第845話 モルソバーンにて 其の一 ⑨

「そっちは確保しといてくれ」


 パトリッシュがザムに怒鳴る。

 その姿はあっという間に、炎が見えた階上へと無理やり壁を登りきっていた。


 退避行動をいつでもとれるようにと、馬と荷駄が移動する。

 荷駄の周りに残った者達は、冷静にあたりを伺う。


 静かだ。


 街並みに人は行き来していたというのに、この場所は静か過ぎた。


 テトが相変わらず威嚇の声をあげている。

 雨の中、荷物の上、馬の後ろで尾を振り立てていた。

 普段なら微笑ましい姿だが、その毛羽立った背中や尾を見れば、ここに何かがいるのが嫌でもわかった。


 ナニカ、だ。


『何がいるの?』


 思い切って訪ねてみたが、テトは答えなかった。

 パトリッシュに続いて、建物外壁から無理やり侵入した兵士達の姿が中に消える。

 暫く、物が壊れる音が聞こえ、誰かの罵り声も続いた。

 そうして幾つかの窓が開け放たれると、煙と炎が吹き上がる。


 私達は、それをただ見上げていた。

 残る兵士達は動かない。

 彼等は中の様子がわかるのだろうか。

 吹き上げる炎は直ぐ様弱まり、黒煙ばかりが立ち上る。

 と、内側から窓が吹き飛んだ。

 カーン達が1階の窓を蹴破って出てきたのだ。


 無事だ、よかった。


 彼の面白く無さそうな顔..は、いつも通り。

 公爵の両脇には、ニルダヌスとエンリケ。

 その後ろには、サックハイムを担いだイグナシオが続く。

 彼等を囲む兵士達は、用心深く辺りの警戒を続けている。


 そんな彼等とは離れた場所からサーレルが現れた。

 彼は縛りあげ拘束した男を引きずっている。

 此方の視線に気がついたのか笑顔を振りまく。

 これも嫌な話だが、いつもどおりだ。

 片手で引き摺られている男は人族だろうか。


 戻ってきた男達には、目立った怪我はない。

 唯一、サックハイムが気絶しているが、自分から転倒して失神したそうだ。

 殴られた訳ではないので、少し休めば大丈夫とのエンリケの診断だ。


「状況は如何でしたか」


 残っていたミアの問いに、カーンは面白くも無さそうに首を回した。


「暫く、このモルソバーンに滞在する。

 今日は夜になるまでに、その馬房と続きの棟を改めてから荷物を入れろ。」


 答えずに、カーンは続けた。


「注目!

 モルソバーン滞在中は、単独行動は一切するな。

 また、飲食をする場合は、必ず排出薬を使用しろ」


 兵士達が居住まいを正す。


「了解!復唱いたします」


 兵士の復唱を待ち、カーンは更に続けた。


「護衛任務にあたり、その任務達成を阻害する事象は尽く排除する。

 また、これにより指揮者任務遂行が困難な場合、個々人での対応を余儀なくされた場合は、任務離脱を許可する。」


 どういう意味だ?


 首を傾げていると、モルドが小声で教えてくれた。


「公爵の護衛任務を阻害する要因の排除とは、この地での我々はに活動するという事です。

 ボフダンの特使とコルテス公爵を生かす為に、コルテス人殺害も辞さないという意味になります。

 また、任務離脱を許可するというのは、指揮権は団長以下将校殿達だけにあり、彼等が指揮権を物理的に奪われた場合は、その相手に対し攻撃行動と離脱を許可するという意味です。

 それで反逆には問われず、もし訴追された場合は、閣下の勢力が守るという保証の言葉ですね。」


 モルドの解説に礼を伝える。


 なるほど。

 いつもどおり、戦闘状態になったという話だった。

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