冬の来訪者

 もぞもぞ、と何者かが忍び寄る気配を感じる。


 きっと、もう朝方近く。

 僕は大きな寝台を独占して、ひとりで寝ていた。

 昨夜は家族のみんなでいろいろと賑やかに過ごした。でも、騒ぎ過ぎちゃってみんな疲れたみたいで、其々それぞれが自分の部屋に戻って就寝したんだけど。

 どうやら、何者かが朝になって抜け駆けに出たみたいだね?


 抜け駆けといえば、ライラかな?

 ライラとだけ、まだ二人の時間を過ごしていないんだよね。

 だけど、僕の部屋に侵入してきた者の気配は複数だった。

 さてさて、何者だろうね?

 僕は狸寝入りで様子を伺う。


 侵入者は部屋の扉をそっと開くと、足音を忍ばせてこちらに近づいてくる。

 この時点で、ユフィーリアとニーナではないと確信した。

 だって、あの二人なら僕の部屋に侵入した後に、追っ手や別の侵入者を排除するために、部屋の内側から絶対に鍵を掛けるだろうからね。

 それ以前に、こんなお忍びはしない。

 きっと騒がしく侵入してきて、暴走しながら僕をさらうはずだ。


 では、他の誰かかな?

 ミストラル?

 ルイセイネ?

 この二人でもないだろうね。

 自慢じゃないけど、二人は僕の朝の目覚めよりもうんと早く起きて、既に活動しているはずだよね。

 ミストラルは、きっともうスレイグスタ老のお世話のために苔の広場に行っているはずだ。

 ルイセイネも、巫女として朝の行水や修行にいそしんでいるはず。

 そう考えると、マドリーヌも除外されるかな?

 ユフィーリアとニーナとよく結託けったくして騒ぎを巻き起こすマドリーヌだけど、巫女としての規律は絶対に失わない。

 だから、マドリーヌもルイセイネと一緒に朝のお勤めの最中だと思うな?


 では、やはりライラかな?

 それとも、珍しくセフィーナかな?


 侵入者は気配を殺して、僕が寝ている寝台に近づく。そして、ごそごそとお布団の中に侵入してきた。


「ぐにゅっ、重たい!」


 お布団の中に潜り込んできた侵入者が、寝ている僕の上にのしかかってきた!

 さらに別の侵入者が、僕のお腹にぐりぐりと硬いものを押し当ててくる!


「この感触と気配は、フィオリーナとリームだね?」

『うわんっ、正解だよっ』

『おきろぉ』


 リームが僕の上に乗っかって、フィオリーナがつのの生えた頭をお腹に押し当ててくる。そうして僕の睡眠を妨害する。


「くっ、負けるものか。寒い冬はぬくぬくのお布団の中で惰眠だみんむさぼるのが至高なんだからねっ」

『リームにはわからないよぉ?』

『早く起きないと、レヴァリアがこの部屋を吹き飛ばしちゃうよっ』


 それは困りますっ!

 僕は慌てて飛び起きた!


 僕の慌てように、フィオリーナとリームが喉を鳴らして笑う。

 どうやら、フィオリーナの冗談だったみたい。

 なんて恐ろしい冗談を言う子でしょうね?

 悪戯好きに成長しているのは、絶対にスレイグスタ老の悪い影響ですね。


 やれやれと、僕は朝一番の背伸びをすると、支度に取り掛かる。

 寝間着を脱いで、冬の普段着を着込む。それから顔を洗って、寝癖を直そうとして、諦めました!

 誰かに髪を解いてもらおうかな?

 僕はお子様じゃないけど、妻たちに髪を解いてもらうのが好きなのです。


 ちなみに。

 僕がいつ起きても良いように、部屋の暖炉には既に火が入れられてあり、顔を洗うお水もおけに準備されていた。

 つまり、僕がフィオリーナとリームという侵入者に気づく以前に、誰かが既にこの部屋に入ってきていて、色々と準備をしてくれていたわけですね。


 感謝感謝。


「さあ、先ずは誰かを見つけて髪を解いてもらうぞー!」

『『おーっ』』


 僕は外用の厚手の上着を羽織ると、フィオリーナとリームを引き連れて部屋を出た。

 そして、長く続く廊下に出ると、大食堂に向かって歩き出す。

 とてもとても長大なお屋敷だけど、ご飯を食べるときはみんなで大食堂だし、寛ぐなら大きな暖炉のある居間だし、遊びたいなら広いお部屋を選ぶからね。その何処かに向かえば、きっと妻の誰かと会えるはずです。


 僕の推測は正しくて、大食堂に行くとセフィーナが朝食の準備をしてくれていた。


「あら、エルネア君おはよう」

「セフィーナ、おはよう。今朝の朝食の準備担当はセフィーナだったんだね?」

「ライラと流れ星様も台所で手伝ってくれているわよ。それよりも。寝癖を直してほしいのね?」

「正解です!」

『お手伝いするよっ』

『リームもぉ』

「それじゃあ、フィオとリームは台所に行って残りの食器を持ってきてもらえるかしら?」

『『そっちのお手伝いじゃなーいっ』』


 僕の寝癖を直すお手伝いだったのに、なんて不満を口にしながらも、フィオリーナとリームはセフィーナに言われた通りに台所に向かって飛んでいった。


「それじゃあ、エルネア君はそこの椅子に座って」

「はい、くしだよ」

「ふふふ、準備がいいわね?」


 椅子に座った僕の後ろに回って、セフィーナが髪を解いてくれる。

 櫛が髪を通る感覚。櫛先が頭皮に触れる感触。自分で髪を解くと、なぜかこれほど気持ちよくはないんだよね?

 でも、誰かに頭を触ってもらうと、何故か心が落ち着く。そして、眠くなってきちゃう。


「こらこら、せっかく起きたのだから寝たら駄目よ?」

「はーい」

「素直でよろしい。ところで、エルネア君。私や身内じゃなくて流れ星様たちに最初に会っていたらどうしていたのかしらね? 寝癖のままの姿を見られたら恥ずかしいわよ?」

「はっ! 失念していましたっ」


 そ、そうだよね!

 大食堂では、家族だけでなく流れ星の巫女さまやアステルや傀儡の王だって一緒に食事を摂るんだから、家族以外の人たちに会う可能性だってあったんだよね。

 次からは気を付けよう。そう反省を口にすると、セフィーナは可笑しそうに笑った。


「エルネア君」

「何かな?」

「今日は暇かしら?」


 髪を解いてもらいながら、雑談を交わす僕とセフィーナ。

 すると、セフィーナが何やらふくみのある言葉を発してきました。


「暇というか、予定は立てていないよ? なにか用事があるの?」


 全く何もしない日、という日常はそう多くない。

 降り積もった雪で屋外の行動が制限されてしまう禁領の冬。それでも、特別な予定がなくても日々の薪割りや体を動かす訓練や修行、それ以外にも精霊たちの相手をしたり、霊樹ちゃんに会いに行くという日課はなくならないからね。


 つまり、セフィーナはそうした日常以外の予定が僕に入っていないかと聞いているわけです。

 そして、本日の僕の予定は空いていた。

 セフィーナは、僕の予定の空きを確認すると、それじゃあ、と解き終わった僕の頭を撫でながら言った。


「ライラと一緒にお出かけしてみては?」

「セフィーナは気が回るよね?」

「そうかしら?」

「うん。僕もそろそろライラと一緒に過ごす時間を作らなきゃと思っていたんだけど、なかなか機会がなかったんだよね」

「ふふふ、私とマドリーヌのことで手を取られていたものね?」

「それは大切なことだから、別腹だよ?」

「あら、それじゃあ私とマドリーヌはエルネア君との時間を別枠であと一回貰えるのかしら?」

「はっ! それをユフィとニーナに聞かれたら大変なことになっちゃうよ!?」

「エルネア君、もう聞いてしまったわ」

「エルネア君、もう耳にしてしまったわ」

「きゃーっ!」


 いつの間に、双子王女さまが僕の背後に!?


 僕は悲鳴をあげて椅子から飛び上がると、一目散に逃げ出す。背後から三人の追っ手が!

 セフィーナも、姉二人に便乗して僕を追いかけてきたよっ。


「ライラっ」


 叫び、台所に飛び込む僕。


「は、はいですわっ」


 洗い物をしていたライラが、僕に呼ばれて驚いたように振り返った。

 僕はそのライラの手を取って、走る!


「ライラ、手が冷たいね?」

「洗い物をしていましたわ」

「うん。いつもありがとうね! ということで、このまま僕と一緒に出かけようっ」

「はわわっ、エルネア様!」


 困惑するライラの手を引いて、僕は台所を抜け出す。

 そして、背後から追ってきた五人を振り切るように、お屋敷を飛び出す!


「エルネア君、お待ちくださいーっ」

「ライラさん、エルネア君をお止めするのです!」

「ルイセイネとマドリーヌが面白半分で参戦してきているよっ」

「はわわっ、エルネア様っ」

「ライラ、行くよっ」


 振り返っちゃ駄目だ!

 猛獣たちに僅かでも隙を見せたら、一瞬で襲われちゃうからねっ


 さあ、ライラと二人で何処に行こう!

 お屋敷から西へと向かえば、霊樹ちゃんのもとへ。

 北へ進めば、竜王の森。

 レヴァリアの翼を借りれば、何処へだって行ける!


 僕はライラの手を強く握って、妻たちから逃げた!






「エ、エルネア様」

「はぁ、はぁ、ここまでくれば……」


 乱れた息を整えながら、僕は周囲を見渡す。


 深い森。

 雪が降り積もった森林に細く伸びた獣道の途中。

 僕とライラは、竜王の森へと逃げ込んできていた。


 遠かった……

 竜術の使用を禁止した現在の僕とライラにとって、竜王の森は思いの外遠くに在った。

 それでもなんとかたどり着いた僕とライラは、竜王の森の奥で迷っていた。


 もちろん、わざとだよ?

 僕たちが迷う。つまり、追っ手の妻たちも迷っているはずだからね?

 妻たちを撒き、ライラと確実に二人になるためには、この手段しかなかったのです。

 レヴァリアは中庭で丸くなって僕のお話を聞いてくれなかったし、霊樹ちゃんのところへ向かっても、追っ手からは逃げ切れないからね。


 というわけで、竜王の森まで逃げてきたわけだけど。

 僕はここに来て今更に、ある大きな失敗を自覚することになった。


「ライラ、ごめんね?」


 謝る理由は、明確だ。

 台所に飛び込んで、ライラを強引に連れ去った僕。

 でも、ライラは朝ごはんの準備で使用した道具や食器を洗っている最中だった。

 つまり、ライラは動きやすい屋内着だけで、真冬で雪が降り積もった禁領の自然を出歩くような服装じゃなかったんだ。


「ルイセイネやマドリーヌが必死に僕たちを止めようとしていたのは、ライラのためだったんだね? ごめんなさい」

「はわわ、大丈夫ですわ。エルネア様といっぱい走って身体が温まりましたわ。それよりも、私は嬉しいですわ。やっとエルネア様と二人になれましたわ」


 きゅっ、と僕に抱きついてくるライラ。

 僕は火照ほてった体温が冬の冷気で冷えないように、ライラを抱きしめる。


『見つけたよっ』

『はぁーい、お洋服だよぉー』


 でも、僕とライラだけの甘い時間はすぐに終わりを迎える。

 空から、フィオリーナとリームが飛んできた。

 ライラの外着と、僕たち分のご飯を持って。


「フィオ、リーム、ありがとう」


 今は運動後でぽかぽかだけど、すぐに身体は冷えるだろうからね。

 リームが持ってきてくれた厚手の外着をライラに渡して、フィオリーナから朝ごはんを受け取る。


「それにしても、フィオもリームもよく僕たちを追えたね?」


 竜王の森には、迷いの術が施されている。

 だから、森の中でも空の上でも、竜王の森の領域に入ったら等しく迷うはずなんだけどな?

 僕の疑問に、フィオリーナが応えてくれた。


『うわんっ、リンリンからの伝言を受け取ったんだよっ』

「ほうほう?」


 ユンユンは、プリシアちゃんのお目付け役として竜の森に行っているんだっけ?

 リンリンは竜王の森に残って、精霊たちのお世話をしているのかな?

 そのリンリンからの伝言?

 つまり、リンリンが僕に何かを伝えたかったから、フィオリーナとリームが迷いの術に掛からないように僕たちのところまで導いたのかな?


「それで、伝言とは?」


 なんだろう、と聞き返した僕だけど、フィオリーナが竜心で伝えてくる前に、何を伝えたかったのかを知る。


「素敵な森ですね?」


 突然、背後から女性の声がした。

 振り返ると、ひとりの耳長族が立っていた。


 ふわりと柔らかそうな、腰裏まで伸びた豊かな金髪。

 無駄な筋肉のない、すらりとした手脚。欠点のない容姿端麗な、若い耳長族。

 腰には、細身の剣を帯びていた。


「っ!」


 竜王の森には迷いの術が掛けられているから、突然身近に誰かが現れても不思議ではない。

 でも……!


 この女性は間違いなく、迷いの術に迷うことなく僕たちの場所まで来たんだ!

 僕の確信を裏付けるかのように、女性は言う。

 優しく微笑みながら。


「ユーリィ様に見守られた、素晴らしい森。賢者が精霊たちを導き、深き迷いの術が森を優しく育んでいる。その森に躊躇うことなく何者かが侵入し、飛竜と翼竜の子が飛来してきた。誰かと思ったけれど、やはり君たちだったのですね?」


 金髪の耳長族の女性は、僕とライラを見つめていた。

 そして、細身の剣を抜く。


「さあ。早速だけど良いでしょうか?」


 きらりっ、と輝く細身の剣のきっさきが、僕に向けられた。

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