ちいさな命
いよいよ僕たちは霊樹の生える根元までやって来た。
苔の広場のように、霊樹の周りで突然古木の森が途切れていて、背丈の低い下草が生えた空き地になっていた。
僕は遥か上方へと垂直に生えた霊樹の幹を見上げる。生えた、という表現はもう当てはまらないよ。そびえ立つ、なんて言葉の方があっているほどの存在感、大きさだった。
幹の周りを一周しようとしたら、どれくらいの時間がかかるのかな。極太の根も地面からはみ出て這っているから、相当かかりそう。
「それで、僕たちはここで何をするの?」
僕と同じく霊樹を見上げているミストラルに聞く。
ミストラルでもやっぱり霊樹は凄いと感じるのかな。
「そうね……取り敢えず、幹の周りを散歩しながら周りましょうか」
「えええっ、この幹の周りを!?」
今しがた考えていた状況に、僕はちょっと引く。だって、考えるだけなら、時間かかって大変だろうなぁ、としか思わないけど、実際に周るとなると体力も時間もかかっちゃうよ。
「本当に本当?」
「本当の本当よ」
にこやかに言い切るミストラル。
「幹の周りを周るためにここに来たのかな」
「違います。探し物を見つける為」
「その探し物って何さ」
「さあ、それはエルネア次第かしら」
はて、僕次第とはどういうことだろう。僕はここに来るのなんて初めてで、もちろん落し物なんてここでしたことなんてないよ。
「とりあえず、行きますよ」
僕の疑問なんてお構いなしに、ミストラルは歩き出した。
慌てて後を追う僕。
「歩きながら、何か気になったことがあったら教えてね。例えば、あの辺の幹の皮が気になる、とか枝が気になる、とか」
僕は、訳がわからない今の状況が一番気になります。そう思いつつも、僕はミストラルと歩きながら何か気になるものはないかと視線を泳がせた。
……特に何も気にならないよ。
気にならないといけないのかな。
「ミストラルはここによく来るの?」
ただ歩くだけなのは精神的に参ってしまうと思って、ミストラルに話しかける。
話しをしていないで気になるものを探しなさい、と怒られるかと思ったけど、ミストラルは僕の雑念なんか気にした様子もなく答えてくれた。
「わたしも、ここに来るのは二回目かしら。先代の世話役と一度来たきり」
「へええ。ミストラルでもほとんど来たことがないのか。ここってやっぱり凄い場所なんだね」
「そうね。ここは霊樹の根幹部分だから、特に神聖な場所よ。翁の許可がなければ来られないわね」
僕たちは周りを物珍しげに見渡しながら会話をし、散歩を続けた。
神聖な場所か。たしかに、なんか空気が澄んでいる気がするよ。側に霊樹の圧倒的な気配も感じるし、厳かな気分になる。
ルイセイネたちがいる神殿も神聖な感じがするけど、あっちはなんか人工的。石造りの神殿が、人の手が加えられているいるという無意識の領域に入ってくるのかな。
でもここは、本当に神聖な感じがするよ。ここでは絶対に粗相をしてはいけない気分にさせられる。
「ミストラルでもやっぱりここは神聖な感じがするの?」
「ええ、勿論。翁の居る広場も神聖には感じるけど、ここはもっと特別。霊樹の強い生命力と、何よりも澄んだ竜脈に満たされている感じがするわ」
「へえぇ。やっぱりここって凄い所なんだね」
僕はなんとなく、深呼吸をする。
ここは早朝の、埃の舞っていない時間の透明な空気の気配を、もっと清めたくらいな感じがするよ。
深呼吸をすると、とても清々しくなる。
「前回ミストラルがここに来た時は、何をしに来たの」
「今の貴方と同じ。探し物をしに」
「ううーん。僕はここで落し物なんてしたことがないんだけど。ここって、失くしたものが見つかる場所とか?」
「ふふふ。違います。とりあえず、直感を信じて何か感じるものを探して」
首を捻る僕に微笑みをかけて、ミストラルは歩を進める。
「わたしも協力するけど、何よりも貴方の直感が大切なの」
「ミストラルの直感よりも、僕の直感の方が大切?」
「そう」
全てが僕よりも優れているミストラルよりも僕の方が大切だなんて、なんか疑問に思ってしまうよ。
僕は、その後もミストラルと会話を楽しみながら、上を見たり下を見たり。霊樹の太い根を見たり、幹の皮を凝視してみたり、遥か上空の枝に目を凝らしたり。時には古木の森の方へ視線を向けたりしながら散歩を続けた。
結構な距離を歩いているはずなんだけど、ミストラルとの会話が楽しかったし、霊樹の神聖な雰囲気に満たされて、さほど疲労感は湧いてこなかった。
そして、僕が「気になるものはないですかぁ」と、心の中で自分に呟きながら歩いていると、ふと耳元付近に、柔らかい風というか気配を感じた。
ここは、霊樹以外は下草が生えているだけの広場だったので、時折涼しく澄んだ風は吹いていたよ。でも、その風とは何か気配の違うものを感じて、僕は立ち止まった。
何だろう。何かに呼び止められた気がしたよ。
僕の様子の変化にミストラルは気づき、彼女も傍で足を止める。
ふわり。
また何かの気配がした。
僕は何となく気になった方に視線を向ける。
霊樹の幹、そこから延びた太い根。その先の下草の生えた空けた場所に、一本のちいさな木が生えていた。
霊樹に比べれば、苗木ほどの存在感もない。
数本の枝の先には数枚の葉っぱ。根元には可愛い
「ミストラル、あれ」
僕は小さな木を指差した。
僕の指差す方へと視線を向けるミストラル。そして彼女は驚いた表情を見せた。
「あんなところに、幼木が……。わたしも周りを見渡しながら気をつけていたけれど、全く気づかなかったわ」
それに、と言いながらミストラルは幼木のところへ歩いていく。僕も一緒だよ。
「これはまさに、霊樹の幼木だわ。初めて見た」
僕とミストラルは幼木のそばに来ると、屈んで幼木をまじまじと見た。
屈んだ僕の胸くらいまでの背丈しかない、小さな木。幹は僕の腕よりも細いんじゃないかな。枝なんて強風が吹いたら折れてしまいそう。数枚の葉っぱが必死に枝にしがみついていて可愛かった。
「直感でこの幼木が気になった?」
「うーんと」
直感なのかな。いまいち自信が持てないよ。
「耳元にこう、なんかふわりとした気配を感じたんだよ。それで、気になった方を見たらこれがあったんだ」
僕の曖昧な表現に、しかしミストラルは確信したように頷いた。
「はい。それで良いの。でもまさか、こんなものが見つかるなんて」
ミストラルは感慨深そうに幼木と僕を交互に見ていた。
「それでは、これを持って帰りましょう」
「えええっ。これを持って帰るの?」
こんなに可愛い幼木を切って持って帰るの? ぽきっと折っちゃうの? 僕の驚き具合に、ミストラルは吹き出す。
「ちゃんと根を掘り起こして持って帰るわよ。それに、ここではこの幼木はこれ以上成長できないから、持って帰った方がこの子の為にもなるわ」
「ここでは育たない?」
「そう。ここは霊樹があるから。全ての栄養と竜脈は霊樹に吸い上げられて、この子の分がなくなってしまうのよ」
「そうなのか」
養分の取り合い。子木といえども自分の領域に生えるのであれば容赦をしない母木に、自然の摂理の厳しさを痛感した僕。
「それじゃあ、掘り起こして持って帰ろうか」
僕の決意にミストラルは頷き、二人で幼木の周りの土を掘り始めた。
土はとても柔らかくて、素手で掘っていても手が痛くならなくて良かったよ。
少し深めに掘ると、根の先が現れた。
するとミストラルは根の周りの土と絡まった蔦ごと幼木を引き抜く。
「エルネアは掘った土を元に戻してね」
言ってミストラルは上着を脱ぎだす。
わあわあ。慌てる僕。なんで急に脱ぎだすの。目のやり場に困っちゃうよ。
視線を慌てて逸らす、ふりをしてちらりと見てしまう僕。
「エルネア」
ミストラルの冷たい瞳と視線が合っちゃったよ。
「男の子だねぇ」
苦笑するミストラル。
「あははは」
僕も苦笑い。
ミストラルは上着は脱いだけど、ちゃんと中に別の服を着ていたよ。そろそろ暑くなる時季だったから、てっきり上着は一枚だけしか着ていないのかと思った。
少し残念な気持ちはあったけど、目のやり場に困らなくて良かったのかな。何が残念なのかは深く考えないようにしよう。
僕は気を取り直して、掘った穴を埋め戻し始める。
ミストラルは、脱いだ上着に水筒に残っていた水を湿らせて、幼木の根に巻きつけていた。
お互いに作業を終えると、帰路へと就く。
幼木はミストラルが大切に抱えて持ち歩いていた。
正直、ほっとしたよ。
だって、幼木とはいっても根に着いた土まであるんだ。意外と重いと思うんだよね。非力な僕じゃ途中で挫折していたような気がする。
ミストラルは女性なのに、と思う申し訳ない心はあるけど、竜人族のミストラルの方が明らかに力はあるよね。
僕の申し訳なさそうな表情を見て、優しく微笑むミストラル。
「今回は、まぁ。私に任せておきなさい。将来頼りになる男性になってね」
ふふふと微笑むミストラルに、僕の魂は救われたよ。いつかきっと、ミストラルに頼ってもらえるような立派な男になるんだ。
僕は決意とともに、手ぶらで古木の森を戻った。
とほほ。
「ほほう。よもや霊樹の幼木を見つけてこようとは」
苔の広場に戻った僕とミストラルが報告をすると、スレイグスタ老は目を丸くしていた。
スレイグスタ老でも驚くことだったんだね。
ミストラルがスレイグスタ老の前に幼木を置くと、スレイグスタ老は感慨深そうに眼を細め、顔を近づけてまじまじと見つめた。
「ふううぅぅぅぅぅっ」
「あああああっ、何やってるんですか」
「翁っ」
じっと見つめていると思ったら、この
爆風によって、小枝のように吹き飛ばされる幼木。古木の森の縁まで飛んで行っちゃった。
僕とミストラルは、慌てて幼木を拾いに行く。
「かかか。二人はなんぞ仲良くなったようだの」
僕とミストラルの慌てようを気にした様子もなく、僕たちの様子を見てスレイグスタ老は愉快そうに笑っていた。
いろんな意味で笑っている場合じゃないよー。
幼木に駆け寄り保護する僕とミストラル。
無事でよかった。幼木には傷ひとつ無かったよ。葉っぱの一枚も欠けていない。根元の蔦も無事。意外と強い子だね。
僕は幼木を抱きかかえて、広場に戻る。
「エルネア。幼木を置いたら今日のところは帰りなさい」
ミストラルも広場に戻りながら、漆黒の片手棍を抜き放っていた。
「ま、まてまてまてまて。早合点するでない。話し合えば我らは必ず分かり合える」
あわあわと前脚を慌てふためかせて、狼狽えるスレイグスタ老。
自業自得だよ。さすがの僕も、スレイグスタ老を白い目で見ていた。
というか、僕ってスレイグスタ老の空間転移がないと帰れないんだけど。
「翁、まずはエルネアの転送を。その後じっくりと話し合いましょう」
ミストラルは棘のついた片手棍の先端をばしばしと片手で叩きながら言う。
お、おそろしい。
スレイグスタ老は引きつった顔で、それでも素直に僕を転送しようと竜気を練り始める。
僕が幼木を少し離れたところに置いたあと、空間転移は発動した。
僕は眩い黄金の光に包まれる。
眩しさで瞳を閉じる前に、逃げようとするスレイグスタ老と迫るミストラルが少しだけ見えた。
……ミストラルだけは怒らせないようにしよう。
光の中で、僕は決意するのだった。
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