第266話 腐った魂

(少しふざけ過ぎたかな)


 お前たちか?


(この男の父親は天寿を全うし、とうの昔に旅立っている。未練がましく留まるような、愚か者ではない。)


 なら、お前たちこそ愚かだ。

 人の思い出を塗り替えるような愚行をするな。


(ふふっ、否定はしないよ。さぁ早くしよう。女が、子供を苦しめる前にね)


「手を胸に置いてください」


 一瞬、握り込まれた手の指が開き、侯爵は息子の胸に片手を置いた。


「神の血肉の在処を問いかけてください」

「わかった。イエレミアス、教えてほしい。

 今、神の血肉は何処にあるのか?」


 遺体は答えない。

 だが、冷たい体には、死後のこわばりとは違う力みが見えた。


「やはり、答えぬ」


(何が宿っているか聞くといいかな)


「そこに在るモノが誰かを聞いてください」

「誰ぞ在るか?」


 それに、遺体が揺らいだ。

 ゆらゆらと揺れて、影が滲む。


「誰だ?」


 重ねての問いに、それは赤い瞳を見せた。

 あきらかに、イエレミアスではない。

 それは父である侯爵にも、すぐさまわかったようだ。

 彼は遺体から手をひいた。

 陽射しが陰り、外の騒動も遠くなる。

 室温は下がり、湿り気があたりを漂った。

 沈丁花のような香り、そして遺体がフッと息をついたように思えた。


(君には、何が見える?)


 グリモアからの問いかけに、私は唾を飲み込んだ。

 影に、無数の人の顔が見える。

 生首が集まった赤黒い肉の球体に見えた。


(神の血肉、誓約の証、兆しの卵胞。僕が思うに、これは犠牲となった者達の魂の澱だ。)


 魂の澱?


(神威を得た為に、悪霊どもが一つの形になった。

 神威、神格を得ている。

 本来であれば、これにそうした指向性は無いだろう。

 けれど、盗まれ分かれてしまったからね。

 つまり、悪霊よりも力強い魔物になり始めているねぇ)


 何を呑気な。


 どれほどの時間、沈黙していただろうか。

 私達は、三人とも黙って影を見つめていた。

 理解し難いモノを見せられて、何をどうしていいのか判断がつかない。

 単純に、自分たちは何を見ているのだ?

 と、困惑した。

 恐れや恐怖ではない。

 困惑だ。


(まぁそうだよね。今日は沢山の規範が壊れたね。

 さぁ、はやくはやく、これだっていつまでも留まれないんだからね)


「問いかけを」


 ハッとして侯爵を促す。


「汝は、イエレミアス、ではないのだな?」


 侯爵の問いに、影は虚ろに留まる。


「息子では、無いのだな?」


 再度の問いかけに、影は赤い瞳を侯爵に向けた。


『応』


 軋むような答えが返る。


「何者かを問わず、血肉の在処を」


 侯爵は頷くと、影に問いかけた。


「汝に使いし神の血肉は、何処にありや?」


『ない』

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