支配と絆

 耳長族が精霊を使役するということは、プリシアちゃんを通してよく理解していた。

 竜の森の耳長族の人たちも、色々な属性の精霊を使役して共存共栄している。

 僕がプリシアちゃんと仲良くなったのは、霊樹の幼木にいていた霊樹の精霊アレスちゃんのおかげだ。

 プリシアちゃんは、竜の森の耳長族の部族のなかでも特殊な子供で、霊樹の精霊を見たり使役することができる。次期族長は、そうした能力をもつプリシアちゃんだと、大長老のユーリィおばあちゃんは言っていた。

 でも、当のプリシアちゃんは、アレスちゃんを使役しようとは思っていないみたい。

 本当の友だちとして、友情を築きたいんだ。

 それだけでなく、僕のことを思って、アレスちゃんに力を注いでくれていた。そのおかげで、幼女体型のアレスちゃんが妖艶な大人の女性のアレスさんになれたんだ。


 そして今。

 大人の姿をしたアレスさんが、僕に明確な敵意を向けて剣先を突きつけていた。

 アレスさんが大人体型なのは、これまでに蓄積したプリシアちゃんの力の影響ではない。

 ナザリアさんの精霊力で、大人の姿を形取っていた。


「アレスさん、どうして……」

「なんだ、やはりこの精霊を知っていたか。今朝辺りからエルネアの周りに気配を感じていたからね」

「それを使役……。支配したんですね」

いわくありの霊樹の精霊だったか。道理で、一筋縄では使役下に置けなかったはずだ。ちょいと裏技まで使ってしまったよ。そんなわけで、長時間の使役は無理なんだ。はやいとこ、勝負を始めてほしいね。そうそう。わたしの力が尽きるのを待ってもいいけど、それじゃあ、君は不合格だ」

「べつに、僕はあなた達の採点になんて興味ないですけど?」

「そう言わないで。せっかくの機会なんだし、試しておいて損はない」

「アレスさんを失っている時点で、損しかないです」


 僕は、アレスさんからナザリアさんたちに視線を移す。

 ナザリアさんたち自身は戦う気がないのか、敵意を見せない。

 だけど……

 視線をアレスさんに戻すと、冷たい瞳が返されていた。


 戦うしかない?

 アレスさんと?


「問答は必要ない。そうであろう、エルネアよ?」


 感情を失ったアレスさんの言葉は、彼女の声には聞こえなかった。

 アレスさんは僕が身構えなくても、やる気満々だ。

 使役され、戦うように命じられているのだから仕方がない。


「さあ、霊樹の精霊よ。行きなさい!」


 ナザリアさんの命令で、アレスさんが地を蹴った。

 手にした剣が黄金色に輝く。

 霊樹の葉っぱが周囲に展開され、乱舞し始めた。

 ぐらり、と足場が崩れる。炎を纏った竜巻が天から襲いかかる。

 森羅万象の全てが牙を剥き、襲いかかってきた。

 こちらの覚悟や納得なんてお構いなしで始まった強制的な戦いに、言葉も出ない。


 そして、なんの慈悲もなく鋭く突き出された黄金の剣が、僕の胸に突き刺さる。


「……っ!」


 勝負は、一瞬だった。


 僕は、一歩も動かなかった。

 ただ、迫る天変地異に目をつむり、肉薄するアレスさんを待ち受けた。

 動かない僕に、凶刃きょうじんは容赦なく爪を立てた。剣を僕の胸に突き立てたアレスさんと僕は、勢い余って重なり合うように倒れこむ。


 アレスさんは剣を突き立てたまま離れなかった。

 僕は逃げなかった。


 二人で倒れこんだまま、僕はアレスさんの背中に腕を回す。そして、そっと抱きしめた。


「エルネア……」

「アレス……さん……」


 僕の首根っこに顔を埋めたアレスさんの声には、微かな感情があったような気がする。

 力なく覆いかぶさるように倒れこんだままのアレスさんを抱いて、僕はゆっくりと立ち上がった。


「これは……。どういう風に判断すべきなんだ?」

「知らないよ、父さん」

「私も知らない。どう判断するの、母さん?」

「……主さま?」


 褐色肌の耳長族の四人は、困惑したように僕とアレスさんを見つめていた。


 僕の胸に突き刺さった黄金の剣。

 なんてものは、どこにもない。


 胸に穴なんて開いてないし、かすり傷さえもしていない。倒れたときの衝撃で打ったお尻が痛いくらいかな。

 平気な様子の僕と、僕に抱かれて動かないアレスさんに、ミシェイラちゃんも困ったように小首を傾げる。


「つまり、どういうことかしら?」


 ミシェイラちゃんが解説を求めるように見つめてきた。


「そんなの、簡単です。僕にはたくさんの家族がいるんですが。絶対にやらないと決めていることがあるんです。僕は、なにがあっても家族には剣を向けない。とくに、こんな茶番でお互いに傷つけ合うなんてまっぴらご免です」


 もちろん、一心同体に近いアレスさんも、僕の大切な家族の一員だよ、と言う。


「とは言え、どんな方法でかは知らないけど、アレスさんを使役で取られたのは反省です。でも、そんな表面的な支配で、僕たち家族のきずなは崩れませんからね!」


 精霊は使役されて命令されると、主人の言うことを聞いてしまう。それくらい、僕だって理解している。

 でも、支配者の命令よりも、これまで築きあげてきた深い絆の方が上回った。それが今回のこの結果だ。


「アレスさんだって、僕を傷つけようとは思っていなかった。そうだよね?」


 僕が聞くと、アレスさんは腕のなかでふふふと嬉しそうに微笑んだ。


「だが、それは希望的予測で、賭けのようなものだ」

「賭けじゃないですよ。なにがあっても、僕とアレスさんは心で繋がっているから。言葉でなにを言おうと、どういう行動を取ろうと、お互いに本心はわかっているんだ。そして、僕はアレスさんを信じているし、アレスさんも僕を信じてくれている。アレスさんが最初に僕の名前を口にしたときに確信してました。使役されても、深い部分で心は失っていないって。それなら、あとはアレスさんを信じるだけだから」

「つまり、剣を交える戦いの前に、わたしたちには認識できない内面の戦いで、最初から勝負はついていたわけか」

「そういうことです」


 アレスさんは、僕の腕のなかで今でもナザリアさんの使役に抵抗しようと頑張っていた。

 僕はそれを助けるように、有りったけの竜気を渡してあげる。

 僕の力を受け、アレスさんはナザリアさんの呪縛の鎖を引き千切った。


 もしも、アレスさんが意に沿わずに動いたとしても。こうして僕の力を注ぎ、場合によってはプリシアちゃんの力を解放すれば、絶対に戻せると確信していた。

 僕は家族を信じています!


「……でも、アレスさんを使役するなんてことは、もう止めてくださいね! とても困りました」


 まさか、霊樹の精霊を使役できるような人がいるなんて、思いもしなかったよ。

 最初は、勝手な試練に巻き込まれたことに怒りを覚えた。でも、考えてみるとアレスさんは、突き詰めると実は誰の使役下にもなっていない野良の精霊で、こうして何者かに支配される可能性があったんだ、と気づく。そして、そのことを失念していた自分自身の甘さに、ナザリアさんたちから自分へと怒りの矛先は向いていた。

 大反省です。


 自由になったアレスさんは、いつもの幼女姿に戻る。そして、僕に抱きついて甘えてくれた。

 アレスちゃんも、不本意で嫌だったんだね。

 よしよし、と頭を撫でてあげると、嬉しそうに微笑む。


「それで、僕の採点は終わりましたか?」


 なにが試されていたのかはわからない。僕にとって利益になるものなのか、ミシェイラちゃんたちにとって必要なものなのかは知らない。

 ただし、勝手な思惑で僕たちを巻き込むのは困りものです。

 今度やったら承知しませんよ、とナザリアさんたちをひと睨みして、釘を刺しておく。


 興味深く僕たちのやり取りを見ていたミシェイラちゃんは首を傾げたまま、ううんとうなる。そして、うんと頷いた。


「予想外の展開。聞いていた通り、面白い子なの。でも、そうね。エルネアの評価は、君の家族を見てからかしら。だって、君は家族と合わせての君でしょう?」

「家族を合わせての僕? よくわからないけど、他のみんなにもこうした迷惑をするようなら、今度は本当に許さないよ!」

「はい。わかりました。もう悪いことはしません、お兄ちゃん」

「お、お兄ちゃんじゃないようっ」


 恐ろしい少女です。

 見た目の可愛らしい容姿で愛らしく言っても、正体は千歳以上のおばあちゃんだと知っているんですからね!

 騙されませんよ。


 ミシェイラちゃんたちの一方的な都合に巻き込まれた僕とアレスちゃん。

 とはいっても、僕としてはなぜかこの人たちを憎めない。計り知れない者は、スレイグスタ老もそうだけど、普通の人の思惑を超えた次元で思考し、動いていたりする。それを知っているから、仕方ないという諦め感があるのかも。

 いろんな説明が省かれているのも、僕がまだ未熟で、この人たちの横に並ぶ存在になれていないからだね。悪く言えば、まだ相手にされていないんだ。

 やはり、理不尽な振る舞いに怒りを覚える前に、この人たちはこんなものなんだよね、という諦めが先行してしまう。この人たちへ怒りや感情を真正面からぶつけるためには、僕はもっと成長しなきゃいけないんだろうね。

 朝だというのに、僕は疲れたように肩を落としてため息を吐く。


「ぷんぷん」


 でも、一番の被害者であるアレスちゃんは、ちょっとだけ不満そう。

 使役の呪縛が切れて、僕の腕のなかで安心したのか、頬を膨らませて不満顔だ。

 僕自身のことで怒りは湧いてこないけど、アレスちゃんのことを考えると申し訳なく思ってきた。これは、なにかで埋め合わせをしてあげなきゃね。


「霊樹の精霊がわがままに育っているの。誰の影響かしら?」

「だ、誰でしょうね?」


 ミシェイラちゃんは、僕への評価が終わって、またこちらへとてくてく歩いてきた。

 背中に羽があるけど、それを使って飛ぶそぶりはない。

 僕の傍に来たミシェイラちゃんは、アレスちゃんを抱き寄せた。

 アレスちゃんは抵抗することなく、ミシェイラちゃんの腕のなかに移動する。

 どうやら、アレスちゃんも今回のことに不満はあっても、ミシェイラちゃんたちを敵視はしていないみたい。友情で契約するにしろ、力で屈服させられるにせよ、耳長族と精霊の交わす契約にわだかまりは存在しない。力で使役されたくなければ、干渉されないように孤高になるしかないのだから。それは僕もアレスちゃんも理解していたし、反省もしていた。


 ところで、ミシェイラちゃんも少女なので、抱きかかえ切れずに二人で仲良く抱き合う形になってますよ。


「よしよし。ご褒美あげるから、許してね」

「いもいも」

「そうね。お芋が食べたいわね」


 ふふふ、と少女と幼女は微笑んで、僕を見上げた。


「はいはい。頑張って探してきますよ」


 小さな女の子たちの要求には逆らえません。

 やれやれ、とため息をもう一度吐いて、当初の予定に戻りに、食材を探しに出ることにする。

 どうやらナザリアさんたちも独自に、拾集に行くみたい。僕とアレスちゃんにびつつ、準備を始めていた。


「そうそう。あそこに見える湖の湖畔こはんには、今は近づかないこと」


 霊山の中腹にある廃墟の村からは、幾つかの湖が見える。

 禁領には、千以上の大小様々な湖があるのだとか。

 ナザリアさんが指し示した湖も、そのなかのひとつ。早朝のまぶしく鮮やかな空色を反射した湖が見えた。


「どうしてですか?」

「あの辺に、魔女まじょが来ているから」

「えっ!?」


 予想外の回答に、驚く。

 魔女?

 それって、スレイグスタ老やユーリィおばあちゃんや巨人の魔王が何度か口にした、あの魔女かな?


「魔女のことは知っているのね」

「存在だけは。魔女が居るってことは、その人も禁領に入ることを許されているんですよね?」

「というか、あっちは共同管理者のひとりだ」

「なるほど。でも、なんで共同管理者の人に近づいたらいけないんですか?」

「そりゃあ、ほら。怖いから」

「……」


 なんという理由でしょう!

 魔女って、怖い人なのか。でも、それだけの理由で近づいちゃ駄目だなんて。

 近づいただけで、問答無用で攻撃されるのかな?

 巨人の魔王よりも怖いのかな?


「ああ、興味を持った顔をしている」

「き、気のせいですよっ」

「本当かしらね。忠告したよ。興味本位で近づいてなにかが起きても、こちらは干渉しないから」

「というか、魔女とは仲間じゃないんですか? 同じ禁領に集まる人だから、知り合いとかだと勝手に思ったんですけど」

「知り合いは知り合いだ。だけど、仲間、というわけではない」

「ううーん。ミシェイラちゃんたちのような人たちにも、色々と事情があるんだね」


 と傍のミシェイラちゃんに言うと、そんなことないよ、と返された。

 きっと、今の僕には理解できないような世界の仕組みがあるんだろうね。と自分の心を納得させるように、深く頷く。


「それじゃあ、そろそろ行くとしよう」

「エルネア、勝負だ!」

「アゼイランさん、なにを言っているのかな……?」

「兄さん、名案よ。とても面白そう。誰が主さまへの供物くもつを一番多く取ってくるか、勝負よ」

「アユラ、供物とか言うのは嫌なの」

「主さま、わたしたちが居ない間は、また大人しくしておいてくださいね」

「はい」


 ミシェイラちゃんは可愛く返事をして、昨日のように膝を抱えて座り込んだ。

 どうやら、アレスちゃんは返してくれるらしい。

 僕はアレスちゃんと共に、早速出発する。


 空間跳躍で、霊山を下る。

 僕が最初に跳躍した瞬間、ナザリアさん以外の四人が、おお、と声を漏らしていた。


 春の若草が茂る斜面を駆け下り、深い森へと入る。周囲の気配を探ると、早くも動物たちの気配を察知することができた。

 遠くに、ミシェイラちゃんらしき不思議な気配を感じる。だけど、さっきまで言葉を交わしていたナザリアさんたちの気配は、綺麗さっぱり消えていた。

 恐るべし、褐色肌の耳長族一家。


 禁領に入ったのは、こうした新たな出会いを求めてじゃなかったんだけど。

 どうしてこうなった?

 やはり、ミストラルたちが言うように、僕はひとりになっちゃいけないのだろうか。なんて思いながら、最初の獲物を探す。

 アレスちゃんは僕に抱きついて、流れる風景を楽しそうに見つめていた。

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