応戦
かつて繁栄を誇った地下都市は、今や魔物の
数万、下手をするとそれ以上の黒い岩肌をした魔物が潜み、侵入者を待ち構える。そして、無謀にも冥獄の門を潜った者たちを襲い、殺し、新たな仲間へと引き込む。
いったい、どういう原理で人が魔物に変貌してしまうのか。
スラスタールの話を聞いただけでは、
でも、古い伝承を引き継ぐ彼なら、何かしらの手掛かりや予防策を知っているんじゃないかな?
そう思って、ようやくスラスタールの存在を思い出す僕。
だけど、当のスラスタールは僕たちに追従してきたものの、顔面蒼白で魔物の大群を見詰めながら震えていた。
「やはり、冥獄の門を潜るべきではなかったのだ。……今からでも、急いで引き返すべきです!」
スラスタールはエスニードに駆け寄ると、そう提案する。
しかし、エスニードは豪快に笑ってスラスタールの意見を跳ね除けた。
「馬鹿を言え。この程度の魔物如きに、帝の威光を示す我ら帝尊府が遅れをとるものか!」
おうっ、と声を上げる帝尊府たち。
「有翼族は、臆病者しかおらんのか。見てみろ、そこの小僧や娘たちの方が平然としているではないか。この場で怯え震えているのは、貴様とセオールくらいだぞ?」
「し、しかし……!」
「ふんっ。恐ろしいのであれば、我らの背中の後ろにでも隠れていろ。貴様らが震えて瞳を閉じている間に、魔物如き我らが殲滅してやろう」
「いいえ、いいえ……。違うのです。あの魔物は……」
スラスタールは、何を言おうとしたのか。だけど、最後まで彼の話を聞いている暇はなかった。
こちらの都合などお構いなしに、黒い岩肌の魔物たちは全方位から迫る。
「接近戦は危険だ! 溶岩の体液に注意しろ!」
「神術で応戦するんだ!」
『岩は砂に。砂は塵に!』
『我が
近づいてくる魔物の大群に、神術が放たれた。
ある者は仲間と協調して力ある言葉を口にする。
ある者は己の力のみで神術を放つ。
神術には、竜術や魔法のような見た目の派手さはない。それでも着実に、魔物を打ち砕いていく。
大通りを進んでくる魔物の大群が、一斉に砕けて塵に変わった。
脇道から現れた魔物が見えない刃に切り裂かれて、真っ赤に滾る体液を撒き散らしながら消滅する。
他にも、並ぶ小店から姿を見せた魔物を建物ごと押し潰したり、大通りに巨大な穴を出現させて魔物を落とす。
帝尊府は、迫る魔物の大群に臆することなく戦う。
とはいえ、地下道を降っていた時とは戦況が異なる。
あの時は、前方から迫る魔物の群だけに集中して対応すれば良かった。だけど、今は四方八方から魔物の大群が迫っている。
盾を持つ者だけでは、全員を守りきれない。だから、必然的に各自応戦になってしまう。
それでも、軍隊として統率の取れた動きを見せる帝尊府。
黒い岩肌の魔物を接近させることなく、
「僕たちも、傍観しているだけじゃなくて応戦しなきゃ!」
「エルネア、それはわかっているのだけれど。でも、この場に留まって魔物の相手をしていても切りがないわよ?」
言いながら、ミストラルが
帝尊府が放つ神術よりも遥かに高威力で爆散した竜槍は、脇道から迫っていた魔物を周囲の建物ごと消し飛ばす。
竜術のあまりの威力に、帝尊府が少しだけ顔を引き
「たしかに、このまま何万体もの魔物を馬鹿正直にこの場で迎え撃つなんて、戦略的に無意味だよね?」
と、エスニードを見る僕たち。
エスニードは、本気で魔物を全滅させて地下遺跡を抜けようと考えているのかな?
神族の能力やエスニードの武力は魔物を圧倒するだけの力があるけど。それでも、この場で数万体以上の魔物を全て倒せるだけの持久力はあるのだろうか。
それに、と周囲を見渡す僕。
スラスタールの話だと、この地下遺跡には幽冥族を滅ぼした化け物が存在するはずだ。
その化け物は、いったいどこに潜んでいるんだろう。
そう
足下が、ずしりと揺れた。
「なんだ?」
「地震か!?」
神族たちも、足下の揺れに気付く。
彼らが動揺しているということは、今の揺れは神術によるものじゃない。
「エルネア君、嫌な予感がします」
「むきぃっ、瘴気も徐々に濃くなり始めていますよ!」
ルイセイネとマドリーヌ様の言葉に、僕は周囲の気配を慎重に探りながら頷く。
神族が放った光の神術のおかげで、周囲は明るく照らされている。だけど、代わりに照らされている先の暗闇が余計に深くなってしまい、竜気を宿した瞳でもなかなか遠くを見通せない。
それでも、ルイセイネとマドリーヌ様が感じたように、僕も嫌な予感を覚えていた。
「なんだろう……? ルイセイネ、マドリーヌ様。ともかく今は、法術で瘴気が周囲に
迫る魔物の大群。
暗闇の先から感じる嫌な予感と、さっきの地鳴り。
それともうひとつ。僕たちは
偵察に出た男は、なぜ黒い岩肌に侵食されて大通りの真ん中に倒れていたのか。
この地下都市が化け物ごと封印される前。
全身が岩になる不治の病は、幽冥族だけでなく他の種族にまで広がり始めていたという。
その不治の病とは、あの神族の男のように全身を黒い岩肌に変貌させるものじゃないのかな?
では、その原因は何だろう? そう考えた時に可能性として最も初めに挙げられるのが、地下都市全体に広がり始めた瘴気の
そもそも瘴気とは、殺気や怒りや憎しみといった負の要素が密度を増して現象化したものだ。
そして、その負の要素の中には、呪いも含まれる。
もしも地下都市に蔓延し始めた瘴気に呪いが濃く含まれていたとしたら。
それを吸ってしまうと、全身が呪われて黒い岩肌に侵食されてしまい、最後には魔物に変貌してしまう?
断定はできないけど、可能性は排除すべきだ。
僕の指示に沿って、ルイセイネとマドリーヌ様が法術を展開させる。
「ルイセイネ。
「はい。瘴気の侵入を阻み、陣内を浄化する法術ですね」
二人が法術を発動させると、僕たちの周りだけでなく、帝尊府の人たちを含む周囲の地面がぼんやりと淡く光を放つ。
同時に、周囲の空気が浄化されて、澄み通っていくのがわかる。
「でも、いつまでも法術の結界内で悠長に戦ってはいられないわ」
「でも、いつまでもこの場に留まって魔物の相手なんてしていられないわ」
ユフィーリアとニーナが両手を握り合っていた。
今にも、竜術を乱発しそうな気配で!
「将軍様!」
僕は
「このままじゃ、危険ですよ! 魔物を迎え撃つにしても、もう少し戦い
何が危険だとかは言わない。ただし、僕が言っていることは、違う意味でも間違っていないはずだ。
たとえ神族が強くたって、四方八方から押し寄せる魔物をこんな開けた場所に留まって迎え撃つだなんて、戦略的にも無謀すぎる。
それに気になるのは、やはり人を黒い岩肌の魔物へと変貌させる呪いだった。
もしも原因が瘴気ではなく、他の要因だったとしたら。
それで、僕が呪われてしまったら。家族の誰かが呪いにかかってしまったらと考えただけで、背筋が凍る。
そうなる前に、僕は場合によってはエスニードや帝尊府を残してでも、即時撤退の決断を下しそうだった。
ニーミアも、僕の思考を読んですぐにでも大きくなって、みんなを乗せて逃げ出す気配だ。
僕の切羽詰まった進言に、だけどエスニードは聞く耳を貸さない。
それじゃあ、僕たちは勝手に避難させてもらいますからね! と、グエンを見る。
すると、グエンはこちらの考えと動きを即座に読み取ったようだった。
「エスニード将軍、
と、今度はグエンが
「この程度の魔物如き、我々の敵ではありません。ですが、万が一を考えますと、やはりもう少し長期戦を見据えた地理を選択すべきかと存じます」
遺跡の罠が、この魔物の大群だけである可能性は低い。他にも多くの罠があり、魔族はそれらにまんまと掛かって全滅したのではないか。と話すグエン。
「あの程度の魔物、全て根絶やしにすることは容易いでしょう。ですが、その後に第二、第三の罠が押し迫った時に余力が残っていませんと、流石の将軍や帝尊府といえども、苦戦を強いられるかと」
そもそも、三十人に満たない神族だけでは魔物の大群さえ全滅させられないと思う。そこに、グエンが言うような新たな罠が襲い掛かった時。果たして、全員が無事でいられるのか。
エスニードも、グエンの言葉を受けて僅かな時間だけ考えこむ。
そして、素早く答えを出した。
「全員、一時後退だ! 地下道まで戻り、魔物の侵攻を前面に受ける形で迎え撃つぞ!」
「おうっ!」
大通りの前後や並ぶ街並みから無限に湧き出てくる魔物を神術で殲滅しながら、帝尊府は動き出す。
隊列を組み直すと、撤退の態勢に入った。
でも、来た道も既に魔物で溢れかえっている。
どうやって、地下都市遺跡を抜け出して地下道まで戻るのか、という僕たちの疑問には、エスニードが自らの力で答えた。
『黒き地より
神剣を高く
反響の神術によって、声が何重にも
最初に、黒い波動が地面を伝って周囲に広がった。
神力のない僕たちにも、エスニードが放った神力の波動が感じられるほどの濃密で、激しい衝撃が走る。
そして、森羅万象を支配した「声」が、天変地異を引き起こす。
ぐにゃり、と足もとの石畳が波打つ。
次いで、水の波紋の様に小さな波が周囲に広がり出す。
波紋は僕たちを過ぎると一瞬にして
魔物は、瓦礫の混じった巨大な津波に押し潰され、破壊されながら消滅していく。
あっという間に周囲の区画ごと魔物を殲滅したエスニードの神術に、僕たちは息を呑む。
大地の巨大津波の後。
残ったのは、僕たちの足もとの岩肌剥き出しの地面と、魔物や建物の全てを押し流した津波の形跡だけだった。
「これで、周囲の魔物は一旦消し飛ばせたはずだ。今のうちに後退する。……しかし、暗いな」
帝尊府が放った光の神術では、大地の巨大津波が破壊し尽くした都市の先までは照らせていなかった。その先がどうなっているのか。どれだけの魔物が残っているのか、ここからでは見通せない。
仕方ない、とエスニードが自ら光の神術を放とうとした時。
ずしりっ、とまた足もとが激しく揺れた。
「なんだ!?」
エスニードの神術ではない。ましてや、僕たちや帝尊府の誰かでもない。
先程よりも激しい揺れに、エスニードも怪訝そうに眉間を寄せる。
そして、周囲を確認するように、広範囲を照らす光の神術を放った。
反響の神術によって木霊した力ある言葉が、帝尊府の何倍もの範囲を照らし出す。
大地の巨大津波の痕。その先の、地下都市遺跡。
遥か頭上を覆う、地下の天井。
そして、僕たちは見た。
「な、なんだ、あれは……!!」
帝尊府の人たちが、息を呑む。
僕たちも、光の先に現れた「それ」を目にして、驚愕してしまう。
まず最初に目に入ったのは、上り坂になっていた大通りの終着点。坂道の頂上から伸びた、巨大な一本の柱だった。
でも、それは柱というよりも……
まるで巨樹のように、根に似た支柱を幾本も地面から生やし、天井まで届く柱の先からも、枝のように周囲に
いや、今はそんなことに構っている暇はない。
僕たちが驚愕した理由は、柱の様相ではない。
その柱の裏から姿を現した、巨大な化け物だった!
低い地響きが徐々に間隔を狭めながら伝わってくる。
空気ごと地下空間を震わせながら、その巨大な化け物は僕たちの視線の先に現れた。
巨大だった。
遥か頭上に広がる天井。その高く伸びた空間でさえ、巨大な化け物は前屈みにならないと存在できないほどに。
黒い岩石で形成された頭部。同じく黒い岩肌に覆われた全身。瞳。口。岩石の繋ぎ目や関節部分を、真っ赤に滾る溶岩で満たした、岩の化け物。
「あ、あれがこの
神族が、震えながら
神族さえも怯えさせる化け物は、柱の裏からゆっくりとこちらに向かって迫ろうとしていた。
「エルネア……」
ミストラルが、緊張した面持ちで僕に言った。
「あれは、魔物でも妖魔でもないわ。……始祖族よ!!」
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