母は強し

「ふふ。ふふふ」


 ルイセイネが満足そうに微笑んでいた。


 なんでも、僕たちが王宮に顔を出している間に、色々と大変なお仕事をしてきたらしい。それを労うために、僕はルイセイネが所望しょもうするまま、抱き寄せて頭を撫でている。


 ルイセイネは巫女職という仕事柄、表舞台の華やかな席には参加することができないんだよね。

 僕たちが美味しい食べ物を食べたり賑やかに過ごしていた陰で、ルイセイネは頑張っていたんだ。

 ミストラルたちも、気苦労を重ねたルイセイネに気を使ってなのか、同じ部屋で寛いでいるのに邪魔をしてくるような様子はない。


 ここは、実家の僕の部屋。

 ようやく新年の挨拶周りが全て終わって、ひと息ついているところ。

 なぜだろうね。遠い見知らぬ地で冒険しているよりも、こうして近所を行ったり来たりしている方が疲れちゃう。とくに、王宮では肩が凝って仕方がなかったよ。着慣れない正装に身を包み、慣れない言葉遣いや作法のおかげで、目を回して倒れそうでした。


 早々に逃げ出したプリシアちゃんがうらやましい!

 聞けば、カレンさんと王都を探検してきたんだって。

 可愛らしい竜騎士プリシアちゃんと忠実な従者カレンさんは、ここ数日の間に王都中の噂になっていた。


「エルネア君、今度はなにを妄想しているのですか。手がおろそかになっていますよ?」

「おおっと、これは失礼しました。というか、妄想なんてしていないからね?」


 僕は、ルイセイネの頭を撫でている方の手ではなくて、彼女の細い腰を抱き寄せていた腕に力を入れる。

 ルイセイネは抵抗することなく僕に密着してきて、また満足そうに微笑んだ。


 さぁて、次はどうしてくれよう?

 僕は夫で、ルイセイネは妻だからね。

 まだ太陽は高い位置にあるけど、よこしまな心を働かせても大丈夫!

 むしろ、健全なんじゃないかな!?

 このまま後ろに押し倒そうか。それとも、腰に回していない手を頭の上から下に移して、つつましいお胸様を攻めようか。

 ルイセイネのくちびるは、今日もうるおってます!


 ルイセイネも、きっと次を期待しているはず。……だよね?


 周りにはミストラルやライラ、それにユフィーリアとニーナもいる。

 だけど、最初にミストラルが「今日はルイセイネに甘えさせてあげるわ」と言ってしまったせいで、本人は妨害に入れない。

 王宮で暗躍したユフィーリアとニーナはミストラルに頭が上がらない状況だし、ライラはルイセイネに逆らえないし。

 ということで、目の前で乳繰ちちくり合う僕とルイセイネを妨害する者はいない。


 これは、もしや……!


「ルイセイネ」

「エルネア君……」


 見つめ合う、僕とルイセイネ。


「エルネア、いるかい?」

「「きゃーっ!」」


 しかし、甘いひと時は一瞬にして崩壊してしまう。

 ミストラルたちへと見せつけるように、わざとルイセイネを抱き寄せて押し倒そうかとしていたら。

 突然、寝室の扉を開けて母さんが入ってきた。


 は、恥ずかしい!


 僕とルイセイネは悲鳴をあげて、慌てて離れてしまう。

 母さんは、寝具の上でたわむれる僕とルイセイネを見て、吹き出してしまった。


「なんだい。お邪魔だったかしらね?」

「いいえ、お義母かあさん。丁度いい頃合いでした」

「そうかい? それなら良かった」


 ミストラルたちも笑っていた。

 僕とルイセイネだけが、顔を真っ赤にしてあたふたとしていた。


 妻たちに見られているのは恥ずかしくない。

 だけど、母さんは別です!

 僕の全てを知っている母さん。でも、それとこれとは別です。

 ルイセイネだって、僕やミストラルたちの前では幾らでも甘えてこられるけど、しゅうとめには見られたくないよね。


 僕とルイセイネの恥じる様子がよっぽど可笑しかったのか、母さんはお腹を抱えて笑っていた。

 部屋の前を通りかかった使用人さんが、何事かと部屋を覗き込んでくる。そして、首を傾げながら過ぎ去っていく。


「あははっ。こんなに笑ったのは久々だよ。なぁに、夫婦仲が良いってことは恥ずかしいことじゃないよ。ほら、夫のあんたが堂々としな」

「ぐうう。そんなこと言われたってさ……。それで、母さん。なにか用じゃないの?」


 僕は逃げ込んだ布団から頭だけを出して、頬を膨らませて母さんをめつける。


「ああ、そうそう。エルネア、今度のことなんだけどね……。ミストさんがいるなら、こっちに聞いた方が良いかしらね?」

「あっ、母さん。今、僕を頼りにならないって思ったでしょ!?」

「実際に、あんたは頼りにならないでしょう? ミストさんの方が何倍も頼りになるわよ」

「くうっ、言い返せない!」


 ひどい母親です。

 実の息子よりも、お嫁さんの方を信頼しているなんてさ。


「で、さ。ミストさん。着ていく服はこんなんで良いのかしらね?」


 母さんは、室内だというのにこの上なく厚着をしていた。

 獣人族のなかでも屈指の皮加工技術を持つ皮剥かわは猿種さるしゅ丁寧ていねいになめした分厚い毛皮の衣服。頭巾ずきんには、上質なふかふかのうさぎの毛が使われている。手袋もしている。親指だけじゃなく、五本の指が全部個別に動かせるような、上等な仕上げの手袋だ。

 ぱっと見は、今から雪山にでも入るのか、というような装備をしていた。


 ミストラルは、そんな重装備の母さんを遠慮なく上から下へと見る。そして顎に手を当てて、考え込んだ。


「おそらく、道中はのんびりとした行程になりますので、汗はかかないと思います。なので、それくらい厚着の方が良いかもしれませんね。ただ、天気が悪くて寒いときには想像以上に冷え込みますので、その上から更に防寒用と防風対策を兼ねた革製の外套がいとうを準備していた方が良いかもしれません」

「おやまあ。そんなに寒いのかい?」

「立春後ではありますが、真冬の平地よりもうんと寒いですよ」

「本当に、そんな過酷な場所へ私らが行っても大丈夫かねえ?」

「それは、問題ありません。わたしたちがきちんと護衛しますし、なにより竜族が一緒ですから」


 いやいや、ミストラルさん。そこは一家の大黒柱たる僕がいるから、と言って欲しいですよ?


 というわけで、母さんたちは旅に出ます。

 えっ!?

 意味がわからない?

 僕も、最初に話をもらったときには、意味がわかりませんでした。


「エルネア君。私たちはミストさんの村へと行きます!」


 そう切り出したのは、ユフィーリアとニーナの母親であるセーラ様だった。

 王宮に顔を出したら、いきなりそう言われました!


 竜峰は、本当に危険な場所だ。

 未だに、最東端の村へとたどり着けた冒険者は数える程度。竜峰の奥地にあるミストラルの村どころか、入り組む山脈の浅い場所にある竜人族の村にさえ、自力ではまだひと組も冒険者たちは到達していない。

 それを知っていて、母親連合ははおやれんごうはそう言うのです。


「コーネリアさんばかりにこちらへと来てもらっていては申し訳ないわ。と言うわけで、私たちもミストさんの村、いいえ、コーネリアさんの村へと行きます!」


 僕たちへの事前の相談は一切ありませんでした。

 迎える立場になるコーネリアさんと、セーラ様と僕の母さん。それと、ルイセイネの母親であるリセーネさんの四人で決めたらしい。

 羽目を外しそうにもない上級戦巫女のリセーネさんや、しっかり者のコーネリアさんがいて、なぜすんなりと計画が進んだんだろうね。


 ともかく、こうして母親連合は旅行計画を立てて、僕に事後承諾じごしょうだくを頼んできたんだ。

 そして僕は、仕方なく計画のほころびを埋める作業に着手させられた。

 最も大きな問題といえば、安全面だ。

 凄腕の冒険者でさえ困難な道程を、高貴な身分の王妃様や、まともに旅行さえしたことのないような母さんが行くわけです。

 まさに、無謀としか言えません。


 でもだからこそ、僕は母さんに竜峰の景色を見せてあげたいと思っちゃった。

 今でこそ何不自由のない生活を送っている父さんと母さん。だけどほんの数年前までは、魔晶石ましょうせきを節約して薪木まきぎを竜の森から採ってくるくらい貧しかったんだ。

 そんな苦労をしてきた母さんには、これからは色々と楽しんでもらいたい。

 最初の旅行先が竜峰というのは考えものだけど、まあ多分、大丈夫でしょう。


「職人が立派なくらを準備していたわ」

「召使いが必要なものを準備していたわ」

「竜騎士団に所属していない野生の竜族に取り着ける鞍なんて、アームアード王国にはないよね。それを言われてすぐに準備できるものじゃないし、計画は随分前から練られていたんだね?」

「あんた達には内緒でね。でもまあ、あんた達はいつも忙しそうにしていたから、露見する心配はなかったよ」


 笑う母さんは、実に楽しそうだ。

 よっぽど、この旅行が待ち遠しいんだろうね。僕もよくわかる。冒険前の、計画を練っているときが最も心躍らせるときなんだよね。


「お供をしてくださる地竜の皆さんは、もう到着していますわ」

「本当に飛竜じゃなくて良いんですか?」

「ミストさん、気遣いありがとうね。でも、せっかくの旅なんだから、のんびり行きたいんだよ」


 母さんたちから旅行計画を暴露された当初は、リリィや飛竜たちに協力を頼もうかと計画していた。

 だって、飛竜なら安全安心、そして速いからね。

 だけど、セーラ様がそれをこばんできた。

 地上をゆっくりと進んで、竜峰の自然を満喫したいんだってさ。

 護衛するこっちの気苦労は考慮されていません!


 それで、地竜たちにお願いをしたんだ。

 母さんたちを歩かせるという考えは、最初から無い。

 竜気を宿していた僕がやっとの旅だったんだ。運動が苦手な母さんだったら、半日も経たずにを上げちゃうのは目に見えているからね。


 予定だけ立てて計画を丸投げしてきた母親連合は、わがままし放題です。

 たぶん、僕の母さんとルイセイネのお母さんは自重を促したはずだ。だけど、ユフィーリアとニーナの母親がねぇ……

 あの娘あって、この母親あり、とはこのことです。

 母親連合主にセーラ様は、更にとんでもない決断をしていた。


「それで、父さんたちは本当に行かないの?」

「父さんは、仕事が忙しいんだってさ。あの人は根っからの仕事人だからね」

「父様は、仕事だわ」

「父様は、留守番だわ」

「父も、儀式への参加が重なってしまったみたいです」

「ヨルテニトス王国の陛下は来られませんわ」


 なんと、母親連合は夫を置き去りにして、自分たちだけで楽しむらしい!

 王様は公務。僕の父さんは仕事だなんて言っているけど、ずっと前から計画を練っていたのなら、事前に仕事を調整したり、用事を回避するような日程にしているはずだよね。

 それなのに、この有様ありさまです。

 王宮でセーラ様に旅行計画を打ち明けられた王様は、今にも泣きそうなくらい残念がっていた。

 僕の父さんは苦笑していただけだけどね。


「仕方ないなぁ。なら、父親連合には今度、魔王の国へと連れて行ってあげよう」

「おやまあ。それは父さんがひっくり返っちまうね」


 母さんはもう一度はお腹を抱えて笑い、ミストラルたちは苦笑していた。


 もっともっと、両親たちにはいろんな場所へと案内したい。

 獣人族が住む北の地。ヨルテニトス王国や、さらに東の新世界。

 いずれは、耳長族の村へと行けるようになれば良いな。


 そして、いつか禁領の僕たちの家にも招待したい。


「エルネア。お義母さんたちの旅行計画も大切だけど、貴方はその前に、自分の用事を済ませることを忘れないでね?」

「大丈夫だよ。立春になったら、フィレルに会いに行くんだよね」


 もう間も無く、今年の立春。

 一年間、苦労してきた少年少女が帰ってくる時期。そして、希望に夢を膨らませる新たな若者たちが旅立つ季節だ。


 ついこの間までヨルテニトス王国とそこから東に広がる大森林で活動していたのに、また向こうに行かなきゃいけない。

 でも、今度は騒動を巻き起こすためじゃなくて、フィレルの冒険を聞くためだ。


 母親連合の旅の準備と同時に、僕は自分の旅の支度も整えるのだった。

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