お母さんが増えました
「ルイララ坊やは元気にしているかしらぁ?」
「はい。この間も、巨人の魔王のお使いで遠征していましたよ?」
「まあまあぁ、聞かせてほしいわぁ。あの子ったらぁ、反抗期でなかなか私に会いに来てくれないのよぉ」
「は、反抗期なんですか? 今度ルイララに会ったら、人魚まさに会いに帰るように伝えておきますね」
「オリヴィアお母さん」
「えっ!?」
「エルネア坊やも、私のことはオリヴィアお母さんと呼んでねぇ。ルイララ坊やの大切なお友達ですものぉ。それならぁ、エルネア坊やも私の可愛い子供ですよぉ」
「えええぇぇっ!」
僕は困惑しています!
北の海を知る者の全てが揃って口にする、恐るべき絶対の君臨者。それが、北の海の支配者だ。
だけど、僕に抱きついたまま大海原を泳ぐその本人は、とてもおっとりとした口調で、溺愛する息子のことを質問してくる。
僕は、北の海の支配者の機嫌を損なわないようにと、ルイララのあれやこれやを話す。すると、北の海の支配者は心底楽しそうに海面を跳ねたり、嬉しそうに微笑むんだ。
僕たちに植え付けられた北の海の支配者の人物像。それと実在の本人を比較すると、あまりにも違いがありすぎた。
きっと、北の海の支配者ときちんと接触した者は存在しないんじゃないかな?
もちろん、シャルロットやルイララといった関係者であれば北の海の支配者と関わることはあるだろうけど、身内に近い者が北の海の支配者の実像を口にすることはない。
そして、北の海へと無謀に侵入したものは、
だから、北の海の支配者の実像が陸地に住む者に知られることがなかったんじゃないかな?
と、僕は困惑する思考を整理する。
それでもやっぱり、伝え聞いていた北の海の支配者と人魚さまを比較すると、混乱しちゃうよね。
特に、ルイララの人魚姿と人魚さまの姿、というか大きさが違いすぎて本当に母子なのか疑っちゃいます!
「ところで、人魚さま。人の住んでいたという小島ってどの辺にあるんですか?」
「むうぅ。エルネア坊や?」
子供のように頬を膨らませて抗議の視線を僕に向ける人魚さま。
「うっ……。オ、オリヴィアお母さん?」
「ままあぁ、嬉しいわぁ」
僕に「お母さん」と呼ばれて、人魚さまは本当に嬉しそうに微笑む。
そして、ばしゃんっ、海面を跳ねた。
すると、上空を追従している天馬たちが、怯えと驚きから一目散に逃げた。それでも、こちらを見失わないようにと、
天馬たちはそうやって、大海原を泳ぐ人魚さまの動きを慎重に見定めながら、こちらを追いかけてきていた。
上空のみんなは大変だなぁ、と申し訳なくなっちゃうよね。
アリスさんは、今頃は何を思っているのかな?
ようやく、念願の小島へと辿り着ける。
愛した神官さまの生まれ故郷。
そこで、アリスさんはどうするんだろうね?
僕は、絶対に巫女殺しなんて大罪は犯さない。
であれば、アリスさんは小島へたどり着いた時に、どんな想いからどんな選択肢を選ぶのか。
今の僕たちには想像もつかない。
そして、ミシェルさんや四人の戦巫女さまたちも複雑な思いを巡らせているはずだ。
大切な母親を失いたくないミシェルさん。
敬愛する巫女騎士さまを死なせたくない、戦巫女さまたち。
だけど、状況は自分たちの思うようには進まずに、それどころかアリスさんが死地と定めた小島へと進んでしまっている。
自分たちに何ができるのか。どうすればアリスさんを聖地へ連れ戻すことができるのか。きっと凄く思い悩んでいるはずだよね。
そんな上空の者たちの複雑な心境を知ってか知らずか、人魚さまは僕とアレスちゃんを抱いて大海原を優雅に泳ぐ。
近くには、
クナーシャちゃんは、本当に大きいね。
浮上していると、クナーシャちゃんの背中が小島に見えてくるほどに。
定期的に、天馬たちが飛び疲れると、クナーシャちゃんの背中の上に降りて、休憩を入れていた。
天馬たちの飛行能力はやはり飛竜のようには優れていなくて、長距離の飛行は大変そうだね。
クナーシャちゃん、ありがとう!
『構いませんよ。ですが、天馬たちが飛べなくなるほど疲れ果てる前に目的地へと辿り着くでしょう』
竜心で、クナーシャちゃんの声が届く。
北の海に暮らすクナーシャちゃんも、人の住んでいた小島を知っているみたいだね。
と思考を巡らせて。そこでようやく違和感に気づく。
「人が住んでいた? ……過去形?」
人魚さまは「人の住んでいる」と現在進行形の伝え方をしなかったよね?
ということは、現在はもう、その小島には誰も住んでいないのかな?
というか、そもそも向かっている小島が神官さまの生まれ故郷であるという確信もないよね?
北の海には、どれだけの島や陸地があって、どれだけの人が住んでいるんだろう?
僕の浮かべた疑問に、人魚さまがおっとりとした口調で答えてくれた。
「島はたくさんありますよぉ。ですが北の海域の冬は特別に厳しいみたいですからぁ。人は長くは暮らせないのですねぇ」
人々は厳しい環境ながらも、多くの島や陸地に分かれて暮らしていた。
極寒の時季は大陸に渡って、いろいろな島の人たちがみんなで肩を寄せ合って
だけど、北の海の支配者、即ち人魚さまが北の海を完全に支配すると、人々は海を自由に渡ることができなくなってしまった。
すると、島や陸地に取り残された人々は、閉鎖された小さな生活空間や極寒の季節に耐えきれずに、徐々に数を減らしていったという。
「それでぇ。最後に残っていた小島の人族もぉ、三十年くらい前に滅びたのですよぉ」
「さ、三十年前!?」
混乱する僕。
アリスさんの夫だった神官さまは、小島を何かの理由で出た後に、運良く大陸に漂着できたんだよね?
そしてアリスさんと出逢って結婚をして、ミシェルさんが生まれた。
でもそこで、人魚さまの話と僕の認識との間に
だってさ?
アリスさんの見た目は、どう
それなのに、北の海の小島に住んでいた人々の生き残りは、三十年ほど前に滅びたという。
それって変じゃない?
北の海で暮らしていた人々が約三十年前に滅びたというのなら、三十歳手前くらいのアリスさんが出逢った神官さまとの話に
小島に暮らしていた人々が何かの理由で滅びた頃に、アリスさんが生まれたとして。そこからアリスさんが成長して、大陸の北で神官さまに出逢ったとして?
それじゃあ神官さまは、小島の人々が滅んでからアリスさんと出逢うまでの何年もの間、北の海を漂流していた?
いやいやいや、それは有り得ないよね。
実は天然な性格でおっとりとした人魚さまだけど。でもやっぱり、その能力と北の海を支配するという絶対の立場は揺るがない。
だから、何者であろうとも北の海に入った者には容赦をしない。
神官さまが何年も漂流しただなんて
神官さまが運良く大陸に漂着できたのは本当に奇跡なんだ。北の海の支配者が、たまたま見過ごしてしまっただけ。
もしかしたら、ルイララと仲睦まじい時間を過ごしすあまりに、人魚さまの意識に引っ掛からなかったのかもね?
ともかく。
アリスさんの話と人魚さまの話には大きな時間的齟齬がある。
きっとそこに、アリスさんがまだ口にしていない秘密や事情があるんじゃないかな?
「あっ、そういうことか!」
ひとつ、思いついた。
アリスさんは、聖域を守護する巫女騎士という特別な地位の戦巫女さまだ。
同じ聖域に暮らすミシェルさたち普通の戦巫女さまとは違い、聖域の霊樹や
それって、僕たちと似ているよね?
禁領に暮らす僕たち。
霊樹ちゃんと関わり、ミシェイラちゃんや竜神さまとも関係を持つ。
つまり、アリスさんは……!
「僕たちと同じで、寿命という制約を受けない者なんじゃないかな?」
そう考えると、
アリスさんの年齢を、見た目では判断できなくなる。
僕たちと同じで、精神年齢に比例した外見を維持し続けるのなら、アリスさんの実年齢はもっと上の可能性があるよね。
そして、アリスさんの実年齢が見た目以上だとしたら?
三十年ほど前に滅びたという、北の海に住む人々の営み。
実の母娘なのに、ミシェルさんの見た目の年齢とアリスさんの見た目の年齢が近すぎる疑問。
「つまり、アリスさんは三十年前くらいに大陸に漂着した神官さまと結ばれて、ミシェルさんを生んだ。でも、アリスさん自身は歳を取らないから、だんだんと娘のミシェルさんと見た目の年齢が近くなった?」
そして、神官さまもそうすると、結構な年齢だったんじゃないかな? と思えてくる。
僕たちは、本当に特殊な立場なんだという自覚はある。
愛する家族全員で、寿命を克服できた。
だけど、普通は違う。
あのバルトノワールがそうだったように。
たとえ身近な者、愛し合う者でさえも、資質を示さなければ超越者たちには認められない。
そして、アリスさんやミシェルさんから神官さまが「特別な地位」の人物だとは聞かなかった。
アリスさんの夫はあくまでも「神官」であり、特別な地位の何かではなかった。
だとすれば、神官さまは寿命には逆らえずに、それなりに老いていたはずだよね?
「これがアリスさんの口にしない秘密? ううん、まだ考えが足らないよね? それくらいは、同郷のミシェルさんたちなら説明を受けるまでもなく知っているはずだからね」
それでも、無関係ではないように思える。
僕たちは知っている。
たとえ寿命という制約から解放されたとしても、時として人は死を求めてしまうのだと。
ルルドドおじさんがそうだった。
長く生きた先に人生に飽きてしまい、死を求めていたよね?
バルトノワールもそうだった。
愛する者や大切な仲間たちを失って、絶望に深く囚われてしまっていた。
アリスさんもまた、愛する神官さまを失ったことで、思い詰めているんじゃないかな?
そこへ追い打ちをかけて、聖域の守護という大切なお役目を裏切ったという正義感に押し潰されて、死を望んでいるのかな?
もしも、そうだとしたら。
僕は、どうすれば良いのかな?
ルルドドおじさんの時のように、新たな人生の
バルトノワールの時のように、対立するしか道は残されていない?
僕は、海から上空を見上げる。
白い天馬が、五騎の黒い天馬たちとは距離を取って上空を走っていた。
「お母さんはぁ、陸地のことには興味がないので詳しくは知りませぇん。でもねぇ? 小島に残っていた最後の人族はねぇ。急にみんな死んだのよぉ?」
「えっ? それってどういうことですか?」
「お母さんは知らないのよぉ。でもぉ。お空のあの巫女様は理由を知っているのじゃないかしらねぇ?」
「アリスさんがまだ秘密にしていること……。そのひとつに、小島の人々が急にみんな死んだことも含まれるのかな?」
神官さまの生まれ故郷の小島で、いったい何が起きたのか。
約三十年前の真相に、答えがあるのかもしれないね?
「さあ、ここからは少し海が荒くなりすからねぇ。エルネア坊やはちゃんとお母さんに掴まっているのですよぉ」
「はい、オリヴィアお母さん!」
「うわきうわき」
「アレスちゃん、誤解だよ!?」
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