計謀の檻

 大神殿で祈りを捧げたセフィーナは、街の散策へと戻る。

 建物を出る際。いや、それ以前から。すれ違う人々の多くが、こちらへと頭を下げる光景を目にするセフィーナ。


 はて、なぜそれほどまで頭を下げられるのか。セフィーナは大神殿の敷地を離れながら、自らをかえりみる。


 エルネア君の身内と思われているから?

 いや、違う。

 確かに、竜王の都は彼が支配権を持つ都市だが、住民の全てがエルネアの顔を知っているわけではない。ましてや、先ほど初めて訪れた自分のことなど、知りようもないはずだ。


 では、なぜこんなにもうやまわれるのか。

 なにか可笑しな服装でもしているのだろうか、と衣装を確認して「ああ、そうか」と気づく。


 セフィーナは、人族が統治するアームアード王国の第三王女。普段は冒険者にまぎれて活動しているが、根っからの王族だ。

 すると、身なりも自然と良質なものになる。


 周りを行き交う人々を見て、セフィーナは納得した。

 自分に頭を下げる誰もが、良いとは言えない身なりの者たちばかりだ。


 ここは、紛れもなく魔族の国。

 魔族が支配し、他種族は隷属りいぞくされる世界。

 人族は奴隷として扱われ、場所によっては消耗品以下のような存在でしかないという。


 そんな領域で、セフィーナは上質の衣服に身を包み、颯爽さっそうと街を闊歩かっぽしている。

 そうすると、種族を判別する能力のない人族からは、セフィーナも支配階級の魔族に見えるのだろう。


 改めて、街を行き交う人々を観察するセフィーナ。

 襤褸ぼろの服を着た男性が、大切そうにつぼを抱えて過ぎ去っていく。最低限の衣類だけで遊ぶ子供たち。継ぎはぎの目立つ服装の女性は、食材を抱えて足早に路地裏へと消えていった。


 貧しい、とひと目でわかる人々。

 国が荒れ、住んでいた場所を追われた者たちが流れ着いた都市で、潤沢じゅんたくに物資が流通しているはずもない。

 奴隷として働く者たちは、それでも安全な都市で暮らせることが幸せだという表情を見せる。


 しかし、その一方で。

 大勢の、質の悪い衣類を身に纏う人々とは違う種類の人影が、ちらほらと見受けられた。

 セフィーナと同じか、それよりも上質な衣装に身を包んだ者たち。

 人らしくない、まさに鬼といった容姿の者や、腕が二本以上あったり尻尾や翼が生えていたりと、異形の者たちが悠然ゆうぜんと道の真ん中を歩く姿を見る。


 彼らこそ、支配階層の魔族たちだ。

 襤褸を着込む人々は、セフィーナへ見せた態度と同じように、上質な衣類で着飾った魔族へ道を譲り、頭を下げていた。


 自分も、王女として他者から敬われる場合がある。しかし、敬畏けいいを強要したことはないし、意味もなく平伏されたいとも思わない。

 むしろ頭を下げられると、それに伴う責任を自覚させられるようで、あまり好きではない。


 だが、魔族は違う。

 すれ違う人族がこうべれるのは当たり前。むしろうやうやしい態度を見せない奴隷に対しては、無慈悲な反応を示しそうだ。

 そして奴隷の者たちも、自分の主人以外の者であろうと、魔族らしき者には当たり前のように服従の態度を示す。


 これは、魔族の世界では当たり前の風景なのかもしれない。

 いや、恐らく別の土地ならば、奴隷たちはここよりも更にひどい扱いを受けているのだろう。

 しかし、本来は違うのじゃないか、と思うのがセフィーナだった。


 人は誰しも自由で、生まれた時点で運命が決まっている、それも奴隷としての一生が、という世界には違和感しか覚えない。

 これは、人族だけの文化圏、身分制度の意識が薄いアームアードで育ったからなのだろうか。


 セフィーナが密かにしたうエルネアは、優しさ一辺倒の単純な青年ではない。

 祖国では救国の英雄ともてはやされ、隣国や周辺に暮らす他種族からも種族救命の偉人とうやまわれる彼だが、世界の全てを救う、などという思い上がりは持っていない。


 誰かのために全力を尽くす、という信念を持っていることは間違いないが、彼は自分が動くことで生じる世界への影響力を正しく理解している。


 噂に聞くところによると、エルネアは魔王に推挙されたことがあるのだとか。だが、彼は魔王にはならなかった。

 魔王になり、魔族を支配した時。エルネアは、その正義感から奴隷制度に真っ向と向き合うだろう。

 しかし、そうなれば他の魔王や魔族たちとの全面対決になる。

 夢を見せられた奴隷たちの血がどれほど流れるのか、彼はよく知っている。


 さらに、竜王、竜峰同盟の盟主でありながら、飛竜の狩場で数年に一度執り行われる飛竜狩りを黙認している。

 人と竜、それぞれの立場を理解し、干渉を避けているのだ。

 人族に加担すれば、飛竜が被害にあう。逆に竜族へくみすれば、アームアードとヨルテニトスに住む者たちの営みを破壊してしまう可能性がある。

 だからなのだろう。飛竜の狩場へと入る飛竜は己の力で抗え。人族には命を対価として強者をひざまずかせてみせろ、という立場をとる。


 目に映るもの全てを救う、などという傲慢ごうまんさや偽善ぎぜんは持ち合わせていない、それがこの都市の支配者であるエルネアだ。


 まあ、身内のことや救いたいと思った物事に関しては、とことん首を突っ込む場合もあるが。


 そんなエルネアが、このいびつな風景を黙認している。

 魔族の風習や文化に対し、エルネアはエルネアなりに妥協点を見出みいだし、干渉しないようにしている。

 そうすると、自分のこの違和感は間違いなのだろうか。

 浅はかな想いであり、まだ世界の真実が見えていないのかもしれない。

 自分はまだまだ未熟だ、と異国の風景に目を向けながら散策を続けるセフィーナ。


 すると、時間はあっという間に経過していき、気づくと昼を回っていた。


「一度、戻ろうかしら?」


 エルネアの配慮とメドゥリアの好意で、滞在場所を与えられていた。

 十氏族じゅっしぞくと呼ばれる、この都市を代表する魔族のひとりが運営しているという宿屋が充てがわれている。


 エルネアたちのことだ。アームアード王国の王都へと向かったが、一日二日で帰ってくる可能性は低い。それで、泊まる場所を、と気を配ったメドゥリアは、よくエルネアのことを理解しているのだと知れる。


 セフィーナは軽やかに街を歩き、散策の出発地点となった宿屋へと戻る。


 竜王の都には、ほとんどと言っていいほど旅人は来ないのだとか。

 そもそもが難民移民の流れ着いた場所であるし、出入りには厳格な審査がほどこされている。

 しかし、来客がないわけではない。

 巨人の魔王が支配する国から。または、近くの都市や村より、なにかしらの賓客ひんきゃくは訪れるのだ。

 そうした者たちを宿泊させる宿が、セフィーナの滞在先となっているやかただった。


 立派な門を潜り、手入れの行き届いた前庭を進む。

 街を行き交っていた奴隷たちとは違い、身なりを正した使用人がかしこまって開いた玄関を通ると、宿泊客が寛げる入り口のになっていた。


 セフィーナは躊躇いなく進むと、陽の当たる窓際の席に腰かける。

 すると間も無く、セフィーナ専属の使用人が傍に控えるので、彼女は飲み物と軽い昼食を所望しょもうした。


 魔族と奴隷のり成す世界。

 そのなかで、魔族でも奴隷でもないセフィーナは異物だ。

 だが、納得のしていない文化にわざわざ合わせる必要などない。ということで、周囲の魔族から向けられる奇異きいの視線などは無視し、人族ではあるが毅然きぜんとした態度をとるセフィーナ。

 使用人もそんなセフィーナに不満や安易なあこがれを持つことなく、与えられた役目をこなす。


 先に飲み物が運ばれてきたので、ちびちびと唇を湿らせていると、誘ってもいないのにひとりの男が隣の席にやってきた。


「やあ、昼間から優雅じゃねえの、おたくさん」

「そうかしら? 昼食をとっているだけですけれど?」


 軽薄けいはくな男だ。

 セフィーナの嫌う部類の同席者に、しかしにこりと微笑ほほえみ返す。


 短髪の男は、じゃらじゃらと派手な首飾りや腕輪をめている。身に纏う衣服も上等なもののようで、しわひとつ、汚れひとつない。

 若干つり目だが、にやりと笑う顔は整っていて、普通の女性ならば心踊る相手なのかもしれない。


 しかし、セフィーナはだまされない。

 こういう男は、女を食い物にする。こうして躊躇いもなく狙った相手に接近し、言葉巧みに言い寄って惑わすのだ。


 それに、とセフィーナは笑顔のまま男を観察した。

 この身なり。この宿屋に出入りしている事実。そこから推察するに、この者は魔族で間違いはない。

 ならば、自分の種族は見破られているだろう。そんな状況で不用意な態度を取れば、無用な問題を起こしかねない。


「あんた、解放奴隷かいほうどれいだろう? いやあ、人族なのに結構羽振りの良さそうな感じじゃねえの。良かったら、俺っちに商売の手ほどきでもしてくんないかね?」


 立ち去れ! と心のなかで悪態をつきつつ、セフィーナは「違いますよ」と笑顔で否定しておく。


「じゃあ、なんだ。ご主人様がお優しい感じ? 俺もさぁ、奴隷制度はどうかと思うんだ。だからほら、人族にも優しく接しようと心がけてるんだよね」


 頼まれもしないのに、ぺらぺらと喋り出す男。

 セフィーナは、内心で深くため息を吐いた。

 面倒な男に出くわしてしまった。早くこの場を去って、散策の続きをしたい。


 軽薄な男は、したが二枚か三枚くらいあるのだろうか。お気楽な話や笑い話を、延々と喋り続ける。

 終いには、セフィーナのために運ばれてきた昼食へ勝手に手をつける始末。さらに、セフィーナ付きの使用人を顎で使い、自分の飲み物や追加の食べ物まで注文し始めた。


 なにが「人族に優しく接している」だ。見るからに奴隷を見下し、道具かそれ以下にしか思っていないことは、僅かな仕草や言葉遣いでわかる。

 やはり、この男は見た目同様に薄情で、邪悪な魔族でしかない。


「なあ、あんた。名前を教えてくれよ。俺っちは、ライゼン。よろしく!」

「魔族の方々は、自身の名前を下の者には教えたがらないのではなくって?」

「ああ、それねぇ。俺っちとしてはさ、あんたと仲良くしたいわけよ。だから、本名も教えちゃうわけだなぁ。やっぱさ、お互いに名前で呼びあった方が親密になれるじゃん?」

「はぁ……」


 なぜ自分が、こんな男と親密にならねばいけないのだ。親密になりたい異性はエルネア君だけだ、と心で毒づくセフィーナ。

 しかし、表情には微塵も出さない。

 どうにか笑顔のままで乗り切りたい。

 早く、こちらにはその気がないのだと理解して立ち去ってはくれないか。


 だが、セフィーナの願いは届かない。

 先ほど、大神殿で祈りを捧げてきたというのに。

 女神様は自分に、ここでくだらない試練でも課そうというのか。


 ライゼンと名乗った男が手を付けた自分の料理には、どうもはしを伸ばしたくない。それで、飲み物を片手にライゼンの話を聞き流していると、さかずきの液体が枯れてしまった。


「ああ、同じものでいいの? おい、持ってこい」

「は、はい。かしこまりました」


 自分たちの背後に控えていた使用人を、気障きざったらしく指を鳴らして呼び寄せる。そして願ってもいないのに、勝手に注文を追加してしまった。


「なぁ、別の場所で飲み直さねえ? あんた、この宿で寛いでいるってことは、部屋をとってるんだろう? 俺っち、あんたの部屋が見てみたいなぁ」


 誰が部屋へ招くか!!

 胸倉を掴み、思いっきり投げ飛ばしてしまいたい衝動をぐっと堪えるセフィーナ。

 ライゼンからは見えない位置の手は強く拳が握られており、怒りでぷるぷると震えていた。


「ごめんなさい。このあと、街に出る予定があるので」

「ええっ、まじかよ!? なら、俺っちも付いていっていいよな? どこへ行くのさ?」

「ええっとですね……」


 ほとほと困り果てるセフィーナに、追加の飲み物が届いた。


「ああ、寄越せよ。……はい、どうぞ」


 ライゼンは、目だけで使用人を自分の方へと来させ、ぼんから飲み物を受け取る。

 やはり、奴隷を人とも思っていないような態度だ。

 だが、飲み物をセフィーナへと渡すライゼンは、打って変わって軽薄な笑顔だった。


「さあさあ、受け取って。ぐいっといこうや。おい、もう一杯持ってこい」

「は、はいっ!」


 誰が一気にあおるものか、と思いつつも、セフィーナはライゼンから飲み物を受け取る。


 さて、これからどうやってこの男を撃退しようか、と思案しつつ、杯に唇を付けるセフィーナ。


「っ!?」


 直後。かたん、とセフィーナは盃を落とす。床に落ちた盃からは赤い液体が溢れ、絨毯に染みを広げた。


「貴方……いったい、なにを……飲ませたの……?」


 セフィーナは、震える手で唇を押さえながら、ライゼンを見た。そのまま椅子から滑り落ち、床に倒れる。


 見上げるライゼンは、にやり、と魔族らしい邪悪な笑みを浮かべていた。

 濡れた絨毯に頬を付けた状態で倒れているセフィーナは、目を見開いてライゼンを睨む。


「あんたが悪いんだぜ? 名前も教えてくれないしさぁ。まぁ、細けぇことは、良いじゃねえか。これから俺っちが、あんたをひぃひぃと言わせて、天にも昇る心地良さを味あわせてやるからよ」


 にたにたと下卑げびた笑みが、なんとも気持ち悪い。

 セフィーナは、きつくライゼンを睨み続けていた。

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