喧嘩両成敗?
「リリィを返してもらう」
「ええい、
「なにを今更。リリィはまだ幼い。遊ばせてやれ」
「遊ばせるにしても、
「また、なにか悪戯でも思いついたのか。
「かかかっ。老いぼれた者にはわかるまいよ。我も先を
「なんだ、死にかけているのか。ならば、私がこの場で引導を渡してやろう」
僕はレヴァリアに騎乗したまま、苔の広場を見下ろしていた。
なにやら、お取り込みの様子です。
スレイグスタ老はいつもとは違って起き上がり、目の前に立つ小さな人影に牙を剥き、
だけど、スレイグスタ老の前に悠然と立つ人影は、竜の森の守護者が見せる恐ろしい威嚇なんて微塵も気にした様子はない。
そして、話題の中心であるリリィは、そんな両者を楽しそうに見比べていた。
「よし、別を当たろう」
『巻き込まれてはごめんだ』
そそくさと
「帰すものか。この私が、其方らに気づいていないとでも?」
「しまった、レヴァリア!」
『くっ』
苔の広場に立つ人影は、スレイグスタ老から上空の僕たちへと視線を移す。
あれは、いけない瞳だ!
僕たちを巻き込む気満々の、悪魔の視線です!
急いでこの場から離れようと、レヴァリアは大小四枚の翼を荒々しく羽ばたかせる。
だけど、間に合わなかった。
かっ、と霊樹の巨木が造る枝葉の隙間に
直後。僕を乗せたレヴァリアに、雷光が降ってきた。
避けることもできず、落雷を受けるレヴァリア。
悲鳴をあげ、苔の広場へと真っ逆さまに落ちる。
僕もレヴァリアの背中から投げ出され、苔の上に無様に倒れた。
「老いぼれは加減を知らぬ。歳をとりすぎたせいで、器用さを失ったか」
「何を言う。これでも手加減はしている。本気であれば、其方ごと
地上に落下した僕とレヴァリアだけど、
だけど、電撃によって全身が
「よかろう。老婆とは違い、良心を持つ我が汝らを癒してやろうではないか。かかかっ、我に感謝せよ。ぶぇっっっっくしょんっ!」
「ぎゃーっ!」
悲鳴をあげたのは、もちろん僕です。
こんなときにでも、悲鳴だけは出るんだね。
じゃなくて!
スレイグスタ老の容赦ないくしゃみと大量の鼻水は、僕とレヴァリアだけじゃなく、眼前に立っていた人影をも呑み込む。
うん、あれは絶対にわざとだね!
だけど、スレイグスタ老の動きを読みきっていた人影は、鼻水の大洪水が届かない範囲に瞬間移動して回避していた。
「ほほう、私をその汚らしいものに巻き込もうとするとは、いい度胸だ」
「汚らしいとは失礼であるな。我の慈悲を受ければ、
「いいだろう。そこまで言うのであれば、私も竜の丸焼きを作ってくれる。喜べ。エルネア、リリィ、とれとそこの飛竜よ。
対峙する両者。
一触即発の状況に、だけどリリィは瞳をくりくりと輝かせて、楽しそうに
「はい、おじいちゃんも魔王も、そこまでーっ!」
僕はたまらず、間に割って入った。
このままじゃ、更なる犠牲者が出ちゃう。
僕とか、レヴァリアとか!
鼻水の大洪水から抜け出した僕は、慌てて人影、つまり巨人の魔王の服の
そして、スレイグスタ老に視線を向けて、落ち着くように促した。
「もう、なにを喧嘩してるんですかっ。落ち着いてください」
スレイグスタ老と巨人の魔王が本気で暴れ出したら、神聖な場所が滅茶苦茶になっちゃいますよ。
そうしたら、次代を担うリリィだって困ると思うんです。
「私は楽しいから良いですよー」
いいえ、駄目です!
「と、とにかく、みんな落ち着いて。そう、そこのレヴァリアもね?」
『ちっ』
スレイグスタ老の有難い秘薬によって全快したレヴァリアが、僕たちの背後で不機嫌そうに翼を広げていた。
きっと、空気に触れる表面積を増やして、早く乾燥させたいんだろうね。
だって、僕もそうだけど、全身どろどろの鼻水まみれですから。
「そうと認識しておいて、私の服を掴んだということだな?」
「はっ!?」
僕は恐る恐る、自分の手もとを見る。
ぬらりとした液体がべっとりとついた僕の手は、魔王の
そして、魔王の服にも、スレイグスタ老の鼻水が!
「き、気のせいですよ?」
ははは、と笑って誤魔化そうとしたけど、睨まれて硬直しちゃう。
「エルネア君が火に油を注ぎに来ましたよー」
「こらっ、リリィ。僕はそんなつもりで来たんじゃないんだからねっ」
僕とレヴァリアは、大切な用事があって来たんです。
急いでいるんです。
「ほほう、用事とな? それは、我に加勢するという用事であると理解しよう」
「おじいちゃん、なにを言っているのかな?」
「用事であれば、私にであろう。エルネアは私に随分と借りがあるはずだ。さあ、其方の用事とは私の味方になることだと言え。言わねば殺す」
「魔王も、なにを言ってるのかな!?」
はなっから、こちらの用事なんて聞こうとしていないスレイグスタ老と魔王は、僕を巻き込もうとしています。
リリィ争奪戦へと。
だけど、本当に僕は急いでいるんです!
百年後でも出来そうな喧嘩は、後にしてください!
「そ、そうだ! 両者の意見よりも、リリィの意見を尊重すべきだと思うんですよね。それで、リリィはどっちについて行きたいの?」
事態を収拾させようと発した言葉だったけど、やはり火に油を注ぐ結果にしかならなかった。
「私は、エルネア君と一緒に行きますよー。そっちが一番楽しそうですしー」
「えええっ!」
くるくる、と可愛らしく喉を鳴らすと、リリィは僕の影にするりと溶け込んだ。
そして、スレイグスタ老と魔王から睨まれる僕。
なんでこうなった!?
僕はただ、霧の化け物について調べに来ただけだというのに。
急いで戻らなきゃ、ドゥラネルが危ないんだ。
神族と天族の動向も気になるし、そもそも、このまま竜峰に危険な存在を長く留まらせておくわけにはいかない。
「ほほう、神族とな?」
すると、僕の思考を読んだスレイグスタ老が反応した。
「よかろう。汝は真剣に時間を気にかけておるようだ。ならば、話を聞くとしよう」
「くくくっ。つい先日まで魔族の国で暴れていたと思ったら、もう新たな騒動か。リリィの言う通り、其方が一番面白い」
巨人の魔王も、僕がまた騒動に巻き込まれたと知ると、興味を持ったように見つめてきた。
僕は両者に促されて、霧の化け物に関する話を語った。
「ねえねえ、霧の化け物、多分妖魔なんですけど、どうすれば宿主から切り離せるか知ってますか?」
霧の化け物は、水滴も残さず消しとばさないと、無限に再生してしまうという。
だけど、そもそもドゥラネルと霧の化け物を分離しなきゃ、こちらは手の出しようがない。
「面倒なことは考えず、神族と天族諸とも、その子竜と妖魔を消し飛ばせばよかろう」
「はい、魔王の身も蓋もない意見は却下です!」
ドゥラネルだけじゃなく、何気に神族と天族を巻き込まないでくださいね。
というか、神族のアレクスさんでも霧の化け物を消し飛ばせなかったというし、きっと並大抵の術では消滅させられないと思うんです。
天族のルーヴェントは、アレクスさんを「闘神」と言っていたよね。
闘神が何かなんて詳しくは知らないけど、アレクスさんは神族のなかでも強い人なんじゃないかな。
魔族で言うところの、上級魔族とか貴族みたいな。
「ほほう、闘神と? よもや、あれに末裔がいたとは……」
「闘神とな。はて、我は知らぬが?」
「おじいちゃんは知らないの? なのに、魔王は知ってる?」
どうやら、スレイグスタ老でさえも知らないことらしい。
だけど、魔王は首を傾げる僕たちに対して、色よい返答はくれなかった。
逆に、なにやら悪いことを思いついたような笑みを浮かべて、僕を見てくる。
危険だ!
この笑みは、恐ろしく危険だ!
「くくくっ、
「いやいやんっ。それは駄目です。アレクスさんはたしかに神族で僕たち人族を下に見る傾向はあるかもしれないですけど、良識人でもあるんですよ。僕にこうして時間の猶予をくれるくらいにね」
というか、その「のちの騒動」を画策しようとしているのは、魔王じゃないのかな?
しまった、情報を絞ればよかった。
「汝が思い浮かべた時点で
「そうでした……」
がっくりと
「駄目だ。魔王の意見は役に立たないよ。おじいちゃん、お願い。知恵袋を貸して」
「ふぅむ……」
金色の瞳を閉じて、思考の迷路から答えを探すスレイグスタ老。
だけど、時には残酷な選択さえも選びながら二千年の長きにわたって竜の森を守護してきたスレイグスタ老と、慈悲を捨てきれない僕とでは立場が違う。
「霧の化け物なる妖魔ならば、たしかに過去何度か滅したことはある。だが、宿主から切り離す方法は、我も思いつかぬ。我であれば、心に傷を負うことになろうとも宿主ごと滅ぼし、
スレイグスタ老にとって、竜の森と霊樹を護ることこそが最上級の使命だ。だから、ときには辛い犠牲にも目を
でも、僕がいま求めているのは、そんな悲しい解決方法じゃない。
スレイグスタ老もそれを知っているから、まだ瞳を閉じて思考を巡らせてくれていた。
「私やスレイグスタ
いやいや、僕にもそんな大規模破壊は無理ですからね?
とはいえ、ドゥラネルと霧の化け物さえ分離できれば、もう問題は解決したようなものだとも感じる。
分離さえできれば……
「世界を駆けまわれば、どこぞの者が答えを有しておるやもしれぬ。だが、汝には時間がない」
「はい。猶予は今日だけなんです」
むむむ、と珍しくスレイグスタ老が唸る。
真面目に考えてくれているんだね。
僕も、これまでの経験や知識に答えが埋まっていないかと考え込む。
そんな僕たちを見た魔王が、くすりと笑った。
「やれやれ。どうやら、其方は無自覚であるらしい」
「どういうこと?」
魔王の言葉に、首を傾げる僕。
「
僕が、すでに答えを持っている?
いったい、その答えとはなんだろう。もっと詳しく聞きたいけど、きっと魔王は教えてくれない。
それよりも、気になる言葉を魔王は口にした。
「妖魔なんぞは、片手間だと思っておいたほうがいい。それよりも、その闘神の末裔という神族に気を払うことだ」
「アレクスさんに?」
「その者が
「えええっっ!」
いったい、僕とアレクスさんを繋ぐ関係性ってなんだろう?
僕は、アレクスさんに
「エルネアよ、神族と事を構えるのであれば、神術には気をつけよ。目先の派手な演出に惑わされるではないぞ? 神術の
「いやいや、おじいちゃん。僕は神族と対立なんてしたくはないですからね? でも、その『神言』の効果はもう見ました。発した言葉と効果は別物であるってやつですよね?」
ルーヴェントが
「
「そうですね」
ということは、ルーヴェントが口にした神術の説明は表層的なものでしかなくて、本当に警戒しなきゃいけないことは、別にあるってことだよね。
じゃあ、その真髄とはなんだろう……?
「老婆の言葉を借りるわけではないが、我からも言っておくとしよう。答えは既に汝自身が持っておる。心して挑むことだ」
「はい!」
ドゥラネルと霧の化け物を分離させる具体的な方法は手に入れられなかった。
だけど、収穫はあった。
既に僕は答えを持っているという。
その答えがなんなのか、これ以上はスレイグスタ老も魔王も教えてはくれない。
両者であれば、宿主ごと消し飛ばす。それが簡単な解決方法で、嫌ならあとは自分で考えろ、ということなんだろうね。
助言と同時に、厳しさも突きつけてくる。
でも、それを乗り越えていかないと、僕はこれからの長い人生を乗り越えられない。
スレイグスタ老と魔王の言葉の奥に隠された優しさに、僕は自然と頭が下がる。
「ありがとうございます。頑張って解決の糸口を見つけ出します!」
深く一礼すると、僕はレヴァリアへとつま先を向けた。
だけど、そんな僕の背後で、にやりと笑みを浮かべる魔王の気配が。
レヴァリアが警戒に喉を鳴らす。
「くくくっ。随分と面白そうな状況になっているところを、私が簡単に見逃すとでも?」
「魔王はなにを言っているのかな……?」
嫌な予感がします!
だけど、振り返らずにはいられない。
緊張の
「今日までが期限と言ったな? では、私は其方の邪魔をして、期限までに帰れぬようにしてくれよう」
「えっ……」
「間に合いたくば、必死になって逃げることだな」
「ええーーーっ!」
どうやら、霧の化け物や南からの来訪者に対処する前に、魔王をどうにかしないといけないらしいです!!
僕は悲鳴をあげて、魔王の前から逃げ出した。
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