に向けた。


『『『『『蒼天そうてんれきはなく、地には雲はなく。天と地の狭間はざまは我のことわりのみぞり!!!』』』』』


 エスニードの力ある言葉が、全て同時に重なった。


 ぞわり、と背筋が凍りそうになる程の圧迫感が、一瞬にして地下空間を満たす。と同時に、耳の奥に刺さるような小さく細かい振動が、地下の全てを震わせた。


「があぁぁ!!」


 真っ赤に滾る瘴気を放とうとした始祖族の巨人。

 だけど、次の瞬間。

 エスニードに神剣の剣先を向けられた巨人の上半身が、端微塵ぱみじんに爆散した!


「っ!!」


 砕け散った石や砂の雨を結界で防ぎつつ、僕たちはエスニードと上半身を吹き飛ばされた巨人を見比べる。

 たった一撃で、あの巨人を倒した!

 最初は、あまりの威力に驚愕してわからなかったけど。石と砂の雨が降り注ぐ中、僕はエスニードの真の力をようやく理解する。


 反響の神術、ではない。

 なぜ、深響の神術、なのか。


 最初。エスニードの神術は、声を自在に反響させて術の効果を何倍にも増やすものだと思った。

 グエンも、そう説明していた。

 でも、それは浅はかな評価だった。

 エスニードの真の実力。

 そして、真の深響の神術。

 それは、対象となる者の体内に力ある言葉で直接干渉し、何重にも反響させた神術で内部から森羅万象を支配し全てを破壊してしまう、恐るべき死の術だった!


「あ、あんなの、防御方法を思いつかないよ!?」


 神術の発動と同時に、物理的に何かが飛んでくるわけではない。

 周囲で目に見えるような天変地異が起きるわけでもない。


 外からの干渉には結界で対応できる。避けることも可能だ。

 だけど、エスニードの神術によって身体の内側で起きる森羅万象の支配を、どうやって防げば良いのか。

 もしも、何も知らずにエスニードと戦うような場面になっていたとしたら。と地下道で考えたことが改めて頭を過ぎる。


 勝てるのかな!?


 これまで戦ってきた、どんな強敵とも違う。

 術の破壊力だけなら、巨人の魔王やクシャリラ、それに妖魔の王の方が遥かに上だ。

 だけど、神将エスニードの深響の神術は、これまでの強敵とは一線を画す。

 防ぐ方法がなく、内部から殺される。

 唯一の手立てとしては、エスニードに力ある言葉を口にさせないことくらいだけど。でも、エスニードだって自分に向けられる対処方法への対応は考えているはずだ。そして、それをこれまで成してきたからこそ神将という地位にあり、武神にも匹敵する武力だと讃えられているんだよね。


「まいったわね……」


 ミストラルも、エスニードの実力の恐ろしさを感じたのか、無意識に漆黒の片手棍のつかを強く握りしめていた。


「さあ、何を遊んでいる。道を塞ぐ邪魔な魔物を掃討しながら、撤退するぞ!」


 エスニード自身は、ごく当たり前の成果だと言わんばかりに神剣を鞘に収めて、帝尊府へ撤退を命じる。

 だけど、隊列を組んだ帝尊府の人たちは動かなかった。


「将軍……」


 盾を持つ男が、目を見開いて街道の先、上り坂の頂上を見えげていた。


「馬鹿な!」


 別の男が狼狽ろうばいしながら、巨大な柱の方角を指差す。

 何事か、と振り返るエスニード。

 僕たちも、視線を移す。

 そして、見た。


 砕け、爆散したはずの始祖族の巨人の岩の上半身が、再生し始めていた。


「ふんっ。面白い。あの程度では絶命に至らぬというわけか。ならば今一度、深響の神術を見舞ってやろうではないか!!」


 打ち倒したと思っていた巨人の思わぬ再生に、だけどエスニードは驚きも焦りも見せることなく、豪気ごうきを放つ。

 そして神剣を再び鞘から抜くと、鋭い剣先を再生中の始祖族の巨人へ向けた!


「次は、全身を吹き飛ばしてくれよう! それでも再生してみせるか、化け物よ!?」


 不敵に笑い、エスニードは力ある言葉を口にした!


 ………………はずだった。


 しかし。


 エスニードの口からこぼれたのは、真っ赤な鮮血だった。


「えっ!?」


 何が起きたの?


 意味がわからず、頭が混乱する。


 僕だけでなく、全ての者が混乱していた。


 だから、状況を把握するために、ひとつずつ起きていることを整理していく。


 口から大量の血を流す、エスニード。

 その首から、剣が生えていた。


 いや、正確には。


 背後から突き刺された剣がエスニードののどを貫き、剣先が飛び出ていた。


 そして、エスニードの背後に立ち、首を貫く剣を握る男の存在。


「グエン!!!」


 エスニードの首を剣で貫いた男の正体は、グエンだった!

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