霊樹の吹雪

 激しい斬撃とは違った。

 代わりに、新緑色に眩く輝く霊樹の精霊剣から若葉の津波がほとばしる。

 視界を埋め尽くすような緑の若葉が、大波となって始祖族の巨人を飲み込んだ。


「ぁああぁぁっっ!!」


 始祖族の巨人が、うめきとは違う声を漏らす。

 振り下ろされた霊樹の精霊剣からは止まることなく若葉が放たれ続けていき、始祖族の巨人だけでなく側の霊樹を模した巨大な柱まで取り込んで激しく渦を巻く。

 あっという間に、始祖族の巨人と霊樹を模した大柱は若葉の竜巻で見えなくなる。


「ああ……。ああぁぁ……」


 自我を失った始祖族の巨人が漏らす声だけが、葉のれる音に紛れて途切れ途切れに届いた。


 僕の傍で、スラスタールが呆然ぼうぜんと前方を見上げていた。

 先祖から受け継いできた歴史が、目の前で崩れ去っていく。

 スラスタールは、何もできなかった自分の不甲斐なさに打ちひしがれて、目の前の光景を見つめることしかできない。

 でも、ここでスラスタールに同情して手を止めるなんて選択肢は、僕たちにはない。

 たとえひとつの歴史が終わろうとも、僕たちが無事に脱出するためには、手抜きなんてできないんだ!


 僕の意志に反応するかのように、若葉の津波はその規模を広げていく。

 始祖族の巨人と大柱を竜巻で飲み込んだ霊樹の若葉が、渦を広げて地下空間全体に広がり始めた。

 最初の大波は、建ち並ぶ建物の倍くらいの高さだった。それが何度も押し寄せる大波となって高さを増していき、次第に全てを取り込んでいく。

 ざああっ、と僕の視界も若葉に覆われた。


 振り下ろされた霊樹の精霊剣からは、今も止まることなく若葉が溢れ出していた。

 視界を埋め尽くし、地下空間を満たす若葉の大渦。

 僕やスラスタールだけでなく、ユフィーリア、ニーナ、セフィーナさん、そして神族たちや魔物の大群の全てが、若葉に飲み込まれた。


 わっ、と神族が慌てる声が聞こえた。

 何が起きたのかわからないまま視界を奪われ、周囲を若葉の波で埋め尽くされたんだ。戸惑った神族たちが、力ある言葉を口にして若葉を払おうとする。だけど、神術でさえ若葉の波を止めることはできない。

 若葉の大波は乱れることなく渦を巻き続ける。


「あああぁぁぁ……」


 遠くで聞こえる始祖族の巨人の声が、次第に弱まり始めた。

 若葉の大渦を通して、周囲の気配が伝わってくる。

 若葉の波にさらわれ、あらがうことさえできずに魔物の大群は滅びていく。同時に、若葉の竜巻に取り込まれた始祖族の巨人の気配も、徐々に小さくなっていく。

 ざあざあと、深い森に突風が吹いた時のような耳に心地良い若葉の音が途切れることなく続いていた。

 まるで竜の森の最深部で受けるような生命力が溢れた風を受けているかのように、心が澄み渡っていく。


 生命力に溢れた空気が満ち、代わりに不浄が祓われていく。

 地下空間に薄く広がっていた瘴気は若葉の渦によって洗い流され、魔物はことごとく消え去っていく。そして、若葉を通して伝わってきていた始祖族の巨人の気配が、ゆっくりと崩れ去っていった。






 霊樹の精霊剣から止めなく溢れ出していた若葉の波が、次第に弱まり始めた。同時に、激しい疲労感とアレスさんの力尽きた気配が伝わってくる。


「ありがとうね、アレスさん」

『あとは其方に任せる』


 言ってアレスさんは、僕との同化を解除すると、精霊の世界に戻っていった。

 気配だけをすぐ側に感じながら、僕は終わりを見つめる。


 アレスさんとの同化が解かれ、力を使い果たした僕の手には、もう霊樹の精霊剣は握られていなかった。

 霊樹の若枝の軽い感触を確認しながら、周囲を見渡す。


 全てを覆い尽くしていた若葉の渦が、薄れ始めていた。

 眩しい若葉色から深い緑へと変色していき、最後は黄金色の枯れ葉のような色合いになって、美しく散っていく。

 散った黄金の枯れ葉は地面に積もりながら、きらきらと小さな光になって消えていった。


 徐々に周囲の状況が見え始めた。

 地下都市空間に蔓延していた穢れはすっきりと祓われ、僕たちの周りに害意ある者の気配はない。

 ユフィーリアとニーナとセフィーナさんが、手を取り合って佇んでいた。

 神族たちが武器や防具を構えたまま、呆然としていた。

 スラスタールも、神族たちと同じように立ち尽くしている。

 それもそのはず。視界が開けた地下都市空間。法術「月光」によって淡く照らされた地下都市遺跡は、変わり果てた景色になっていた。


 魔物の大群を撃退するために容赦なく力を振るったせいで、周囲の建物や石畳の道は無残な状態だ。

 だけど、神術や竜術の被害を受けなかった場所が、大きく変化していた。


 繊細に彫られた石像の街路樹に、緑の葉が生い茂っていた。

 無機質だった花壇には満開の花が咲き乱れ、建物の庭や公園には芝や背の低い草花が満ちていた。


「な、なんだこれは……?」


 周囲の景色の異変に、神族たちやスラスタールは戸惑っている。だけど、僕の家族は全員が理解していた。

 僕が霊樹の力を使うと、周囲の精霊たちが活発になって、こういう景色になっちゃうんだよね。でも、まさか石の草木が本物の葉や花を湛えるとは思っていなかったけど!


「エルネア、やり過ぎじゃないかしら?」


 ゆっくりと降下してきたニーミアの背中では、ミストラルが苦笑していた。

 セフィーナさんとマドリーヌ様も、少し困ったように僕を見下ろしながら笑っていた。


「でも、今回は自重しなくて良かったんだよね? それにほら、地下都市も破壊していないし、大丈夫だよね?」


 天変地異みたいな超常現象で地下都市空間に緑が溢れてしまったけど、破壊し尽くすよりかは良いと思うんだ!

 にこり、と笑う僕。

 みんなも、本物の緑に覆われた地下都市の風景を眺めながら、仕方ないと笑い合う。

 その、僕たち視界の先。

 霊樹を模した巨大な柱の傍らには、もう始祖族の巨人の姿はなかった。


 地下都市空間の穢れは祓われ、緑豊かな風景が広がる神秘的な光景に息を呑むスラスタールや神族たちは、まだ意識が現実に戻ってきていない。

 地下ではけっして有り得ないはずの風景を呆然と眺める者たちに釣られて、僕ももう少し周囲を見渡した。


 精霊たちが賑やかに集まってきている気配を感じる。

 顕現こそしていないけど、わいわいと周囲が騒がしくなり始めていた。


 霊樹の術の影響だね。

 地下都市をいろどる花々や草木の緑も、精霊たちが霊樹の力を受けて活発化したからだ。

 そして、街路樹や花壇だけでなく、霊樹を模した大柱にも変化はあった。

 地下都市空間の天井を支えるように大きく広げられた梁がまるで大樹の枝のように変化し、先に茂る葉を広げていた。

 月光に照らされた天井はきらきらと緑色に輝き、優しい光を空間全体へと降り注いでいる。


「こうして見ると、本当の霊樹に見えるわね」


 ミストラルだけでなく、苔の広場からいつも見上げていた霊樹の風景を思い出した家族みんなが、感慨深く頷いていた。


「君たちはいったい……」


 ようやく現実に戻ってこられたのか、スラスタールが恐る恐るといった感じで僕たちに声を掛ける。

 さて、スラスタールにどうやって説明したものか、と口を開きかけた時。

 ずぅん、と地響きが地下空間に広がる。それで神族たちもようやく我にかえったのか、今の地響きの原因を探ろうと注意深く周囲を探る。

 僕たちも、地響きに反応した。

 ただし、スラスタールや神族たちとは違って、全員の視線が最初からある方角に向けられていた。


 僕たちが見つめた先。

 霊樹を模した大柱の傍らに、巨大な物体が迫り上がってくる。


「ま、まさか!」

「巨人か!?」


 神族たちが一斉に警戒体制をとる。

 スラスタールも、思わぬ者の復活に後退る。


「あ、あの術でも守護者は倒せなかったというのか!?」


 スラスタールが絶望の表情で叫んだ。

 神族たちでさえ抗えなかった神秘的な術を受け、魔物と共に滅びたと思っていたはずの始祖族の巨人が、まさに今、目の前で復活するように形を成していく。

 スラスタールや神族たちが絶望に震えていた。


 始祖族の巨人の規格外の再生力に絶句するスラスタールや神族たちを余所よそに、僕たちは成り行きを確かめるように静かに見上げていた。


 黒い岩肌が人の形を成していく。

 脚から胴が再生され、腕が生えて頭部が出来上がる。

 関節部分や黒い岩肌の継ぎ目から、真っ赤に滾る溶岩が見える。

 絶句しつつも、神族たちは臨戦体制に入っていた。


 始祖族の巨人の瞳が再生された。

 澄んだ青色の瞳が、地下都市遺跡の荒れた大通りに集まる僕たちを、静かに見下ろす。


 ごくり、とスラスタールがつばを飲む音が聞こえた。

 スラスタールの緊張が伝わってくる。

 神族たちも、疲弊した身体に力を込めて臨戦体制をとり、いつでも攻撃を仕掛けられるような状態で武器を構えていた。


 復活を遂げた始祖族の巨人は、地上の僕たちを高い位置から静かに見下ろし続ける。

 見つめ合う、僕たちと始祖族の巨人。いったい、次は何が起きるのか。そう思っていると、最初に動いたのは始祖族の巨人だった。

 巨大な手を地面に下ろすと、いのような姿勢になる。そして、青く澄んだ瞳を光らせる大きな顔を、僕の前に下ろしてきた。


「汝が、我の穢れを払った者か」


 近くで見る青い瞳は、叡智と理性をたたえた奥深さがあった。

 もうそこには、穢れで自我を失い、暴走していたような邪悪な光はない。

 僕は、始祖族の巨人の瞳を見つめながら頷く。


「はい。僕が霊樹の力で祓いました」


 そうか、と青い瞳の色を濃くする始祖族の巨人。

 スラスタールや神族たちは、こちらに顔を近づけてきた始祖族の巨人の圧に硬直してしまっているけど、僕たちは平気だ。


 だって、始祖族の巨人にはもう穢れや害意は感じないし、巨大な者との接触も、これまでの経験で慣れているからね。

 とはいえ、お互いの意思疎通は大切だ。


「地下都市の守護者様。もう大丈夫なんですか?」


 澄んだ青い瞳で僕たちを見つめる始祖族の巨人が、本当に理性を取り戻したのか。理性を取り戻したのなら、地下都市に入った僕たちを侵入者と見做みなさないのか。それを確認しなきゃいけない。

 僕の意図を読み取ったのか、始祖族の巨人はゆっくりと頷く。


「我には、自我を失っていた当時の記憶も残っている。汝らが我を救ったことも、この地下都市に害意を持つ者でないことも知っている」


 では、害意を持って冥獄の門を潜った神族たちはどうなのだろう? という疑問には、始祖族の巨人が無言で答えた。

 ぎらり、と青い瞳の奥が光る。その直後。臨戦体制に入ったものの、始祖族の巨人の威圧に硬直していた神族たちが、本物の石像になった。


「なっ!?」


 石に変えられた神族たちを見て、スラスタールが恐怖に顔を青くする。

 次は自分なのか、と絶望の瞳で始祖族の巨人を見上げたスラスタール。だけど、始祖族の巨人はスラスタールを石像に変えることはなかった。


「汝の気配を我は懐かしく思っている。アウムダールの血族であるのだろう?」

「……! お、おわかりになられるのですか!? そうです。私はアウムダールの子孫であり、冥獄の門を護る者です。ですが……」


 役目を果たせず、かつての魔族だけでなく今回は神族までも冥獄の門を潜らせてしまった。となげくスラスタールに、始祖族の巨人は首を横に振る。


「汝は役目を果たした。それでも尚、侵入してきた愚かな者たちを退けるのが我の役目である。汝が嘆く必要はない」


 と言って、始祖族の巨人はスラスタールを石に変えることはしなかった。


 スラスタールがずっと言っていたこと。自分であれば、地下で攻撃を受けることはない。とは、地下都市の守護者に認められた一族の者だったからなんだね。

 さっきまで容赦なく攻撃されていたのは、その守護者が自我を失って、暴走していたからだ。だけど、今はもう違う。僕によって不要な穢れは祓われて、自我を取り戻した始祖族の巨人は、スラスタールを庇護する対象として認識していた。


 良かったですね、と僕が声をかけると、スラスタールも嬉しそうに笑みを浮かべた。

 だけど、すぐに真顔になって僕に質問してきた。


「守護者様がこうして正常に戻ってくれたことは、素直に嬉しく思う。だが、君はどうやって守護者様を救ったのだ? 私の目には、計り知れぬ術で暴走する守護者様をほうむったように見えたのだが?」


 そういえば、説明がまだだったね。

 僕はスラスタールの疑問に、笑顔で答える。


「守護者様が暴走していることはわかっていたからね。なら、暴走の原因だと思われる穢れだけを祓うことができれば、正常に戻ってくれるんじゃないかと思ったんだよ。もちろん、地下都市遺跡の守護者様を倒してしまおうなんて考えは持っていなかったからね!」


 僕の言葉に、家族のみんなは笑顔で頷いていた。

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